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『 ■ 雪の宿 ■ 』
ソード・エアシールド(eb3838)

 其処は銀世界。
 気温は氷点下で、呼吸をしたなら喉の奥まで冷たくなるような寒さだけれど、吹く風が纏う雪の匂いはどこまでも澄んだ清らかさを感じさせてくれ、また一面に降り積もった雪原には小さな動物達の足跡が残り、木々の凍った枝は真っ青な空に昇る陽の光りを受けて誇らしげに輝いていた。
 街から徒歩では到底来られない山奥の、木々の合間にひっそりと佇む木造家屋。
 その玄関から着物姿の女将が姿を現した。
「あらお客さん、もうお着きでしたのね」
 女将は気持ちの良い笑顔を浮かべると、到着に気付か無かった事をまず詫びて客人の持つ荷を受け取ろうとする。
「ようこそいらせらませ【雪の宿】へ。此処は雪と自然と、温泉以外には何もない宿ですけれど、そのぶん大切な方とゆっくり過ごす事が出来ると思いますよ」
 そう言って家屋の最奥、露天風呂の付いた客室を案内する。
「温泉は掛け流しですから、一日中、好きな時に何回でもご利用下さい。お布団と浴衣はあちらの押入れに用意してございます。もしご希望でしたら雪山を滑る道具なんかもお貸し出来ますから気軽にお申し付け下さいませ。とは申しましても、雪山は足で登らなければなりませんから、些か苦労されるでしょうけれど」
 恐縮そうに告げて、女将は深々と一礼する。
「それではどうぞごゆるりとお過ごし下さい」
 出迎えた時と同じ穏やかな笑顔で言い残すと、女将は襖を閉じてその部屋を後にした。

 さぁ、二人きりの時間が始まる――。


● 熱

「夜分に申し訳ない」
 ソード・エアシールド(eb3838)は山中に灯る明かりを見つけて叩いた宿に、日頃の彼らしくない早口で訴えた。
「連れが体調を崩し休む場所を探している。部屋を借りられないだろうか」
「まぁ‥‥っ」
 宿の女将はソードに背負われて荒い呼吸を繰り返す彼――イシュカ・エアシールド(eb3839)を痛ましそうに見つめた。
「ええ、部屋ならございますからさぁどうぞ」
 女将は宿の者に端の部屋を用意するよう素早く指示を与えると、別の者には氷や水を準備するよう走らせる。
 そうしてバタバタと慌しくなる光景に気を取られていたソードは、しかし不意に背後から聞こえた名前に目を剥いた。
「‥‥ごめんなさい‥‥  ‥‥」
 一瞬、時間が遡ったかのような錯覚に襲われるも、そんなわけがない。ソードは頭を振り女将の案内に従って部屋へ向かう。
(「‥‥雪景色と熱‥‥状況が似ているからか‥‥?」)
 胸中での呟き。
 背中に伝わる親友の体温は、じょじょに上がっていた――。



● 独り

【暁の翼】としての活動を終えて戻る途中。
 否、正確には数日前から親友の様子がおかしな事には気付いていた。きっかけはあの日の知人の台詞だ。

「もしくは逃げたい相手とか」――。

 もう二十年以上も前の出来事だが、知らないとはいえ見事に引金を引いてくれたものだと思う。
 そうして予感は的中。
 イシュカは倒れた。
「‥‥過去は、まだおまえを苛んでいるんだな‥‥」
 呟くソードの表情が歪む。言いようのない悲しみ、痛み、怒りが募るも、それを吐き出すわけにはいかず口を噤む。と、同時、布団に寝かされたイシュカが痙攣に似た身動きを見せ、直後。
「ぁ‥‥っ!!」
 弾けた。
「ぁああっ‥‥!!」
「っ」
 ソードは咄嗟に手を手握り、腹に力を入れる。
「いやあ、ああっ、あああっ!!」
「イシュカ!!」
「っ!?」
 精一杯の声で呼べば再びその細い体が布団の上で弾かれる。
 ソードは彼の名を繰り返し、懸命に声を届ける。
「イシュカ、しっかりしろ」
「‥‥ぁ‥‥」
 繋ぐ手を重ねて、その温もりが伝わるように。
「イシュカ」
 繰り返す呼び声が闇から此方に戻る道標となるように。
「イシュカ、もう心配ない」
「‥‥っ」
 繰り返すうち、イシュカの青く血の気の失った唇から深い息が吐き出された。あれほど苦痛に歪んでいた表情も幾分か和らいで見える。
「イシュカ‥‥」
 眠ってくれただろうか。
 そう思いながら、ソードは握った手を布団の中に戻してやった――。


● 二人

 ――‥‥冒険者? 先生を助けて!
 ――‥‥私のお姉ちゃんを庇って連れて行かれちゃったの!!

