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『 暗夜 』
夜神・潤7038)&ディテクター(NPCA002)



 都心のコンクリートジャングル。
 高層ビルの谷間には整備された道に沿って整然と街灯が立ち並び、まだ肌寒い夜風が吹きぬけている。
 常であればジョギングに精を出す都心ランナーたちの姿も少なくはない都庁からほど近い公園に、今夜、人影は無い。
「これを見てみろ」
 ディテクターが潤の手に丸めた雑誌を放った。
 ちょうど見せたいページを出したまま丸めてあった雑誌を開くと、まず「新宿連続殺人」と大きな文字で書かれた見出しが目に入った。
「ここ一ヶ月で被害者は54人。うち、死亡者は38名。残る16名は意識不明の重体。目撃者の情報はない」
 ディテクターは咥えていた煙草にジッポで火を点け、話を続ける。
「54人というのはいくらなんでも多い。一日あたり一人もしくは二人の被害者が出ていると言うことだ。被害者が襲われた時間帯はいずれも夜間。だが、必ずしも深夜というわけでもない。日が落ちてから未明まで、時間帯問わず、だ」
 潤は手の中にある雑誌のページを見つめた。「謎の変死。死因は失血死」という活字が飛び込んでくる。
「事件が起きた場所がこの新宿区を始め、都心であること以外、ほとんど因果関係が見られん。被害者には比較的若い世代であるという点以外の共通点はない。被害者同士に接点ないということだ。警察はこの件について、ある種の変質者の通り魔事件だろうと予想すると言っているが――、これも見てみるといい」
 ディテクターはロングコートの懐から手帳を出した。ページの間に挟んでいたらしい封筒から、一枚の紙片を抜き取る。そして潤に見せた。
 また別の雑誌の切り抜きらしかったそれには、大きく「都心に吸血鬼現る!?」と書かれていた。
「マスコミはこの通りだ」
 ディテクターが言わんとしていることならば、薄々ならず勘付いていた。
 IO2機関が芸能人としての潤に近付いてくる理由は無いだろう。
だとすれば、人間ならざる異種の存在としての潤にIO2が何らかを求めに来たということだ。
 潤は雑誌を手の中で丸め直し、ディテクターが翳す紙片へと軽く叩きつけた。
「俺たち吸血鬼の仕業だ、と言いたいんだろう?」
 ディテクターは黙った。
「俺たちの種族は遠い過去に大半が滅びた。自然条件に適応出来なかった者もそうだが、多くは人間たちに狩られた。今残っているのは、ほんの一握りにすぎない。その一握りが……あるいはその内の一人が、一連の事件を起こしているから、俺にどうにかしろと。はっきりと言うならば、俺に狩れと。そう言いたいのか。――それに、確証は?」
「その通りだ。確証……警察が情報公開をかなり渋っていることは確かだ。俺たちに回ってくる正式な情報ですら、な。被害者の司法解剖の結果も回ってこないが、俺たちの上は確信している。確信しているということはそれなりの情報のリークがあったということだ。だから俺たちに討伐の命が下った。――まあ、警察の情報隠匿……その辺りは、謂わば管轄を守る者のプライドとかいう、奴らのしょうがない感情のせいだろうが。だが、マスコミの方がこうしてさっさと嗅ぎつけている以上、そうゆっくりと構えてもいられない。非常事態宣言なぞが発令されているわけでないにも関わらず、街はこの通りだ。夜になれば人っ子一人見かけない。街で見かけるのは俺たちIO2と、一般の警察に身を窶した特務警察と機動隊ばかりだ。警察が隠蔽しても、民衆は気付いている。ただの通り魔ではなく、吸血鬼だと。その代わり、今のところは昼の間は安全だ、と思っているようだが……」
 赤く明滅する煙草の灰が、灰皿に叩き落とされた。
「人はもう警察を信じていない。昼に事件が起きれば、それが吸血鬼によるものでなかろうとも、人が抱えている疑心がそれを吸血鬼の仕業だということにしてしまう。昼でも吸血鬼は人を襲う、と噂が一人歩きするようになる。彼らの恐怖心がそうさせていく」
