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『君と過ごす夏。 〜娘より 』
玖堂 真影(ia0490)

 山荘は、普段は誰も使う者がないというのに隅々まできっちりと掃除され、居心地の良い空間を作り上げている。玖堂 真影(ia0490)はその山荘の中の一室で円座に腰を下ろし、ほぅ、と息を吐いた。
 彼女の記憶にある限り、幼い頃は父・玖堂 紫雨(ia8510)と彼女の双子の弟、そして父の側近である家令の4人で、夏になると避暑にやってきたものだ。だが長じた今は昔のように、みんな出揃って、と言う事はないし――そもそも、それほど頻繁に訪れる訳でもない。
 それでも清潔で、ほっとくつろげる細やかな屋敷の整備は、もちろん彼女が居る部屋から見える庭にも及んでいて。いつ、玖堂の誰がふらりと訪れても即座に最高の環境でくつろいで貰うためだけに、この山荘の管理人は雇われ、常に心を砕くのだ。
 彼女が生まれ、育った、石鏡は句倶理の民と名乗る一族は、そういう一族だった。まして今日、この山荘を訪れたのは句倶理の次期当主に決まった真影と、句倶理の現当主である紫雨だ。ならば管理人が下にも置かぬ振る舞いをするのは当然の事で。
 きし、と磨きこまれた飴色の廊下が軋む音がした。常に見る人の目を楽しませられるようにほんの少しずつ時期を変えて植物を植えた端正な庭を眺めていた真影は、その音に気付いてふと視線を巡らせる。

「‥‥父様」
「真影、少しは疲れが取れたか?」
「ええ‥‥」

 元々、旅の疲れというほどのこともなかったから、素直に頷く。すると紫雨は、そうか、と涼やかに頷いてついと眼差しを裏山のほうへと向けた。
 歴壁に建てられたこの山荘は、玖堂家所有の屋敷の中でもっとも規模は小さいけれども、それでも庶民の家から比べれば十分な広さがある。

「少し、歩くか。山をのんびり散歩するのも、たまには気持ち良いだろう」
「そうかな」

 真影もまた、視線を裏山へと巡らせた。夏の盛りの緑は、初夏の頃に比べればむせ返るほどに濃い。あの緑の下を父と2人、そぞろ歩く姿を想像して真影は、こくり、頷く。
 そうして父が管理人を呼びつけ、外出の支度を整えさせるのを、ぼんやりと聞きながらまた、庭へと視線を戻したのだった。





 避暑に行こうと、真影を誘ったのは父だった。もう随分と行って居ない歴壁の山荘に、たまには父と娘でのんびり羽を伸ばしに行こうではないかと――双子の弟も、父が常に傍に置くと言っても過言ではない家令も置いて。
 夏の山は傍から見たとおり、濃い緑の匂いがした。見上げれば差し渡す枝から零れ落ちる太陽の光。見下ろせば人の歩く道は草の1本も小石の1つもないように丁寧に整備されていて、両脇を縁取るように生える緑が美しい。
 道の傍を流れる沢の音を聞きながら、真影と紫雨は小道をまっすぐ登っていった。時折、珍しい植物があれば足を止める。そうして飽きる程に眺めてまた、思い立ったように道を行く。
 この道をまっすぐ上れば、先には隣を流れる沢へと落ちる滝がある。そこまでは迷いようもないし、玖堂家の私有地だから誰かと出会うこともない。
 だから真影は気の向くままに歩き、足を止め、時折紫雨を振り返った。そうして父の眼差しが変わらず優しく自分にそそがれているのを確かめて、ほっと微笑んでまた歩き出す。
 そうしてまたしばらくして、足を止めたのは簡素な湯屋の前だった。温泉で有名な歴壁の例にたがわず、玖堂の私有地の中にも温泉は湧いている。或いはそれゆえにこの山を私有地とし、山荘を建てたのかもしれないが、それは真影のあずかり知らぬ話だ。
 ひょい、と湯屋を覗き込み、懐かしそうに見回した。

