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『彼女の続きをもう一度‥‥‥‥ 』
イアル・ミラール7523)&茂枝・萌(NPCA019)


 自分は何も出来なかった。そう自ら言い聞かせるように、茂枝 萌は砂浜に拳を叩き付け、八つ当たり気味に装着していた“NINJA水中戦仕様”を外して投げ捨てる。ばすん。ここで手応えたっぷりに“NINJA”が大破してくれれば或いは鬱憤の欠片ぐらいは晴れてくれたかも知れないが、砂浜に落ちた“NINJA”には傷一つ付いていない。投げ捨てる瞬間に開発してくれた研究者の顔が浮かんで壊すに壊せなくなった結果である。怒りと絶望感に苛まれながらも決して他者への思いやりを忘れない女性戦士。それが茂枝 萌なのである。単に始末書が面倒臭かったからとか、そんな理由ではない。
 しかし本当に耐え難い苦痛を与えられていたのなら、萌は躊躇うことなく手当たり次第に当たり散らしていただろう。好戦的な性格ではないが、それでも偶に上官や敵を殴り捨てたい時がある。それは人間ならば、誰でも経験する感情であり、訓練に訓練を積んで精神面でも強固な要塞となった彼女でも例外ではなかった。
 バタリと砂浜に倒れ込み、全身で砂の感触を味わった。水中戦仕様の“NINJA”を着込むため、下には真っ黒なワンピース水着を着込んでいたのだ。その為、ずぶ濡れのまま砂浜に倒れていても違和感はない(勿論、戦闘にも耐えられるよう、この水着もIO2の特製品である。その胸元に『5-2 茂枝萌』と描かれていることから、IO2研究開発局の本気が窺える)のだが、胸中を満たす虚しさと後悔に、萌の心は今にも挫けてしまいそうだった。
 ばたりバタリと、萌の背後で音がする。救出された他の女性達が、次々に砂浜に打ち上げられていく。本来ならば、萌はそれをしっかりと確認していかなければならないのだが、もはやそうする気力すらなかった。萌は少しだけ離れた場所に倒れ込んだ、自分が引きずり上げた石像に這い寄っていく。
「イアル‥‥‥‥」
 萌は石像の顔を撫でながら、しかし完全に硬化してしまった肌に絶望感を深め、砂浜に顔を埋めて呼吸を止める。
 やっとの事で救出したイアル・ミラールの石像に手を掛けながら、萌は、いっそ自分が石像になってしまえば良かったと後悔していた‥‥‥‥


●●●●●


 ‥‥‥‥鼻につく薬品の匂い。見上げる天井は真白く鮮やかで、しかし自分を照らす光はうっすらとオレンジ色に染まっている。いや、そんな色などと言うものはどうでも良い。ただその目が眩むほど眩い光を放つ電球が、自分に向けて落下してきているという事実に萌は悲鳴を上げて転げだした。
「うわぁあ!!」
 ズシャァァぽよん! ベッドの上から転げ落ちた萌と入れ違いに、萌の顔面を凹ませようと落下していた電球がベッドの上に着地した。萌の頭部と同じぐらいに大きな電球だ。直撃していれば大怪我を負っていたのは間違いない。
「おお。ちゃんと目覚めたな。さすがは私の部下だ」
「へぇ、はぁ、ふぇ?」
 混乱しながら、萌は頭上から聞こえてきた聞き慣れた声に視線を向ける。
 そこには、萌の直接命令を出している上官が満足そうに頷きながら立っていた。
「あの、これは?」
「うむ。いくら待っても目を覚まさないのでな。起こした」
 しれっ、と上官は言う。それから懇切丁寧に、萌が目覚めるまでの物語を訥々と語り出した。
 海岸に打ち上げられた萌と、イアルの石像。そして数名の行方不明となっていた女性達を海岸の巡回時に発見したIO2隊員は、最寄りのIO2所属の秘密病院に全員を運び込んだ(元々、この海岸を巡回していた隊員達も、この病院の所属である)。
 石像となっているイアルはこの病院から抜け出した時に攫われていたため、病院の関係者はすぐにも研究所へ連絡を入れ、イアルを引き取って貰う手筈を整えた。イアルは元来持っていた石化の呪いに重ねるように人魚の石化を掛けられてしまったため、病院では対処のしようがなかったのだ。
 萌はこの病室で、丸一日ほど寝込んでいたらしい。慣れない水中という戦場に疲労困憊の状態だったためだろう。一応IO2の兵士を一般の患者と並べるわけにはいかないため、奥まった場所にある個室に寝かされているとのこと。他の女性達は皆別室で治療を受け、記憶処理の準備が整い次第、作業を開始するらしい。
「いや、あまりに目を覚まさないのでな。起こしてやろうかと顔に、ほれ、この電球を落としてみたのだが‥‥‥‥本当に起きたなぁ。ふふふ、流石は私が育てた戦士だ。寝込みの対策も万全だな」
 起きたのは完全に偶然だったのだが、萌は上官に突っ込むようなことはしなかった。いや、そもそも上官の話は冒頭部分しか聞いてはいなかった。萌の頭の中は、研究所に移されるというイアルのことで一杯だったのだ。
「あの、イアルは何処に!?」
「ん? あの石像の子のことか? 隣の部屋で寝ているが、夕方には研究所に移されることになっている。何せ石化の呪法を二重に掛けられてしまっているようだからな。この病院では対処出来ん。記憶の処理も、向こうでして貰うことになっている‥‥‥‥それが、どうかしたか?」
 上官は怪訝な顔で萌を見ている。
 この上官は知らない。イアルが二重に石化の呪法を掛けられる前に、そもそも洗脳されて記憶の改竄も受けていることを。複雑怪奇に絡み合った呪いは、恐らく研究員達の興味を惹くことだろう。あの研究所には、萌も何度となく世話になっているからよく知っている。だからこそ、上官の言葉に反応した。研究所に送るという言葉に、強い嫌悪感を抱いていた。
 ‥‥‥‥研究所の研究者は優秀だ。イアルに掛かった呪いも、洗脳も見事に解除してみせるだろう。しかしそれは、イアルの身体を使って徹底的に実験を行った後だ。イアルのようなサンプルはそう簡単に生えられない。ならば徹底的に使い倒す。治療は用済みとなってから。その間にどれだけイアルの身体が辱められるのか‥‥‥‥想像しただけで殺気立ってくる。
「おい、何を考えている?」
 上官の声色が変わっている。萌の殺気を感じ取ったのだろう。萌が抱いた殺意はほんの微かな火花だったが、流石に萌のような一流の兵士を束ねる上官だ。微かな殺意でさえも見逃さない。萌が何か、問題を起こさないかどうかと危惧しているのか、上官はソッと自分の袖口に指を這わせる。
「申し訳ありません。あの、今回の私の功績について、何か通達はありませんか?」
「なに?」
 これまで、萌が昇進や功績に関して自分から声を掛けることなど一度もなかった。萌はそうした物には頓着がなく、およそ“欲”という物からは程遠い人間だったのだ。
「ああ、今回は、結構な手柄だからな。行方不明者の救出は特に助かったし、多少ボーナスが良くなるかな」
「それ、要りません」
「なに?」
「要りませんので、一つ、お願いがあります」
 これもまた珍しいことだ。萌が要求してくるのは大体が新しい装備の要請ばかりで、“お願い”などと言うことも聞いたことがない。あまりに珍しいことが立て続けに起こり、上官は目前にいる萌が、本当に茂枝 萌なのだろうかと半ば本気で疑おうとしていた。
「‥‥‥‥なんだ?」
「あの子を、私に下さい」
 真っ直ぐに上官の目を見ながら、萌は迷いのない瞳でそう言った。
 その目はあまりに真剣で、上官の立場を持ってしても断りがたい空気を纏っている。イアルを助けるという誓いを果たせぬままにイアルを失おうとしている萌の胸中は、もはや誰にも推し量れる物ではない。たとえここで断られようとも、萌は力尽くでもイアルの石像を奪い、そして誓いを果たしに全力を注ぐだろう。
 上官はそんな萌の熱に当てられたのか、渋々ながらも頷いた。
「掛け合ってみよう。だが、なんだ」
 言い辛そうに、上官は迷いながら口を開く。
「茂枝‥‥お前、女好きだったのか」
 上官の顔に、萌は迷わず枕を投げつけていた‥‥‥‥


