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『それぞれの場所で 』
シルヴィア・クロスロード(eb3671)&リース・フォード(ec4979)&オイル・ツァーン(ea0018)&エスリン・マッカレル(ea9669)&ルシフェル・クライム(ea0673)&限間 時雨(ea1968)

●序
 トリスタン・トリストラムの心臓は、地獄の七大魔王アスタロトに奪われた。
 彼の心臓に封じられていたのは、伝説の暗黒竜、クロウ・クルワッハの力。トリスタンの心臓が奪われた事によって復活したクロウは、古き神々の協力を得た冒険者達の手によって葬り去られた。
 だが、クロウが倒れても、トリスタンが再び姿を現す事はなかった。
 そして、アスタロトもーー。

●交渉
「トリスタン卿の心臓はアスタロトが握っている。あのデビルが、それを誰かに渡すとは考えられない。そして、アスタロトはバンパイアと繋がっていると私は思っている」
 麗らかな午後の一時、キャメロット郊外の屋敷の中は、楽しげな子供達の声に満ちていた。
「で? それで?」
 問うた青年に、オイル・ツァーンはらしくもなく声を荒げ、卓に拳を叩きつける。
「ジェラール! 最早、待ちの手は無しだ! 「敵」を教えろ。こちらから攻める!」
 突然の怒声に、ジェラールの膝の上で機嫌よく遊んでいた子供が泣き出した。1人が泣けば、連鎖が起きる。次々と泣き出す子供達に、さすがのオイルも動揺を見せた。
「いや、その‥‥別に、お前達を怒ったわけでは‥‥」
「あーあ。泣かせちゃった。こうなると大変なんだよ。ほら、手伝って」
 傍らの籠で泣く赤子を、無理矢理にオイルの手に抱かせると、ジェラールは泣いている子供達を手招いて頭を撫でたり、お菓子で宥めすかしたりと大忙しだ。
 オイルはと言えば、手渡された赤子をどうすればよいものかと思案にくれている。
「何? 赤ん坊あやした事がないとか、言わないよね?」
「馬鹿にするな。私とて、赤ん坊ぐらい‥‥」
 売り言葉に買い言葉。
 はっと気付いた時には、もう遅かった。
 背負い紐を手にしたジェラールが、素早くもう1人の赤ん坊をオイルの背に預ける。
「ジェラール!」
「大きな声出さない。また子供が泣くだろう?」
 慣れた手つきで、赤ん坊を抱き上げると、ジェラールは泣いて真っ赤になった頬をつんと突っついた。だが、興奮しきった赤ん坊は、小さな手を一杯に伸ばして、ジェラールの手を掴み、そして‥‥。
「あ、イタ! こら。噛んじゃ駄目だってば」
「あ‥‥赤ん坊に噛まれるバンパイア‥‥」
 想像だにしなかった光景に、オイルは眩暈を起こしかけた。
 いや、「貴族」と呼ばれる誇り高いバンパイアが、こんな所で子供をあやしているという事自体が間違っている。呆れ顔で溜息をついたオイルに、小刻みに身体を揺らして子供を寝かしつけていたジェラールが静かに口を開く。
「僕はね、正直どうでもいいんだよ。トリスタンとやらの心臓も、アスタロトも。姫が望むのであれば、デビルとだって戦うけど。あの忌み子が何を考えてデビルの元にいるのかは分からないけれど、例えアスタロトの命令でも、忌み子は姫に危害を加える事はないし」
「それは‥‥」
「だから、僕は君達に同胞の情報を提供する理由がない」
 きっぱりと言い切られて、オイルは言葉を失った。

●異界
 籠を抱えて森に入ったリース・フォードは、薬草を摘みながらくすりと小さく笑った。
 木漏れ日が優しく降る中、小川のせせらぎと葉ずれの音を聞く一時。
 あの戦いの日々が嘘のように穏やかで幸せな時間がゆったりと流れている。
 もちろん、彼が幸せを噛み締めるのは「平和だから」という事だけではない。脳裏に浮かんだ愛らしい笑みに、頬が緩みそうになるのを何とか堪えて、リースは川辺に生えている草に手を伸ばした。
「それ以上は進まぬがよいぞ」
 頭上から降った声に、はっと顔を上げる。どっしりと太い枝の上、木漏れ日を受けて横たわる人の影がある。姿形までは分からないが、声の調子からして女のようだ。
