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『Sweet Dream【オルゴール】 』
エミリア・F・ウィシュヌ(ha1892)


 甘くむせ返るようなお菓子の匂い。
 チョコレートの、ほろ苦くて優しい匂い。
 そして、それらのような、甘く、ほろ苦く、優しいひととき。
 そのなかで微睡むのは、エミリア・F・ウィシュヌ(ha1892)――。


 ――私は、この日を待ち望んでいた。
 三月十四日。
 予想通りなら、彼は自分にプレゼントをくれるだろう。
 しかしエミリアは、待ち望んだ日がきたことを喜ぶことはできなかった。
 彼――オールヴィル・トランヴァース(hz0008)。
 エミリアは、バレンタインのプレゼントをヴィルに渡していた。そのお返しともいうべきものを、彼は必ずくれるはずだ。しかし、それがどのようなものなのかわからない。
 ――否、想像することは容易いが、想像したくはないのだ。
 心が、ひどく揺れ動く。
 ヴィルに会うことが怖くなる。
 果たして、彼に自分の気持ちを伝えていいのだろうか。
 それはバレンタインからずっと考えてきたこと。
 伝えたところで、結果はわかりきっている。
 彼が誰を見ているのか、何を想っているのか。
 それは、これまで近くで彼を見てきた自分が……誰よりもよく知っている。
 ――それでも。
「このままじゃ……嫌」
 意識することなく漏れる自分の声に、エミリアは苦笑する。
 自分の考えが子供みたいに幼稚なのはわかっている。それでもエミリアは答えが欲しかった。
「……行こう」
 小さく、しかし決意は強く――頭を縦に振る。
 振り返らない。迷わない。
 ただ、自分は真っ直ぐに歩く。
 彼に会うために。
 彼の想いを知るために――。


「……仕事、忙しいの?」
 ブリーダーギルドのギルド長室に通されたエミリアは、書類の山に埋もれてうたた寝するヴィルに声をかけた。
「……ん? ……あぁ、エミリアか。すまんな、俺から呼んでおいて眠ってた……」
 ヴィルはバツが悪そうに顔を上げると、大きな欠伸をしながら席を立つ。エミリアをソファに促し、自分はコーヒーを淹れに奥へ向かった。
「ちゃんと家に帰ってる?」
「いや、ここ数ヶ月ずっと帰ってないなぁ。顔を出すことはあるが……寝るのはこの部屋ばかりだ」
「やっぱり。たまには家で眠ったほうがいいよ?」
「そう思ってはいるんだけどなぁ。なかなか時間がなくて」
 穏やかに流れる時間。他愛もない会話。ヴィルが淹れるコーヒーの香りが部屋に満ち、少しだけエミリアの心を落ち着かせていった。
「……でも、私と会う時間を作って、呼び出してくれたんだ?」
「強引にねじこんだ。……それに、お前から会いたいと言ってくれれば、いつでも時間作るぜ?」
「……え」
「お前にはいつも世話になってるからな。それくらい……いくらでも」
「……うん、そうだね」
 差し出されたコーヒーを見つめ、エミリアは呟く。
 そうだった。ヴィルはこういう男だ。誰であろうと恩のある相手に対しては、自分のことは二の次になる。いくら仕事が溜まっていたって、それよりも優先させてしまう。
 優しいと言えば聞こえはいいが、しかしそれはヴィルの卑怯な一面でもあるのだろう。
 ――俺は逃げてるんじゃなくて、前に進めないだけだ。
 前にそう言われたことがある。しかし、前に進み始めたところで……誰かに対する態度を変えることはないのだろう。
「今日呼び出したのはな、まあ……わかってるとは思うが、これを渡そうと思って」
 正面のソファに座ったヴィルは、エミリアに丁寧にラッピングされた箱を渡した。
「本当は俺がお前の家にでも出向いて、渡しに行くべきなんだろうが……すまんな、そこまで時間が取れなかった」
 その声をどこか遠い世界の音のように聞きながら、エミリアは包装を解いていく。
 中から出てきたのは、熊のオルゴール。
 きりきりとねじを回せば、涼やかな音色と共に熊の頭上に乗っている猫がくるくると回った。熊の顔は、頭上で動き続ける猫にちょっと困ったような顔。だがどこか嬉しそうでもあり、頭上の猫が落ちないように手で支えている。
 まるで自分達の関係そのままではないか。
 オルゴールの音色を聞きながら猫を見ていたら、涙がこみ上げてきた。
 わかっていた。
 こうやってお返しをくれることも、ヴィルの気持ちも。
 このオルゴールのような関係が続くことも。これ以上には……なれないことも。
 だけれど――。
「私じゃ……ダメなのかな……」
 オルゴールの音色が次第に消えてゆく。そこにエミリアの声が吸い込まれた。
 流れる沈黙は、ヴィルの困惑の色を見せ付けるようだ。エミリアは俯き、双眸に溜まったものを悟られないようにする。だが、俯けばそれは容赦なくこぼれ落ち、膝の上で握られた拳にぽたりと落ちた。
「……俺は、卑怯だ」
 呟く、ヴィル。
 そんなことはわかってる――そう言いたかったが、声が出ない。ただ彼の次の言葉を待つことしかできない。
「……俺は、二度と誰の手も取らないと決めている。女房の手を離した、あのときから」
 ――うん。
「誰かに惹かれることがあっても、その想いは殺している」
 ――うん。
「……お前の、ことも」
 ――知ってる。
「俺の女房に……似ているんだ」
 ――うん。
「初めて逢ったときから、そう思ってた。その金色の髪も、屈託のない笑顔も、予想を超えたことばかりしてくれる感覚も、明るさも、繊細さも」
 ――うん。
「だから……尚更、俺はお前から目を背け続けるだろう」
 ――うん。
「お前はきっと気付いているんだろう? なのに、俺にここまでついてきてくれた。感謝しているよ。……嬉しいと、思う。……だけど、俺は駄目だ。やめておいたほうがいい。……応えてやることも、突き放すこともできんのだから」
 ……ごめんな。ヴィルが最後にそう言い添えた言葉は、ひどく掠れ――震えていた。
 その直後、エミリアの拳に次々に降る雫。その雫を止めようとは思わない。止まらないと、知っているのだから。
「わかってた……わかってたつもりだった。覚悟は……できてると思ったのに……」
 頭の中はひどく冷静だというのに、感情が昂ぶる。ヴィルの言葉は全て予想できたことだったのに、実際に彼の声で彼の口から聞いてしまうと、どうしてこんなに苦しくなるのだろう。
 ヴィルの視線を感じる。じっと、自分を見つめているのがわかる。
 手を伸ばすわけでもなく、声をかけるわけでもない。
 ただじっと、エミリアから目を逸らさずにそこにいる。
「少しだけ泣かせて……」
 やっとのことでエミリアが絞り出した言葉は、しかし声にすらならなかった。だがヴィルには伝わっていたのか、彼は「ああ」と呟き、それ以上は何も言わない。
 静かに、静かに、時間だけが流れる。
 少しだけ……互いの間にある時間も進めばと、そう思ってしまう。
 進むはずのない時。
 このまま、止まり続けるだけの――時間。


