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『夏場の幻 』
三島・玲奈7134)&瀬名・雫(NPCA003)


 蒸し暑い夏の夜、胡散臭い怪談話に惹き付けられて、重々しい足を運ぶ者は数知れない。
 しかし、それでも噂は噂。墓場に行こうと廃墟に出向こうと、何も出ないところでは何も出ない。そもそもそうした噂の類は、関係者ではなく周りの者達が「それっぽい」と言うだけで話をでっち上げている事がほとんどだ。それは、そうして人を集めて何かをしようと言うのでもなく、単純に子供の悪戯じみた好奇心と悪戯心で作られる法螺話である。
 人は噂に踊らされ、笑われるばかりだ。怪談話の大半は捜索された作り話であり、“本物”はほんの一握り。“本物”と呼ばれる場所に出向いたところで、実は人間の仕業だという、タチの悪いオチまである。
 そんな怪談話でも、一握りは“本物”だ。人は、何百何千と存在する怪談に埋もれる“本物”を発掘しようと、様々な場所に出かけていく。
 ‥‥‥‥だが、そうして“本物”に出会った時、彼等は自分がどうなるのか、それを知らない。
 闇に引きずられ、その妄念に取り込まれる。
 増殖する“怪談”の連鎖。誘蛾灯に近寄る人間達は、一人として逃さず捕らえ、補食する闇の領域‥‥‥‥
 そこに到達できない事がどれ程の幸運か、真夏に怪談を求め徘徊する人間達は、“その時”が来るまで知る事はない‥‥‥‥‥‥‥‥





「うきゃぁぁぁぁぁぁあ!!」
「わぁぁぁぁぁぁあああ!!」
 ガランガランと音を立てて追い掛けてくる薬缶を振り切ろうと、一歩歩を進めるごとに盛大に埃を撒き散らす廊下を疾走する二人の少女がいる。
 一人は神聖都学園在学中の写真家にしてIO2戦略創造軍情報将校の三島 玲奈、もう一人は世界に散らばる謎と不可思議な現象が大好物な「危険だから何? 小さい事は気にしない!」と豪語する無鉄砲中学生の瀬名 雫である。
 肩書きだけを見ていれば縁もゆかりもなさそうな二人である。が、二人はそんな事を気にする事もなく、仲良く並んで全力で疾走していた。
 まるで漫画のように埃を巻き上げ、背後に煙幕を張りながら、何処までも続いていそうな暗い廊下を走り続けている。時刻は深夜の二時を回ったところ。二十歳にも達しない少女が出歩くには、あまりにも危険な時間である。
「ど、何処まで走ればいいの!?」
「知らないけど! 取り敢えず、あれをどうにかすれば良いんじゃないかな!?」
 玲奈の叫びに、雫が同じように叫び返して返答する。全力で疾走しながら叫びを上げるのは非常に息苦しいものだが、そうでもしなければ互いの声を聞き取る事が出来ないのだから仕方がない。背後から騒々しい音を立てて跳ね上がって追い掛けてくる薬缶と間断なくどこからか聞こえてくるラップ音に、二人の耳は常に痛めつけられ続けている。
「そもそも、何で薬缶が追い掛けてくるの! 幽霊にしても、もっと怖い相手は幾らでもいるじゃないですか!?」
「あたしはむしろ、この音の方をどうにかして欲しいな! もうちょっとマシな選曲はなかったのかと問い詰めたい!」
 玲奈は背後から追い掛けてくる薬缶に対して、雫は耳障りなラップ音に対して抗議の声を上げている。しかし抗議をしたところで、幽霊か怨霊かは分からないが、人の意見を取り入れてくれるわけがない。薬缶は相変わらず追い掛け続けてくるし、ラップ音は‥‥‥‥二人の声を掻き消そうと、何故か『ラジオ体操』の軽快な曲を流し続けている。
 緊迫した状況に不釣り合いな(ラップ音とはとても思えない)音楽に、二人の精神はいまいち危機感に浸りきれずにいた。暗闇の廊下、得体の知れない薬缶に追い掛けられているのならばそれなりに恐怖を感じるべきなのだろうが、幼い頃より聞き慣れた音楽がその危機感を削ぎ落とす。
 もう一人か二人、仲間がいれば、逃走などせずに薬缶に“つっこみ”でも入れて反撃していたかも知れない。しかし、混乱し心身共に追い詰められつつある二人には、そんな大それた事を行えるほどの余裕は残っていなかった。
「あれ? 戻った!?」
 玲奈よりも一歩先を走っていた雫が、前方を指差してそう叫ぶ。見ると、走った先の暗闇にうっすらと埃で作られた霧が漂っている。それは、恐らく自分達が生み出した物だろう。真っ直ぐに廊下を走っていたはずなのに、二人は元の場所へと一周して戻ってきてしまったのだ。
