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『目指した場所、これから歩む道。 』
天津風 美沙樹(eb5363)



「美沙樹先生、また明日ー!」
「お疲れ様。ちゃんと真っ直ぐ帰るのよ」
「わかってるよー!」
「またねー!!」
「はい、また次の稽古日ね」
 道場の稽古を終え、帰り支度を終えた子供達が、口々に「さようなら」と礼を交わした事を機に、家へと駆け出していく。手を振る子供達に手を振り返しながら、天津風 美沙樹(eb5363)は道場の門でその背を見送る――そんな生活も、すでに日常となるほどの日が過ぎた。
 クラリッサのために役に立ちたいと美沙樹が思い立ち、マントに道場を移し構えてから早幾月か。
 元々、交易の要として発展してきたマントは、開放的な街だ。
 領民の気質と、美沙樹の裏表の無い、素直で真摯な性格も手伝い、マントを戦乱の只中に叩き落とした悪しき為政者であったカルロス伯を退けた冒険者の一人として、感謝と憧れをもって、若き剣術教師・美沙樹は受け入れられていた。
 今、美沙樹が暮らすマントの地は、国王の覚えもめでたい現領主・クラリッサの想いを映すように穏やかに、緩やかに……戦乱の傷痕を癒すように、復興の道を歩んでいた。



 短くは無い間、動乱の渦中にあったマントは、決して豊かではなかった。
 武器や戦を生業とするものでなければ、商人は戦を嫌う。交易をもって財を為していたマントにとって、商隊の足が遠のいていた期間は、財政的にも多大な損失を与えていた。
 鉱物資源があるわけでもなく、農業を行うにも豊かな土壌も広い土地もない。
 物質資源という面では貧しい土地――それが、マント領。

 『モノ』は無いが、『ヒト』という財産はある。

 マントを指し、そう語っていたのは誰だったか。
 美沙樹がマントという地に根を下ろし、為そうとしていたことは、何よりもそのことを理解していたのだろう。領主であるクラリッサのために……と、始めた事は――人を育てること。
 マントの中央、領主館のおひざ元へと剣術道場を移して、騎士を目指す子達を育てよう。騎士を目指さない子でも、心身を鍛える事でマント領や王国の未来を拓いて行く人達になるように。それから、両親を失った子達を引き取って、立派な成人になれるよう育て上げよう。
 美沙樹の想いは、クラリッサに通じるものだった。
 クラリッサは、資源力のないマントにおいて、数少ない名産の一つであった銀細工に目を付けた。外からもたらされるものに、マントでしか出来ない付加価値をつけることで、利益を生み出すことに繋げる。工匠の街としての発展を目指す事にしたのだ。
 戦やデビルにも屈さず、マントという土地を愛し残った、『民』という資源を何よりも大切にすることを選んだ想いは、戦乱の傷痕を覆い隠す、新しい芽吹き。
 少しずつ着実に復興への道を歩み始めたマントは、けれど、やはり豊かとはいえなかった。
 戦乱と圧政に苦しんだマントの民には余裕はなく、領内の実情を目の当たりにした領主自ら倹約を持って望むのだから、財政に余裕があるわけがない。
 自然、マントの領主館や施政館周りは、少数精鋭を地でゆく形になり、クラリッサ自身も元より大抵のことは自分で賄ってしまうため、侍女も最低限。
 その代わり……なのだろう。領主直属の騎士団の数が少ないため、マント領内の各村では村の若者たちによる自衛の組織が、それぞれ有志で結成されており、美沙樹の道場の門下生にも、そういった自衛組織に所属しているものが少なくない。
 無いものを欲し、他者を侵すのではなく。在るもので育てていく姿勢は、確実に領内に広まっていた。
 最近耳にする、姫領主と親しまれているクラリッサへの心配事と言えば……縁談が遠いことだけ。
 国民の心配の一つであった国王の結婚が成った今、次は身近な領主ということなのだろう。
 心配されているのは、強く優しい剣術小町・美沙樹もだったりするのだが。