 ディテクターの指が、灰皿に煙草を押しつけた。ジュ、と低い音を立ててそれは消えた。
「このまま行けば、街が麻痺する。民衆がこれ以上のパニックに陥る前に、俺たちは急がねばならない。――ヤガミ。俺たちに力を貸してくれないか」
「IO2に……俺の力を、か……」
 ――IO2。"International Occult Criminal Investigator Organization"は、あくまで人間を地上の支配者であらしめようとするため、人間の世界統治を脅かす異種や能力者を都度、事件ごと闇に葬ってきた組織だ。
 潤自身、自分が人間に対しては極めて好意的な方であると自覚している。だが、IO2に対してだけは良い印象を持つことが出来ない。
 なぜならば、IO2の正義はあくまでも人間側に立った場合の正義であり、さらに、人間に害を為す異種には鉄槌を下すとしながら、おのが力だけで戦うわけではない。高額な報酬を餌にちらつかせ、異種の力を借りて戦い、異種を滅ぼす。その上、組織に助力した異種であっても、ひとたび人間の脅威となれば迷わず殲滅を試みる。そのようなIO2の打算的かつ身勝手なやり方が、潤には気にくわない。人間の世界支配を継続させることが組織の最大目的であるということを鑑みれば、一見異種と異種を同士討ちさせようとしているようなところまでもが、組織の狙いとして一貫していると言えば言えるのだが、やり方の汚さに、当の異種たる潤は生理的な嫌悪を覚えずにいられない。
 そのIO2の人間が、今、目の前にいる。
 めったにない休日だった。それゆえの愛車でのドライブの帰りに、自宅の前で待ち構えていたこの男。「ディテクター」と名乗った。いったいどういう人間なのか。値踏みするように潤は見つめた。
 ディテクターの目元はサングラスに隠れていて、顔全体の表情をも隠している。
「ヤガミ。あんたの事は少し調べさせてもらった。人間中心主義の世界で上手く立ち回ることが出来ているあんたに感心した。たいしたもんだ」
 表情のない声が告げる。潤は小さく笑った。
「よくぞ人間を騙し遂せている、と?」
「そうとも言えるが、少し違うかな。あんたの特殊性に酷く驚いた。あんたは昼の光の下で歩いていられる。吸血行為は確認されていない。流れる水にも恐怖を覚えいると見られたことがない。十字架などは言うに及ばず、と言ったところかな。――つまり、吸血鬼特有の生存条件の枠に囚われない唯一の吸血鬼だと。あんた個人の能力……特殊な体質と言った方が良いのかな。それに俺は賛嘆の念を覚えずにはいられないと言っているんだ」
 潤の脳裏に、遠い日に見た科学者たちの顔が過ぎった。血を飲まずとも飢えることがなく、日光にさらされても灰にならない。身体能力と超常の力で人間を遙かに超越する吸血鬼の最大の弱点は生存条件の狭さであったがはずが、それらが完全に無い。潤を前にして科学者たちは叫んだ。「最強の吸血鬼だ」と。狂喜と畏怖に満ちた目で実験体である潤を見ていた。
 忌まわしい記憶を振り払いたくて、首を振った。
「……好きに言えばいい。俺は別段、この質を望んでこの世に生じたわけじゃない」
「だが、血を吸うことがない分、吸血鬼と言えるのかも怪しいほどに、あんたは人間と変わらない。だから人間として振る舞っていられるのだろう?」
「俺の同胞は違う」
 潤は声を荒げた。
 ディテクターが口を噤む。
「俺は、たまたまそういう変異体として生まれついただけだ。……俺の同胞は違う。血を飲まなければ生きていけないし、白日の下に晒されればあっという間に細胞が破壊されて、……消滅してしまう」
 血に飢えて発狂した仲間たちをどれだけ見てきただろう。断末魔の悲鳴を上げながら白い光の中で崩れ去っていく仲間たちを、どれだけ見てきただろう。地面に爪を立てて飢餓に苦しむ仲間たちを、急速に壊死していく四肢を抱えて助けを求めてくる仲間たちを救うことは潤にも出来なかった。
