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『比翼の鳥、連理の‥‥ 』
十野間・空(eb2456)

 そこには、静けさが深々と降り積もっている。
 ほんの少し、不便ではない程度に小石や草を取り払って作られた小道。人里から続くそれを辿り、深い緑の間を通り抜けたその先に、十野間 空(eb2456)が選んだ温泉宿はただ密やかに、清閑に存在していた。
 傍らの最愛の人が、驚きに軽く息を呑む気配を感じる。だがその驚きの中には、確かに喜色が含まれていた事も解ったから、空はアストレイア・ユスティース(ez1145)の手を愛しさを込めてぎゅっと握り締めた。
 そっと、微かに悪戯が成功して喜ぶ少年のような気配も滲ませながら、空はアストレイアの耳元で囁く。

「気に入って貰えましたか?」
「ええ、もちろん」

 こくりと大きく頷きながら、アストレイアは温泉宿の佇まいや辺りの緑や、時折空を行く小鳥にきょろきょろと目を移した。しばらく色々と視線をさまよわせてから、ようやくまっすぐ空の顔を見上げて顔を綻ばせる。
 ありがとう、と紡がれた言葉に嬉しそうに目元を綻ばせ、空はアストレイアを促した。せっかくはるばる、温泉宿でのんびりしようとここまでやって来たのに、こうして立ち尽くして見つめているだけでは何の甲斐もない。

「一休みして、落ち着いたらまた辺りを散歩しましょう。時間はあります」
「‥‥そうですね。時間はありますから」

 空の口調にわずかに滲むものを感じ取ったのか、あるいは彼女自身も思う所があったのか、アストレイアはわずかに瞳を伏せてその言葉に頷いた。そうして同じ言葉を繰り返した、彼女の口調に滲んだのも空のものとおそらくは同じ。
 時間はあるのだから、また後で。
 そう、2人で頷き合い、微笑み合える事を噛みしめながら、空とアストレイアはぎゅっと堅く手を握ったまま、温泉宿の暖簾をくぐったのだった。





 永く、永く彼らは戦い続けてきた。悪魔達が暗躍し、次から次へと問題の噴出する領地を、領主たるアストレイアと2人、友人達に助けられながら必死にどうすればより良くなるか考え、働き、戦って。
 だがその日々の中で、空の最愛の人は悪魔に魂を奪われ、氷の棺の中で永久の眠りに『就かされた』。虚ろな瞳の彼女に刺された瞬間の無力感を、彼女の躯を目にした瞬間の絶望を、彼は決して忘れはしないだろう。
 けれども、アストレイアはこうして再び空の傍らに戻った。空と友人の魂の半分を代償に悪魔と取り引きし、彼女の魂の半分を取り戻し、生き返らせる事が出来たのだ。
 必ずと、誓った言葉を思い出す。その誓いは今もこの胸にあって、アストレイアを氷の棺から解き放つ事が出来た喜びと、その彼女の元に戻る事が出来た自分自身への喜びが、その誓いを確かなものにする。
 ‥‥そうして。せっかくだからほんの少しばかりのんびりしようと、この温泉宿に彼女を誘ったのは空。それは言葉通りの意味以上に、アストレイアの体と心を気遣っての事だ。
 いつも、いつでも自分の事など省みず、ただひたすらに人々の安寧の為に、ボロボロに傷つきながらも進み続けていたアストレイア。その頃から本当は、彼女自身にこそ安らぎは必要だったのだ。
 けれども当時のアストレイアなら、きっとその申し出を受けはしなかっただろう。もはや領主の任から解き放たれたから今だからこそ、愛する人とただ一時の安らぎに浸ることを、自分に許せたのではないか。
 そう、思うのはすべて想像に過ぎないけれども。温泉宿を物珍しそうに見つめ、今も通された部屋のあちらこちらに視線を巡らせ、楽しんでいる様子の彼女を見れば自然、空の顔にも笑みが浮かぶ。