「そこから先は異界じゃ。下手に迷い込めば、二度とこちらに戻る事は叶わぬやもしれぬ」
「異界‥‥?」
 リースは清水が流れる小川へと視線を向けた。どこも変わったところはない。ただの川と川辺だ。
「お前達に境界線は見えぬ。昔は、見える者も多かったのじゃが、ドルイドも巫女もおらぬ今は、道を見つける事すら適わぬ」
 枝が揺れたかと思うと、女はリースの前に降り立った。褐色の肌をした女は、腰に刀を下げている。首には様々な紋様が施された石を繋いだ頸環、腕には石の紋様によく似た入れ墨が施され、一見すると、昔語りの戦士のようだ。
 女は川辺に膝を着くと、リースが採ろうとしていた草と、その近くに咲いていた小花を摘んだ。そして、薬草をリースに差し出し、花を川へと投げ入れた。
「ほれ、薬草じゃ。持って行くがよい」
「あ‥‥ありがとう。で、今の花はどうして?」
 流れていく小さな白い花を目で追いつつ尋ねたリースに、女は虚を突かれたような顔をすると、やがて苦笑めいた笑みを口元に浮かべ、肩を竦めた。
「川に住む者達への礼じゃ。お前も聞いておろうが。少し前に邪悪なるものどもが、この国に蘇った事を」
「‥‥ええ」
 声が硬くなるのは仕方がない。
 デビルや怪物が跋扈した戦いの詳細を知る者は少ない。戦う術を持たぬ一般人達は、冒険者や騎士の保護を受け、身を寄せ合って震えていたのだから。それを、この女は「邪悪なものが蘇った」と言った。つまりは、あの戦いの事を知る者という事だ。
 リースの表情が強張った事に気付いているのかいないのか、女は続ける。
「あの時の衝撃で目覚めた者達が多いのじゃ。もはや、崇めるどころか、存在すら気付いて貰えぬというに」
 膝の土を払うと、女はリースを振り返った。
「もし、お前が森の恵みに感謝の念を抱くのであれば、たまには酒なり何なり供えてやるがよい。忘れ去られる事は寂しいものじゃ。少しでも気にかける者がおれば、あれらが守る地の力も強くなろうて」
「地の力?」
 鸚鵡返しに問うたリースに、女の片眉が跳ね上がる。
「分からぬのか。‥‥まあ、いい。それが普通じゃ」
 踵を返した女の腕を、リースは咄嗟に掴んでいた。
「待ってください。貴女は何を知っているんですか? この地を守るというのはどういう‥‥」
「知ってどうする。おまえ達にはどうする事も出来ぬであろうが」
 女の顔に浮かんだ冷笑を、リースは真っ直ぐに見据えた。あの戦いを終えて、今は恋人との幸せな未来を思い描くただの男であっても、冒険者の名と誇りとを捨てたわけではない。
「この地に異変が起きているというのであれば、原因を探り、それを取り除く為の努力をする。それが冒険者だから」
「冒険者?」
 軽い驚きを見せて振り返ると、女は目にも止まらぬ速さで腰の刀を抜き放ち、リースの首筋に押し当てた。微動だにしないリースの揺るがない眼差しをしばし見つめ、女は喉を鳴らした。
「なるほど。女子のような姿をしていても、肝は据わっておるようじゃな。ならば、仲間に伝えておけ。長く閉ざされていた異界の道が開く程に、この地に澱みが溜まり始めておる。遠からぬうち、この国は穢れが満ちるじゃろう。目覚めた我が同胞が食い止めておるが侵食が止まらぬ。全ては、邪竜が遺した毒のせいじゃ。あれを再び封じるには、器に戻さねばならぬ。冒険者であれば何とかしてみせよ、とな」
 言い捨てて、女は軽く地を蹴った。その姿はあっと言う間に森の木立の中に隠れ、見えなくなる。
「邪竜の‥‥澱み‥‥」
 残されたリースも表情を険しくすると、薬草を詰めた籠を手に足早に森を去ったのであった。

●希望
「‥‥」
 瓦礫の中に佇むエスレン・マッカレルの姿に、シルヴィア・クロスロードは掛ける声を失い、しばし立ち尽くした。
 トリスタンを救う手掛かりを求め、夫と行動を別にして、数名の仲間とコーンウォールまで足を伸ばしたのだが、ここはエスリンにとって辛く生々しい記憶の残る場所だ。
ーもしも、私だったら‥‥。