 少女は「先生」の無事だけを願い、ソード達チームを組んでいた冒険者に必死で声を張り上げたのだ。ごろつき同然の男が少女の姉を欲し、しかし男に連れて行かれれば女性には死ぬよりも残酷な目に遭う事が明らかだと判っていたから「先生」と呼ばれる男は彼女を庇った。
 男の自分であれば、と。
 そう思ったのは彼自身だけではなく、土地の人々も同様に考えていたかもしれない。助けて欲しいと請われたソード達とてそのように感じた部分があった事も否定はしない。だが、実際に救出すべく向かった先で出会った「先生」は、あまりにも――。


「‥‥しまった」
 眠ってしまっていた事に気付いたソードは、傍らで先刻に比べれば随分と呼吸が楽になっている親友の寝顔を覗き込み、そんな事を考えている場合ではないと知りつつも「相変わらず綺麗だ」と思った。
 白磁の肌に緩やかな波を打つ柔らかな茶の髪。整った容貌は人形のように表情を動かす事がなく、なればこそ二十年前のあの男は、狂ったのだろう。
「‥‥っ」
 思い出すだけで、腹の底で何かが煮え立つような怒りを感じる。
 時間を巻き戻してやれればとどれほど願ったか。
 男の身勝手な欲望と狂気に自由を奪われ畜生以下の扱いを受けた彼は、助けに来た冒険者達の手にすら怯え、泣き叫んだ。ジーザス教の僧侶としても男としてもいられなくなった体を抱えた彼の心は、もう、壊れていたのだと思う。
 そんな状態で彼の救出を訴えた少女のいる町に戻す事は無理だった。男が相応の力の持ち主であったことも災いした。連れて逃げよう――、そういう案が出たのはあの時はひどく自然な流れで、ソードが命を懸けて守ろうと決意した事も、恐らくは。
 男の追手はしつこく彼らを追った。
 殺すつもりなのか、奪い返すつもりだったのか、今となっては判らない。名前を変え、姿を隠し、いつまで続くかも判らない逃げるだけの日々は更に「先生」の心を疲弊させていったと思う。しかし同時に一つの信頼を築く礎にもなったのだと、今なら判る。
 イシュカ。
 ソード。
 そう呼び合うようになったのも、その頃だった。
「‥‥っと」
 額から濡らした布が落ちるのを見て、ソードは手を伸ばす。と同時に相手の瞳がうっすらと開いているのに気付いた。
 起きたのだろうか。
 それとも、意識は眠ったまま‥‥?
「イシュカ」
 低く呼び掛ければぴくりと動く青白い頬。
「‥‥ソード‥‥?」
「具合はどうだ」
 呼び返して来ただけでは判別が難しく、更に問いを重ねる。これで何かしら会話になる返答があればと考えたわけだが、案の定、イシュカの意識はまだ完全ではなかった。
「‥‥っ」
「イシュカ」
 息を詰める彼を。呼び続ける。
 自分は此処にいるという思いを込めて、呼び続ける。
「ぁ‥‥」
「大丈夫か」
 ソードはイシュカの手を両手で握り締めて己の胸に当てた。自分の心音を感じてくれればと思ったからだ。
 これが生きている証になればイシュカは安心するだろうか。安心して眠って欲しいと、そう願ったのに、イシュカが次に見せたのは、涙。
「ソード‥‥ッ」
「‥‥どうした」
 その表情があまりにも痛々しくて、ソードは相手の目尻に滲む涙を指先で拭う。
「ソード‥‥」
 イシュカは名前を繰り返した。
「ソード‥‥っ」
 もうそれしか思い出せないのではないかと思うくらい、何度も、何度も。
「どうした」
 同じ問い掛けを、今度はイシュカのすぐ傍で発するソード。吐息が重なるような至近距離、耳朶に囁くように声を掛けてやれば、一瞬、イシュカの呼吸が止まった。
「‥‥っ」
 もう一粒、落ちる涙。
「‥‥私が‥‥」
「ん?」
 掠れた囁きを紡ぐ唇に耳を寄せ、ソードは相手の言葉を待つ。
 そうして告げられたのは。
「私が‥‥女性だったら、良かったのに‥‥」
「――」
 ソードは目を見開く。
 呼吸も、止まった。
「‥‥イシュカ?」
 ようやく我に返って呼び掛けたときには、既に相手は再びの眠りの中。答える気配はまるでない。
「‥‥イシュカ‥‥」
 彼は頭を抱え、誰からというわけでもなく顔を隠した。
 もしもこの身が――そんな事を話せばキリが無い。どうしようもない想いはソードの内にも確かに在る。
 だが、それでも。
「‥‥俺は、おまえを守りたい‥‥」
 穏やかな表情で眠る彼の手を、握り締めた。
 見えない未来に怯える日々は終わったのだ。これからの未来を紡ぐのは自分自身。ならばこそ、自分は決してこの手を離すまい、と――。


