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『悪夢浸透 』
海原・みなも1252)&(登場しない)



 体は、暑い熱気に包まれていた。
 全身が汗ばみ、じっとりと濡れた体がべたべたと衣服を体にくっつけて離さない。
 まるで、蒸し上げられる肉饅になったようだった。狭苦しい蒸し器の中は息苦しく、薄く目を開くと途端にくらくらと目眩がして、危うく転びそうになってしまう。
(ここは、どこ?)
 誰に問い掛けるでもなく、あたしはゆらゆらと揺れる視界に酔いながら呟いた。だけど熱に侵されて茹だった頭は、疑問を言葉にさせず、思考に留めさせる。ううん。ただ、言葉にする事が億劫だっただけなのかも知れない。あたしの体は波に揺られる昆布のように力無く揺れて、自分で歩く事すら敵わない。
 そんな状態で、よくもまぁ立っていられると、我ながら妙なところに感心する。
 理由は‥‥‥‥億劫だ。何も考えたくはない。蒸し暑い。このままでは茹でられて死んでしまう。夏場の遊園地では、時々“中の人”が熱中症で倒れてしまう事があるそうだけど、それは当然の事だとあたしは共感する。だって、あたしも着ぐるみを着ている事が多かったから。お店の宣伝のためにと熱くて重い着ぐるみを着込んで太陽の下を闊歩するのは、冬でも辛い。それを暑い季節にするとなると、どう考えても拷問でしかなかった。頑張って、“中の人”。一般的には「中の人なんて居ない」なんて言われているけど、あたしは応援してるから!!
「あ、そうか‥‥‥‥」
 この感覚は、そうだ。その時の感覚だ。以前、夏場の遊園地にアルバイトとして出向いて、着ぐるみを着せられた事がある。その時の感覚。あと一歩で全身の水分を絞り出されてしまうのではないかと、死を覚悟した、あの夏の記憶が蘇る。そして、すぐに仕舞い込む。いや、絶対に思い出したくないから。人魚の木乃伊になんて、絶対になりたくないから。
「着ぐるみだ。ここは」
 あたしは、自分が着ぐるみに包まれているのだと実感し、静かに目蓋をこじ開けた。
 体が熱に浮かされているからか、目蓋が鉛のように重い。それでも、先に目を開いた時のように、目眩がするような事はなかった。相変わらず体は重くて力がない。それでも、視界を確保する事だけは、何とか出来るようだった。
「ああ、姫様。お目覚めになりましたか」
 誰かが傍で喋っている。でも、あたしは声の主に目を向ける事は出来なかった。だって、重苦しい着ぐるみの中なんだもん。首を動かすだけでも重労働で、体の向きを変えるなんて以ての外。首を回したり下を向いたりしたら、それだけで転んでしまいそうだった。
「これが‥‥‥‥‥‥あたし?」
 あたしは、前を向いて呟いた。
 あたしは、古びた姿見の前に立っていた。それはそれは大きな鏡で、人間どころか身の丈三メートルぐらいの人なら足先から頭の上まで映す事が出来そうだ。でも装飾された縁は所々が錆び付いて、鏡面にも埃が付着していて取れそうにない。全体的に小さな罅が走っていて、軽く一蹴りすれば粉々に砕け散ってしまいそう。綺麗な姿見だったろうにと、あたしは少し残念な気分になった。
 まぁ、それはそれとして、別な話。
 あたしが一番気にするべき事は、あたし自身の姿についてだった。
「そうですよ? 姫様」
「本当に姫だったんだ」
 声の主の姿は、やはり見えない。それでもあたしは、その声を警戒する事もなく、答えて溜息をつく。
 あたしの格好は、ひらひらのドレスを身に纏ったお姫様の衣装だった。真っ白な生地にピンクのレースを付け、頭の上には宝石を散りばめさせた王冠を乗せている。それは、何処から見てもお姫様。残念なのは、お姫様の頭が白い猫の形をしている事ぐらいか‥‥‥‥いや、それは可愛らしいのだけど、お陰で姿見に映っているのが、本当にあたしなのかを実感する事が出来ずにいる。
 何より、何故、こんな状況下にいるのかが、あたしには分からない。
 この着ぐるみを着ている理由も、この状況に至る経過も、何一つ思い出せずにいる。この場所が何処なのかも分からない。先程から話しかけてくるのが誰なのかも知らないし、そもそもここが現実なのかどうかすらもあたしには――――――――
「さぁさぁ姫様。お仕事に参りましょう」
「お、仕事?」
「そうですとも! 我々には大切なお役目があるので御座います!!」
 誰かがぐいぐいとあたしの手を引っ張っている。着ぐるみの手は肉球付きの猫の手で、簡単に握って開く事しかできない。軽く触れられただけだと、触られているという感触すらも伝わっては来ない。だからか、声の主に引っ張られても、あたしは気付く事が出来ずにいた。
「うひゃぁ!」
 ぼよん。あたしが後ろを振り向こうとすると、あたしの手を引っ張っていた誰かが弾き飛ばされて尻餅をついた。
「ああ、ごめんなさい」
 あたしは尻餅をついた誰かに目を向け、頭を下げて手を差し伸べた。ついさっきまでは軽く頭を下げただけで転ぶかと思ったのに、いつの間にか体の熱は引き、思考はクリアに回転している。でも、やはり現実感だけは戻ってこない。分からない事は分からないし、思い出せないのは思い出せないまま。だけど、不思議と不安感だけは取り除かれていた。あたしはその事実に逆に不安になる。ああ、自分の中にあった何かが、取り除かれている。何が取り除かれたのかは分からないけど、何かが無くなってしまったように思えたのだ。
「失礼しました、お姫様」
 あたしの手を取って、声の主は立ち上がった。
 ‥‥‥‥何でだろう。
 姿見とあたしの姿は見えたのに、壁と床と声の主は依然として――――――――
「私は猫ですよ。執事服を着た、猫で御座います。そしてここは城。その姿見のように古いのですが、それは大きな石造りの城で御座います」
 丁寧な言葉が、あたしの脳に侵入する。
「あ‥‥‥‥そうだった。ここは、お城だ」
 視界が反転する。これまで暗闇に包まれていた空間が、今では四方八方を冷たい石に包まれた灰色の空間に変わっている。その空間は窓から入る陽の光と小さなランプによって灯され、床には薄汚れた絨毯が敷かれていた。
 まるで牢獄か、廃墟である。でも、あたしはここがお城なのだと確信した。
 そして、そのお城の中に、絨毯を踏み締めてあたしを見上げる顔がある。
 猫だ。二本脚で達、綺麗な執事服を着込んでいる猫が居る。右手には黒光りする杖を持ち、左手には懐中時計を持っていた。
 あたしのお城だ。あたしの執事だ。そうだ、そうだった。
 今日は、とても大切な事があったんだ。