●●●●●


 次の日、萌はIO2本部にある自身に籠もり、悶々とした時間を過ごしていた。
「イアル‥‥‥‥」
 呟き、ベッドの上に身体を預けてゴロゴロと転がり、そしてベッドの横で静かに立っている石像を睨み付ける。その石像は、説明するまでもなくイアル・ミラールの石像である。海から回収され病院から連れ出されたイアルは、萌の強い要望により、IO2本部にある萌の個室へと運び込まれた。萌にはイアルの石化を解呪する知識も希望もなかったが、とにかく他人任せにはしておきたくなかったのだ。
 まして研究一筋のマッドサイエンティスト集団にイアルを預けるなど言語道断。そうなれば、イアルが元に戻ったとしても二度と会うことは出来ないだろう。しかしだからと言って、萌にイアルが救えるというわけでもない。萌は呪いだの魔法だの、そう言ったことに関しては素人に近い。萌の想像は悪い方悪い方へと走っていく。イアルを救えなかった記憶が、弱気へと走っているのかも知れない。
「ああもう! ダメだダメだ!! 時間もないのに、何をしているんだ私は!!」
 弱気になってどうすると、萌はぶんぶんと首を振った。短めの髪がバチバチと顔にぶつかり、少々痛い思いをするも、それが良い眠気覚ましとなって萌の心に喝を入れる。
 萌がここまで平常心を失っているのは、何もイアルとの誓いを果たせていないという自責の念による物ばかりではない。イアルをこの部屋に置いておける時間制限による所が大きかった。
 イアル・ミラールは事件の重要参考人であると同時に、被害者である。激闘の功績に一時的に貸し出しが了承されたが、そもそも人間一人を兵士への恩賞に与えるなど、本来ならばあってはならないことである。友人知人、家族であろうとも、研究所に送れば確実に助かる人間を、助かるかどうかも分からない個人に預けるなど、組織が許すはずもない。救出された被害者の救済を重要視するIO2としては、これだけは譲るわけにはいかなかった。この正義を無くしてしまっては、それこそIO2の存在意義を問われてしまう。IO2という組織は、救助された一般人の人生を一兵士に恩賞として与えるのか、と言われて否定が出来なくなる。
 そんな本部を説得するため、萌の上官は確かに尽力してくれた。萌の自室にイアルは置かれたし、呪法のエキスパートの協力が得られるようにと、紹介状も与えられている。しかしそんな個人の我が儘を何時までも聞けないと、萌に与えられた時間は、僅か四日間と非常に短い物だった。その間、表向きイアルは病院に入院していることになっている。この特別措置が出来るだけ人の耳に入らぬよう、情報も規制されている。四日間というのは、その情報規制を保てる限界時間だ。それ以上は他の隊員や研究所の目を誤魔化しきれない。
 故に、四日間の間に決着を付けることは絶対条件となった。この期間の間に助けることがなければ、萌は二度とイアルに関わることは出来ない。そう言う契約の元、萌はこのラストチャンスに賭けたのだ。
 だと言うのに‥‥‥‥既に二日、何の進展もないまま時間だけが過ぎていく。
「今日寝たら明日一日だけなのに‥‥‥‥どうしたら戻るんだろう」
 時間だけが過ぎていく。焦燥は胸を焦がして苛立ちを覚え、イアルを見詰める目にも軽い失望と怒気が混ぜこぜになっている。とてもこの友人には見せられないなと、萌は自己嫌悪に苛まればすばすと枕に頭突きを幾度も幾度も繰り出していた。お陰でふかふかだった枕はあっと言う間にペシャンコになり、柔らかく大きな枕に頭を埋めて眠ることを楽しみにしていた萌の鬱は、更に加速度的に増していく。
 今の萌を見ていれば、とてもIO2きっての凄腕エージェント『ヴィルトカッツェ』だとは思うまい。獰猛な狼だと思って近付いたら幼く人懐っこい柴犬だったというような感覚。萌を慕うファンクラブ(地下組織であるため、萌はその存在を知らなかった。正式名称は『茂枝 萌ちゃんで萌える会』)の会員が見れば、何人かは萌え死んでしまいそうな勢いである。
 萌が知らず知らずのうちに殺人光線を全身から放っている今この時でも、研究所ではイアルを受け入れる体勢を整えていることだろう。せめて時間があと三日、一週間もあれば、この手の事件に詳しい友人に声を掛けて応援を要請することも出来たのだ。だが、IO2の兵隊である萌では、権限を最大に活用したとしてもかなりの制限がある。外部から人を呼ぶにはそれなりの手続きが必要となり、IO2についての秘密を守れるかどうかと言う審査も受けて貰わなければならない。
 何にしても、四日で出来ることなど高が知れていたのだ。無駄だと分かっているから、IO2も萌のような一個人に重要参考人の身柄を預けてくれたのである。
「どーすればいーのー!!」
 バタバタと子供のように駄々を捏ねる萌だったが、それで良い案が浮かぶわけでもない。むしろ気が散って考えられない。だが大人しくして良い案が浮かぶわけでもない。八方塞がりというか、先の見えないトンネルに入り込んでしまっているようだ。残りの一日はずっとトンネルの中、このトンネルから抜けた先が、崖になっているか道が続いているかすらも分からない。分からないというのは、それだけでも大きな負担となり萌の精神を圧迫した。
「もう‥‥‥‥どうにでもなっちゃえ!!」
 萌は最悪、イアルを連れて逃げ出してしまおうと考え、開き直ってゴロゴロと転がった。勿論そんなことをすればお先は真っ暗なのだが、イアルがこのまま研究所に渡ってしまってもお先は灰色に染まるのだ。どちらもさして変わらない。少なくとも、生きる張り合いはなくしてしまうだろう。
 ベッドの上で、ソッと石像に手を差し出す。イアルはその手を握り替えしてくることはない。それは萌も分かっているのだが、無性にイアルの体温を感じたくなったのだ。
 冷たい石の感触思わず涙が出そうになり、萌はベッドの上で、イアルの手を握ったままに倒れ込んだ‥‥‥‥