 声も出さずに、涙が枯れ果てるほどに泣いた頃、エミリアはゆるりと顔を上げた。
「ごめん……もう、大丈夫だから」
「……ほら、使え」
 ヴィルはそう言って、小さなタオルをエミリアに放る。
「……ありがと」
 エミリアはそれを受け取ると、睫毛や頬に残る雫をそっと拭う。
「ね、ヴィル。私の故郷に行ったこと、あったよね」
「ああ、行ったなあ。もう一年以上前になるか」
「うん」
「そういや……お前の家族には会わなかったな」
「父親は……幼い頃に死別したから」
「……訊いちゃ、まずかったか?」
「……ううん、大丈夫」
 エミリアは小さく笑う。
 一昨年のクリスマス前に、プレゼントを届けに故郷の里へと行ったことがあった。懐かしい顔ぶれ、駆け寄ってきた子供達。しかし、里にはどこを捜しても大切な人の姿はなかった。
 大切な、大好きな父親。
 もうこの世界のどこにもいない、存在。
 でも、性格が父親にどこか似た――ヴィルは、一緒にいたけれど。
「……ヴィルってね、性格が私の父親に似てるところがあるんだ」
「俺が?」
「うん。……私にとって父親は、偉大な人で……とても大好きな人だった」
 そのせいなのか……頭の片隅で、父親に似ている人を捜していた。
 ヴィルへの想いは、どこから生まれたものなのだろう。
 父に似ているから?
 それはただのきっかけ?
 でも、その答えはきっと出す必要はない。
 ヴィルも同じことを考えているだろうから。
「……エミリア」
「……ん?」
「俺は、お前に逢えてよかったと……思っているよ」
 そう言って、ヴィルは子供のような顔で笑う。その言葉にどれほどの意味が込められているのか、問うつもりはなかった。エミリアは頷くと、再びオルゴールのねじを回す。
「……ありがとう、ヴィル」
 くるくると回る猫を、目を細めて見つめた。