 愛する人が目の前で傷つき、倒れる姿を目撃して正気を保てるだろうか。
 きゅっと唇を噛み、胸元で握り締めていた手を解くと、シルヴィアは努めて明るくエスリンへと声を掛けた。
「エスリンさん、そろそろルシフェルさんとの約束の刻限です」
「ん、ああ‥‥すまない」
 振り返るエスリンの表情はどこか虚ろだ。いつもは毅然とした様子で仲間と接しているが、時折、彼女はこうした顔を見せる。理由も、彼女の想いも理解出来るだけに、シルヴィアはどうしようもない痛ましい気持ちを抱えて彼女の傍らへと歩み寄った。
 靴先が弾いた小石が、エスリンの足下に転がる。
 その様子を何とはなしに眺めていたエスリンが、不意に息を漏らすように笑った。
「エスリンさん?」
「いや、何でもない。私はもう、悔やむ事を止めたのだ。己の成せる事に全力を尽くしてこそ、トリスタン卿を愛する資格がある。私は私の全てをかけてトリスタン卿を取り戻す」
「‥‥はい」
 淡々と語られる言葉にエスリンの決意を感じて、シルヴィアは頷く。血を吐くような苦しみの果てに、騎士としても、女としても、エスリンは強くなったのだろう。
「そういえば‥‥。1つお聞きしてもよろしいですか?」
「何か?」
 愛騎の手綱を取ったエスリンが首を傾げる。内容を考えて、一瞬だけ迷ったが、シルヴィアはそのまま疑問を口にした。
「心臓を奪われた後、トリスタン卿のお身体は何処へ? 王城にあるという噂もありますが‥‥」
「‥‥王城には‥‥ないと思う。心当たりと言えば、伯父上の所だが‥‥ルシフェル殿が交渉に赴いてくれている」
 シルヴィアの表情が曇った。
 トリスタンの伯父が暮らす天使の島の話は彼女も聞いている。クロウが封じられていた島だ。トリスタンの心臓がアスタロトに奪われ、クロウが復活してより後、外部との接触をほとんど断っているという。
「応じてくださるでしょうか」
「さて‥‥。もともと、島の外には出て来ない方々のようだが‥‥」
 シルヴィアとエスリンの心配の通り、天使の島へと交渉に赴いたルシフェル・クライムはトリスタンの伯父どころか、島に住む者達への接触、説得にも難航していた。
 引き潮の時に出来る道を通って、食糧や日常に必要な品を買い出しに来るという彼らは、ルシフェルの言葉に応える事もなく、ただ必要な物だけを揃えて島に帰っていく。
 強硬手段を使えば島に渡る事も可能だが、それは島の人々の心をますます頑なにする事も分かっていた。
「クロウ本体は滅んだ。では、その心臓は今、どのような状態なのだ‥‥。トリスタン卿は‥‥」
 本体が滅んだとなると、心臓も消失したと考えるのが普通だろう。だが、元々、クロウの心臓は本体から切り離され、トリスタンの一族が封じて来たのだ。心臓が消失を免れた可能性は高い。そして、それがアスタロトの手元にある可能性も。
「もし、お若い方。腹は減っておられぬか。腹が減っては力も出ないと申しますぞ」
 途方に暮れているように見えたのだろうか。それとも、島人への接触がことごとく失敗しているのを見て、哀れんだか。苦笑して、ルシフェルは顔を上げた。
 杖をついた老人が、固そうなパンを手にルシフェルを覗き込んでいた。
「かたじけない」
 老人の好意を無には出来ぬと、ルシフェルは礼を述べ、渡されたパンを受け取る。千切って口に含んだパンは、少し塩味のきつい、噛み応えのあるものだった。
「天使の島にご用がおありかな?」
 黙々とパンを食べるルシフェルの隣に腰を下ろすと、老人が不意にそう切り出した。その視線の先には、唯一の道が海に飲まれていく天使の島がある。
「‥‥」
「あの島は、悪しきものを封じた島でな。住人以外、決して、島の中に入れようとはせぬ。諦めなされ」
 老人の言葉に諭す響きを感じて、ルシフェルは反射的に首を横に振っていた。
「出来ない。‥‥出来ないのです、ご老人。我々は、友を取り戻さねばならない」
「ご友人‥‥?」
 話してよいものかどうか判断に迷ったが、ルシフェルは己の勘を信じて言葉を続ける。
「あの島に住むマルクという方の甥、このイギリスを治めるアーサー王の円卓に連なる騎士、トリスタン・トリストラム卿」