「アストレイア。そちらから庭に降りることも出来ますよ」
「本当! 降りてみても良いでしょうか」

 いつになくはしゃいだ口調の彼女が、空を振り返って瞳を輝かせた。それに軽く頷いて立ち上がり、先に立って縁側から庭へと降りた空は、アストレイアに手を差し伸べながら「足下に気をつけて」と注意を添える。
 魂が半分しかないアストレイアと空は、どちらもふとした拍子に倒れてもおかしくない身の上だ。常人には何て事はない日常の所作が、命を危うくする事もあるかもしれない。
 それを言外に気遣った空の言葉に、気付いたものか彼女は笑顔を揺らすことなく頷いた。差し伸べられた手をしっかり握り、用意された外履きへ足を入れる。
 ゆっくりと、肩を並べて歩き始めた空とアストレイアの上に、木漏れ日が煌めくように踊った。気持ち良い風に揺れる葉ざやが耳に心地よい。遠くから聞こえてくる、コーン、という高く澄んだ音色は獅子脅しだろうか。
 2人は時折言葉を交わしながら、初夏の山の庭をそぞろ歩いた。ただでさえ美しい景色は、傍らに愛する人がいればなおさらに美しく、かけがえのないものに思える。
 やがて、そろそろ時間だと空は促し、アストレイアと共に宿の部屋へ戻った。縁側から姿を現した2人に、部屋で待っていた女将がぴしりと背筋を伸ばしてきっちりとお辞儀する。
 アストレイアが目を見張ったのは、けれどもそのジャパン風の挨拶が珍しかったからではない。それより彼女の気を惹いたのは、机に並べられた色とりどりの、まるで細工もののように美しい料理の数々だった。

「まぁ‥‥」

 それきり、次の言葉が出てこない彼女に微笑みながら、空は料理の準備に礼を言い、後は自分が説明するからと女将に告げる。それにまた深々と頭を下げて出ていく女将の姿を見送って、空はアストレイアの手を取り、料理の前に座らせた。
 そうして自身も傍らに座り、一つ一つ器を指し示して料理の説明を始める。それに、時折は疑問を口挟みながらも、子供のようにおとなしく頷くアストレイアだ。
 そうして、おずおずと握り方を教えてもらった箸をとって、不器用に料理をつまみ上げ、そっと口に運ぶ。

「‥‥ッ! 美味しいです」
「口に合って良かった」

 噛みしめた瞬間、ぱっと顔を輝かせて驚きと喜びを表現した彼女に、空も心から嬉しそうに微笑んだ。彼にとっては、料理そのものよりも料理に喜ぶ彼女を見られた事の方が、何倍も嬉しい。
 外からは絶え間なく、葉ざやの音が響いていた。それに包まれるような心地で、2人は料理に舌鼓を打ちながら、溶けるように穏やかな気持ちを味わっていたのだった。





 温泉は、混浴の露天風呂を貸し切りにした。もし入浴中にアストレイアに何かあったらと案じる空に、それならご一緒に入られて奥様を支えて差し上げては、と女将が提案したのだ。
 幸い宿の客は多くはないし、たいていは男女別の露天風呂を楽しむので混浴の方は貸し切ってもさして問題ない。
 そう告げた女将に感謝して、空は勧め通りにしたのだった。
 とはいえ、事前にそれをアストレイアに知らせては、彼女は温泉そのものを拒絶しかねない。そう考え、脱衣所だけは男女別の入り口でにこやかに別れた空の予測が正しかったことは、いざ準備を整えて脱衣所から現れた彼女の表情を見れば明らかだった。

「ぁ‥‥ッ」

 脱衣所の先で同じく温泉の準備を整え、礼儀正しく待っていた空を見た瞬間、顔を赤らめて小さな叫び声を上げたアストレイア。慌てて身体に巻き付けたタオルの上から自分自身を抱き締め、隠すような素振りを見せる彼女の仕草に、愛おしさがこみ上げる。
 空は姫君をエスコートするナイトさながらに、そんな彼女にすっと手を差し伸べた。それに僅かに瞳を揺らした後、アストレイアは己の手を空の上に重ねる。
 いかにも緊張した様子の彼女にふぅわり微笑んで、空はアストレイアの手を握り、並んで湯船へと歩き始めた。
 露天風呂は周囲を木塀に囲まれていて、その上から周囲に立つ木々の緑がこぼれ落ちている。その向こうに見えるのはいささか時期遅れの山桜。立ち上る湯気がそれらをけぶらせ、常以上に幻想的に彩っている。
 そちらも眺めやりながら、空は丁寧に一つ一つ指を指し、アストレイアに温泉でのルールを説明していった。彼女が慣れ親しんでいるバスルームと、温泉は天と地ほども違う。最初は恥じらっていた彼女も、規則は守らなければといつしか真剣な顔で頷いていて、こんな所でも生真面目な彼女に苦笑がこぼれた。
 そうして、まずはルールに則り湯船の外で身を清めようとするアストレイアの、すぐ後ろに空は座る。