「この温泉も変わってないんだ」
「ああ‥‥今日は久し振りに、一緒に入るか」
「‥‥うん!」

 真影の後ろから同じく湯屋を覗き込んだ父の、年頃の娘に告げるにしてはいささか憚られる提案に、けれども真影は元気よく頷く。この滞在中、彼女は文字通り、幼い子供の頃に返った様に父に甘えるつもりだった。
 湯屋を出て、さらに道を上っていくとやがて、水の落ちる音が聞こえ始めた。最初は鼓膜を震わせていたその音は、やがて足元から響き上がるような錯覚を覚えて。
 不意に、木々の切れ目から白く流れ落ちる滝が見えた。近付くと水の飛沫が真影や紫雨の衣装を濡らし、落ちる滝の周りから生まれる風が髪を弄ぶ。
 その、水と緑の気配の濃厚な清浄な空気をたっぷりと吸い込んで、ふと、弟のことを思い出した。

(今頃は、恋人と一緒に過ごしてるのかしら?)

 日頃、真影達が暮らす安雲の別邸は今、弟と使用人が居るだけだ。家令は里の本邸で父の代理を務めているはずだし。だからもしかしたら、何の気兼ねもなく恋人を招き、楽しい一時を過ごしているのかもしれない――そう思って小さく微笑んだ真影の目の端に、父の顔に浮かんだ同種の笑みが映った。
 ちら、と見ると眼差しが返る。どうやら同じ事を考えていたらしいと、まるで秘密を共有するようにクスクス笑って肩を寄せ合った。
 久し振りの、大好きな父様と2人きりの一時が嬉しくて、くすぐったくて、ともすれば真影の胸の中にこの頃いつもある葛藤すら掻き消えてしまいそうで。

「さて、そろそろ言いつけたお茶が来る頃だ。あちらの東屋に居よう」
「うん。父様、山も良いけれど、明日は庭も見て回らない?」
「そうだな。あの庭もそういえば、ゆっくり見るという事はしていなかったかな」

 これからの予定を楽しく語り合いながら、父娘は滝から少し離れた場所に建てられた東屋に入り、山荘の使用人が運んできた冷茶と水菓子を堪能した。それがすっかり空になる頃には、別の使用人がやってきて父と真影の前に膝を折り、湯屋の準備が整ったと告げる。
 それらすべてに鷹揚と頷く、父を尊敬の眼差しで見つめた。真影が思い出す限り、父はいつも堂々としていて、自信たっぷりで、強い力と強い心を持っている。それは同時に句倶理の長たる条件でもあって、紫雨がそれに相応しからぬ弱った姿を見せた事はほとんどないように思う。
 そんな父が、真影は本当に好きだった。開拓者になるために句倶理の里を出ると決めた時には、互いに志体持ちの大喧嘩という事もあって双方全治2ヶ月というまさに死闘を繰り広げたりもしたけれど、それは父への思慕を曇らせるどんな理由にもならない。
 だから――
 ふと、視線を遠くに向けた真影は、父がそんな自分を思わしげに見つめていたことには気付かなかった。





 国内から湯治に訪れる者も居るだけあって、歴壁の温泉は実に気持ちが良い。そんな温泉を私有地に有する贅沢をしみじみと味わいながら、真影は紫雨と一緒に温泉に浸かり、幼い頃にこの山荘にやってきた頃の思い出を他愛もなく語り合った。
 同じ様に滝を見に行ったことや、山荘の中でかくれんぼをしたこと。幼い子供にとって、普段とは違う場所と言うのはただ、それだけでわくわくと心浮き立つ秘密基地みたいなもので。

「そう言えばそこの沢で、蛍狩りもしたっけ」
「ああ‥‥ちょうど蛍も見頃だろう。帰りに見ていこうか」

 そんな思いつきで温泉から上がった父娘は、用意された新しく清潔な衣装に着替えて湯屋を出て、沢の方へと足を向ける。まだ、蛍を見るには時間が早いだろうか――僅かにまだ明るい空を見上げながら、そんな事を考えて。
 また、真影の思考はふいと沈む。句倶理の次期当主に決定した――その時からずっと、着えぬ澱のように胸の内にある想い。

(父様があたしを選んでくれたことは嬉しい)

