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『蒼空 夢空 』
ユリゼ・ファルアート(ea3502)

 目を開くと、視界に青い空が広がった。春先の淡さ、秋の遠い気配とは違う、力強くどこまでも広がる、夏の色だ。
「‥‥あ、起きた?」
「‥‥あ‥‥」
 声を掛けられて隣に視線を移すと、座っていた男が自然な笑みを見せる。ゆっくりと身を起こして、ユリゼ・ファルアート(ea3502)は周囲の景色へと目を向けた。
 背の低い草が広がる草原が、空と同じようにどこまでも続いている。所々に低木がある他は、遥か彼方の山脈まで緑の大地が揺れていた。2人が座っているこの場所も、陽射しを遮る低木が頭上に葉を広げるだけで、後は吹き抜ける風があるばかり。
「‥‥えっと‥‥」
 何故、ここに居るのだろう。何時からここに居るのだろう。風を吸い込み、ユリゼは男へと向き直る。
「ここ、どこだっけ?」
「地図で言うとこの辺かな?」
 ベルトに挟んであった地図を、男は広げた。それを覗き込んでユリゼは頷く。
「じゃあ、南へ向かえばいいのよね。あの山‥‥随分高いけど。雪も薄っすら積もっているみたいだけど」
「急ぐ旅じゃないし」
 笑って、男は枝に掛けてあったハンモックを外した。ユリゼも立ち上がり、大きく伸びをする。
「そうね。急ぐ旅じゃないものね。でも‥‥そろそろ、お風呂‥‥せめて水浴びしたいわ」
「オアシスでも探す?」
「それもいいかも」
「私はそろそろ君の手料理が食べたいなぁ」
「はい?」
「いやいや、自然色満載な鍋や焼肉やもいいんだけどね。でもやっぱりほら、町でこう‥‥じっくりと君が作る料理を待つ亭主みたいな気分も味わいたいじゃないか」
 ハンモックを巻きリュックの中に片付け、男はリュックを背負った。その上に巻いたテントを載せて、しっかりと背負い直す。ユリゼもベルトにポーチを付け直し、薬草が中に入っているか確認した。それから空の色によく似た涼しい生地のフードを被る。
「‥‥努力は、するわ」
「君が作る物は、いつでも美味しいよ?」
「努力はするってば」
「いや、本当に」
 水筒にはまだ水がたっぷり入っている。木陰から出ると存外涼しく、ユリゼは空を見上げた。
「‥‥もう、夏も終わりね」
「旅がしやすくなるな」
 傍に立つ男を見ると、その双眸にはユリゼが映っている。空の蒼、森の碧を成す瞳だ。
「‥‥何?」
 いつまでも見つめているので、ユリゼは少し顔を背ける。こうして旅を続ける間柄なのに、間近で見られるとやはり恥ずかしいものだ。
「‥‥綺麗な目だなと思って」
「‥‥ありがと」
「季節が変わると、その色も変わるのかな」
「私、温度で習性が変わる動物じゃないわよ」
「冬になると、べたべた甘えてくれたりしないのかなぁ」
「しません」
 言って笑うと、男も笑い返した。
 そして、2人は地図を開く。この地図に描かれているすべての場所に行こうと、2人で決めた。多くの苦労と予想も出来ない事件に遭遇する事もあるだろう。それでも行こうと決めた。何れは、この地図に描かれていない場所まで。この世界の果てまで行って、この地図を色彩豊かに埋めていくのだ。
 何処までも伸びる空がある。この空の下、何処までも進んでいくのだ。
 2人で。


