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『雪を溶かす程の‥‥ 』
アイリス・リード(ec3876)
 
 本当にわたくしで良かったのですか?
 後悔はしておりませんか?

 そう尋ねたくなる気持ちを飲み込んで、雪に彩られた町を共に歩く横顔を見つめる。
 次の瞬間、優しい碧の瞳に微笑みかけられる事を願って────。


 白い息を吐きながら、愛しい年下の恋人は穏やかな微笑でそっとアイリス・リードの頬に触れる。
「すっかり冷えてしまっているな。寒くはないか?」
 大きな手から伝わる優しい温もりは、ずっと繋がれている手と同様に心地良さと安心感をアイリスにもたらす。
 けれども同時に胸は締め付けられるように苦しくなって、甘い痛みにアイリスは僅かに瞳を細めた。
「フレッドさんのお陰で温まりました。ありがとうございます‥‥」
 アイリスの返事を聞いたフレッドは彼女の頬から手を離すと、今度は額に優しく唇を落とす。
「‥‥っ!」
 道行く人がいる中での、突然のキス。
 顔を真っ赤にし俯くアイリスの頭を帽子越しに撫で、フレッドは微かな笑い声を漏らし呟く。
「‥‥行こうか?」
「は、はい‥‥」
 顔を上げればそこには悪戯っぽい笑顔。
 けれども、その頬が微かに赤く染まっているのにアイリスは気づいてしまった。
「露天がたくさん出ているな。アクセサリーの店もあるようだし、欲しい物を見つけたら遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます‥‥本当にお店がたくさんで、迷ってしまいますね」
 聖職者であるアイリスは過度な装飾を好まない。
 今日の格好もシンプルなワンピースとコートだったが、そのどちらも彼女の清楚な美しさを引き立てていた。
 その服装に合わせてくれと言わんばかりに、露天に並ぶアクセサリーはどれも可憐なデザインのものばかり。
「折角お付き合い頂いたのに、素敵な物ばかりで決められそうにありません‥‥ごめんなさい‥‥」
「また後で見に来れば良いさ。時間はたっぷりあるんだしな」
 自分の優柔不断さに落ち込むアイリスにフレッドは頭を振って微笑む。
 その笑顔に心が軽くなるのを感じながら、アイリスはそっと彼に寄り添った。 
 彼の名はフレッド・ロイエル。
 貴族の子息で王宮騎士で、本来ならばハーフエルフである自分とは結ばれぬ運命にある人間(ひと)。
 彼に対する負い目が消える事は生涯ないだろう。
 けれども、どうしても離れられない、望んで貰えるのならば何があっても傍に居たい‥‥愛しい人────。


 お菓子作り体験は1人でやってみたいと告げると、フレッドはとても残念そうな顔をしていた。
 寂しそうなその様子はまるで大きな犬がしゅんと項垂れているようで、堪らずアイリスは彼をあやすようにハニーブロンドの髪を撫でたのだった。
 その様子を思い出し笑いしてしまい、お菓子作りを教えてくれる女性店主に根掘り葉掘り聞かれてしまったのは言うまでもない。
「美味しそうに出来たわね。さ、あそこの席に座って恋人さんを待っててちょうだい♪」
 どこかフレッドの母親に似た雰囲気を持つ女性店主は、アイリスを客席に案内する。 
 お菓子作り体験のお店は喫茶店も兼ねていて、心を込めて作ったお菓子を客席で食べられるサービス付きだった。
 そわそわとフレッドを待つアイリスの周りは熱々のカップルばかりで、余計に落ち着かない。
(「皆さん、積極的ですね‥‥あ、あんな事までっ!?」)
 人目も憚らずに口移しでお菓子を食べさせ合っているカップルをばっちり目撃してしまい、アイリスは一人顔を真っ赤にする。
 呆然と眺めていると、ティーポットから立ち上る湯気の向こう‥‥窓越しにフレッドの姿を発見し、心臓が大きく跳ね上がった。
「待たせてしまってすまない。退屈だったろう?」
「い、いえ‥‥さっき完成したばかりですから、その‥‥大丈夫、です」
 まだ赤い頬を隠すようにアイリスは俯いて頭を振る。
 フレッドの小さな安堵の息に顔を上げると、彼はテーブルの中央にあるアップルカスタードタルトを見つめ満面の笑顔を浮かべていた。
「これをアイリスが作ったのか? とても良く出来ているな」
「ありがとうございます。お口に合えばいいのですが‥‥」
「貴女が作ったものが美味くない筈ないだろう? 俺の為に作ってくれたのならば尚更だ」
 フレッドの言葉に、笑顔に、アイリスは自然と柔らかい笑みを零す。
 早く食べたくて仕方がなさそうな様子が子供みたいで可笑しくて、どうしようもなく愛しい。
「紅茶もいい香りだな。では‥‥頂こう」
 フレッドはああ言ってくれたけれども、やはり美味しいかどうか気になってしまう。
 彼がフォークを口に運ぶその瞬間をアイリスは祈るような気持ちで見つめる。
「‥‥美味い」
 その言葉にアイリスはホッと胸を撫で下ろした。
 長い緊張から解き放たれ肩の力を抜いていると、目の前にアップルカスタードが乗ったフォークが差し出されている事に気づく。
「フレッドさん‥‥?」
「アイリスも食べてみてくれ」
「‥‥っ!!」
 嬉しそうに勧めるフレッドに、アイリスは何度目になるかわからない赤い顔でピシッと固まる。
 勇気を出して自分がしてあげようと密かに思っていたのに、まさかされる側になるだなんて。
「遠慮する事はないぞ? ‥‥ああ、そうか。こう言う時は掛け声が必要だったな」
 アイリスの戸惑いを変な方向に勘違いしているフレッドは咳払いをし、
「‥‥あーん」
 照れ臭そうな笑顔でアイリスに口を開けるように促す。
 ────ここまでされてしまっては食べない訳にいかない。
 アイリスは意を決し、目の前のアップルカスタードタルトをぱくっと頬張る。
 その瞬間、口の中に広がるのはカスタードの甘さと林檎の程好い酸味のハーモニー。
「美味しい‥‥」
「だろう? アップルパイを越える好物になりそうだ」
 嬉しそうに食べ進める様子は子供のようで可愛らしいのに、時々さっきみたいに大人びた風に甘えさせてくれる。
 どちらの彼も愛しくて愛しくて、アイリスは日を追う度に離れ難くなる自分を感じていた。


