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『桃花招春〜あなたとともに 』
ククノチ(ec0828)&レオ・シュタイネル(ec5382)

●流し神事の村
 江戸から徒歩半日の場所に、年寄りばかりが暮らす村がある。
 かつては老若男女が共に住む賑やかな村であった。大人達が田畑を耕す畦道では子達の遊ぶ声が響いていたものだ。だが、江戸にほど近い場所であるからか、田舎育ちの子達は成年を迎えると皆江戸へと居を移してしまい、残ったのは移住を好まぬ親世代。長い年を経るうちに村人達の平均年齢は上がっていき、いまや村人の多くは還暦を越えている、そんな村であった。

 さて、この村には古くから伝わる行事がある。桃の節句の形代流しである。
 形代流しを行う土地は珍しくないが、この村が他と違うのは雛人形でなく本物の人間を流す事だ。
 雪解けしたばかりの川の水は冷たく、形代役は過酷な役割だ。担うのが高齢者であれば尚の事。数年前までは伝手を辿って江戸から遠縁を呼んでいた村人達だったが、昨年からは江戸ギルドを通じて冒険者に助力を請うようになっていた。
 そこから繋がった縁を、村人達は大切に感じている。

●再会
「婆様‥‥っ!」
 老人しかいないはずの村に、愛らしい声が響いた。
 小柄な、少女のような娘が老婆の背に抱きつく。それは老婆にとって何よりも望み、また決して望んではいけない夢だった。
 老婆の背から柔らかく前へまわされた白い手――それは夢ではなく本当に。
「ククノチ‥‥なの‥‥かい‥‥」
 おタカの背中越しに、ククノチは頷いた。

 時が止まったかのような静か過ぎる村に、暖かな息吹が流れ出す。再会を喜び合う二人に引き寄せられて、家々から村人達が出て来た。
「よっす、皆元気だった?雪吊り、下ろしに来たぜ〜!」
 出迎えた村の老人達に手を振る元気な声の主はレオ・シュタイネル。手にはめている青白の指貫手袋は婚約者のお手製だ。彼の後ろに就いている大きな熊には長い長い襟巻きが巻かれている。ククノチのキムンカムイ、冬眠しない熊ことイワンケは相変わらず暖かそうな金茶の毛並みでそこに居た。
 以前は言葉が通じなかったレオだけれど、今回はジャパン語で流暢に喋っている。
「おお、よう来なすったのう」
 気付いているのかいないのか。言葉の割に昨日も会ったかのような暢気そのものな口調で長老がやって来た。村内最高齢の好々爺の後ろには、もちろん猟師の与平が付いている。
「お久しい‥‥覚えていてくれたのか」
 こちらは時の感覚が正常らしい。
 与平の感激にちょっぴり照れて、懐かしむように差し出した老人の掌をレオは力強く握り返した。ほかにも覚えてるぜとレオは続ける。
 彼らの約束――春の再訪、この村に伝わる過酷な春の風物詩。
「桃の節句‥‥だったかの手伝いもなっ」

 ククノチとレオが二人揃ってこの村を訪れたのは昨秋、晩秋の頃だった。
 共に過ごした数日間、村のご老人達が冬を不自由なく越せるようにと、二人は家々を回り冬支度を手伝って。雪の重さに木々が折れないようにと雪吊りも施して行ったのだった。
「ありがとうねえ、本当に、ありがとう‥‥」
 おタカが目を向けた先には、役目を終えた雪吊りの縄が木に揺れている。忘れずにいてくれた、また会いに来てくれた事が嬉しくて、感謝の言葉しか出て来ない老女へ、ククノチはいいえと優しく首を振った。
(「ありがとうと言いたいのは私のほう‥‥)
 戻って来た事を、がっかりされないかと心配だった。後ろ髪引かれる思いで村を後にした梅花の蕾の頃、ずっと心残りだった自分の弱さを婆様はがっかりされないだろうかと‥‥心配で、でも婆様に会いたくて。
(「私は、何時でも‥‥」)
 想いを伝えるように、おタカの小さな体にぎゅっと抱きつくと、想いに応えるように筋張った腕がククノチを優しく包み込む。老いて枯れ果てた腕なのに、何故かそこだけ暖かな空気に満たされているような気がした。

