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『夏休みは海水浴に 』
松浪・静四郎2377)&松浪・心語(3434)&(登場しない)

きっかけは、白羊亭の常連客から聞いた話だった。フェデラのすぐ近くにある、小さな海水浴場の話だ。広くはないけれど浜も岩場もあって、水もきれいだとその客は言った。先週、その海水浴場で遊んできたのだという。
「夏はやっぱり海よ〜。たまには静四郎さんも、ああいうところでのんびりしたら?」
 言われて初めて気付いたが、静四郎はここしばらく、夏にどこかへ出かけた事がなかった。
「そうですね、ええ、それも良いかも知れません」
 相槌を打ちつつ思い出していたのは、義弟の顔だ。静四郎は仕事帰りのその足で、義弟の心語の家に立ち寄った。開口一番、海水浴に行こうと誘うと、義弟は少し驚いたような顔をしていたが、すぐに頷いてくれた。

「心語、これは行李に。こっちは袋に入れて下さい」
 義兄の指示に、わかった、と短く答えながら、心語は渡された弁当を注意深く行李に入れて行った。毎度のことながら、義兄の料理の手際は見事なものだった。昨夜仕込みをしておいたとはいえ、起床からまだ30分も経たないうちに巨大重箱がいくつも積み上げられてゆく。
「海水浴は、案外体力が消耗しますから。これくらいあっても、すぐ無くなりますよ」
 無言で重箱タワーを見上げていたのを誤解されたか、にっこり笑って言われた一言に、心語はほんの一瞬、顔を強張らせた。『海水浴』。心語は内陸の乾いた土地で育った。乾季には川ですら枯れてしまう水の乏しい土地では、泳ぐことなどまず必要とされなかった。故に、心語は泳いだ事は無い。だが、せっかくの義兄の誘いを断るなどあり得ないし、自分の仕事を考えれば、良い機会かもしれないとも思ったのだ。これから先、戦闘中に水に落ちることだってあり得るだろう。それならば、今のうちに覚えておくのも良いのではないか、と。問題は、心語がその事実をまだ、義兄に伝えていないことだった。
「兄上…」
「心語、これで荷物は全部ですね?それでは…」
 行きましょう、と満面の笑みで言われて、心語は小さく頷いた。真実を告げるのは、現地に着いてからでも遅くはないと思い直し、心語は弁当の入った巨大行李をひょいと背負った。

 フェデラの町までは馬車を乗り継いで行った。弁当と荷物が詰まった行李は、相変わらず義弟が背負っている。静四郎が何度、自分が持つと言っても聞いてくれないのだ。だが、巨大な荷物を背負っていても、義弟の足取りは全く変わらない。静四郎よりも少し先をずんずんと歩いてゆく。二人とも無言だが、心地よい沈黙だ。なだらかな坂を道なりに登り、小さな森を抜けたところでふいに濃い潮の香りに包まれた。
「兄上…」
 義弟が振り向いた瞬間、はっきりそれと分かる潮風がざっと吹いて、義弟の銀髪と静四郎の青い髪をなびかせた。
「行きましょう」
足を早めて僅かな傾斜を登りきると、視界に一面の青が飛び込んできた。海岸は小さな入り江のようになっており、こちら側が砂浜、反対側は岩場になっていた。小さな売店もあるし、大きくはないが設備は過不足なく整っているようだ。静四郎は波打ち際から少し離れた場所に、持ってきた簡易テントを立てた。
「心語。着替えたら、準備体操です」
 白い褌をしめて並んで浜に立ち、念入りに準備体操をした。南天高く昇った日には雲ひとつかかっておらず、波はキラキラと眩しい。準備体操を終えて足を踏み入れると、波がぱしゃんと音を立てた。ゆっくりと海の中に入る。膝、腰、胸…少し大きな波が来たところで海底を蹴り、波に乗り…義弟を振りかえ…。
「心語っ!!」
 丁度波にのまれそうになっていた義弟の腕を慌ててつかんで引き戻す。
「大丈夫ですかっ?!」
 静四郎に引き戻されながら、けほんけほん、と海水を吐きだしてうなずくと、義弟は少しすまなさそうに、
「…俺は…泳いだ事が…ない…」
 と告げた。

「そう、そうですよ。その調子です。海ですから、それほど速く蹴る必要はないんです。水をしっかり掴んで」
 心語は義兄に両手を引いてもらいながら、ゆっくりと水を蹴った。足は力まず伸ばし、交互に水を蹴る。大事なのはしなやかさだ。もともと運動能力には自信があったが、義兄の教え方はとてもわかりやすく、聞いただけですっと体に入った。それでも、初めての海ということもあり、心語はかなり慎重に進めた。最初は足のつく場所で。体の浮かせ方が分かってきたら、今度は義兄の胸辺りまでの深さで手を引いてもらった。最初は両手、次は片手。バタ足が出来るようになったところで、体を支えてもらいながら腕の動きをつけてみる。
「ええ、いいですね。腕も、そんなに急ぐ必要はないんです。息つぎのタイミングで」
 こんな風に、と、義兄がゆっくりと水をかいて見せると、心語はすぐにコツをつかんだ。次は自分で考えながら、急がずに腕と足の動きを連動させてゆく。大切なのは、水の動きに逆らわず、利用すること。要領がわかってくると面白くなって、心語は義兄に頼んで他の泳ぎも一通り教えて貰った。クロールから平泳ぎに、そして背泳ぎまで。
「どうです?泳ぎも慣れてくると楽しいでしょう?」
 義兄の言葉に心語は心から頷いた。それもこれも、義兄の指導の賜物だ。
「兄上…」
 水練の礼を、言おうとした…のだが。
―ぎゅるるるる。
 心語の口より先に腹が鳴ってしまった。途端に義兄がくすくすと笑いだす。
「すみません。気付きませんでした。もうお昼でしたね」
「…ああ…」
 そうだが。違うのだ。そうではなくて。だが、空腹であるのも事実ではあり。心語はため息一つ吐いて、義兄の後を追った。
 