 一直線に進んでいるのに、スタート地点に戻ってきてしまうと言う矛盾。怪談としてはこれだけで上出来だ。不可思議な現象が大好物な雫は嬉しそうに笑みを浮かべているが、玲奈はこの状況にうんざりと嫌気が差し始めていた。
「ごめん! 今日は引き上げよう!」
「え? ひょわっ!?」
 雫の返答など待たず、玲奈は雫の体を抱き寄せ、手近な窓に体当たりを喰らわせた。
 木製の窓枠と硝子がばらばらと飛び散り弾けている。元々老朽化していたため、窓は容易に破壊できた。玲奈は念動力を使用して硝子片で怪我をしないように配慮しながら、雫を抱き締め、着地に備えて地面を見る。
 すたっ。
「あれ?」
 玲奈は目を瞬かせ、呆気に取られて周囲を見回した。
 硬い土の地面に、二人は着地していた。数瞬前まで二人を包囲していた硝子片の雨や薬缶の騒々しい足音は存在しない。それから逃れるために窓から飛び出したのだから、無いなら無いで問題はないはずなのだが、しかし突然の場面転換に玲奈の思考が追い付いていかず、しばし呆然と目を走らせ続けている。
 玲奈達が居るのは、小さな学校のグラウンドだった。と言っても、本当に小さな学校だ。恐らく二人が立っているこのグラウンドも、一周百メートルが限界だろう。それ程に小さなグラウンドの奥に、時代を感じさせる木製の古びた校舎と、それに並ぶようにして廃墟同然の洋館が建っている。
 ‥‥‥‥洋館には見覚えがある。
 それは当然。先程まで、二人はその二階を駆け抜けていたのだ。
「どういう事なのかな?」
 二階から咄嗟に飛び降りた玲奈は、正体がばれる事も覚悟の上で能力を使用するつもりだったのだが、窓を突き破った途端にこの場にいた。その過程に何が起こったのか、玲奈の知識と経験ではとても説明する事が出来ず、唯唖然とするばかりである。尤も、玲奈に抱えられている雫は「不思議な事もあるもんだね」の一言で片付けるだろう。当人はバタバタと足をばたつかせて抵抗しているが、それはそれとして‥‥‥‥
 ちゃららららら〜〜ん!!
 軽快な音楽を奏で続けていたラップ音が、第二番に突入する。と、その途端に洋館と学校が凄まじい轟音と震動を起こしながら、これから自爆しますと言わんばかりの威圧感を発し始める。
「今度は何!?」
 抵抗し脱出を試みていた雫を解放しながら、もはや何が来ても驚くまいと身構える。いっそこの場に背を向けて雫と共に逃げ出してしまおうかとも思ったが、ここに玲奈が来た理由を考えれば、様子見もせずに逃走するわけにもいかない。しかし、一般人である雫が居る事を考慮すれば‥‥‥‥
 どうしたものかと、玲奈は一瞬で思考を回転させる。ちらりと雫を盗み見て、溜息混じりに撤退を保留する。雫はこの理解不能な状況を楽しんでいるらしく、口元がニヤリと歪みわくわくと胸を高鳴らせているようだった。
 そんな雫には、呆れを通り越して感心してしまう。だが、いよいよ何かが起こるとして‥‥‥‥それが二人にとって危険な出来事だったのならば、形振り構わず逃げ出すしかないだろう。勿論、隣の雫を連れて、だ。この際正体がばれたとしても諦めるしかない。
 ごごごごごごごご‥‥‥‥ぺらん。
「え?」
 突然の出来事に、玲奈は僅かに口を開いて唖然とする。
 目前の光景が、薄っぺらい影絵のように平べったく見える。いや、そう見えるだけで、実際に紙のように薄くなったわけではない。しかし、元々そうだったかのように、目前で薄気味悪い雰囲気を纏い奇妙な地震すら起こして振動していた二つの建物の屋根が皮のように捲れ上がり、ぺりぺりと音を立てて“外に向かって”倒れていく。
 まるで、玉葱の皮が頭頂部から剥けていくかのようだ。グラウンドに佇む二人は、その光景に見入り指先一本動かす事が出来ずにいる。
 ぺりぺりぺりぺり。そんな音が聞こえてきそうな程、スムーズに洋館と校舎の“脱皮”は進んでいく。中身など無いかのように捲れていく建物は、何とも形容しがたい異質な印象を与えてくる。強いて言えば、建物自体が生物であるかのような錯覚。勿論その様な事はなく、目前に存在するのは、全て現実から退いた亡霊でしかない。
 ちゃららららららら〜〜ん!!