「……いつも、いつもだ。同胞を救うことが出来なかった。そして俺だけがのうのうと生きている。その俺に、飢えた同胞を狩れと言うのか。――いや、俺は人間を食らう同胞たちを是としたいわけじゃない。決して人間が同胞たちに食われて良いと思っているわけじゃない。だが、だがな、ディテクター。人間たちは俺たち異種と平和的に共存することを最終目標にすると言いながら、何の対策も講じて来なかったじゃないか!! 異種が人間の間で生きていくためには何が必要なのかを知らず、知ろうともせず、金で誤魔化す。そう、IO2、おまえたちもだ。おまえたちは異種をどうやって自分たちの目的のために使うかということを考えているだけで、どうやって異種と人間の間にある溝を埋めるかということを何一つとして考えていない! そして溝を広げ、深くするだけだ……。人間と異種の間の争いは、そこから生じたもののなのに……!」
 吐き捨てるように言った。長い間ずっと胃の腑の底に押し込めてきた怒りが、こみ上げてきて止まらなかった。支配者としての人間、その総体への怒りが潤を珍しく饒舌にさせた。ディテクターは心持ち俯いたまま、代わりに2本目の煙草を咥えた。
 春にしては肌寒い夜気に、不意、生温い風が混じる。公園の周囲に植えられた緑がざわざわと葉擦れの音を立てる。
 吐かれた白い煙の中で、小さな赤い点がちらちらと明るく暗くなった。
「俺は上の命に従うだけの道具だ。コードネーム『ディテクター』という名の道具だ。ゆえに、名は無い。人間としての名は持たない。道具に主義主張は無く、また、許されない。だが、…あんたにもあんたなりの葛藤があったということは、わかった。一つ言いたいことがある。『ディテクター』を離れて物を言うことは本来許されていないのだが、俺はあんたの力を借りたい。より明白に言うならば、あんたの力を借りなければならない。そのために"ディテクターを離れる"」
 そう言うとディテクターは、自身の耳元へと手をやった。それまで髪に隠れていた耳に、黒く、プラスチックか樹脂製かという小さな物が嵌めこまれているのが見えた。潤ははっとした。
 ディテクターは黒いそれを外し、指で細かく弄った。そして掌の上に転がす。
「……と、こんなことを言うと、あんたは俺を、やはり異種を利用することしか考えていない人間だ、と言うかな。これはマイクの内蔵されたインカムだ。IO2はこれを通して指令を受ける。そして俺の言葉は余さずこうして録られている。無論、外界の音も拾うから、あんたの声も入っているだろうが、コイツは主にIO2の諜報員や特殊部隊隊員の監視目的で着用を義務づけられている、ってのが実情だろう」
「そんなことを俺にペラペラと喋って良いのか……」
 潤が眉を顰めると、ディテクターは小さく鼻で笑った。
「コイツには今、少しオネンネしてもらっているんでね。あんたの力を借りるために"『ディテクター』を離れた"俺は、今は『ディテクター』じゃない」
いくら目的のためとはいえそんなことが許されるのか、とすんでのところで口から出かかった潤へと、ディテクターは人差し指を口元に当てて見せた。
「俺の日頃の行いが良いからこその権限でね。――と、これ以上の冗談は止しておこう。時間は無い。許可されているのは180秒のみだ。俺から一つ、言いたいことがある」
 声を低めたディテクターは、口早に言いはじめた。
「あんたが言ったことはもっともだ。異種側の事情を何ら考慮しない政府、異種と人間とのトラブルの根本的なところを解決しないままに、異種を異種の力でもって屈服させようとしているIO2の国際組織、そしてその黒幕たち。彼らが俺たちを動かし、秘密裏にロビイストを駆使してまで人間たちを煽動する現状では、各国のお偉いさんたちがお題目として唱えている『人間と異種の共存を目指す』という目標は達成される見込みがない。――だが、ヤガミ。これだけは覚えておいてくれないか。人間はまだ人間を超える異種たちの存在と力を目の当たりにして冷静でいられるほど強くなっていない。ガリバーが訪れた小人の国の民のようなものだ。人間たち……いや、俺たちにはまだ時間が必要だ。何に対してどのような方法で自衛すべきなのか。異種の何を受け入れることが出来るのか。この日本も他のどの国も、今異種を受け入れているように見えるのはほんの上っ面だけでのこと。ごく個人的な関係を除き、本質的なところでは異種と人間が互いを拒絶しあっているというのが真の現状だ。ヤガミ。俺たちにはまだ時間が要る。どれだけ要るのだと言われても、俺には答えようがないが……。人間と異種の世界と未来を賭けた波乱の歴史は、まだ幕開けたばかりだ」