●●●●●


 豊穣とは、何かと引き替えに訪れる物だという。
 生い茂る麦は大地から養分を吸い上げ、重い実を付けて人間を、動物を、虫を育てている。森は虫や動物の骸を苗床にして木々を茂らせ、人間はそうした者達から全ての生物が飢えないように、申し訳程度に果物や動物達を狩り糧を得る。
 人が、国が生き抜くためにどれだけの犠牲が払われているのか‥‥‥‥それを考えると、人々は夜も眠れない。糧となる植物も動物も、大地からその力を得る。だがその力を吸い上げるばかりでは、やがて大地は枯れ果てるだろう。食べれば食べるほどに倉庫に貯まった食料は減っていく。それが尽きた時、果たして再び倉庫に入れる物があるのかどうか‥‥‥‥
 人間は、それを恐れた。その土地が飢餓に苦しんだという話は聞かないが、それでも皆が恐怖を捨てきれずにいた。それというのも、その民を纏める国が、王室が、民に向けて常に声を上げていたからだ。
 空に、大地に、水に、動物に、虫に、人間に、そして何より、鏡の守護龍に感謝せよ。我々の命は、全て我々を遙かに超えた存在によって成り立っている。
 民を纏める王室は、決して自分達を崇めよとは言わなかった。
 王室自体が、遙か昔から伝わる龍を崇め、そして敬っていた。豊穣を約束してくれた鏡の龍に護られたこの国の人々は、誰もが平和を愛する人間だった。代わり映えのしない、深い悲しみも喜びもない静かな時間。それが何を置いても愛おしく、大切な物だと知っていた。
 誰もがそうだったから、長らく平和は続いていた。一人の王女を、生け贄として。
「お姉様。でも、お姉様は――――」
「良いのよ。私は、これで良いの」
 美しい少女の言葉を遮り、王女は窓枠に腰を掛けて答えていた。視線は常に外を向き、収穫に沸く民を見下ろしながら優雅に、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。
 身に纏うは晴天の空をそのまま映しているような青い質素なドレス。頭には薄い白のヴェールに、黄金の王冠を被っている。と言っても、王冠には宝石らしい装飾はほとんど見られず、遠目には花冠にも見えるシンプルな一品だった。
 金色の長い髪が、窓から吹き込む風に揺られて白いヴェールと共に踊っている。王女は目を細めて顔に掛かった髪を退けながら、やはり視線は外に向く。自分を見上げ、喝采を上げている民を、愛おしそうに見つめている。
 王女が居るのは、小さな城下町から緩やかに伸びる丘に建てられた小さな城の一室だった。城は石造りの中世ヨーロッパ風の建築で、デザインは実にシンプルだ。四角い箱のような入れ物を数段重ね、二本の塔が角のように左右対称に立っている。それもさほど高い塔ではなく、これでは城が地味すぎるからという詰まらない理由で後から付け足されたような、そんな印象を与えてくる。貴族という貴族が我も我もと挙って豪奢で煌びやかで無駄に美しい砦を作り上げているのと比べると、王家にしてはあまりにも欲がない。周囲の木々や森といった風景に溶け込み、城下町から見上げると、青い空をバックにした風景画のようにも見えた。
 そして城の二本の塔の一角、正面から見て右側の塔の頂上に、王女の部屋は存在した。
 見下ろす光景は、この国の何処よりも美しく壮大だ。丘の麓に広がる城下町は、常に人で溢れている。かと思えば少し離れたところに広大な土地を使用した麦畑があり、農家の人々がせっせせっせと収穫作業を行っている。風に揺れる麦畑は、まるで黄金の絨毯のようだった。そこで汗を流す人々の顔には一様にして笑みが宿り、目を凝らすと農家に混じって城下町で働いていそうな町民まで混じっていた。誰も彼もが楽しそうで、それぞれの立場や仕事の差など何を気にするものかと互いに力を貸して助け合っている。
 そんな光景を眺めていて、頬が綻ばぬはずがない。この場所から来下ろす光景は何処よりも美しいと、確信を持って風を感じている。
 それが、この国の王女であった。
イアル・ミラールという、民の愛と羨望と恐れを一心に受ける、小国を束ねる王女であった‥‥‥‥