 静四郎の予言通り、特大重箱の中身は、瞬く間に八割がた義弟の胃袋に消えた。黙々と、だが美味そうに食べてくれるのを見るのは嬉しいもので、静四郎は時折食事の手を止めては義弟の様子を盗み見た。握り飯にから揚げ、サラダに肉団子。それから冷やした西瓜。飲み物だけは売店でラムネを買ってきた。食事を終え、ひと休みし、再び泳いだ。義弟の水泳はすでにかなり上達していたから、思い切って一緒に入り江の対岸まで泳いだ。入り江の対岸は岩場になっていて、砂浜とは違った遊びが楽しめた。泳ぎしか教えていないのに、義弟はすんなりと潜水や飛びこみもクリアして見せた。さすがというか、何と言うか。静四郎が休んでいる間にも、一人で潜っている姿だけを見たなら、誰もが彼を地元の子供だと思うだろう。
「心語。そろそろ帰りましょうか」
 放っておくといつまででも泳いでいそうな義弟に静四郎がそう声をかけたのは、もう陽も傾きかけた頃だった。波間から顔を出し、こくりと頷いた義弟の方に飛び込んで、二人はまた並んで浜に戻った。
「何だか、あっという間でしたね」
 着替え終えて荷物を詰めながら言うと、義弟は一瞬、目を伏せてから、小さく頷いた。楽しい時間は早く過ぎる。着いた時にはまだ東側にあった陽が、既に随分と西に傾いていた。
「行きましょうか」
 振り替えると、来た時と同じく巨大な行李を背負った義弟はまた、小さく頷いた。

 本当に、あっという間だった。随分と軽くなった行李を背負って、心語はちらりと海を振り返った。初めての海水浴。こんなに気分の良いものだったなんて、知らなかった。来て良かった。義兄と一緒で、良かった。一日で泳げるようになったのだって、義兄が一緒だったからこそだ。けれど…。もしも、自分が最初から泳げたなら。こんな風に水練ばかりで終らなかっただろう。もっと義兄と一緒に泳げただろう。教えてばかりで、義兄は楽しめなかったのではないだろうか。そう思うと、申し訳ない気持ちになった。
「どうしました?心語」
 振り向いた義兄に、何か言わねばと思ったが、言葉が見つからない。考えているうちに馬車が、来た時と同じ様に並んで乗り込んだ途端、今度はどっと眠気が押し寄せた。うつらうつらとしていると、義兄が腕をずらして寄りかからせてくれた。
「気付かないけれど、結構体力を使うものなのですよ」
 休んで下さい、と言う言葉に頷きつつも、心語は眠気を振り払って顔を上げた。
「兄上…」
「何でしょう?」
「その…すまない…。俺が…泳げなかった…から…。水練…ばかり…で…」
 もしも最初から泳げたなら、もっと二人で沢山泳げた筈なのに。義兄が行きたい場所にも、一緒に行けたはずなのに。けれど義兄は少し目を丸くした後で、いいえ、と首を振った。
「付き合ってもらったのは私の方でしょう?それに…今日は私にとって、何より楽しい海水浴に…」
 義兄の声がふっと遠くなった。抑えていた眠気がついに気力に勝ち、心語はそのまま心地よい眠りに落ちて行った。

「…心語?」
 皆まで聞かずに眠ってしまった義弟の体の重みを右腕に感じながら、静四郎はふっと微笑んだ。自分が泳げなかったから、水練に時間を使わせてしまったから。そんな事を気にしていたなんて、思ってもみなかった。ぐっすりと眠る義弟を見ながら、小さく息を吐く。義弟との水練は、静四郎にとっては思わぬ僥倖だった。学問と水練では勝手は少々違ったけれど、教える事を次々と吸収してゆく義弟を見守る楽しさを久しぶりに思い出させてくれた。必要ならば、丸一日、水練に使っても良かったくらいだ。
「本当に、嬉しかったのですよ」
 囁くように言ったが、多分聞こえては居ないだろう。馬車に揺られてますます深い眠りに落ちてゆく義弟の体を支えてやりながら、もう一度、小さな声で囁いた。
「また、一緒に来ましょうね」
 その時にはもしかしたら、こちらが泳ぎを教えてもらう立場かも知れないけれど。それはそれで、また楽しいに違いない。寄り添う義兄弟を乗せて、馬車は暮れなずむフェデラの街を後にした。

<終わり>

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2010年07月21日

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