 音楽の怨霊が高鳴り、思わず耳を塞ぎそうになった時‥‥‥‥ついに、洋館と校舎が完全に消え失せた。
「あれは‥‥‥‥」
「変態?」
 洋館と校舎の消え失せた後に残された光景に、二人は呆然と魅入り、色んな意味で目を奪われた。
 それもその筈。洋館と校舎の消えた後は、決して更地になったわけではない。それどころか、廃墟じみた建物よりも遙かに人の視線を惹くであろう、巨大なステージが現れた。
 コンサートで用意されるステージのように、それなりに手が加えられているステージだ。スポットライトなどは用意されていないが、不思議とステージ自体が輝き檀上の人物を浮かび上がらせる。
「――――――――!!」
 二人が“変態”と称した人物が、口をパクパクとさせて何かを必死に叫んでいる。一見すると歌っているようにも見えるのだが、残念ながら声は二人には届かなかった。
その為、二人には、突然現れたステージの上に派手な服装を着込んだ中年男性が口をパクパクさせながら踊り狂っているようにしか見えなかった。変態と呼んでしまったとしても、仕方ない事なのかも知れない。
 それまでと違い、二人は恐怖の類を一切感じてはいなかった。唯呆れながら、しかし何も出来ずに踊り歌う男性を見つめ続けている。
「――――――――あ」
 そうして、どれ程の時間が流れたのだろうか‥‥‥‥
 二人の顔に、ステージの向こうから顔を出した太陽の陽差しが突き刺さる。眩い朝日に目を焼かれ、二人は同時にバッと顔を背けて目蓋を閉じ、手を翳して陽差しを遮りに掛かった。
 そうしていたのは、ほんの数秒の出来事だ。玲奈も雫も、自分が異常な事態に巻き込まれていることを理解している。そんな状況下で長々と視界を閉ざしているわけがない。二人は目の痛みが退くよりも早く、恐る恐ると言った風に目蓋を開けた。
「‥‥‥‥消えましたね」
 それまでの光景が一変する。まるで朝日に溶かされてしまったかのように、洋館も校舎も、ステージも踊って歌っていた人物でさえも、跡形もなく消え去ってしまっていた。


●●


「で、この写真はどうしたの?」
「地主さんから借りてきました。あの幽霊の手掛かりがあるかも知れませんから」
 騒がしい夜から一日と経たないうちに、雫と玲奈は最寄りの宿で落ち合い、夜に向けての対策会議を開いていた。雫は地主から借りてきたという写真の山を相手に格闘しており、その山に半身が隠れて見えなくなっている。
 雫はその写真から手掛かりを得ようと、玲奈に協力を要請してきた。と言っても、玲奈は雫ほどに乗り気で会議に臨んでいるわけではない。そもそも身体能力超常能力の両方に秀でている玲奈が単身で挑めば、恐らく怪奇現象だろうと何だろうと、解決する事はさして困難な事でもないのである。
 そんな玲奈が雫と行動を共にしているのは、雫を放っておくと何処までも問題の霊現象に突っ込んで行ってしまうからだ。先日、IO2の任務として田舎村の怪奇現象を調査しに来た玲奈は、バッタリと雫と遭遇。成り行きで共同捜査をする羽目になってしまったのだ。
 尤も、霊の相手をしている最中に雫に乱入される可能性を考えれば、雫の行動を把握するためにも、こうして行動を共にしておくのも悪い手ではない。少々動き辛くもあるのだが、とても放っておく気にはなれなかった。
「幽霊としてあの場に残っている以上、この土地に関係がある筈なんです! 洋館とセットで化けて出るぐらいなら、この村に住んでいた事もあったかも知れません」
 雫は、IO2所属の玲奈が感心するほどの捜査能力を見せていた。元々二人が怪奇現象を追い求めて(玲奈の場合はIO2からの調査任務だったのだが)訪れた村が非常に小さく、狭い土地だったと言うのもあるのだろうが、滞在二日目で地主に協力を求めているのを見るに、相当に離れしている事が察せられる。
「なるほど。良いところに目を付けましたね」