 一体何百年ほど前になるのか、それはもはや分からない。伝承も記録も、全てが時と共に散逸しており記録を辿ることは不可能となっている。
 故に、目前の光景が何時の時代の出来事なのか、一体何処で起こったことなのか、それは誰にもわからない。
 ただ、これが見てはいけない‥‥‥‥見るべきでないことだけは、心の何処かで感じていた。
「お姉様。宴の準備が出来ましたわ」
「そう。今年も豊作なのかしら?」
「見ての通りですわ。さあ、皆がお姉様を待っております」
 少女は何時までも外を眺めて離れないイアルに静かに頭を下げている。それは、侍女が主に対して取る礼にも見えたが、二人の立ち位置はそれとはまるで違っている。二人の立場はほぼ対等であり、イアル自身、それを心の底から喜んでいた。
 二人は、血を分けた姉妹であった。
 イアルに付き従うようにしている少女が妹で、歳はそれ程離れていない。身長はイアルよりも頭一つ分ほど小さく、まだまだ幼い容姿である。活発に動き回ることは好きな御転婆姫はイアルのように大人の艶気を纏った美しさとはまた違う、子供らしい可愛らしさを纏っている。尤も、それもさほど時を掛けずにイアルと同じ王女としての貫禄を身に付けるのだろう。今のように猫を被っている姿など、それこそ数年前の自分と瓜二つだとイアルは静かに笑みを浮かべる。
 二人は第一王女と第二王女という、互いに立場を持つ人間だった。
 第一王女は国を治め、平和と繁栄のために尽力する。第二王女は、その補佐と、万が一の時のための予備として利用された。互いの立場は、決して対等なものではない。否、対等なものであってはならない。国を統べる者と統べぬ者が均等に権力を持ち合わせれば、それは争いの火種となり国家を蹂躙して果てる陰惨な歴史の元となる。そうして滅びた国が、一体どれだけあったことだろうか。いや、それを言うならば権力が拮抗していようが差があろうが、さして変わりはないだろう。むしろそうした方が虐げられた側に劣等感が生まれ、より凄惨な物語を作り出してくれる。
 しかしこの二人には、そんな物語が紡がれることなどないだろう。少なくとも、二人の王女とその側近、そしてその王女に付き従う民の皆がそう思っていた。そう確信していた。第一王女は妹を愛していたし、第二王女は姉のことを誰よりも愛していた。民も、側近も、農家を駆け回る犬猫でさえも彼女達のことを愛していた。誰もが王家を慕い、この平和が続くことを願っていた。
「そうですね。折角の収穫祭、皆を待たせるわけには、いきませんよね」
 イアルはそう言い、微笑み第二王女に歩み寄った。
「さぁ、行きましょうか」
「先程からそうお誘いしているのですわ、お姉様。宴の準備も整っているのですから、しっかりとして下さい」
 そう暢気な姉を窘めながら、第二王女もイアルと同じように微笑んでいる。
 しかしその微笑みには、微かな翳りが見える。イアルの後を付いて歩きながら向ける視線には、心底楽しそうにしている姉への憐憫と、それ以上の愛情が込められていた。が、それに誰かが気付くことはない。第二王女は誰にも気付かれぬように感情を押し込めていたため、周りには姉を慕う良き妹にしか映らなかった。
 かつんかつんと、二人は時折言葉を交えながら冷たい階段を下りていく。塔の天辺にある自室から見下ろす光景は絶景ではあるが、この閉ざされた階段だけは億劫だった。
塔である限り、当然頂上に登るためには長い階段を上らなければならない。城の頭から伸びる塔は円形状の細い塔だったため、頂上に至るまでの過程ではほとんど部屋らしい部屋は見られない。ただ、塔の中心を空洞にするのは危なっかしくて抵抗があったのか、ほぼ全てが外観と同じ長方形の石で固められていた。
 延々と、視界は階段と左右を挟む石の壁ばかりが続いている。階段が螺旋状に弧を描いているため、視界が極端に狭い。時折明かりを取り入れるための小さな窓が外側にあり、内側には王室を守護するために作られた兵士の詰め所があった。
 そしてその詰め所には、一人の兵士が待機している。詰め所は狭苦しくて簡素であり、人が二人も入ればぎゅうぎゅうになってしまうだろう空間に椅子と机が置かれており、兵士はその椅子に座って槍の手入れを行っていた。兵士は革製の軽い鎧を纏っており、金属で出来た鉄の槍だけが頑丈そうで、奇妙な違和感を覚えてしまう。
「ぁ、姫様に巫女様!」
「見張り、お疲れ様です。私は下に行きますので、あなたもどうですか?」
 イアルは兵士に笑いかけるが、兵士は数秒ほど考え、そして残念そうに首を振った。
「申し訳ありません。収穫祭に人が集まるのを良いことに、巫女様の部屋に誰かが侵入しない、とは限りません。番兵として、ここを離れるわけには‥‥‥‥」
 普段はイアルが暇を持て余している時に話し相手になってくれる番兵も、この日この時ばかりはイアルの話し相手にはなってくれなかった。収穫祭であろうと誕生日であろうと戦争の最中であろうと、彼はこの塔のこの階段を護るために、イアルの身を護るために存在する。その役目を果たすためならば、イアルの命令を聞かぬ事もあるし、それも必要なことなのだ。
 イアルは残念そうに「そうですか」と首を振ると、軽く頭を下げてから再び階段を下りていく。その後を付いていく第二王女は番兵に睨むと、直ぐさまイアルの後を付いていく。その視線は何を訴えているのか、番兵には分からなかった。しばし番兵はその場でイアル達の居た空間を見つめていたが、思い出したように椅子に座り、槍の矛先を磨き出す。
 かつんかつんと塔の階段を下りていく。詰め所は他に二つほどあったが、そもそもこれまでこの詰め所に配属された兵士が活躍した場面などないためか、誰も居なかった。まぁ、この城に、この場所にまで侵入された時点で一人二人の兵隊が待機していてどうなるというのだろうかと、誰もが疑問に思うのだろう。イアルは兎も角、第二王女はぎゅうぎゅう詰めになるまで兵隊を配置していても足りないと常々思っていたが、確かにそれでは逃げ出したい時にかえって逃げられないなと思い直した。
「おお、イアル!」
 階段を下りきった先は、綺麗な絨毯と垂れ幕のようなカーテンで飾られた玉座となっていた。玉座は幕の下に堂々とその姿を晒し、そして王座の隣、左右斜め後ろに一つずつ玉座よりも僅かに小さな座が用意されている。そしてその一つには先代の国王、イアルと第二王女の父親が座っていた。
「ささ、皆が待っている。座りなさい」
 父親は、イアルを手招きして催促する。まだ収穫祭開催の時間までは少々あるのだが、この家族で並ぶことを何よりの幸福と感じている父親は、今か今かと待ち遠しく思っているのだろう。そんな父親を愛おしく思いながら、イアルは招かれるままに、中央の玉座に腰を下ろした。
「お父様。皆が見ております。あまり、子供じみた真似はなさらないで下さい」
「むぅ、そうか。うん。そうだな。はっはっはっ。いや、すまなかった」
 第二王女は、父親を窘めながら父親と反対側の座に腰を下ろした。手入れの行き届いた綺麗な三つの玉座は、それぞれの主を迎え入れて本来の威厳を発揮する。
 イアルは、顔を上げて集まった皆に目を向ける。
 玉座の間は、石で囲まれながらも紅い垂れ幕のカーテンと豪奢なシャンデリアで飾られた美しい場所となっていた。恐らく、この場所がこの国で最も効果で派手な場所だろう。しかし逆に、この国にはここ以上に手が掛けられている場所もない。この玉座に座った歴代の国王達は、誰もこの玉座以上の美を求めようとはしなかったのだろう。誰もが材を民に分配し、貧困に喘ぐことのないようにと配慮する良心的な国王ばかりだった。
 だからか、民衆からの支持は絶大だった。玉座の間にはそれなりに美しい正装に身を包んだ老若男女の貴族が集まっていたか、実を言うと半数ほどは城下町の取締役や紹介の商人、農民代表の老人など、およそこの間に上がること自体が不敬とされる者まで混じっている。それが誰一人嫌な顔をすることなく許されるのだから、この国を纏め、暮らす者達の心が何処まで澄んでいるかを表しているようだった。
「さて、これで役者は揃ったのだ。そろそろ始めようではないか」
 これで準備は整った。父親の言葉で、バッと、玉座から最も遠い正面のカーテンが開かれる。壁を覆い隠すように広げられていたカーテンが開いた先には、巨大な窓枠が用意されていた。巨木をそのまま枠に加工したかのような巨大な窓。そこには透明な分厚い硝子が嵌め込まれており、玉座からそのまま城下町を見下ろせるようになっている。
 ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎぃぃ‥‥‥‥
 鈍い音が響くが、それは不思議と神経を撫で回すような不快な音ではない。むしろ楽器を鳴らすような、綺麗な音だった。
 わぁぁぁぁぁぁ!!
 そして入れ違いに、城と城下町に集まった民の大喝采が入ってくる。今か今かと王の姿を待ち侘びていた民達が、漸く姿を現した王の姿に沸き上がり、それぞれ歓声を上げながら平和と勝利の象徴である巫女の名を呼んでいる。
「ふふ、皆さん、楽しそうですね」
 ぽつりと、イアルは呟き、喝采を上げている民を眺めている。それは先程塔から皆を、国を見詰めていた目とはまた違う、聖母のように慈愛に満ちていながら吼え猛る龍のように鋭い、不思議な眼光だった。
「さぁ! 皆の衆! 今年も待ちに待った収穫祭が訪れた!!」
 わぁぁぁぁぁ!!!
 民の陽気で力強い声は最高潮に達している。それは民がどれだけ三人の王家を慕っているのかを物語っており、この世界の何処を見ても、これ程慕われ愛される国もないだろう。それはイアルの誇りであり、この平和な時が何時何時までも続いてくれるようにと、願う理由となっていた。
 先代の国王、父親が民の前で収穫祭の開始を告げる宣言を叫んだ途端、酒宴が始まった。この時の顔は本当に皆が皆楽しそうな顔をしている。王の前にいるというのに、集まった貴族や代表者達までそれぞれの杯を手に思い思いに談笑を始めていた。
「さぁ、我々も加わろうではないか」
 父親は、この日ばかりは王の威厳らしいものを持ち合わせてはいない。いや、それはずっと前からだったのだろうか。イアルには分からなかったが、しかし逆らおうとも思わなかった。皆が楽しんでいるのだ。水を差す必要もない。
 イアルは第二王女に視線を向けて、目配せをした。第二王女は頷き、三人ばらばらになって収穫祭を思い思いに楽しみ出す。
 ‥‥‥‥長い夜が、始まった。