●冬仕舞い
 さて、と一息入れたあと、若者達は春を迎える準備に取り掛かった。

 雪深い冬の間、木々を守った雪吊り縄を外すのは意外と簡単だ。何故ならククノチにはイワンケがいる。
「イワンケ殿」
 ククノチの声の調子で求めるものを感じ取ったイワンケは、ククノチが乗りやすいよう大きな体を屈めた。彼女が肩に乗っかったのを確認し、ゆっくりと体を起こす。そのまま雪吊りの中心部、芯柱に進んだ。
 イワンケの肩に乗ったククノチが、手にした小刀で縄を切ってゆく。ばらりと落ちた縄を与平がかき集め、次に使えるよう綺麗に纏めた。
 レオは晩秋に巻いておいた菰を外してゆく。わらをそっと外すと、冬から目覚めた村の標が顔を出した。地蔵に灯篭、木の幹など村中を回って春の訪れを知らせてゆく。
 村の何処にいても雪吊りの芯柱が見えた。順調に縄落としが進んでいる様子を見上げつつ、そういや縄掛け時には芯柱から村を一望したなと思い出す。
(「冬の間に、また屋根が傷んでるかもしれないな〜」)
 後で家々を回って修復箇所がないか尋ねてみよう。小さな身体の腕いっぱいに菰を抱えて、レオは田起こし前の広地へ運んで行った。

 菰から立ち上る煙を見守りつつ、一同一休み。
「ああ‥‥婆様の味だ」
 こりりと良い音を立てて口に広がる久々の味に、ククノチが微笑んだ。
 大きく重たい湯呑みには渋茶、お茶請けにはおタカの沢庵。巴里でも直伝の沢庵を作っているククノチだけども、自作と違うように感じるのは目の前に婆様のにこにこ顔があるからだろう。
「あの渋柿が、こんなに甘くなるんだな〜」
 レオが干し柿を一口。冬の前に軒先へ吊るしておいた渋柿は、白い粉を吹いて甘い果実に変わっている。
 イワンケも食べるかと、伸ばしてきた大きい手に乗せてやった。手先を舐めるようにしてもごもご食べている金色の熊は、何だか暢気で愛らしい。
「さって、長老さんとこの雨漏り塞いで来るかっ、イワンケ芯柱頼むな〜!」
 あと少し。元気に立ち上がると、レオは仕事に戻って行った。

●春迎え
 数日の滞在の間に、二人の冒険者達は村人達が生活に不自由しないよう精力的に動いた。高齢者が手を付けにくい高所での作業、身体に負担がかかる仕事、重労働等々‥‥
 そうそう、とククノチが問うた。
「長老殿、雛の準備はお済みだろうか‥‥?」
「雛かの?今年は良い雛で皆喜んでおるでのう」
 どうやら村人達が良い雛人形を準備しているらしい。
 屋根を葺き替えていたレオが、庭で話している二人の会話を耳に挟んだ。
「そっか〜そりゃ良かった」
 楽しみだと笑う三人。
 和やかではあるのだけれど、何か、何処か引っかかるような‥‥?

 済まないねえと詫びるおタカに、気にしないで欲しいとククノチは腰を揉んでやる。おタカが少し身長が伸びたようだよと笑った。
「明日は桃の節句――気をつけるんだよ」
「はい、至らぬこの身なれど尽力します」
「真面目な子だねえ、そんなに固くならなくても平気だよ」
「‥‥?」
 ククノチがおタカの言葉の意味を知るのは、雪解けたばかりの川を眼前にしてからの事である――

 さて、神事当日。
「長老殿、雛は何処だろうか?」
「ほい?目の前に居るがのう」
 長老が、自分達を指差している。思わず二人は顔を見合わせた。
 二人の様子が妙だと逸早く気付いたのは与平とおタカだった。これは知らずにいたのだろうと、この村の流し神事――雛人形でなく人間を形代にするのだという事を改めて説明する。
「まだ川の水は冷たいからね、無理しなくてもいいんだよ‥‥?」
 心配したおタカに、ククノチは健気に首を横に振った。
「これは神事‥‥謹んで臨ませていただきます」
「俺も受けるぜ、他に出来そうな奴居ねーしな」
 高齢者ばかりの村人達を見回したレオも、覚悟を決めて応えた。

