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『曙光 』
ユリゼ・ファルアート(ea3502)



 見上げれば、満天の星空。
 気だるげな夏夜の空気に染められた星々は、滲むように、潤むように、瞬いている。
 この季節、外で休んだとしても、凍死の心配だけはない事は、ありがたかった。
 冒険者暮らしも短くはないユリゼ(ea3502)にとって、宿がないことは、嘆く事でも、困り果てることでもなく、注意すべき事、どう過ごすべきかも知っている些細な事柄だった。
 ……けれど、それは平時であればこそ。
 ユリゼのふた色の瞳に映るのは、紫紺の空に溶けそうな、淡い光をこぼす月。
 虫の音がひそやかにわたる風に乗って響く中、ユリゼの口から知らず知らずのうちに、ため息がこぼれ出た。



 月が夜空ににじんで見えるのは……思ったよりも熱が高いのかなぁ……まずいかも。
 そんなつもりがなくても、つい出てしまうため息が恨めしい……うっかりしてた。
 冒険者の中に居ると忘れがちだけど、自分も十分異相だって事。
 綺麗だと言ってくれた人も居たけれど、普通は驚かれる。
 でも、水を掛けられたのは初めてかな……はは。



 北へ北へと向かう旅――ジャパンの蝦夷へ向かう道すがら、ユリゼはとある小さな村を訪れた。
 旅の基本、不用意に目立つ事をさけるため、旅の連れ合いである月竜のフロージュには乗らずに、街道を徒歩で進む道中。海を越え、大地を渡り、山も越えて……幾つもの国を通り過ぎてきた、長い長い旅路と、渡る土地土地の風土の違いに、自覚していた以上に疲労が溜まっていたのだろう。
 ユリゼが、自身にほんの僅かな異変を感じ、疲労を自覚した頃には……少しだけ遅かった。
 村で一宿を借りようとしたものの、村人たちには左右で違う色の瞳に驚かれ。不吉だ、鬼子だと、追い立てられ、村から追い出されてしまった。
 その時に掛けられた水が止めだったのだろう、弱った身体は簡単に萎えてしまった。
 村から遠く離れることも出来ない峠の入り口の傍ら。夏葉を茂らせる木立の中、座り込むのが精いっぱい。村人の目に着くのも避けたかったし、体力の消費も抑えたくて、ユリゼはテントも張らずに、樹木の1本に背を預けるようにずるずると座り込んだ。手探りでバックパックを漁り、ようやっとの思いで薬草を煎じて飲んだ頃にはすっかり日も暮れてしまっていた。
 忘れてしまっていた己の異相。
「…………ホントに冒険者って規格外の適応能力者の集団だわ」
 自嘲めいた言葉がつい零れれば、後を追うように諦めを含んだ吐息がもれる。
 忘れることができた、忘れていられた仲間達に囲まれていた日々が、今は遠い。煎じ薬を飲んだ器を抱く。器を持たない手が無意識のうちに触れるのは、優しい布の手触りを返す――ユリゼの黒髪を束ねる緑のバンダナ。父親にねだって貰った大切な所縁の品。
 ねだってせがんで、ユリゼが譲ってもらった父のバンダナは、ユリゼが大好きな父の、けれどその父を嫌う世間の人達から、父という個人を認めてくれない特徴である耳を隠すためのものだった。
 どうしてと思うと同時に仕方ないと思う。自分と違う者への恐れ。
「父さんはどんな想いで旅をしてたのかしら……」
 返る言葉はないけれど、零れ落ちる言葉は止められなくて。微熱に浮かされたユリゼの眼裏に浮かぶのは、ハーフエルフを謗る人々の顔と、先ほど逃げる様に出てきた村人達の顔。
「……薬草だってそう。風土と積み重ねでその土地毎に使われる薬草を、通りすがりの旅人が持ち去って、他を持ち込んで……どうなると言うのだろう」
 身体が弱っているから、心も弱るのか。それとも、くじけそうになっていた心が身体の不調を呼んだのか。どちらが切欠なのかユリゼにはわからないが、取り留めもなく弱音が口をついて出る。
 普段は思わぬことまで、負の気持ちに引きずられて。封じた想いが、箍が緩んだように零れ出そうになる。
「……それでも。何時か変わるなら、役に立つなら……」
 疲れた身体に、重たい心。
 身裡に熱を抱え、それでもユリゼから最後に零れ出た言葉は、願うような、祈るような、希望を賭けた言霊のかけら。