「‥‥フロージュ‥‥?」
 目を開くと、視界に銀色の何かが広がった。一瞬それが何なのかと考えて思いつき、ユリゼは身を起こす。
「私の事はいいから、貴女も休んで」
 そっと、その翼に触れる。木陰で眠っているうちに、陽射しの向きが変わったのだろう。月竜のフロージュが、葉の代わりに翼を主人の為に広げていた。
「‥‥酷い熱‥‥」
 内側は銀。外側は日の光を浴びて金に輝くその体は、昼も美しいが夜でこそ輝きを放つ。そっと労わるように翼をさすりながら、ユリゼはポーチをベルトから外した。
「ごめんね。私の我侭につき合わせて。北国から南‥‥翼が痛むのも当然よね」
 その背に乗り、北へ、そして今は南へ。夜の間に飛んで貰っているが、それでも南の地を覆う熱は暑い。休憩している日中だって、陽射しが彼女の体を照り付けているのだ。フロージュは主人の言葉がしっかりと分かるのだろう。落ち着き払った目を静かに細め、主人の行動を見守っている。
「大事な翼。これ以上痛まないようにしなくちゃね。誰も居ないし‥‥ちょっと贅沢に水を作って使っちゃいましょ」
 そこはオアシスだった。茶けた大地が広がるが所々に緑が点在する、乾いた草原。雨季になれば恐らく、この大地を緑が覆うだろう。だが今は乾季。オアシスの水は貴重だった。ユリゼは両手を広げて空中から水を作り出し、オアシスへと注ぎ込む。そこから水を掬って翼に掛けると、フロージュは気持ち良さそうに目を閉じた。布に水を含ませ、繰り返し翼に当てて熱を取る。それからポーチを開いて中から薬油を出した。
「仕上げにちゃんと薬も塗っておかないとね」
 薬草を潰して作った液体を塗ると、僅かにフロージュは身じろぎする。
「こら、遠慮しない」
 薬を塗った上から薬油を塗れば、きちんと熱で傷んだ部分も護ってくれるはずだ。だが油は貴重である。構わず広い翼に塗ろうとした瞬間、フロージュは水へと飛び込んだ。
「逃げないっ。もう、薬が溶けて流れるでしょっ」
 水へ逃げたと言ってもオアシスの水深は浅い。意地でも塗ってやろうと水に入ると、ぱしゃんと翼が水面を軽く打った。
「あっ、冷たっ‥‥やったわねっ」
 派手に濡れた自分に笑い、ユリゼは水の中に飛び込んだ。膝上程度の水の中、両手で水を掬って思いっきりフロージュへと掛ける。お返しとばかりにフロージュの翼も水を打った。太陽の光が彼女の鱗に反射して、跳ねる水飛沫さえも光り輝く。
「このっ‥‥」
 勢い良く両手を水に入れて相手に掛けようとした瞬間、つるりと足が水中で滑った。
「きゃっ‥‥」
 綺麗に水底で尻餅をついたユリゼは、一瞬呆然とフロージュを見上げ。
「あはっ‥‥あはははっ‥‥」
 笑い出した。頭の先から爪先まで水に濡れてしまってはもう、笑うしかない。いや、こうやってフロージュと遊べた事が。
 楽しい。
「あ‥‥見て、フロージュ。虹」
 尻餅から体勢を変えて膝を水底につけて、ユリゼはオアシスの向こうに薄っすらと掛かる小さな虹を指差した。その色は淡く、一瞬の煌きだけを置いて消えていく。
「‥‥ねぇ、フロージュ」
 水の中に腰から下が浸かったまま、ユリゼは消え行く虹を見つめた。
「どうして、あんな夢を見たんだろう‥‥?」
 尋ねられて、フロージュは聡明そうな瞳を主人へと向ける。
「‥‥あんな‥‥夢」
 最後の一筋が消えてもまだ、彼女は遠くを見つめていた。それへとそっと、フロージュが鼻先を押し付ける。
「あ、ごめん。‥‥うぅん、大丈夫よ。‥‥あ、フロージュは? 薬油塗るつもりだったのに遊んじゃって‥‥」
 立ち上がると、服からは大量の水が滴り落ちた。すっかりずぶ濡れである。手足の肌が薄っすらと透けて見え、ユリゼは周囲に誰も居ない事を改めて確認した。
「ごめん、フロージュ。着替えるから隠れさせて?」
 言われて、フロージュはゆっくりと水から上がった。その陰に入って、ユリゼはリュックから着替えを取り出す。布で体を拭いて、太陽の光に当てて干した服に着替えた。それから先ほどまで着ていた服をしっかり絞り、木の枝に掛ける。
「きっと‥‥」
 ふと、その枝に白いハンモックが見えた気がした。
「突き抜ける蒼い空があって‥‥木陰と共に優しい影が、落ちてきたから」
 夏色の空を仰ぎ、ユリゼはその空の広がりを見つめる。見つめれば、その蒼に吸い込まれてしまいそうな深い色だ。
「‥‥やっぱり世話掛けてばかりね」
 その傍に、フロージュが寄り添った。それへと微笑みかけ、そっとユリゼはその首に腕を回す。
「‥‥ごめんね、ありがと」
 もうすぐ日も暮れて、この空を橙が染め上げる。そうしたら又、今日も空を駆けよう。旅の相棒。大切な友。このフロージュと共に、何処までも、何処までも、この世の果てまでも。
 何時かの日の為に、貴女とふたりで。
WTアナザーストーリーノベル -
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2010年08月11日

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