● 晴れの日

 目が覚めると、襖の閉じられた窓の向こうから微かな光りが射し込んでいた。今が何時なのだろう、此処が何処なのだろうと不思議に思いながら隣を見遣れば、胡坐を掻いた体勢のまま眠っている親友の姿を見つけた。
「ソード‥‥?」
 起こそうと腕を伸ばし掛けて、その手が相手の手の中にある事に気付く。一晩中握っていてくれたのだろうか。そう思うと無意識に顔が歪み、しかし直後に誰かが部屋に入って来る気配がした。
「‥‥っ」
 音を忍ばせ、そっと近付く誰かは壁の向こうで膝を付くと両手でスッと襖を開け。
「あら」
「!」
 見知らぬ女性の顔にどきりとしたイシュカは、握り合う手を見られぬよう布団の端で隠す。部屋に入ってきた女はそれに気付かぬ様子でイシュカの額に手を伸ばしてきた。
「少し失礼しますね」
「っ」
「あら‥‥」
 あからさまに怯える様子のイシュカに、女性は手を止めた。触れない方が良さそうだと察したのだろう。静かに微笑むと手を引き、声を掛ける。
「昨夜はひどい熱でしたけれど、今朝の気分はどうですか?」
「熱‥‥?」
「ええ。お連れ様が青い顔でお客様を運びこまれて来て、私共も心配致しましたよ?」
 言いながら立ち上がった彼女は窓を開けて外の光りを惜しみなく室内に差し込ませる。外には吐息を白く色づかせそうな凛とした空気が流れ、早朝の陽を雪が反射する事で世界は光りで溢れていた。
「此処は雪の宿。何もない山の中ですけれど良い温泉がありますから、もし調子がよろしいようでしたら是非ご利用下さいませね」
「‥‥はい‥‥」
 イシュカが遠慮がちに応じれば女性は再び微笑み、彼女の声で目が覚めたのだろうか。顔を上げたソードが明るい室内に目を晦ませつつイシュカも起きている事に気付く。
「‥‥気分はどうだ」
「‥‥っ」
 イシュカは言葉を詰まらせ、ただ、頷く。
 二人の様子を見て何かを察したらしい女性は「ごゆっくりどうぞ」と微笑み部屋を後にし、残された二人は決まりの悪い顔でしばし微妙な沈黙が続いた。
 それを破ったのはイシュカの方。
「‥‥私は、また熱を‥‥?」
 ソードは一つ頷き「疲れが溜まっていたんだろう」と続ける。
「‥‥また迷惑を掛けてしまいましたね‥‥」
「いや」
 恐縮する親友に、ソードは低く否を唱え布団に隠された二人の手を見つめる。
「‥‥熱は、下がったな」
「ええ‥‥」
 動く指先で相手の手を撫でる。
「‥‥あの‥‥」
 イシュカは微かに頬を染めて五本の指先に力を込め、ソードは何も言わずに視線で応じて、‥‥それだけ。
 どちらとも手を離す事が出来なかった。
(「‥‥聖なる母よ、お許し下さい‥‥」)
 イシュカは心の中、仕える神に懺悔する。己が罪深い子羊である事は痛いほど自覚している、救われることのない魂だと言う事も承知している。けれど、彼だけは。
(「ソードだけは光りの世界で生きられますように‥‥」)
 どのような苦しみも、罰も、全て自分が受け入れるから、彼に向かうであろう不幸は全て自分に来る事を。
(「そのためで良いのです‥‥ですから、どうか‥‥彼の傍に居させて下さい」)
 傍に。
 彼の光りを守る為に。
(「ソード‥‥」)
 光りの中で瞳を伏せるイシュカを、ソードは静かに見つめる。
 相手の思考は手に取るように判る。
 ならばと彼が願う事も、一つ。

 どうか、明日も共に在る未来を――。


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■登場人物
・eb3838 / ソード・エアシールド / 男性 / 40歳 / 神聖騎士 /
・eb3839 / イシュカ・エアシールド / 男性 / 40歳/ クレリック/

■>ソード・エアシールド様
 ご依頼ありがとうございました。お二人の大切な一時、心を込めて執筆させて頂きました、月原みなみです。
 お気に召して頂ける事を心より願っております。
 AFOは終わってしまっても、これからも続くお二人の時間を影ながら見守らせていただければ幸いです。

 今回はご依頼下さいまして本当にありがとうございました。

 2010/04/22

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2010年04月23日

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