 女の身でありながら当主として選ばれるのは初代以来だし、まして真影は巫女ではなく陰陽師だ。その事実は句倶理に属する氏族の長老に、サムライとなった双子の弟と揃って長らく異端の眼差しを注がれるに十分だった。
 けれども実力だけを取れば、真影のそれは長老達を黙らせるのに十分で。何より敬愛する父が自分を選んでくれたという事実が、真影の心を支え、背を伸ばさせる。

(でも‥‥)

 句倶理の当主になるという事は、属する氏族全てを束ねることだ。長老たちは黙ったけれども、氏族のもの全てが納得したわけではないだろう。それに、巫女の少女を恋人に持つ弟の方が、句倶理の長には相応しいと思うこともあって。
 なにより真影の心を塞がせるのは、句倶理の女当主に定められた掟。或いはそれゆえに、初代以降今まで女当主が現れなかったのではないか、とも思うのだけれども――未婚の女が当主に就任する折には、氏族がこれぞと選んだ相手と子を為さなければならない、と言う。
 それは結婚相手ですらない。ただ子を為すためだけに選ばれた相手と、ただ子を為すためだけに褥を共にし、肌を交わすのだ。
 相手ももう、真影が選ばれた時点で決まっている。父の側近と、玖堂家の守護一族の庶子の2人。そのどちらかと、とにかく真影個人の感情も2人の感情も抜きにして、子供を作らなければならない。
 全く知らない相手ではないだけマシと取るべきなのか。だがどちらにしても、異性として好いているわけでもない相手と子を為さなければならない事実は変わらない。
 だから、それを想う度に真影の心は深く、沈んで。

「‥‥真影。ほら見てご覧、あそこに蛍だ」
「えっ、ほんと? どこ、父様」

 ふいに、細い指をさして告げた父の言葉に意識を目の前の沢に向けた。よく目を凝らして見ていると、1つ、2つ、ほのかな光がゆらり、ゆらりと飛んでいる。
 うわぁ、と真影は子供のように目を輝かせてその光を追い始めた。目が慣れてくると、沢のほとりの草葉にも幾つか、蛍の光が灯っているのが見えてくる。
 その光を追うように沢のほとりを、父と2人、並んで歩く。歩きながら、チラリ、と月明かりに浮かぶ端正な紫雨の横顔を見た。

(父様‥‥気付いてくれたのかな‥‥)

 悩んでいる真影の気持ちに。葛藤で時に胸が潰れそうになる彼女の心に。だから突然、歴壁の山荘に行こう、なんて誘ってくれたのかもしれない。
 真影の眼差しに気付いた紫雨が、ふと微笑んで真影の手を握った。夜道に迷わぬように、沢の石に足を取られないように――そしてもしかしたら、自分を勇気付ける為に。
 そんな父への感謝を込めて、真影はぎゅっ、と強く父の細く美しく力強い手を握り返す。

「父様。今日は、一緒に寝ても良い?」
「ああ、もちろん」

 甘えるように告げた言葉に、返ってくる言葉は変わらず、優しくて。
 だから真影は無邪気な子供のように父に寄り添い、はしゃいだ足取りで夜道を歩く。そうして時折、夜闇の中に月明かりで浮かぶ紫雨の顔を振り仰ぐ。

 もっともっと、甘えても良いよね?
 今だけはただの娘として、父様に甘えても良いよね?

 そう、無言で尋ねる真影の眼差しを受け止める度に、紫雨は柔らかく微笑んで無言で頷いて。
 父娘の穏やかな夏休みは、こんな風に過ぎていったのだった。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /   PC名  / 性別 / 年齢 / クラス 】
 ia0490  /  玖堂 真影 / 女  / 17  / 陰陽師
 ia8510  /  玖堂 紫雨 / 男  / 25  / 巫女

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。

お嬢様とお父様の夏休み、心を込めて書かせて頂きました。
お父様をまっすぐに敬愛しているお嬢様の優しいお気持ちが、とても暖かく。
幼い頃の思い出は、幼い子供ならきっとこんなことも‥‥と思ったのですが、如何でしたでしょうか;

不安に揺れるお嬢様や、そんな中でお父様を頼りにしておられるお気持ちを描けていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
ココ夏!サマードリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2010年09月13日

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