「一人で帰れるのに、ヴィルの心配性。仕事はいいの?」
 エミリアはくすくすと笑う。
「なんとでも言え。……自宅じゃなくて、あいつの家のほうでいいんだな?」
 ヴィルは苦笑し、傘を少しエミリアのほうに傾けた。エミリアは頷く。
 あいつ――ミース・シェルウェイ(ha3021)。エミリアの幼馴染みだ。
 少し冷たい霧雨が降りしきる。エミリアがギルドに来たときには何も降ってはいなかったのに。
 一本の傘の下、いつも通りの他愛もない会話を交わし、歩いていく。ヴィルはその歩幅や歩調をエミリアに合わせ、彼女が決して雨に濡れないように傘の位置を調節する。
 ――肩、濡れてるのに。
 エミリアはちらりとヴィルの肩を見た。傘からはみ出して雨に濡れてしまっている。でもそれを指摘するつもりはない。指摘したって、彼は「そうか」と笑うだけだろうから。
「ちょっと待ってろ」
 ヴィルは突然そう言うと、エミリアに傘を押しつけて駆けだした。
「ヴィル!? ど、どこ行くのっ」
「すぐ戻る!」
 そしてヴィルは、すぐそこにある路地を曲がっていく。エミリアはヴィルの手の温もりが残る傘の柄を握り、その場でじっと待っていた。
 吐く息が白い。少し大きく息を吐けば、視界は覆い尽くされる。
「……雪景色みたい」
 くすりと笑い、何度も息を吐いてその様を眺めていると、ヴィルが両手に大きな包みを抱えて戻ってきた。
 雨にほんの少しだけ濡れてしまった紙袋。ヴィルは「お待たせ」と笑い、エミリアから傘を受け取る代わりに紙袋を押しつけた。
「温かい……なに、これ?」
 腕の中の紙袋はとても温かい。そして、良い匂いがする。
「……どら焼き。お前、好きだろ?」
 その言葉に、エミリアは一瞬だけ呼吸を止める。
 どうしてこう、この人は――。
 そしてすぐに笑みを零し、頷いた。
「……大好き」
 どら焼きの匂いが、心を覆う。


「ミース……?」
 エミリアはミースの家の近くで、彼が自分を待っていることに気が付いた。
 傘をさしている彼は、その手にエミリアの傘を持っている。
 何も言わず、じっとこちらを見つめ――そしてちらりとヴィルへと視線を移す。
 そのままヴィルはミースと視線を交わし、やはり何も言わずに真っ直ぐにミースの元へとエミリアを連れて向かっていく。
 ミースに近付くにつれ、エミリアは気持ちがほぐれていくのを感じていた。
 無意識に頼り切っている相手。
 昔から、エミリアについていけるのはミースぐらいだった。
 いつも気が付けば近くにいて、エミリアを見守ってくれている。
 自分のわがままも、無茶な行動も、全部受け止めてくれている。
 エミリアにとって、ミースとはいて当たり前の存在で……ミースがいない依頼の時は、どこか落ち着かない。
 ヴィルと一緒にいるときとは、違う感覚。
 違う、感情。
 でも、とても大切で……失いたくない、場所。
「お帰り、エミリア」
 優しい声が、エミリアを包む。
「……じゃ、確かに送り届けたから」
 ヴィルはそう言うと、ミースにエミリアを託した。
「……傘、持てないから……ミースの傘に入れてくれる?」
 エミリアはミースの傘の中に入ると、ヴィルを振り返った。
 もう彼は自分に背を向けていて、軽く手を振っているだけだ。濡れている右肩は、今はもう傘の下に入っている。
「あの男は、利き腕を平気で冷やすのか」
 ミースがぽつりと呟いた。
「……大丈夫、あれくらいでどうにかなるような腕じゃないだろうし、風邪を引くようなヴィルじゃないから」
「……ふーん?」
「だって、熊だし」
 エミリアは満面の笑みをミースへと向けた。
「帰ろう? ミースにもどら焼きあげる。沢山あるんだ。温かいうちに全部食べないとね」
 その言葉に、ミースは一瞬だけ頬を引き攣らせる。
「ぜ、全部って……その袋の中身、全部……か?」
「もちろん」
 力強く頷くと、早速エミリアは袋からどら焼きをふたつ取りだし、ミースと自分の口に押し込むと、袋と一緒に抱えていたオルゴールが「しゃらん」と微かな音を立てた。
「おいひ♪」
 餡の優しい甘さが口の中に広がる。
 ――いつの間にか、雨はあがっていた。



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ha1892 / エミリア・F・ウィシュヌ / 女性 / 20歳(実年齢60歳) / ハーモナー】
【ha3021 / ミース・シェルウェイ / 男性 / 21歳(実年齢63歳) / ウォーリアー】
【hz0020 / オールヴィル・トランヴァース / 男性 / 32歳 / ウォーリアー】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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■エミリア・フォン・ウィシュヌ様
いつもお世話になっております、佐伯ますみです。
「甘恋物語・スイートドリームノベル」、お届けいたします。
……は、恥ずかしかった、ですっ。泣かせてしまってすみません。
バレンタインとホワイトデー時の小物(?)を、このような形で使ってみました。
顔に似合わず女泣かせの熊ですが、またいじめ抜いてやって下さると幸いです(笑
今回、ミース・シェルウェイ様とご一緒ということで、それぞれの視点での話を展開させていただきました。
ラストで合流するまでの、それぞれの葛藤などをうまく表現できているといいのですが……。

この度はご注文下さり、誠にありがとうございました。
お届けが遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。
とても楽しく書かせていただきました。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
寒暖の差が激しいですので、お体くれぐれもご自愛くださいませ。
2010年 4月某日 佐伯ますみ
甘恋物語・スイートドリームノベル -
佐伯ますみ クリエイターズルームへ
The Soul Partner 〜next asura fantasy online〜
2010年04月13日

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