 収穫祭は、本当に真夜中まで続いていた。開始されたのは夕刻前だというのに、月が高くなり夜の帳が下りても城下町のそこかしこで薪が燃え盛りそれを取り囲み酒を片手に騒ぎ立てる人々の姿が見て取れる。
 それは、貴族も民衆も巻き込んでの酒宴だった。貴族も商人も農民も全ての人間が一緒くたに騒いでいる。この国の人間は本当に地位や権威を馬鹿にしているのではないだろうか。よくもまぁ、こんな体制で国の体裁を保っていられるものだ。王も民も、皆が友人だとでも言うつもりなのだろうか。だとしたらあまりに馬鹿馬鹿しくて、こんな国に何度も何度も何度も何度もしてやられているのかと思うと腹が立つ。こうして見晴らしの良い塔の天辺から見下ろしていると尚のことだ。吹き込む風の冷たさは最高潮に達しているが、それは内で燃え盛る激情を冷ましてくれることはない。
 しかし、これまで煮え湯を飲まされ続けて溜まりに溜まった鬱憤が一切晴らされていないというわけではない。この国の甘さ、取り分け王族の愚かさを文字通りに見下ろしていると、激憤に埋まっていた胸中が透くような感覚だった。ああ、本当に愚かだった。このような者共に躍起になっていた自分が馬鹿のようだ。この者達も愚かだが自分も愚かだった。何故、もっと早くこうしておかなかったのか。そう、悔やまれてならず、窓枠に座り込み鼻歌を歌いながら、時が来るのをゆっくりと待っている。
 何度も同じように正面から戦い、或いは巧妙な罠を仕掛けて大軍を持って国を取り囲み、幾度も蹂躙しようと試みた。しかしその尽くが失敗に終わり、この国に与えた損害など国境にある村の一つ二つを踏み潰し燃え上がらせた程度である。それに対して、我が国が与えられた人的損失は数千を超えて万に届こうとしている。民は幾度も失敗し続ける遠征に疲弊し、稼ぎ頭を亡くした兵隊の遺族が挙って王家を罵倒し始めた。戦争を起こすたびに多くの鎧や剣に槍に兵糧まで消費し、人馬も取り返しの付かない損失となって計上されている。国の財政は逼迫し、この国への憎悪で国が満ちている。だと言うのに、とうのこの国は平和その物。他国とも交流らしい交流を行わない閉鎖された世界を作り上げ、皆一様に幸福そうに顔を綻ばせている。
 ‥‥‥‥憎い。その顔を見るたびに憎悪が胸中で暴れ回る。
 もはや後戻りは出来ない。我が国は度重なる遠征に疲弊した実は餓えて誰が謀反が起こしても可笑しくない状態になっている。それを押さえるだけの手段は、もはや今の王家には残されてはいなかった。しかし、現状を打破するためにはどうしても‥‥‥‥どうしても、この国の資源が必要だった。
 かつんかつん、がちゃり。背後で足跡と分厚い木の扉が開かれる音がする。
「準備が整いました」
 無機質な声。消え入りそうな儚さを含みながらも、不思議と澄んだ綺麗な声だ。
 それも、まだ幼さを残した少女の声。男性ならば思わず振り向きどれ程の美少女かと期待に胸を膨らませてしまうだろうが、私には通用しない。少女は少女。少なくともこの少女はただの人間であり、それ以外の何者にもなりはしない。多少生まれがよく凡人よりも優れた才覚は持っているようだが、それも私に掛かればただの駒だ。精々美しく着飾った人形程度の認識で十分であり、本人もそれに一切の文句は言わないだろう。
「くくくくく‥‥‥‥そうですか、では参りましょう!!」
 ぶわっ! この塔を取り巻いていた風が、一際強く吹き荒れた。窓を開いていたために室内に暴風が吹き荒れ、ベッドのシーツが舞い上がり外から舞い込んだ木の葉がぱたぱたとあちらこちらに散乱する。カーテンは騒々しくはためき室内に飾られていた可愛らしい人形や絵画が風に押されるように粉々に砕け散る。開け放しになっていた扉がバタンと閉じて、逃げ場をなくした風が竜巻のように荒れ狂う。
 そんな惨状の中にいながら、部屋に入ってきた少女が身動ぎもしなかった。ただ虚空を見つめるように、虚ろな目を見開いている。纏ったドレスが家具の残骸に破り捨てられ、剥き出しになった肌に小さな痣や切り傷が出来上がった。
 このまま少女を辱めても良いのだが、それはそれ、今日はそんな些事を楽しむために来たのではない。人形には人形の仕事がある。全てはそれを果たしてから。
 さぁ、収穫祭の始まりだ。
 私はそこに至って漸く振り返り、轟々と風と共に吹き荒れる業火に染められた町に背を向けた。