 さく、ざくり、さく、さく……さく。
 草葉を踏む軽い音にユリゼが目をあけると、星の煌めきは薄れ、月は霞み。東の空が白み始めていた。短い夏夜、不用心にも寝入ってしまっていたのか……ようよう思考に掛かる霞みを払ってみると……自分の顔を覗き込むように、草葉の上にしゃがみこんでいたのは小さな女の子だった。
「…………!」
「お姉さん、鬼の子なの?」
 子供が出歩くには不似合いな時間。けれど、変な気配は感じない。……ただの子供にしか見えない少女は、ユリゼのふた色の瞳をのぞきこみ、訊ねる。
「鬼の子?」
「……違うわ」
 少しだけ考え……言葉を足す。
「異人の子。異人ってわかるかしら……違う国の子よ。海の向こう、とても遠い国からきたのよ。だから、瞳の色が違うの」
「海の向こうは皆左右の瞳の色が違うの?」
「…………普通は一緒ね」
 臆する様子もなく重ねられる質問に、苦笑まじりの笑みが浮かぶ。
 一方、少女とはいえば……暫く考え込むように首を傾げていたが、やがてにこりと笑った。
「じゃあお姉さんは『特別』なのね」
「……特別?」
「だって鬼の子なら、暴れるものね。私達と同じヒトの子だったら、ご飯、たべるでしょ?」
 ユリゼの疑問には構わず、少女は自分だけで納得したようだ。今度はずいと手を突き出す。少女がユリゼに突き付けたのは、茶色い竹の皮の包み。おそらくその中には、握り飯が入っているのだろう。ジャパンでは珍しくない携帯食、お弁当の一種だ。
「特別なお姉さんは、食べ物も特別? ご飯は食べない?」
「……いいえ、食べるわ。鬼子じゃなくて、人間だもの。食べないと生きていけないのは、一緒よ」
 鬼子と追い出した旅人が、村のすぐそばで行き倒れても困るのだろう。
 信心深い地方の小さな村の事……鬼子だと追い出されたのなら、なおさら。恨み、憎んで死なれては、村に災いをもたらす怨霊となりかねない。だから、生きているうちに……未だ生きているのなら、遠くへ行ってほしい。行かせたい。そのために様子見に出された子なのだろう。あるいは……。
「食べない?」
「……いいえ、ありがとう」
 小さく首を傾げる少女からは害意は伝わってこない。
 ――行動に対し、裏を読もう、悪意がみえないか……探してしまう自分も嫌で、『嫌な可能性』を振り払い、ユリゼは少女が差出した包みを受け取った。少なくとも、目の前の少女に対して、つっぱねるなど、ユリゼには出来なかった。
「お姉さんは、旅人なの?」
「そうよ、遠くからきたわ」
「どうして? なんで遠くからきたの? どこにいくの?」
 包みを渡したら去るだろうと思っていた少女は、ユリゼのそばを離れず、さらに「なぜ?」を繰り返す。矢継ぎ早の質問は止まらなかった。
「……ま、まって。そんなにたくさん1度に聞かれても答えられないわ」
「どうして?」
「どうしてって……」
 蝦夷に行こうと思っていた。蝦夷をめざしているはずだった。旅を続けるうちに、色々な事があって。それは楽しい事、素敵な事ばかりではなく。苦しい事も、辛い事も……ほろ苦い思いをすることもあった。それはこの先の旅路も同じ。良い事ばかりではないだろう。心がくじける事がかさなって、いつか旅路の目的を見失って……何のために北へいくのか。
『風土と積み重ねでその土地毎に使われる薬草を、通りすがりの旅人が持ち去って、他を持ち込んで……どうなると言うのだろう』なんて、薬草師である自分を、自分で否定する気持ちまで心に浮かんでしまうくらい――。
「お姉さん、自分のことも答えられないの?」
「だからまってってば。そんなに一度に聞かれても一度に全部は答えられないわ。大体、あなたはどうしてそんなに色々聞くの? ……その、鬼子と話して、お母さんとかに叱られたりしないの?」
 自分の事を鬼子というのはちょっと嫌だったが、そう聞いてみれば、少女は首を横に振った。