 息を呑む気配が伝わって来る。クロウが蘇った事も、消滅した事も、老人は知っているのだろう。
 この賭けがどう転がるか。ルシフェルは目を閉じ、結果を待った。
「トリスタン殿の身に良からぬ事が起きたというのは真実か‥‥。ならば尚のこと、あの島に近寄る事は許されぬじゃろうて」
「それは、あの島にトリスタン卿の身体があるからですか」
 畳み掛けるように問うたルシフェルに、老人は緩く首を振る。
「外の者には分からんよ。じゃが‥‥」
「何かご存じなのですね? 教えては頂けませんか!?」
 老人は詰め寄るルシフェルを見、天使の島を見た。長い沈黙の後、彼は静かに語り出した。
「あの島は、わしが生まれるずっと昔から悪しきものを封じておった。何故、そのような事になったのか‥‥。冒険者達がデビルと戦ったように、古の昔に世界を滅ぼす悪しきものと戦った者達がおったと、この辺りの子供達はそんな昔語りを聞いて大きくなるのじゃ。当時の事を知る者は誰もおらぬ故、真実か否かは分からぬが、その戦いの折、賢者が悪しきものから力の源を奪い、トリスタン卿の一族に託したとも言われておる」
「悪しきものと、力の源‥‥」
 クロウと心臓の話に違いない。
 しかし、今はどちらもあの島にはない。なのに何故、まだ島に近づけないのだろうか。
 閃いた考えに、ルシフェルは息を呑んだ。
「ご老人、それはもしや、トリスタン卿がまだ‥‥」
「さてな。外の者に分かるのは、島に関わる言い伝えぐらいじゃからのぅ」
 よっこいしょ、という掛け声と共に、老人は立ち上がった。
 どうやら、ルシフェルに付き合ってくれるのもここまでのようだ。
 曲がった小さな背中が村の中へと戻ろうとして、不意に歩みを止めた。
「島の者とて、外との関わりを持たぬわけではない。島から来た嫁、島へ嫁いだ娘もおる。本当かどうかは分からんが、トリスタン卿の母御も外へ嫁いだと聞いた事がある。母御はマルク殿の妹。何か知っておるやもしれん」
「トリスタン卿の‥‥ 」
「ルシフェル殿、お待たせして申し訳ない」
 掛けられた声に、ルシフェルは反射的に手を伸ばし、エスリンの腕を掴んでいた。
「エスリン! トリスタン卿の母親について聞いた事はないか!?」
「トリスタン卿の母上? 一体、何の話‥‥」
 説明するのももどかしく、ルシフェルはエスリンとシルヴィアに話の要点だけを告げる。
「トリスタン卿の母親は、あの島の出だ。そして、島の外に嫁いだ」
「あ! もしもご存命ならば、トリスタン卿をお助けする方法をご存じかもしれませんね」
 短いルシフェルの言葉から、彼の言いたい事を察したシルヴィアの表情が輝く。だが、エスリンは眉間に皺を寄せて考え込む素振りを見せた。
「エスリンさん、何かトリスタン様からお聞きになっては?」
「‥‥直接のお話を伺った事は‥‥」
 駄目か。
 がくりと項垂れた2人に、エスリンは申し訳なさそうに頭を下げた。
「だが、手掛かりは出来た。貴族間の婚姻であれば、キャメロットで何か手掛かりが掴めるやもしれぬ」
 ぐ、と拳を握り込んだエスリンに、シルヴィアもこくりと頷きを返す。
「そうですね。紋章院にトリスタン卿の紋章も記録されているはず。そこから辿れば、もしかすると‥‥」
 この類の話はシルヴィアが詳しい。
 伊達に円卓の騎士候補となったわけではないのだ。
「私は一度、キャメロットに戻ります。王宮図書館にも、何か記録が残されているかもしれませんし、トリスタン卿の家令の方が何かお話をご存じかもしれません」
 即座に動き始めたシルヴィアに、ルシフェルもエスリンも帰還の準備を始めた。
 蜘蛛の糸ほどではあるが、確かに希望を手にした事を感じながら。

●出会い
 その頃、限間時雨は南方の小さな料理屋にいた。
 今でこそ、快適に旅を続けられるが、かつては、冒険者であると知られただけで、石をぶつけられ、野良犬のように追い払われた地域である。
「まったく、冒険者っていうのは難儀な稼業だわ」
