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『ブラック・シュール 』
水嶋・琴美8036)&ギルフォード(NPCA025)

 ふわりと浮く嫌な感覚にも眉ひとつ動かさず、水嶋琴美はエレベーターの中央に立っていた。目的地へ到着し、扉が開く。閉鎖的な印象を受ける廊下へ足を踏み出し、琴美はまっすぐ向かった。
 職員の誰ともすれ違わない。そのことにも琴美は平静である。彼女のヒールが硬質的な音を立てる度、静かな空間はわずかに共鳴した。
 肌にぴったりと張り付くようなスーツジャケット。薄手の生地だが素材は最先端仕様である。伸縮性に富んだ生地は、とっさの戦闘にも耐えうるものだ。同じ素材で縫製されたタイトスカートには短くスリットが入っている。彼女の動きを制限しないよう、かなり短い丈ではあったが、均整の取れた琴美のボディにはちょうどいい。豊満な肢体は隠そうとしたところで、ラインからバレバレなのである。
 フロアの奥まった場所にある部屋。表向きは会議室だが、その用途で使用されたためしはない。
 琴美は静かに腕を上げ、ノックした。中からの応答はなかったが、かまわずそのままドアを開けて入る。
「お呼びですか」
 形のいい唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。天井から注がれる白熱灯の明かりの中で、放たれた美誘な声。自然な動作で長い髪をかきあげる仕草は、十九とは思えない妖艶さを見せる。
 幾何学的な絵が嵌め込まれた額の脇に、すらりと細身で長身の男が立っていた。琴美を呼びつけたのは、この男のようだった。
 神経質なまでに糊付けされた英国風のスーツが、わずかに肩を揺らし、
「簡単な指令ではないのだが、初めに聞いておいていいかね」
 しわがれた声が言う。
「そもそも“指令”に簡単、複雑とランク付けする意図が計りかねますわ」
 彼女の黒いカルセドニーの瞳が、少しばかり不機嫌そうに眇められた。と同時に、体重を乗せ変えた左足のヒールがコツンと跳ねたような音を立てる。
 そもそも忍の末裔である琴美にとって、指令とは主人からの命令であり、それは絶対のものでなければならない。やれるか、と問うのではなく……――。
「やれ、と命じてくだされば、指令の望む結果を持ち帰って参りますわ」
 指令は、苦笑を滲ませた顔を臆さず部下へ見せると、「では言おう」と本題へ移った。
「いくつかある敵対組織の中に、やっかいな男が協力していることがわかった。この男の暗殺が今回の指令だ」
「暗殺指令ですね」
 ようやく始まった指令内容に、琴美は頬を弛緩させた。グロスで艶めいた唇に爪をあてがい、ふむ、と小さな声を立てる。
「戦闘要員の中心人物といっていい男だ。ヤツに正義はない。快楽のみで人殺しをする輩だ。情報に寄れば、右手が義手らしい。その男を組織内に潜入し、暗殺してくることが目的である」
 上着の中へ手を差し入れ、一枚の封筒を取り出した。
「潜入するまでの経路とターゲットの写真が入っている。けして気は抜くな」
「……?」
 琴美は首を傾がせた。これまで、一度たりとも気を抜いて戦闘などしたことはない。常に全力で対手を倒してきたし、それはこれからも変わらない事実だった。辛酸を舐めたことがないのは、超越した身体能力と適切な判断能力を瞬時に行うことができる鋼の心臓のおかげである。数多くのミッションをこなし、得た最良のスキルと言っていい。
 琴美は薄い微笑を貼り付けた。
「コーヒーが冷めないうちに戻ってまいりますわ」
 ロングヘアーを指で梳きながら踵を返し、琴美は会議室を後にした。

 ほの暗いロッカールームの中央に置かれたベンチへ、琴美はすとんと腰を下ろした。目の前のロッカーから取り出した戦闘服へと素早く着替える。
 下着姿も露な琴美は、ベンチへ片足をかけ、太腿に仕込むクナイをチェックする。常に武器の手入れは怠っていないから、申し分ない状態だ。白い太腿に巻かれた、暗器専用のホルダーへ一本一本丁寧にクナイを差し込んでいく。
「オーケーですわ」
 上体を反らすと、勢いで胸がふるんと揺れた。わずかに琴美の頬は紅潮していた。頭に叩き込んだターゲットの情報を思い出し、武者震いさえ起こしている。相手の能力が高かろうと、自分の敵ではない。琴美はそれほどに自分の能力を高く評価していたし、自負していた。
 着物の袖を短く洋装の半袖ほどに短くした上着、それからスパッツの上へミニのプリーツスカートを穿く。暗褐色の帯をいつもよりキツめに締め、もっともやっかいな編み上げブーツへと移る。
 履き終わるとかかとを床に当て、具合を確かめた。
「ズレもなし」
 跳躍力にも優れている琴美の動きに合わせられるよう、どれもが専用の素材でできている。普段着用しているタイトスーツとは別物だが、琴美はどちらも気に入っていた。
 着物の合わせ目から覗くインナーは、豊満な胸の曲線を隠し切れず、うっすらときめ細かい琴美の肌すらも透かせていた。
「潜入ルートは頭に叩き込みましたし、それでは、いきましょうか」
 ベンチがぎしっと軋む。勢いよく立ち上がった琴美のプリーツスカートは一瞬捲れ上がり、愛らしいデザインのそれとは真逆の暗殺武器が覗く。
 闇に乗じて、機動課を出発。月が雲に隠された時だった。闇とわずかな月明かりの狭間で、駆ける琴美の長い髪だけが青い月光を跳ね返していた。


PCシチュエーションノベル(シングル) -
高千穂ゆずる クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年07月02日

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