『君と過ごす夏。 〜父より 』

玖堂　紫雨（ia8510）

　山荘は、普段は誰も使う者がないとは思えないほど隅々まできっちりと掃除され、居心地のいい空間を作り上げている。玖堂　紫雨（ia8510）はその様子を確かめて、うん、と満足そうに頷いた。
　まだ娘の玖堂　真影（ia0490）とその双子の弟が幼い頃は、紫雨の側近でもある家令も伴って4人で夏になると避暑に訪れたものだ。だが子供達が育って、それぞれが開拓者として忙しい日々を過ごすようになってからは、その頃のように皆で揃って、という事はないし――そもそもこの山荘は、あくまで玖堂の有する別邸の一つであって、日頃から使うものではない。
　けれどもこの山荘の管理人は、先触れ1つで突然訪れた当主と次期当主のために、あっという間に最高のもてなしを整えてみせる。もし先触れなく、ふらりと思いついて尋ねたのだとしても同じように、不自由なく過ごすことが出来る事だけに心を砕く為、この山荘の管理人は雇われているのだ。
　彼が長を勤める、石鏡は句倶理の民と名乗る一族は、ようはそういう一族だった。紫雨が何気なく歩く渡り廊下すら足の裏に触れる木の感触が優しく、何気なく庭へと視線を投げればどこをとってもほぼ完璧な光景を作り出せるよう、少しずつ時期を変えて植物を植え、整えている。
　そんな庭を見ながら渡り廊下を抜け、飴色の廊下を軋ませながら真影の部屋へ向かうと、娘は円座に座って庭を眺めている所だった。そうして紫雨に気付いて、ふい、と視線を向けてくる。

「‥‥父様」
「真影、少しは疲れが取れたか？」
「ええ‥‥」

　一応、旅の疲れを取るようにと称して一旦は休ませた娘である。だが元々、開拓者をしているような人間が多少の旅路で疲れ果てるという事もなく、案の定、真影はこっくり頷いた。
　そうか、と紫雨は涼やかに頷く。頷いてつい、と眼差しを山荘の敷地内にある裏山のほうへと向ける――歴壁に建てられたこの山荘は、玖堂の有する屋敷の中では一番なりが小さいくせに、それでも山1つが収まってしまうのだ。

「少し、歩くか。山をのんびり散歩するのも、たまには気持ち良いだろう」
「そうかな」

　紫雨の言葉に少し首をかしげながら、娘もまた視線を山へと巡らせた。夏の盛りを迎えた緑は、初夏の萌え出たばかりの淡い緑とは比べものにならないほど濃い。きっと山に入れば尚更に、緑むせ返ることだろう。
　こくり、と真影が頷いたのを見て、紫雨は管理人を呼んだ。山歩きの支度を整えさせる為だ。そして頃合を見計らって、冷茶と水菓子を持ってくるよう言いつけるために。


◆


　避暑に行こうと、娘を誘ったのは紫雨だった。もう随分と行って居ない歴壁の山荘に、たまには父と娘でのんびり羽を伸ばしに行こうではないかと――息子も、自らが常に傍に置いていると言っても過言ではない家令も置いて。
　夏の山は予想通り、足を踏み入れると濃い緑の臭いがした。見上げれば差し渡す枝から零れ落ちる太陽の光。見下ろせば人の歩く道は草の1本も小石の1つもないように丁寧に整備されていて、両脇を縁取るように生える緑が美しい。
　道の傍を流れる沢の音に耳を傾けながら、真影と紫雨は小道をまっすぐ登っていった。時折、珍しい植物を見つけるたびに真影は足を止めてじっと見つめる。見つめてまた、思い立ったように道を行く。
　そんな娘の背中を優しい眼差しで追いながら、紫雨も時折辺りの様子を眺めた。この道をこのまままっすぐ行けば、やがて沢へと落ちる滝が目に入る。そこまでは1本道だから迷いようもないし、そもそもここは私有地なので他の誰かが入ってこないかと警戒することもない。
　時折、そこに紫雨が居ることを確かめるように、気ままに歩く娘が立ち止まって振り返る。そうして紫雨の姿を見て、ほっとしたように微笑んでまた、どこか踊るような足取りで小道を歩き出す。
　そうしてしばらく歩き続けて、次に紫雨達が足を止めたのは簡素な湯屋の前だった。温泉で有名な歴壁の例にたがわず、玖堂の私有地の中にも温泉は湧いている。或いはそれゆえにこの山を私有地とし、山荘を建てたのかもしれないが、それはどうでも良い話だ。
　ひょい、と湯屋の中を覗き込んだ娘の後ろから、紫雨も湯屋を覗き込んだ。