 お店を後にする頃、辺りは夕闇に包まれ始めていた。
 寄り添う2人がゆったりと眺めるのは、紺碧の空から舞い落ちる真白い雪達。
「楽しい時間が過ぎるのはあっと言う間だな‥‥」
「はい。本日はお付合い頂き‥‥素敵な1日を、本当にありがとうございました」
「俺こそありがとう。これは感謝の気持ちだ。手を出してくれ」
 言われるがままに差し出したアイリスの手首に、可憐なデザインのブレスレットが嵌められる。それは突然のプレゼントだった。
「綺麗‥‥それにこの花は‥‥」
「貴女と同じ名のアイリスだ。十字架のチャームもぴったりだろう?」
 そう言い微笑むフレッドの手首にもアイリスとお揃いのブレスレットが光っている。
 繊細なチェーンのアイリスのブレスレットに比べ、フレッドの方は男性らしいしっかりとしたチェーンだ。
(「わたくしがお菓子を作っている間に選んで下さったのでしょうか?」)
 小さな疑問を尋ねようとしたアイリスは、夜風にぶるっと身を震わせる。
「‥‥おいで」
 アイリスは小さく頷いた後、広げられたフレッドの腕の中にそっと身を委ねる。
 抱き寄せられ、大きく跳ねる心臓。
 息もかかりそうなほど近くにある顔を見上げれば、優しい瞳にぶつかる。
「こうしていれば温かいな」
「え、ええ‥‥」
 急速に高まっていく体温。
 逃げ出したいほど恥ずかしいのに碧の瞳から目が離せない。優しかった瞳は徐々に熱を帯び、潤み始めていた。
「こんな事を聞くのは無粋かもしれないが‥‥キスしてもいいか?」
 掠れた声でそう尋ねる瞳の揺らめきに息が詰まりそうになりながら、アイリスはゆっくりと頷いた。
 フレッドは彼女の頬にかかる髪を優しく梳いた後、手を添えたままでそっと唇を重ねる。
 恋人同士になって初めての、唇へのキス。
 柔らかな熱が離れ行く名残惜しさに閉じていた瞳を開けると、フレッドは頬を染め困ったような表情をしていた。
「‥‥どうなさいました?」
「予想はしていたのだが‥‥歯止めが利かなくなりそうだ」
 その言葉の刹那、より赤く染まったのはどちらの頬だったか。
 甘い恋の眩暈を感じながら、アイリスは震える唇で自身の想いを告げる。
「わたくしの全てはあなたのものです。お好きなようになさって下さい‥‥」
 それが男性にとってどれ程の殺し文句であるか、アイリスは知らない。
 勿論、その一言がフレッドの理性の糸を容易く切ってしまう事も。
「‥‥大事にすると約束する。嫌ならばすぐに言ってくれ」
 言い終わるよりも早く、フレッドはアイリスの細い体をかき抱いた。
 息が出来ないほど強く抱きしめられた後に重ねられる唇は、先程とは違い深く激しい。
 翻弄されながらも懸命に応えるアイリスの視界の端に映る雪が、嬉し涙に滲んで解けた。
(「この幸せ手放さぬように精一杯‥‥胸の中の想いのまま、あなたと共に生きていきたい‥‥」)
 自分達は神に誓える仲ではないとわかっている。
 だから世間的に愛人だと見なされても構わない。
 こんな風に思う自分で本当にいいのだろうかと過ぎる不安は、口付けの合間に漏れる吐息の熱に溶けていく。
「アイリス‥‥好きだ‥‥」
 その囁きが、触れる熱が、夢ではありませんように。
 全てを捧げるその日までには、与えられる彼の愛を躊躇せずに受け入れられる自分になりたい‥‥。
 逞しい背にしがみ付き、アイリスはそっと祈りを捧げる。
「フレッドさん、愛しています‥‥」 
 漸くキスの嵐から開放されたアイリスは、最愛の恋人に極上の笑顔で囁いた────。




●登場人物一覧
【ec3876/アイリス・リード/女性/27歳/クレリック】


●ライター通信
アイリスさん、この度はご発注下さりありがとうございます!
お待たせしてしまった分、極甘で張り切らせて頂きました(むふふ)
愛され過ぎてアイリスさんは大変かもしれませんね? 末永〜くお幸せに♪
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2010年03月26日

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