 水垢離と思えば平気だ。たとえ岸辺にうっすら氷が張っていたとしても。
 ――でも。
「‥‥その、レオ殿‥‥後ろを向いて‥‥」
 最後まで言えずに顔を赤らめるククノチの言わんとしている事がわかって、レオは大人しく背を向けた。ふと気付いて、ぽけっとしている長老達にも背を向けさせる。イワンケが空気を読んで、男女の間に割り込んだ。
 一斉に背を向けた男連中に一礼し、ククノチは薄物一枚になる。
「婆様‥‥」
 娘の声が心細く聞こえておタカが顔を覗き込むと、ククノチが不安な顔で言った。自分が形代役を務めても良いのだろうかと。
「私は、精霊魔法を使う事のできない、落ちこぼれ巫女‥‥こんな私でも、形代役を務めても良いのだろうか」
「何を言っているんだろうねえ、この子は」
 一瞬驚いたものの、おタカは娘の不安を払うかのようにククノチの頭を優しく撫でた。
「誰が落ちこぼれなんだい?こんな立派なお嬢さんを落ちこぼれだなんて、あたしは認めないよ」
 それにね、とおタカは至極当然の事を言って朗らかに笑ってみせた。
 流し神事は精霊魔法を使わなくてもできるんだよ、と。

 心の準備、身体の準備。入水前にしっかり準備運動して心鎮めて。
 両手を合わせしずしずと川辺へ進むククノチの背を、一同神妙に見守った。
(「おタカ婆様が、この村の人々が今年も健やかに季節を巡れる様に‥‥」)
 カムイ‥‥この地に春を呼ぶ儀に参加いたします。力及ばずとも‥‥喜んで。
 故郷の神に語りかけ、皆の幸せを祈って、ククノチは水中へと身を躍らせた。

 痛い程冷たい水も心を無にすれば痛みも感じない、寧ろ柔らかく――柔らかく?
 瞼を開けると、ククノチはイワンケの腹の上に居た。彼女の入水後、即イワンケも後を追って飛び込んだのだ。
 柔らかな被毛の上で、共に流れる主と友。これで厄は落とせるのだろうかと思えども、イワンケが共に神事を受けてくれた事が素直に嬉しかった。
 イワンケはキムンカムイ、蝦夷の地では神の使いとされる熊。カムイの加護と共に、娘は川を下っていった。
 川下では村の老婆達が火を焚いて待っていた。川から上がるなり大きな布に包まれて焚き火の前へ運ばれる。イワンケの襟巻きを巻いて熱い甘酒を手に待つ事暫し、皆の幸福と健康を願って流されて来たレオが到着した。
「レオ殿、お疲れ様」
 金毛の船なく生身で下って来た婚約者を焚き火へと誘う。躊躇なく近付いたレオはククノチの間近に座ると、ぎゅっと彼女を抱き締めた。
「れ、レオ殿!?」
「‥‥ん。ククノチぬくい」
 ちゃっかり自分で暖を取っている婚約者。少し恥ずかしかったけれど、そろそろと遠慮がちに彼の冷えた身体へ腕と襟巻きを回した。
「さすが、空気の読める熊」
 肩越しに聞こえたレオの声にイワンケの姿を探せば、背の被毛を乾かしている。大きなイワンケが乾くには、まだまだ時間がありそうだ。
 今度こそしっかり抱き締めて、ククノチはカムイに問うた。
(「カムイ‥‥この人と共に生きたら私は巫女でなくなるだろうか」)
 問いの答えは己の内が知っていた。
 巫女の本分は果たせずとも、愛する人と共に生きる事。永い時を共に――それが人の本分なのだと。

 大切な人達の顔が心に浮かぶ。
 イワンケ、おタカ婆様、里の皆、そして――レオ。
(「おタカ婆様が、この村の人々が今年も健やかに季節を巡れる様に‥‥」)
 巫女ではなく一人の人間として、ククノチは幸せを願って目を閉じた。
WTアナザーストーリーノベル -
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2010年03月31日

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