 その光景は、イアルの部屋からも見下ろすことが出来た。
 収穫祭の喧噪から抜け出し私室で休んでいたイアルは、もうそろそろ眠ってしまおうと、ドレスに手を掛け寝間着に着替えてしまおうとしていた。この国の巫女として、そして第一王女として公務を全うしなければならない身だ。夜更かしをして体調を崩しては家族にも民にも余計な心配を掛けてしまう。
 そう心掛けていたイアルは、早々に眠ってしまおうとしていた。しかしドレスが床に落ち、その美しい肌が晒されることは結局の所はなかった。これまでどんな嵐が来ても動じることのなかった頑強な窓がバンバンと叩かれ、イアルは驚愕に肩を震わせてそちらに視線を送っていたからだ。
「だ、誰?」
 誰も何も無い。そこには誰も居なかった。
 当然だ。この塔は地上から何十メートル‥‥いや、何百メートルも高い場所にある。誰かが窓を叩くなど出来るはずもない。現に窓の外にあるのは、風で張り付いている木の葉だった。それも手の平ほどはあろうかという大きな、真っ黒な木の葉だ。強い風に巻き上げられたのか、葉が窓に叩き付けられたことで音を立てて震えたらしい。何ともお粗末な恐怖体験だ。肩を震わせていたイアルは、ホッと胸を撫で下ろして窓に近付いた。葉は、相変わらず窓に張り付いている。その内風が弱まり剥がれ落ちていくだろうが、イアルはベッドから見える外の光景も好きだった。特に今日のように、雲のない晴天の星空など見応えが抜群で、この世のどんな宝石よりも価値のある物だと信じているぐらいだ。
 窓を開けて葉を引き剥がし、龍の力で風を起こして遠くへと行って貰おう。がやがやと騒がしい民の皆も、もう少しだけ見てみるのも良いかも知れない。そう思った。それだけをするはずだった。
 だが、窓に手を掛けた時、イアルは異変に気が付いた。
 窓が‥‥‥‥黒い。真黒く染まっている。外の光景など何も見えない。それこそ星も、未だに祭の最中にあるであろう城下町も見えてこない。
 しかし、まだそこに人が居るのは分かっている。人の喧噪はうっすらと聞こえてくるし、まだ収穫祭は続いているのだろう。だが、何故その光景が見えないのか。イアルは得体の知らない不安に駆られて窓を開けた。
「んぐっ!?」
 窓を開いた途端、室内に黒い煙が充満した。イアルの目蓋は反射的に閉ざされ、眼球に灰が入らないようにと必死に閉じられている。イアルは内に封印された龍を解放し、煙を風で吹き飛ばし、或いは水を雨のように浴びせて室内の灰を撃ち落とした。窓の外を満たしていた煙も、鏡幻龍の力で吹き飛ばし水気を与えて一掃する。
「けほけほっ‥‥こ、これは何?」
 目前の光景をどのように認識すればいいのか、イアルには分からなかった。
 城下町が、轟々と火山のように燃え盛っている。いや、火山に焼き尽くされる森のようだ、と言うべきだろうか。町に広がった炎は盛大に煙を上げて、城下町も麦畑も貴族も町民も農民も家畜でさえも飲み込み焼き殺していく。そんな中で、人々は酒を片手に騒いでいた。一人残らず騒いでいるわけではなく、業火から逃れようと走り回っている人間に混じって酒宴を続けている者がいる。それも片手に松明を握り締め、近付く者に火を付けながら笑い、叫き、駆け回って家や人に次々に点火していく。他国の工作員かと思うが、目を凝らすと松明を持っている者同士で火を付けあっている者もいる。中には地面に倒れ、酔い潰れているか煙に巻かれたのか分からない者もいた。
 もはや、何がなんだか分からない地獄絵図である。事態が把握できず、イアルは何をすればいいのかが分からなくておろおろと動揺した。収穫祭を楽しんでいた町で火事が起こるのは‥‥‥‥まぁ、町のあちらこちらで火を灯して騒いでいたのだから可能性としてはあるのだろうが、それにしても町民が、自分の身体に火を付けながら家や知人友人を焼き殺すなど正気の沙汰ではない。酒に狂わされ凶行に及んだのだろうか。しかし、それにしても人数が多すぎる。
 イアルの思考は、満足に回転しなかった。こんな事態が起こるなど、想像もしていなかった。この国はほんの数十分前までは平和だったのだ。少なくとも、イアルは世界のどの国よりも平和であると胸を張っていた。それが、何故こんな事になっているのか。理解できない。何がなんだか、分からない。
「巫女様!! 大変です! 国王が!!」
 しかしそんな混乱の最中にでも、頼りになる者はいるらしい。
 ガコンと扉を許可も得ずに開け放ち、詰め所に待機していたはずの番兵が飛び込んできた。革製の鎧がかこかこと軽い音を奏でているが、それも外から聞こえる喧噪と兵士自身の声によって掻き消される。
「敵襲です! 町には火の手が回り、城内には狂った民が溢れております。国王はこの混乱で‥‥‥‥」
「お父様が‥‥!?」
「‥‥‥‥申し訳ありません」
「あの子は!? 妹は‥‥‥‥」
「一足早く、塔から脱出したとのことです。現在、地下通路にて巫女様をお待ちしております!」
 塔には、万が一の場合を考慮して秘密の抜け道を造ってある。それを使えば、城内から離れた森の中まで逃げることが出来るだろう。
 それは、この城を放棄することに繋がる。つまり、下の城下町も逃げ惑う民も、全てを見捨てて脱出しろ、と言うことだ。イアルはその身が朽ち果てようとも、他人を見捨てて逃げ出すような人間ではない。いや、そもそもそう言う人間だったのならば、この国はとうの昔に滅びている。体内に鏡幻龍という守護龍を宿しているイアルは、この国に戦の魔の手が伸びた時、最前線で戦いその身を危険に晒すのが役目なのだ。危険だからと、恐怖を感じることも久しく無い。
 しかしそんなイアルでも、父親の死を突き付けられて当惑し、胸が締め付けられるような想いに駆られていた。だが、それも長くは続かない。それどころか瞬く間に元の精神状態に立ち戻り、首を振った。
「出来ません。民が危険に晒されているというのに、何処に逃げるというのですか」
 イアルは慈愛に満ちた王女ではなく、国を護る巫女としての顔付きになっていた。
 それは数々の修羅場を潜り抜けた兵士の顔ではなく、感情らしい感情を無理矢理に押し出した顔だった。元よりイアルは、国のためだ民のためだ繁栄のためだからと他人を蹂躙し命を平気で散らせるような人間ではない。そんな人間ではないからこそ、鏡幻龍という強大な力を持ちながら、自らの欲に走らずに生きられるのだ。
「ですが‥‥第二王女は、巫女様が参られないなら、自分から迎えに行くと仰有っていたそうです」
「‥‥‥‥あの子は」
 何事を置いてもまずは姉を優先する。そんな妹を想い、イアルは目眩に似た感覚を覚えていた。
 この事態、既に城は陥落寸前。城下町は荒らされ、民は火達磨へと変わっている。先代の国王は死に、風下にある城には、外から吹く風に煽られた真黒い煙がもうもうと襲いかかっており、既に全体的に煤けて城内も混乱に乗じて破壊された窓や扉から黒い煙が充満し始めている。煙というのは、実のところ猛毒に等しい効果を持っている。火事に遭遇した時、死亡者の大半は火に撒かれてではなく煙を吸うことで死に至る。軽く吸い込んだだけで激しい頭痛を覚え、目は開くことも叶わなくなり、刻一刻と激減する酸素を求めて毒霧と化した世界で息をする。
 なるほど。そんな世界から一秒でも早く脱出した妹は冷静だ。そしてこの城に戻る事は危険極まりない行為であり、自分の命を盾にすれば、姉が必ず自分の元に来てくれると信じている。
「仕方、ありませんね」
 そして、イアルはそんな妹の思惑に乗る以外になかった。
 既に城下町は、イアルを持ってしても手に負えない事態になっている。混乱した民は既に火に撒かれて散り散りになっており、残っているのは死体と狂人と化した暴徒ばかり。イアルが何をしようと、この事態を沈静化しようと、手遅れとなっているだろう。
 もしもこの混乱で妹まで死んでしまえば、イアルの心の支えが何も無くなってしまう。イアルは渋々ながら、駆け込んできた番兵と共に妹の向かう地下通路にまで向かうことにした。
 ‥‥‥‥地下通路は、番兵が待機していた詰め所に用意されていた。
 かつかつかつかつと石造りの階段を、番兵が戦闘に詰め所へと駆け下りる。まだこの階段には煙は入り込んでいないようだが、異臭だけは届いていた。呼吸をする度に頭痛が脳裏を駆け抜ける。鏡幻龍の守護も、呪術でも何でもないガスには効果が薄いのか、それともイアル自身に動揺があるからか、上手く機能していないようだった。
「お早く!」
 番兵が詰め所に用意されているボタン(石造りの床を、順番にガコンと押し込んでいった)を押すと、ゴゴゴゴゴと重々しい音を立てて小さな階段が現れた。何処をどのように通じているのか、イアルにもよく分かっていないが、この塔から地下通路へと続く階段となっている。少々傾斜が急な階段で危なっかしいのだが、誰にも見付からないように配慮すれば、どうしても細く小さな通路になってしまうだろうから、文句の付けようもない。
 イアルは階段を駆け下り、急いで妹の待つ通路へと飛び込んだ。
 本音を言えば、イアルはここで逃げ出すつもりなど毛頭無かった。妹を説得し、連れ添っているであろう兵士に命令して無理矢理にでも脱出させるつもりだったのだ。妹さえ大人しく脱出してくれれば、イアルは思う存分に表で戦うことが出来る。この状況では、救える民などそれ程居ないかもしれないが、それでも出来るだけのことはしたかったのだ。
 地下通路には、何本もの松明が灯っていた。石造りの地下通路は狭く、三人も並べば擦れ違うことも出来ないだろう。通路を走ると、すぐに二人の影を発見した。第二王女と王女に付き添う番兵だ。イアルとは反対側の塔に私室を持っている妹は、イアルと同じように塔の詰め所から下りてきたのだろう。
 妹の無事を確認し、イアルはまず安堵する。
 そして声を掛けようと口を開こうとして‥‥‥‥
「危ない!」
 出て来た台詞は、イアル自身思いも寄らない言葉だった。
 バッ! イアルは妹と番兵を押し退けて走り、通路を流れるように現れた紅い光の激流を弾き返した。
 身に纏った鏡幻龍が帯電している。バチバチという紫電の光が石造りの通路を塞ぎ尚も襲いかかる激流を弾き返し続けている。流れる光はこちらが川下だとでも思っているのだろうか、何度も何度も襲いかかっては弾かれるのを繰り返した。
「大丈夫!?」
「だ、大丈夫です‥‥」
 妹は驚いたのか、それともイアルに押し退けられた時に転んだのか、尻餅をついていた。どこからか滲み出た水気にドレスが汚れている。いや、よくよく見るとドレスのあちらこちらが切り裂かれて痣や切り傷が出来ていた。美しく若々しい柔らかい肌が切り裂かれている様は酷く扇情的で、久しく眠っていたイアルの激情を呼び覚ます。
 バッ! イアルに七度目の突進を開始した激流が、瞬く間に蒸発した。蒸発したように見えた。本物の水とはまったく違う異質な光の集合体は、鏡幻龍の魔力の前に為す術もなく消滅する。その様は本当に水が一瞬で蒸発したようで、違う点があるとすれば、蒸発した魔力が霧にすらならずに霧散したと言うことだろう。
「そこに居るんでしょう? 出て来たらどうですか?」
 妹を傷付けられた所為か、イアルの口調には棘がある。それこそ相対する相手の心臓を鷲掴みにしようとしているかの如く、殺気すら感じさせる気迫だった。それを見て取り、背後で尻餅をついていた妹が肩を震わせる。番兵が一歩、気圧されて後退する。しかし声を向けられた相手は、逆に通路の先からかつりかつりとゆっくりとした動作で姿を現した。
「不意を付いたつもりだったのですが、やはり無理がありましたか」
 姿を現したのは、黒衣のローブを纏った男だった。薄暗い地下通路だと言うこともあるのだろうが、その顔はローブに隠れてまるで見えない。だが、先程の激流がその男によるものだと言うことは確信できる。男の纏う憎悪の混じった魔力は、黒い奔流となって男の全身を包んでいた。
「あなたは‥‥‥‥!」
 イアルは、その男に見覚えがあった。
 確か、幾度もこの国に侵略を行い、村落のいくつかを蹂躙した近隣で最大の国家の軍隊に混じっていた男だ。確か、王室に雇われた呪術師だったか‥‥‥‥軍師として軍隊に従軍していたのを、イアルは記憶している。イアルが侵略してくる軍を迎撃する時、何度か見掛けたことがあった。
「そう、あなたがこの国を‥‥!」
「何度も何度も痛い目に合わせられましたからね。今日は、あなたに痛い目にあって貰いに来ました。尤も――――」
 呪術師はそう言い、両手を頭上に翳した。口元が蠅のようにぺちゃくちゃと異様に速く動いている。
「私は、敵を見逃すほどお人好しではありませんけどね!!」
 呪術師は両の手を振り下ろし、再度光の激流を発生させた‥‥‥‥