 じりりりりりりり‥‥‥‥!!!!

 突然、ベルの音が鳴り響く。
「なんと! 申し訳ありません姫様!!」
 執事服を着た猫は、鳴り響く懐中時計を振り回しながら、大慌てでくるくると回り出した。
「もうお時間が来てしまいました!! 申し訳ありませんが、私はこれにて失礼させて頂きます!!」
「あ、ちょっと!」
 あたしは声を上げて猫を止めようとしたけど、猫はどぴゅーんと埃を巻き上げて部屋を出て行ってしまった。先程ようやく見えるようになった石室だけど、しっかりと扉は用意されていたらしい。仰々しい大きな木製の扉には金色のノブが付いていて、強引に開けられ、そして閉じられた所為でがちゃんと破損し、もう少しで外れてしまいそうになっている。
「開けっ放しにしておいて欲しかった‥‥‥‥」
 あたしは数々の謎を想うよりも、もっと現実的で、ある意味真っ当な事に真っ先に思い至った。
「この手で、ノブは回せるの?」
 あたし、こと海原 みなもは、着ぐるみの大きな手を見つめながら、石室の中にぽつりと一人取り残された‥‥‥‥


「うんしょ、うんしょ」
 四苦八苦してノブを回し、石室から外に出る。でも、部屋の外も石に囲まれた空間だった。
 長いような短いような、何とも半端な廊下だった。真っ直ぐに伸びる石に包まれた世界だけど、学校の廊下よりも少しだけ短い。部屋へと通じる扉や窓はちらほらとあるけど、どちらも少なくて見ているだけで寂しくなる。
 まるで、世界がこのお城だけになったかのように思えた。そんな事はないと首を振るけど、思考はどことなく諦めているというか、頭が言う事を聞かずに思考が鈍い。考える事は出来るけど考えが纏まらない。ただ、“何となく”自分がしなければならない事は分かっているような気がする。だから、あたしは迷うことなく廊下を進み続けた。
 冬場ならば極寒の地と化していたであろう石造りの廊下だが、夏を間近にしたこの季節には実に快適な空間である。日本家屋と違い、湿気を吸収するような作りになっていないのが残念だが、それでも影に包まれて冷え切った石の壁は、廊下をひんやりと冷やしていて実に心地良いだろう。
 ‥‥‥‥まぁ、それも着ぐるみを着ているあたしには全く関係がないのだけど‥‥‥‥
「暑い‥‥‥‥」
 暑い。暑い。思考や意識は戻ってくれたけど、かえって暑苦しい熱気に、息苦しさに歯止めが掛からず喘いでしまう。苦しい。苦しい。この着ぐるみを脱いでしまいたいけど、どうやって脱ぐのかが分からない。
(そう言えば‥‥)
 あたしは今、着ぐるみを着ている。でも、着ぐるみの“中のあたし”は、どんな格好をしているんだろう‥‥‥‥?
 全身に汗を掻いているうえ、着ぐるみの中に張り巡らされた布や綿が張り付いてくるため自分の格好すら把握できない。着ぐるみを脱いだら全裸だとか、そんな事態にならないように祈るばかりだった。
「ああ、この先だった」
 いつの間にか、あたしは随分と進んでしまっていたようだ。長くも短くもない廊下を歩き、高くも低くもない階段を下りて城の外を目指していた。そんなあたしの目の前には、一際大きな木の扉があった。先程の姿見など比べるのもどうかと思うほど、大きな扉。巨人でも出入りするのではないかと見渡してしまう。うん。その心配はないみたい。だって、あたしが近付くと鎧を着込んだ兵隊の姿をした人‥‥‥‥着ぐるみだったけど‥‥‥‥が、あたしにお辞儀をして、黙って扉を開いてくれた。
「うわぁ‥‥!」
 目の前に広がる光景は、“あたしの記憶の中にある光景”と完全に合致するものだった。