 潤は唇を噛みしめる。ディテクターの言わんとすることも充分にわかる。
「……だから?」
 どうするというのだ。そしてどうしろというのだ。結局、自分の力を借りて異種を狩りたいという結論に落ち着くのか。
 ディテクターはサングラスの鼻梁の間を押さえて上げると、ほんのひと吸いしただけで後は灰になってしまった煙草を地面に捨てた。靴先で残り火をにじり消す。
「『だから』? だから人間、そしてIO2たちが闇雲に異種を断罪していく現状も耐えろと言うのか、とでも言いたそうだな。異種だけが耐えねばならないという理は無い、だろうな。確かに。……だが、未だ静かな恐慌状態にある人間たちをこれ以上刺激しては、波乱の時代は長引くばかりだ。対話のみで解決するという平和的な解決は難しいとしても、極力、流される血は少なくあるべきだ。だが、人間という立場と異種という立場が真っ向から相対するだけでは解決は難しい。ヤガミ、俺たちはいつも欲している。切望している。あんたのような人間と異種との間で仲立ちできる存在を。――時間だ」
 ディテクターが手首に嵌めたミリタリーウォッチの秒針を指さした。そして素早く耳にさきほどの通信機を嵌めこむ。
「"ディテクター、復帰する"」
 表情を消した声が呟いた。それはIO2本部に申請するための言葉なのだろう。
 そしてディテクターが潤を見た。
 返答を、と無言の内に告げるその顔を、潤は見詰め返した。
 言葉は選ばねばならなかった。180秒間の会話は、「ディテクター」と潤との会話ではない。だが、今、目の前にいるのは「ディテクター」だ。遠く離れた所で聞き耳を立てているはずのIO2本部の耳を意識して言葉を選ぶのはなかなかに面倒なことだった。
「……ディテクター。被害者の襲撃にあった場所の地図を見せてもらえるか。あと、被害者の負傷の様相も知りたい」
 沈黙を守っていたディテクターが、ふたたび懐から手帳を出した。一つ小さな息をついたように見えたのは潤の気のせいだっただろうか。
「襲撃にあった人間の内、死亡した者は、首を折られた上、肉がえぐり取られていた者、頭を毟り取られた者、というパターンが多い。いずれも即死。ごっそりと肉を付けた頸椎がぶっつり引き千切られていた者もいた――という話だ。相当な力がかかっていたと見るべきだろう。刃物銃器等の武器を使った痕跡は無いとのことだ」
 潤は溜息をついた。
 強度の力の前に無残な姿にされ、失血死した被害者が54人。
 IO2の確信とやらを待たずとも、潤自身、事件の報道を耳にし始めた時から半ば以上、予想がついていた。予想は付いていたが、信じたくない、耳を塞ぎたいという気持ちもあった。
 襲撃者は夜間に街を徘徊する。恐らく、今夜も。こうしている間にも。
 我が同胞。
 先刻の180秒の間に聞いた言葉が脳裏をめぐる。
『――ヤガミ、俺たちはいつも欲している。切望している。あんたのような人間と異種との間で仲立ちできる存在を。――』
 潤は、手渡された地図を握り、虚空を仰いだ。
「……ディテクター。君に、協力しよう」
 今夜、空に月はない。



<続>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
工藤彼方 クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年04月30日

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