「お母さんはいないわ、冬に死んじゃった。……ただの風邪だっていってたのに。これはおじさんに、鬼子のお姉さんがいたら、村から出て行ってもらうよう渡してきなさいっていわれたの」
 ……子供は正直だ。ユリゼはため息もでなかった。
「私は村のはみだし子だから…………大人になったら遠くへ、私でもいられる場所へ行くの。そのために、どうやって旅をするかお姉さんに聞こうと思って」
 少女が初めて言葉に詰まったのは、行く場所を求めているという告白。
「あると、いいわね」
「あるわ! ……どこかはわからないけど」
 少女は噛みつくようにユリゼに訴え、そこで初めて気づいたように瞳を瞬かせた。
「だから大人になったら村を出て探すの。……あ、お姉さんも探し物の途中だった?」
「私は……そうね、探してるのかも」
 その言葉に、少女と同じようにユリゼも瞳を瞬かせる。
「かもって……変なの、自分のことなのに」
「そうね、変かもしれないわね」
 大人になったらと言う少女に、大人になったから、答えが見つかるわけではないと伝えようか少しだけ迷った。少女は旅する力を身につける頃を『大人』というのか。『大人になれば探せる』と思っているのか。生きる事だけに貪欲だった子供時代と違い、生きれば生きていくほど抱えるモノが増えて、迷う事が増えることを、いつか少女も知るのだろうか。
「お姉さん、それはやっぱり探してるんだよ。見つかるといいね」
 自嘲めいた笑みがどうしても浮かんでしまうユリゼを、訝しげに見つめながら、少女は断定したようだ。
 そう。
 生きていくことに正解はなくて、いつも『大切なもの』を探しながら生きていくのかもしれない。
 それは一つだけではなくて、手にしたものも、離れてしまったものも、これから探し巡り合うものも……全部、生きていくなかで見つける答えの一つなのかもしれない。
 旅に理由が無くても、目的が無くても、探しながらすすめばみつかるかもしれない……歩く事を、生きることをやめなければ。
「あっ、水汲みしなきゃ!」
 東の空に顔を覗かせている太陽を見て、少女が急に立ち上がった。
 白み始めていた空はいつの間にかすっかり朝の色に染まっている。
「ご飯、ありがとう」
「じゃあね、お姉さん」
 ゆるりと手を振るユリゼに、少女は少しだけ迷って。でも、最後に……と訊ねる。
「お姉さんは自分の目、好き?」
 その問いにユリゼは虚をつかれ、やはり返す事ができなかった。
「好き?」
 驚いて咄嗟に答えられなかったユリゼに、少女はもう一度訊ねる。
 指先で目のふちをそっと抑えた。
 鬼子と呼ばれ、水を掛けられた目……でも、きれいだと言ってくれた人がいた。
 例え、今歩む道が別れてしまったのだとしても。
「……ええ、好きよ」
 自分がわからなくても、信じられなくても。
 私が大好きな人の、人達からの言葉はせめて……信じたい。
「そう。お姉さんの目、お母さんのとっておきの櫛に入っていた色石みたいで、とってもきれい。じゃあね!」
 言いたいだけ言って、駆け去っていく少女の後ろ姿に、ユリゼは微笑んだ。
 夏の嵐のように通り過ぎていってしまったけれど……。
「まるで、心の重たいものまで吹き飛ばしていってくれたみたい。……さて、熱も何とか下がったみたいだし、また旅を続けましょうか」
 ゆっくりと立ち上がり、強張って固まってしまった身体をほぐすように、腰をまわし、膝を曲げ伸ばす。
 最後に思い切りのびをすれば……きれいな陽光に照らされた世界が、目に映った。

WTアナザーストーリーノベル -
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Asura Fantasy Online
2010年09月06日

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