「背中を流しましょう。‥‥流させて下さい」
「あの‥‥?」

 優しい声色で告げた空に、顔を赤らめながらも彼女は振り返った。確かめるように見つめる彼女の瞳をまっすぐ受け止め、こくりと大きく頷くと、恥ずかしそうにタオルを外す。
 その下から現れた、妙齢の女性としては痛々しさが募る傷だらけの背中に、空はそっと目を細めた。だがそれは彼女の勲章だ――領主として、騎士として、人々の安寧を守る為に歩み続けた彼女の消えぬ傷であると同時に、揺るがぬ誇りだ。
 故に空は心からの労りを込めて、そっとその傷跡を優しく撫でながら、彼女の小さな背中を洗い流した。この傷跡の1つ1つに、彼女が歩んできた道が詰まっている。
 それをじっと受け止めていた、アストレイアがどんな表情をしていたのかは判らない。けれども「終わりましたよ」と空が声をかけると、彼女はまたぎゅっと強くタオルを身体に巻きつけた後、くるりと振り返って湯辺りのせいだけではなく赤らんだ頬で、真剣に告げる。

「私にも、背中を流させて、下さい」

 お礼です、と消え入りそうな声で恥ずかしそうに告げた彼女を見上げ、それから空は嬉しそうにゆっくりと微笑んだ。ありがとうございますと頷いて、手にしていた洗い布を渡すと、アストレイアはそれをぎゅっと握り締める。
 だが、背中を流そうと空の背後に回った瞬間、彼女がはっと息を呑んだのを空は聞き逃さなかった。彼女の視界に映っているものが何なのか、容易く想像できる。
 アストレイアを救う為にこの身に受けた刃。空を瀕死の重傷へと至らせた胸と脇腹の傷は、緊張していた彼女には見えていなかったかもしれないが、隠しようもないわけで。
 けれどもそれを気にするのは、間違いなのだと空は微笑む。微笑み、僅かにアストレイアを振り返ってそっと彼女に口付ける。

「これは‥‥私の誇りですよ」

 他ならぬ愛する人を守る為に受けた傷だ、一体何を恥じる事があるだろう? だからこそ誇らしく微笑む空に、眩しそうにアストレイアは瞳を細めて。
 小さな小さな声で「ありがとう」と囁いたのを、耳に留めてまた空は柔らかく微笑む。彼女の感謝を求めての行動ではないけれども、向けられた感情は素直に嬉しい。
 ゆっくりと、アストレイアが空の背中を洗い始めた。丁寧に、労わるように。その気遣いと暖かな気持ちが伝わってくるようで、空はこのささやかな幸せを喜び、噛み締める。
 やがて互いの背中を流し終わって、2人、仲良く並んでゆっくりと湯船に浸かった。全身に染み渡るような温泉の温もりに、次第に緊張も解けてゆく。
 恥らいに顔がかすかに強張っていたアストレイアも次第に、空へと穏やかな笑顔を向けるようになった。湯船の中でそっと手を握れば、彼女は応えて軽く握り返してくる。そんなささやかで、当たり前で、かけがえのない出来事の1つ1つを、空は静かに噛み締めた。

「アストレイア。夜桜が綺麗ですよ」
「本当ですね。見られて良かった‥‥」

 見上げた空には満天の星空。季節遅れの山桜が、月の光にほのかに映えて。
 2人過ごす、穏やかな時間がいついつまでも続きますようにと、空とアストレイアは心から祈る。この、ようやく訪れた穏やかな、そうしてこれから当たり前になっていくはずの日々を。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /  PC名  / 性別 / 年齢 / クラス 】
 eb2456  / 十野間 空 / 男  / 30  / 陰陽師

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きまして、本当にありがとうございました。

えぇと‥‥うん、頑張りました。
どの辺りが頑張っているかはお察し頂けると幸いです。
蓮華的精一杯でやらせて頂いております。

お2人の穏やかな時間が、イメージ通りに表現出来ていれば良いのですけれども。
それでは、これにて失礼致します(深々と
■「連休…そうだ、旅行へ行こう」ノベル■ -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
Asura Fantasy Online
2010年06月04日

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