 くるくるとゆっくりと回り観覧車。がらがらと盛大な音を立てて走り回るジェット・コースターに、くるくるくるくると高速回転するコーヒーカップ、延々と何処までも走り続けるメリー・ゴーランド。今か今かと客人を待ち構えているお化け屋敷に、奇怪な迷路で人々を惑わす鏡の迷宮。
 そして、立ち並ぶアトラクションで遊び回る、影絵のような子供の姿‥‥‥‥
「あ! お姫様だぁ!」
「本当だ! お姫様だ!!」
「わーいわーい! 姫様姫様!!」
 子供達が駆け寄ってくる。影絵があたしを取り囲む。平べったい姿に抑揚のない声があたしの目と耳を浸食する。ざわざわと全身が寒気だって、危うく凍え死んでしまうのではないかと恐怖する、だけど、着ぐるみから伝わる暑苦しい熱気がそれを融かしてくれた。凍えて固まり掛けたあたしの体は、着ぐるみと一体化するようにしっくりと密着する。ああ、何という心地良さ。子供達が駆け寄ってくる。でも、それももう怖くない。
 ‥‥‥‥あたしは子供達の頭を撫でて、そして遊び相手になって上げる事にした。
「わーい! わーい!」
 近くにいるのに、遠くで聞こえてくる笑い声。遠くから声を掛けられているのに、耳元で囁かれているように感じる。
 触れているのに、触れていると感じない。触れていないのに、触れているように感じて気色が悪い。
 暑いのか寒いのか、もう何も分からない。あたしが着ぐるみを着ているのか、あたしが着ぐるみなのか、それが判別できずに一切の思考を放棄する。
 考えても分からない。分からない。分からない事ばかりで、考えるのがあまりに怖い。
 まるで、身も聞いた事もない世界に一人、放り出されてしまったようだ。
 心細い。
 暗闇が怖い。
 人が怖い。
 動いている物が怖い。
 建物が怖い。
 言葉が怖い。
 触れる者が怖い。
 怖くて怖くて考えるのが怖くなって、あたしは、考える事を、やめた。
「姫様姫様」
 何処からか、あたしを呼ぶ声がする。
 あたしが振り向くと、そこには執事服を着た猫が居た。
「姫様姫様。何か、不自由な事はありませんでしょうか?」
 何故、そんな事を聞くのかが分からない。だから、何も考えずに首を振る。
 不自由なんてない。動きにくかった体は自由に動く。暑苦しかった体が、今では心地良い体温に包まれている。うまく見えなかった視界が、今では実に明瞭。ああ、本当に素晴らしい世界。悩む事を止めれば、何もかもが美しい。
「どうです? この遊園地は!」
「素晴らしいですわ。本当に、綺麗な場所で!」
 くるくるとドレスの裾を舞わせながら、あたしは笑顔でそう言った。頬を吊り上げ、まさに満面の笑みと呼ぶに相応しい表情だっただろう。
 それに答えるように、猫の執事もまた、にんまりと笑みを浮かべた。
「それはそれは、良かった良かった!!」
 猫は笑う。子供達も笑う。あたしも笑う。
 朽ち果てた影絵のような遊園地で、あたしは、姫としての役を果たす。
 影絵が動く。動く。陽は傾き、夜を迎え、そしてすぐに陽が昇る。
 不思議と眠気を覚える事が無く、あたしは子供達と、延々と遊び続けた。時には姫として玉座に座り、パレードで祭り上げられる。
 疲労などない。食欲などない。眠気もない。ただ、楽しい。楽しくて楽しくて仕方がない。
「本当に、楽しそうで何よりです」
 役目を果たしてくれれば、それで良しと猫は言う。
 あたしはその言葉に従うように、姫としての日常の中に埋没していった‥‥‥‥