「この温泉も変わってないんだ」
「ああ‥‥今日は久し振りに、一緒に入るか」
「‥‥うん！」

　懐かしそうにあちこち見回す娘に、ふと紫雨が思い立って告げた言葉は些か、年頃の娘に向けるにしては配慮の足りないものだと言える。けれども当の真影はその言葉を聞いて、ぱっと子供のように顔を輝かせ、大きく頷いた。
　そう、まさに幼い子供のように。娘と息子がまだ幼くて、家令も伴って皆でのんびり温泉に浸かった、あの頃のように。
　ならばそうしようと目を細めて頷くと、娘はまた嬉しそうに笑って湯屋を出て、タキへの道を登り始めた。やがて水の落ちる音が聞こえはじめ、進むうちにその音は段々、足元から響き上がるような錯覚を覚えさせる。
　不意に、木々の切れ目から白く流れ落ちる滝が見えた。近付くと水の飛沫が紫雨や真影の衣装を濡らし、落ちる滝の周りから生まれる風が髪を弄ぶ。
　あまり滝の傍に居てはびしょ濡れになってしまうと、声をかけようとして紫雨は、どこか遠くを見つめている真影に気がついた。

（安雲のことを考えているのか‥‥それとも‥‥）

　日頃、娘達が暮らしている安雲の別邸には今、残してきた息子と使用人が居るだけだ。逆に本邸の方に残してきた家令の方は、立派に己の役目を代行しているであろう事は疑うまでもない。
　だからもしかしたら、息子は紫雨も会ったことのある恋人の少女を招いて、共に過ごしているのかもしれない。その姿を想像した紫雨の視線の先には、同じようにその姿を想像しているらしい真影の笑みがある。
　真影がチラリと紫雨を見て、まるで秘密を共有するように笑った。内緒話をするように肩を寄せ合って、クスクス、クスクスと。
　そうしてすっかり明るくなった娘の顔を見て、さて、とうながす。

「そろそろ言いつけたお茶が来る頃だ。あちらの東屋に居よう」
「うん。父様、山も良いけれど、明日は庭も見て回らない？」
「そうだな。あの庭もそういえば、ゆっくり見るという事はしていなかったかな」

　娘の提案にふと宙を見つめて頷きながら、父娘は滝から少し離れた場所に建てられた東屋に入り、山荘の使用人が運んできた冷茶と水菓子を堪能した。それがすっかり空になる頃には、別の使用人がやって来て紫雨と娘の前に膝を折り、湯屋の準備が整ったと告げる。
　それらすべてに鷹揚と頷く、紫雨の横顔に真影が向ける眼差しが尊敬である事を、紫雨は知っている。娘が句倶理の里を出て開拓者になると言った時には、お互い志体持ちの不幸と言うべきか、全治2ヶ月の傷を負う親子喧嘩という名の死闘を繰り広げたりもしたけれども、それとて真影が紫雨を嫌ってのことではないし。
　だから――
　ふと、思わしげに向けた眼差しの先で、真影はどこか遠くを見つめていた。それに1つ、細いため息を吐いたのだった。


◆


　国内から湯治に訪れる者も居るだけあって、歴壁の温泉は実に気持ちが良い。そんな温泉を私有地にする贅沢をしみじみと味わいながら、紫雨は約束どおり真影と共に温泉に浸かり、娘の語る幼い頃の思い出を懐かしそうに聞いていた。
　同じ様に滝を見に行ったことや、山荘の中でかくれんぼをしたこと。幼い子供にとって、普段と違う場所はただそれだけで興奮するのか、そのつど家令と2人で探し回ったもので。

「そう言えばそこの沢で、蛍狩りもしたっけ」
「ああ‥‥ちょうど蛍も見頃だろう。帰りに見ていこうか」

　そんな思いつきで温泉から上がった父娘は、用意された新しく清潔な衣装に着替えて湯屋を出て、沢の方へと足を向ける。まだ、蛍を見るには時間が早いだろうか――僅かにまだ明るい空を見上げながら、そんな事を考えて。
　またどこか暗い表情で、遠い眼差しになった娘を見た。句倶理の次期党首に指名した――その時から時折見せるようになった、思い悩むような表情。

（不憫だとは思う、が‥‥）

　女を当主に指名するのは、実は初代以来のことだ。まして真影は志体持ちとは言え巫女ではなく陰陽師――その事実が、句倶理に属する氏族の長老達に異端の眼差しを向けさせるに十分な理由だったと、紫雨も理解している。
　けれども娘を次期当主と定めたのは、親馬鹿などではない、純粋な実力主義。陰陽師としての娘の実力は、句倶理に今居る志体持ちの中でも抜きん出ていると、さしもの長老達も黙らざるを得なかったほどに。
　その瞬間の真影の、誇らしげに輝いた顔を思い出す。そして直後、句倶理の長になるという意味と、女当主が課せられる掟のことを思い出したのだろう、暗い眼差しになってそれは間違いないのかと確かめた娘の言葉を。
　実力を重視するがゆえに黙った長老はまだ良い。今まで異端視してきた相手の、敬うような態度に娘は戸惑っているようだが、そんなのは慣れれば良いだけの話だ。
　けれどもそれは、句倶理の民全てが真影が長になることを認めた、というわけではない。それに女の身で当主になるには、句倶理が選んだ男を愛妾とし、子を為さなければならない、と言う掟もある。