 姉は、何処までも優しかった。
 物心付く頃には、既に母は居なかった。私を生んで体を壊し、間もなくして無くなったと誰かに聞いた。そんな私を励まし、育ててくれたのは、父と、そして母親代わりにと精一杯の愛を教えてくれた姉だった。
 そんな家族が、私はとても好きだった。母の変わりにとそうしてくれているのか、優しく抱き締め、励まし、叱り、教えてくれる姉が本当に好きだった。
 私は姉を愛していた。でも、お父様だけはどうしても愛することが出来なかった。どうしても、民を愛することは出来なかった。

――――では、行ってくるわ。その間、良い子にしていてね?――――

 何度も、似たような言葉を聞いた。その度に姉は、何週間も城を開けて戻ってこようとしなかった。
 それが戦争に駆り出されているのだと知ったのは、私が十を数えるぐらいの時だった。
「何で、誰も止めないの?」
 姉は、決して兵士ではない。私と姉は何十歳と離れている姉妹ではない。ほんの二、三歳程度だ。つまり、戦争に駆り出されて何百何千という人間を痛めつけるように言い渡されているのは、まだ十四、五歳の少女なのである。そんな少女を戦争に駆り出しておいて、何故、誰も気にしないのか。何故、誰も止めようとしないのか。それが分からず、私は何度も何度も誰かを問い詰めた。

 ――――巫女様には、龍が宿っておられるのです――――

 それが回答だった。何のことはない。私よりも先に生まれた姉は、心優しい性根に付け込まれ、守護龍を心に宿して国を護る巫女としての役目を全うしていたのだ。
 ‥‥‥‥許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。
 この国の平和は、全て姉の犠牲によるものだ。心優しい姉は戦争に駆り出されて人を殺すたびに傷付き涙を流しているというのに、この国の民は、お父様は“巫女”を奉り褒め称えるばかりで、誰も助けようとはしなかった。それどころか、本来ならば国を挙げて抵抗すべき所を全て姉に押し付け、自分達は与えられる平和ばかりを楽しんでいたのだ。
 姉を労う者は居た。姉を慕う者も居た。愛する者も居た。しかし私には、そうした者達の誰もが許せなかった。
何もしない癖に労うな。
助けもしない癖に慕わないで。
戦うたびに涙を流していることも知らないで愛しているなんて言わないでよお父様!!

 ――――しかし、キミも同じなんだろう?――――

 誰かが私にそう言った。
あれは夢だったのか、現実だったのか区別は付かない。
だが、記憶を探ると、その澄んだ綺麗な声は不思議と私の心に蘇る。何度も何度も、幾度も忘れようとしたが、しかし何度でも蘇る。耳に残った声はどうしても引き剥がすことが出来ず、それを聞く度に私の心に罅が入った。