「でしょう! さぁ、調べますよぉ! 手伝ってください!」
「はいはいはい‥‥‥‥もう少し落ち着いてください」
 ぱっぱっぱっと次々に写真を捲り、雫は怪しい人物や幽霊が写っている写真はないかとチェックしていく。玲奈はそうして雫が見ていった写真を追うように確認しながら、念入りに不審な点がないかを見定めていた。
 二人はしばし、無言で作業に没頭する。偶に「こいつが怪しい」「これが可笑しい」「浮気現場発見!」などと雫が声を上げていたが、玲奈は適当に相槌を打つに留めて雫の話を受け流した。
 何か‥‥‥‥雫が持ってきた写真の山に、この事件の謎を解く鍵が隠されている。そんな気配がしたのだ。
 それは、根拠のある予想ではない。
 様々な事件と対峙してきた経験が、「ここに答えがある」と警鐘を鳴らしていた。
「‥‥‥‥あれ? この場所って‥‥‥‥」
 と、玲奈は一枚の写真を拾い上げ、まじまじと見つめ出す。
 そこには、二人の少女と、一人の初老の男性が居た。二人の少女はセーラー服を着込んでいて、初老の男性は派手なアロハシャツを着込んでいた。と言っても、本当に派手なのかどうかは分からない。写真は白黒のモノクロ写真で、所々が変色するほど劣化している。
 古い写真だ。写真を裏返してみる。そこには、三人の名前と日記のようなメモが書き込んであった。
「もしかしてこれが‥‥‥‥」
「なになに? 何を見つけたの?」
 雫が玲奈の持つ写真を覗き込んでくる。
 古びた写真。正体不明の男性に、今はない洋館。そして、消息不明の二人の少女‥‥‥‥
「原因?」
 玲奈は写真の文章を読み返しながら、人知れず経つ幻の洋館に秘められた想いを想うのだった‥‥‥‥


●●●


 タッ! タタタタタタ!! バタン! ダンッ!!
 ガシャン! ガラガラガラ!! ガランガラン!! バタバタガラン!!
 前にも増して騒々しい音に、玲奈と雫はうんざりしながら洋館の廊下を走り抜けていた。
「そんなに広い館でもないと思うんだけど‥‥こう追い掛けられちゃ!」
「悪い事しに来た訳じゃないのにぃ!」
 玲奈と雫は、廃墟善とした洋館に忍び込んだはいいものの、なかなか目的の場所に辿り着けずに四苦八苦しながら走り回っていた。
 村の古い記録を辿り、二人が侵入していた洋館は、寄宿学校の宿舎として使われていた事が判明した。すぐ側にあった校舎は、実際に勉学を学ぶための場所だろう。昔は小さな村に宿泊施設の類がなかったため、わざわざ小さな洋館が建てられたのだ。
 しかし、そんな小さな村にわざわざ寄宿しなければならない事情‥‥‥‥推測だが、恐らく戦時中だったのではないだろうか? 二人はそう当たりを付け、廃墟を探索する事にした。
 目的は、当時この洋館で過ごしていた生徒達の遺品である。
 この洋館と校舎自体が怪奇現象の元凶だとすると、恐らく何か、“生前”に果たせなかった“未練”に執着しているのではないだろうか。二人はそう思ったのだ。
 洋館に人が居た時、何か行事を行うために人が集まっていた。しかし、その直前にこの場に誰も居なくなった。怪奇現象にまでなっているのだ。二人の推測が正しく戦時中だったのならば、徴兵されたか、或いは‥‥‥‥敵兵か爆撃で皆が死んでしまったのか。
 校舎や洋館には、そうして消えていった人達の“未練”が渦巻いている。
 それを取り払うには、廃墟に残された思いを代わりに果たしてやらなければならない。
「あった! これじゃない?」
 二人は次から次へと扉を開けて無人となった部屋を調べ、生徒達の遺品を探していた。
 長年放置され、無人となっていた廃墟に残されている物は実に少なく、あるとしても精々鉛筆などと言った小物ばかりだ。
 お陰で洋館中の部屋を、襲いかかる薬缶や黒板消し、絵画やグラスに湯飲みを躱しながら捜索する事となり、二人は埃だらけになってしまっていた。
 だが、それも‥‥‥‥
 がらん! がしゃんがらんがらん!!