（それでも、句倶理に真影以上に相応しいものはいない）

　実力はもちろん、強き心を持ち、そうあろうと努力する姿勢が。こんな時ですらただ悲観するのではなく、顔を上げようとする気骨が。だから、娘のことは哀れに思うけれども、紫雨に指名を撤回する意志はなくて。
　ふと、妻ならどう言うだろうと思った。双子を産み落とす最中で力尽きて儚くなった、今も昔も最愛の妻。
　句倶理では先に生まれた子は後に生まれる子の為に産道を清めたのだと考え、後から生まれた子を上と考える。妻は1人目を産み落とした所で力尽き、真影は驚くべきことに自力で妻の腹から出てきた――なんとしても生まれ出るのだと、強い意志を持った赤子だった。
　紫雨は、長として句倶理の子である双子に厳しい態度を取ったことは数え切れないほどあるけれども、父として最愛の妻の忘れ形見を疎んだことは一度もない。紫雨に出来うる限りの慈しみを、子供達にはそそいできたつもりだ。
　だから、自分の前では明るく振舞いながらも、おそらくは胸の中に巡る色々な葛藤のせいで暗い表情を見せるようになった娘の気を、ほんの一時であっても紛らわせてやりたくて。

「‥‥真影。ほら見てご覧、あそこに蛍だ」
「えっ、ほんと？　どこ、父様」

　ふわりと舞った光を見つけて、指さしながら声を書けたら真影は、はっと我に返ったように瞳を輝かせて暗い沢へと目を凝らし始めた。その間にも1つ、2つと遊ぶようなほのかな光がゆらり、ゆらりと飛んでいく。
　やがてその光を見つけたのだろう、うわぁ、と真影が子供のようなはしゃいだ声を上げた。かすかな月明かりに照らされて、嬉しそうな笑顔で蛍を追いかける娘の顔に、ほぅ、と小さな息を吐く。
　しばらくすると真影は、蛍に誘われるように沢のほとりを歩き始めた。その隣に並び、同じ速度で歩き始めた紫雨の顔に時折、ちら、ちらと視線が向けられる。
　聡い娘だ、紫雨が真影を気遣っていることを気付いたのかもしれない。だが気付かれた所で一体どんな不都合があるだろう？　父として娘を案じる気持ちは、むしろ当然のものだ。
　だから小さく微笑んで、真影の手をぎゅっと握った。夜道に迷わぬように、沢の石に足を取られないように――何かあれば自分が隣に居るのだと、娘を励ますように。
　解っていると告げるように、真影が紫雨の手を握り返した。握り返して、月明かりの下でまっすぐ紫雨を見上げた。

「父様。今日は、一緒に寝ても良い？」
「ああ、もちろん」

　幼い子供がねだるような言葉に、微笑んで頷く。そうしたら真影はくすぐったそうに笑って、どこかはしゃいだ足取りでまた夜道を歩き始めた。
　そうして時折、確かめるように向けられる眼差しに、無言で頷く。

　もっともっと、思いつく限りに甘えてくれば良い。
　今だけはただの娘として、父に無邪気に甘えてくれば良い。

　紫雨は、彼に叶う限りに思い切り、全力で真影を甘やかしてやるつもりだった。今日も、明日も、その先も、この山荘に居る限り――だから。
　父娘の穏やかな夏休みは、こんな風に過ぎていったのだった。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号　／　　　ＰＣ名　　／　性別　／　年齢　／　クラス　】
　ia0490　　／　　玖堂　真影　／　女　　／　17　　／　陰陽師
　ia8510　　／　　玖堂　紫雨　／　男　　／　25　　／　巫女

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。

お嬢様とお父様の夏休み、心を込めて書かせて頂きました。
お嬢様を案じながらも当主としての立場を貫く、お父様の中にも本当はきっと、葛藤はあられるのだろうと思います。
それでもきっと揺らがぬ心で、その瞬間ごとの「最良に近い道」を選ばれるのだろうな、と感じました。

不安に揺れるお嬢様を慰めてやりたい、お父様の優しいお気持ちを描けていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します（深々と

ココ夏！サマードリームノベル

蓮華・水無月

舵天照 -DTS-

2010年09月13日