 頬杖をつき、やれやれとぼやいてみても、時雨の表情は楽しげだ。
「命賭けた大博打に勝って、人間の意地ってもんも見せてやっても、それでもまだまだ辞めるつもりにはならないんだよね」
 時雨の胸には傷跡がある。
 彼女の言うところの「命賭けの大博打」の名残、名誉の勲章のようなものだ。狡猾なデビルとの戦いに勝利した証。
 けれども。
 雲隠れしたオレイの主を探す為に、「銀髪と黒髪の美男子2人組」の噂を追ってここまでやって来たのに、得られる情報と言えば某領主とその従者の話ばかりだった。
「まあ、仕方がないっちゃ仕方がないんだけどね」
 盛大に溜息をついて唇を尖らせる。
 捜索対象の銀髪は、もともとこの近くの領主の従者だったのだ。その噂が定着していて当然だ。
 温くなったエールに口をつけた時雨に、影が落ちる。目だけ上げて見上げれば、金の髪の美しい娘が食事の盆を手に立っていた。
「ご一緒させて頂いてもよろしいかしら?」
「ん?」
 娘はちらりと周囲に視線を向けると、困ったように笑う。
「他の席では落ち着けないみたいですから‥‥」
 ああ、と時雨は納得した。
 旅姿ではあるが、一目で良い所のお嬢様と分かる。しかも美女とくれば、周囲の男どもが色めきたつのも当然だ。
ーちょっと待て。ここにも美女が1人いるんですけど?
 八つ当たりも兼ねて、周囲の男達をぎろりと睨みつけると、時雨は娘に愛想よく前の席を勧める。
「ありがとうございます」
 お育ちの良い方は、一挙手一投足まで優雅だ。思わず見惚れてしまっていた事に気付いて、時雨は慌ててエールを飲み干した。
「ねえ、あんたさ‥‥」
「はい?」
 内緒話をするように娘に顔を寄せて、時雨は顔を顰めて見せる。当面の危機は乗り切ったはいえ、まだ親玉格がトンズラしたままだ。しかも、その不安定な情勢を幸いに悪事を働く輩も多い。
「そんな格好で旅してちゃ危ないよ。襲って下さいって言っているようなもんだ」
 真剣に注意をした時雨に、娘は何度か瞬きを繰り返すと、やがて、花が綻ぶような笑顔を見せた。
「ご心配頂きまして、ありがとうございます。ですが、ご安心下さいな。わたくしは1人ではございません。腕の立つ護衛もついておりますわ」
「ふぅん、ならいいんだけどさ」
 見るからにガラの悪そうな男達がこちらを伺っていると、やはり気になるというものだ。
「ね、あんた、私を雇わない? 何人護衛がいるか分からないけど、これでも冒険者だし、腕には自信があるんだ」
 突然の申し出に、娘はにっこり微笑んでみせた。
「私の一存では決められませんので、お返事は供の者に相談してからでもよろしいでしょうか?」
「いいよ。私を雇う気になったら、この先の宿に来てよ」
「はい。ところで、冒険者さんがこのような田舎で何をしておられるのですか?」
「私? 私は人探し。黒髪と銀髪の美男子2人組を探しているんだけどさ‥‥。あんた、何か噂とか聞いてない?」
 ちょこんと首を傾げて、娘は無邪気に問うて来た。
「そのお2人とはどのようなご関係ですか? もしや、恋人が他の殿方と逃避行‥‥」
「〜〜〜っっ!!」
 時雨は頭を抱えた。
 乙女道の悪影響は、こんな南の果ての田舎にまで及んでいるのか。
「‥‥違うよ。ただね、探してるんだ。意地って奴かな」
 羽織った緑色の外套の裾を何とはなしに引っ張ると、時雨は肩を竦めてみせた。
「そうですか。色々と事情がおありなのですね」
 田舎の料理屋の粗末な食事を、お抱え料理人が作ったご馳走であるかのように行儀良く食べ終わった娘は、口元を手布で軽く押さえる。
「それでは、また」
「あ、ちょっと待って。あんた名前は?」
 盆を手に立ち上がった娘は、にこやかに微笑むと、鈴のような声で告げた。
「イゾルデ、と申します。以後、お見知りおきを」
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2010年05月28日

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