 二人が目的の物を見つけて手に取った瞬間、飛翔し、或いは床を跳ねながら追跡してきた物達は、スイッチを切られたかのように力をなくして床の上に散乱した。
「間違いなさそうだね。でも、これを着るのかぁ」
 雫は埃だらけとなった“それ”をしげしげと見つめ、溜息をつく。
 二人が手にしているのは、古びた体操着だった。まだ体操着が紺色のブルマと白いシャツで構成されていた時代の一品だ。所々虫に食われ、埃を被って劣化してはいるものの、一応服としての機能は生きているようだった。
 それが二着。二人が入った部屋は寄宿舎に住み込んでいた生徒の部屋で、相部屋だったらしい。簡素な二段ベッドに勉強机が並んでおり、ボロボロのクローゼットが一つ。その中に、体操服とセーラー服が入っていた。
 机の上には古びてボロボロになった教科書とノートが数冊。“夏休みの友”(という名の敵)と、今時懐かしい言葉が書かれている。
「‥‥‥‥隣の部屋で着替えてくるね」
 玲奈はそそくさと退室し、隣の部屋(ここにも誰かが住んでいたのだろう。ベッドとクローゼットがあった)に入り、着替え始める。
「ここに住んでいた人達は、本当に楽しく過ごしていたんだろうなぁ‥‥‥‥」
 玲奈は、今は亡き住人達を想い、袖を通しながら感慨に耽っていた。
 こうして廃墟ごと怪奇現象となるには、それなりに強い“想い”が必要だ。誰かを恨み、自身の生還を願い怨霊になる者達は珍しくもないが、ただ一つの儚い日常のためにこのような騒ぎを起こすまでになるのは、珍しい。
 そんな場所に立ち、その想いを代行するのは、悪い気分ではない。
「こっちの用意は出来たよ!」
「ええ、今行きますよぉ!」
 隣の部屋から声が聞こえてくる。洋館の壁は薄く、何より古びている所為で声が筒抜けだった。姿までは見られていないだろうが、玲奈は思わず体を抱き締め、体操着の隙間から尾がはみ出していないかどうかを確認する。
「さ! 一足早い夏休みを始めるよ!」
 雫はそう言い、机の上に放り出してあったノートや教科書を脇に抱えている。玲奈が目を向けると、玲奈の部屋にも同じように教科書とノートが用意されていた。誰が片付けるでもない廃墟は、生きるに役立つ物以外は放置され、朽ち果てるがままになっている。
(一足早い夏休み、ね)
 確かに、学園の夏休みも間近である。玲奈達は、誰よりも一足早めに、夏休みを体験する事になるだろう。
「まずは、外でラジオ体操かな?」
「それじゃぁ、校庭だね。ほら、あの派手なおじさんも待っているかも知れないから、早く行こう!!」
「そうだね。‥‥‥‥それにしても、あのおじさん、踊ってたんじゃなくて体操していたんだね」
「ペースが速すぎて分からなかったよね」
 苦笑し、笑い合いながら、二人は、夏休みを迎えることなく消え去った人々の代わりに、その日常を再現する。
 館の、人々の想いを果たすために、二人は埃まみれになりながら学徒として校長先生に会いに行く。
 この日、朝日が昇る頃‥‥‥‥
 それを最後に、洋館は、二度とその姿を現さなくなったのだった‥‥‥‥



Fin
PCシチュエーションノベル(シングル) -
メビオス零 クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年07月22日

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