――――キミも助けようとはしなかった。そうなんじゃないか?――――

 私には何の権限も与えられてはいなかった。どうしようもなかった。私が口を出しても、皆を困らせるだけ。姉を悲しませるだけ。何も解決なんてしない。だから‥‥‥‥

――――だから、何もしないのかい?――――

 違う。出来ない。姉が悲しむ。だから、出来ない。
 私には何も出来ない。力がない。悔しくても、それが現実。私一人では、この国の何百年という歴史に太刀打ちできない。

――――なるほど、それなら――――

 それなら‥‥‥‥?
 悪魔の言葉を何時聞いたのか、私には分からない。記憶は混濁し、ただ姉のことばかりを考える。
 誰もが姉を利用し、その優しい心を利用していた。お姉様。優しいお姉様。助けてあげます。待っていて下さい。私が、私が、お姉様を、助けて見せますから――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 バチュッ‥‥!
 トマトが弾けるような音がした。音がしたのは私の背後、襲いかかる濁流を弾き、再び襲いかかろうとしてくる濁流を掻き消してやろうと龍を操る私の背中に、生暖かい血の感触が広がった。
「‥‥‥‥えっ?」
 困惑。濁流が龍の防御をかいくぐって番兵と妹に降り掛からないよう、この通路には小さな結界を作っていた。それによって、万が一前後から挟まれても一切の攻撃を無力化される。龍の力は絶大で、この程度のことは造作もない。呪術師が何十人と集まったところで傷一つ付けることは出来ないだろう。
 だから、イアルは困惑した。
 結界の中で起こった惨状に、目を見開いて悲鳴を上げた。
「あぁぁぁぁあああ!!!!」
 これまで、イアルが悲鳴を上げたことなど多くはなかった。幼い頃から戦場に駆り出された女の心は、半ば変質し始めていたのだろう。恐怖を感じるべき所で感じず、些細なことで驚かされる。そんなイアルが、今、心底から恐怖している。
 第二王女を護っていた二人の番兵の首が消えていた。頭部が弾けたのか、首から盛大に血を噴出しながら二つの死体がよろよろと蹌踉めき倒れ込む。血と肉片が結界の中に飛び散り、兵士の正面にいたイアルのドレスが血に染められた。
「う、あ」
 呻き声を耳にし、視線を下に。未だに尻餅を付いていた妹が目に映る。
 切り刻まれたドレス。身体に残る痣。ドレスは元々血で染められていたが、より一層の深紅に染められている胸元が奇妙に艶めかしく映った。妹の両手にはだらだらと血が滴っている。目は焦点を見失い、意識が遠退いて――――
「だめぇぇぇ!!」
 妹を死なすまいと、イアルは叫びながら妹を介抱しに掛かった。だが守護龍の力には呪術に寄らない傷を癒すまでの能力はない。守護龍は戦うモノ、外敵や呪術から“護る”ことを目的としているモノだ。癒すことはまた違い、そのような能力は持ち合わせていなかった。
 だが、それでも何も出来ないわけではない。イアルは結界を維持しながら妹の傷口を石化させ、一時的にでも延命しようと必死に龍に指示を出し‥‥‥‥
「お姉様‥‥‥‥」
 妹が手を伸ばす。目が見えているのか、それすらも分からないが、手はゆっくりとイアルの耳元にまで伸びてきた。イアルは反射的にその手を握り、涙する。ああ、このままでは妹が、妹が、妹が‥‥‥‥
 血で染まった妹の手を握っていると、イアルの手まで血まみれになってしまった。しかしそんなことは気にもならない。妹の手から失われていく体温が、堪らなく悲しくて、涙が止まらない。
「お姉様。これで、お姉様も助かりますわ」
「え?」
 妹の目がカッと見開き、イアルの耳元に添えられていた手がイアルの後頭部を掴んで引き寄せた。そして互いの唇が重ね合わされる。イアルの目が見開く。体内に何かが溶け込んでくる。妹の心臓を石に変え出血を止めるはずだった龍の呪いが、妹の喉を駆け上がり口内からイアルの身体に受け渡される。それは氷よりも遙かに冷たく、抗いがたい絶望を与えた。まずは自分が妹にそうしたように心臓から石へと変わる。それだけでイアルの身体は死に体となった。そして胸を中心に石化は広がりドレスまで石像へと変わっていく。イアルは立ち上がり、心臓から血を流ししに向かいながら笑う妹に涙を流しながら問い掛ける。
「な‥‥ぜ‥‥‥‥?」
 既に肺まで石化しているイアルには、それ以上の言葉を紡ぐ力は残されていなかった。自分の身体が石化していては龍の加護など働かないのか、それとももっと別の力が働いているのか、段々と考えることも出来なくなっていく。石になるのはあっと言う間だ、身体は逃げだそうとした体勢のままで固まり、勢い余って転倒した。
 首から上は妹を向いている。血にまみれて笑う妹を、イアルは悲しげに見つめていた。ああ、なるほど。妹が番兵の首を刎ね飛ばし、自分の手で自分の心臓を貫いたのか。そして自分を介抱しに掛かったイアルが龍の石化の呪法を妹に使い、妹は直接イアルの身体に“返した”のだ。
 古くから伝わる呪詛返し。龍の呪いをそのまま返すには、それこそ直接体内に注入するぐらいしかなかったのだろう。それも身体が完全に石化するより早く、相手の身体に呪いを返す。そんなことが出来る敵などいない。だから、妹が利用されたのだ。
 悪魔のような呪術師によって‥‥‥‥
「良い様ですねぇ。実に絵になる」
 笑いながら、全ての元凶が歩み寄ってきた。
 黒衣に身を包んだ呪術師だろう。龍の加護が消えたことで、簡単に近付くことが出来たのだ。
 しかし、イアルは呪術師の存在などまるで眼中になかった。既に身体は石化し、目が僅かに生きているだけ。その視界もやがて無くなる。呪術師は反応の鈍いイアルをいたぶる気になれなかったのか、高笑いを上げながら妹に向けて手を翳した。
 そして、妹の身体から紅い花がバッと咲き乱れて――――――――



●●●●●



 見てはならない夢を見たと、萌はベッドから跳ね起きた。目尻には涙が滲み、つぅっと静かに頬を雫が伝っていく。
 悲しかった。無性に悲しくて、胸が張り裂けてしまいそうだ。
今の把握まで夢である。イアルによく似た女が辿った、悲しい物語。それがイアルの過去だったのか、ただの虚構なのかは分からない。しかしこの結末を、イアルは石になりながらずっと見続けてきたのだろうか。萌はイアルの手を握りっぱなしで眠っていたことを思い出し、石像となったイアルを見上げた。
 イアルは、相も変わらず石になったままだった。何も変わっていない。いないが、だが、石像になりながらも泣いているように見えた。先程の夢がそんな印象を与えるのか、萌はイアルの唇に目を奪われた。
「イアル‥‥‥‥誰も、悪くなんて無いよ」
 第二王女は、イアルを助けたかった。巫女としての責務から解放され、一人の人間としての生を全うして欲しかった。呪術師がその闇に目を付けなければ、あのような行動には出なかっただろう。第二王女は悪くない。それを助けようとしたイアルも悪くない。巫女であるイアルに全てを押し付け、平和な時間を過ごしていた民にも、やはり罪はない。
 ただ、それに付け込む者が居ただけのこと。イアルが思い悩むことなど、ない。
「妹さんの願いを、叶えてあげようよ」
 第二王女は、イアルが巫女としての責務から介抱されて生きることを望んでいたはずだ。その願いが歪められてあのような結末に行き着いてしまったが、それでも何百年という月日を経て、その願いは形を成しているのである。イアルはこの時代、この時を生きることで、妹の願いを叶えるのだ。
「私も、手伝ってあげるから」
 萌の唇が、イアルの唇に重なった。
 ぽぅっ‥‥二人の身体が、淡い光に包まれる。その光はイアルの身体から放たれ、灰色に染まっていたからだがゆっくりと元の色を取り戻していく‥‥‥‥



 光に包まれてる二人は、まるで月光の元に抱き合っているようだった‥‥‥‥


Fin




●●文字数が危険領域突破中●●
 色々と反省しているメビオス零です。
 長い。長いって。もっと短く、せめて四分の一ぐらいに纏めるべきだろうと何度自問自答したことか。いや、だってプロットを書ききろうと思ったらこれぐらいになっちゃうんだよぉと何度も言い訳しながら書きました。これでも大分削っているんですから、もう大変なことに‥‥‥‥これからは最初から短く纏めるように尽力します。
 さて、今回のお話は如何でしたでしょうか?
 今回のお話ですが、所々にこちらの想像が入っています。設定から「こんなのかなぁ」「あんなのかなぁ」と自分好みに都合よく考えて(マテ)書き上げました。妹さんはイアルさんを本当に愛していたのですが、呪術師の所為でツンデレからヤンデレへとレベルアップしてしまい、このような結末に‥‥‥‥愛と闇は紙一重。相手のためを思ってしていた行動が裏目裏目に出るのは現実でもよくあることですし、問題ないですよね!!(エー)
 では、今回の後書きはこの辺りで。
 作品に対するご感想、ご指摘などが御座いましたら、ファンレター機能でも使って送って下さいませ。今後、よりよい作品作りが出来るように、ご参考にさせて頂きます。
 では、改めまして、今回のご発注、誠にありがとう御座いました(・_・)(._.)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
メビオス零 クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年06月25日

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