「クラリッサさま!」
「クラリッサお姉さんだー!」
 帰り支度をしていた子供達から挙がった名前に驚いて美沙樹が門の方へ回ると、そこには子供達に囲まれたマント領主・クラリッサの姿。傍らには、騎士団長らしき騎士装束の男性がある。
「こんにちは。今日は、皆の先生にご用事があって伺ったんです」
「そっかー。美沙樹先生はすごいんだよ、あの地獄伯を倒したんだから!」
「ええ、先生にはとても助けて頂きました」
 姫領主と領民に慕われる人柄そのままに、一人ひとりの声に、きちんと耳を傾けながら、クラリッサが子供達と語らう話は、美沙樹にとって今では遠いことのよう。
 彼女自身が喧伝したことは決してなかったが、街の人々は剣術小町と慕う美沙樹がどれほど、我が身を省みずクラリッサを助け、マントに助力してくれたかを知っていた。だからこそ子供達は、自分達の先生を、我が身のことのように誇らしく語るのだ。
「待ってね、今先生呼んできてあげる!」
「あっ、美沙樹先生ー!!」
 美沙樹に気付いた子供達が駆け寄ってくるのを抱きとめると、「お久しぶりです」と、子供達に囲まれたまま笑顔でクラリッサから声を掛けられた。
「突然訪ねて申し訳ありません」
 ノルマン国王の趣味……今では夫妻で行われているというお忍びという名の王都視察は、マントの姫領主にもしっかり受け継がれていた。ウィリアム3世のお忍びが、本当に視察なのか、それとも息抜きなのかは分からないが、クラリッサの場合、あまり忍べていなかった。
 腕に全く覚えもなく、どちらかといえば良くかどわかされていたクラリッサだから、数少ない護衛の騎士や配下を振り切って出かけるわけにはいかないのだろう。スケジュールの都合を付けては、領内を積極的に出歩き、各地をみてまわっている……ということは、美沙樹も知っていた。
「……子供達がとても良い笑顔で笑っているのが素敵ですね。皆、美沙樹さんが大好きなんですね」
 子供達を帰し、美沙樹は道場の隣にある自宅にクラリッサを招き入れた。
 美沙樹になじみ深いジャパンのお茶を勧められて、嬉しそうに一息つくと、クラリッサは突然の訪問の理由を打ち明けた。
「だから、ちょっと悩んでいたんですけれど……信頼できる冒険者さんのお一人、美沙樹さんにですもの。良いですよね、正直にいきたいんです」
「勿論、他言はしませんわ」
 依頼主に関わる事で、余計な流言や漏洩などしない。それは冒険者として当然とわきまえるのは美沙樹の誇り高さの一つ。変わらない美沙樹の真っ直ぐな気質に、ふわりと微笑み。クラリッサは改めて姿勢を正し、要件を語り出した。
「領内にとても腕の立つ信頼のおける女性剣士さんがいらっしゃると聞いて、優秀な人材のスカウトに来たんです」
「…………」
 自身を指さす美沙樹に、こくりとクラリッサが笑顔で頷く。
「強い方……は、勿論なんですが」
 騎士隊長をちらりと見やるクラリッサ。つられるように美沙樹も視線を移すと、女性二人に見つめられ、騎士団長は小さく咳払いをした。
「でも、強さよりは気持ちが良い方で。何より私と同じ女性同士ならもっと……色々融通がききますから。マントはまだまだ復興への道を模索中で、財政は結構大変です。だから、人を育てる余裕が中々無いのが現状で……だから今は、力量が確かな方を採用したいのです。でもゆくゆくは人も育てたい、だから育てられる方であれば尚、良いのです」
 冒険者として腕も立ち、剣術教師として人を育てることもできる美沙樹は、確かにクラリッサが求める人材に合致していた。
「でも、美沙樹さんは本当に慕われていますね。私も何回も助けて頂いて……私がお願いする依頼は大変なことばかりなのに、それでも私にも気にかけてくださって。だから街の皆が美沙樹さんを慕っているのはとてもよくわかります。……だから」
 と言葉を切ったクラリッサは、最初の言葉通り、正直に胸の内を語った。
 新たに人を補充すること、体制を立て直すにあたり、良い人材を探して、領民の声も聞いていたところ、美沙樹の名を多く聞いたのだ、と。
「でも、街の人達から、道場に通う子供達から、美沙樹先生を取り上げてしまうことに。正直、悩んでます。子供達の顔を見た今は尚更」
「…………」
 目を閉じれば、すぐに浮かぶ子供達の顔。
 引き取り手元に置いて育てている子も、日々街から通い来る子も皆大切な美沙樹の弟子達。
 未来を担う希望の種。
「それに、高給はお約束できないんです」
 クラリッサが懐事情を素直に明かすと、傍らに立つマントの騎士団長が困ったように眉を寄せた。
「まあ、ちょっとくらい貧乏でも、何とかなるんですよ? それに上にいる者が慌てていると、下で支えてくれる人達や何より民を不安がらせてしまうからいつものんびりにこにこしているようにと、教わりましたから。財政は厳しくても、心豊かに貧乏できれば結構なんとでもなるものです」
 クラリッサが教わった相手は、長くパリにいた美沙樹にはすぐに分かった。
 家族を亡くし、孤高に立たねばならなかったクラリッサの兄のような存在。
「幾度か、貴女がクラリッサ殿を気にかけて下さり、我が騎士団へと機会を探して下さっていたのは聞いております。何よりも求めている人材は、信頼できる人物なのです」
 普段の砕けた口調は影をひそめ、美沙樹へと語りかける騎士団長の口調に、くすと笑み零したクラリッサは、改めて美沙樹に向き直った。
「正直に、内情を打ち明けさせて頂いたのは、マントには、騎士の名誉は差し上げられても何の実入りにもならないところがあるからです。だから、美沙樹さんに改めて考えて頂きたいのです。……受けて頂けますか?」
 美沙樹と初めて出逢った頃のような少女めいた笑みを浮かべ、ほんの少しだけ首を傾け問う。
 あの頃と違うのは、その微笑みの中に影が見つからないこと。
 日々、美沙樹が種をまき、水を遣り、育てていた芽は大きな芽になるだろう。
 子供達に、日々夢と目標を持って過ごしなさいと語りきかせていた自分の言葉がよみがえる。
 城下町に剣術道場を移して、心身を鍛える事でマント領や王国の未来を拓いて行く人達になるようにと願いをこめて子供達を育て。無条件の愛を注いでくれる存在を失ってしまった子供達を引き取って……『ヒト』を育てることを選んだ美沙樹。
 その根幹は忘れえない、夢。



 意志の強い黒曜石のような、やわらかな夏の夜空のような煌めく意思を持つ美沙樹の瞳を見つめ、クラリッサは長くも短くも感じるひと時を待った。
 たくさんの人に助けられて、今、ここに在る。
 これからもたくさんの人に助けられながら、必死に領主という務めを果たしていくだろう。
 だから、その傍らに、信頼できる方がいたら、どれだけ素敵か。
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2010年08月23日

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