Fin



●●ATOGAKI●●

 ホラーを書いている時、偶に子供の頃の事を思い出すメビオス零です。
 子供の頃、一体何が怖かったかというと‥‥‥‥夜、布団に入ってからのカーテンや窓の外が怖かったです。窓の外に誰かが居る。カーテンの隙間から覗いている。そう思って、窓に背を向けて眠るようになりました。今でも、夜になるとなるべく窓は見ないようにしています。
 それでも‥‥‥‥一番怖かったのは、高校に入ってからの一夜の事でした。
 当時は、私は夜に眠れない事が多く、ベッドの上でごろごろと転がっている事がありました。そんな時、ふと、背後に気配がしたんです。人の気配というか、何となくなんですけど。私は怖くて振り返る事も出来ずにいました。すると段々とその気配が強くなって、ざわざわと私に向かってくるのです。私は体を固めてじっとしていました。振り返ったら襲われるのではないかと、その時は思ったのです。ですが、迫ってきているという事は、じっとしていても捕まってしまう‥‥‥‥振り返ろうか、それともこのままか、混乱しながらも私は考えました。そして次の瞬間‥‥‥‥がしっと、私の肩が掴まれたのです。
「うわぁぁっぁあ!!!」
 私は思いきり振り返りました。ベッドの横にあった襖にカタをぶつけました。けど、振り返った先には、暗い室内があるばかりで、何も居ませんでした。
 あれはただの錯覚だったのか、夢だったのかは分かりません。肩を掴まれた感触だけが、生々しく身体に残っていて、その日は‥‥‥‥まぁ、眠れぬ夜を過ごしましたとさ。
 めでたしめでたし‥‥‥‥って全然めでたくないよ!! 愛でたくも目出度くもないよ!!
 しかし、ホラーという物は得てしてそういう物。“恐怖の正体が分からない”、“恐怖の原因が分からない”、“この先どうなるのか、あの時どうなったのかが分からない”と、分からない事ばかりなのがホラーだと思っています。ホラーが襲いかかってくる理由? そんなのはありません。理不尽に、何の理由もなく通り魔のように襲いかかってくる未知の恐怖。それがホラー。そういう物を書ける者に、私はなりたい‥‥‥‥
 などと意味不明の駄文を連ねながら、今回の後書きを終わりたいと思います。
 今回のご発注、誠にありがとう御座いました。
 次の機会には(既に発注を頂いておりますので、そちらでも)、また頑張らせて頂きますので、よろしくお願いいたします。(・_・)(._.)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
メビオス零 クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年06月16日

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