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『旅は道連れ〜城ヶ島紀行〜 』
来生・十四郎0883

「ちょっと旅行にでも行かねえか?」

 その朝、ちゃぶ台の前で胡座をかき、いつものごとくお茶碗のご飯を箸で口に掻き込みながら、来生・十四郎はややぶっきらぼうな口調でいった。
「旅行……ですか?」
 ちゃぶ台を挟んでこれまたいつものごとくきちんと正坐し、両手で湯飲みを持って朝食後のお茶を味わっていた来生・一義が少し驚いたような顔で弟を見やる。
「そっ。日帰りでいいからさ」
「……」
 ちなみにこの兄弟、傍目から見ると十四郎の方が年長のようだが、実際は逆である。
 十四郎の仕事は雑誌「週刊民衆」の記者。普段は日曜も祝日もない忙しさだが、今日はたまたま運良くとれた貴重な休日であった。
「折角の休みにこんなボロアパートで野郎2人が向かい合って過ごしたって、面白くも何ともねえだろ? 気晴しにどうかと思って」
「突然そういわれましても……」
 一義は湯飲みをコトンと食卓に置き、胸ポケットから取り出したクロスで湯気に曇った眼鏡のレンズを丁寧に拭いた。
 彼は人間ではない。弟の十四郎がまだ学生の頃、実家が放火され他の家族共々焼け死んだ。すなわち「幽霊」である。
 といっても足はあるし、体が透けて見えるわけでもない。
 本人が意識して幽霊の力を使わない限り、外見上は死亡時の23歳のまま「生真面目な若手サラリーマン」といった風貌だ。実際、一時は幽霊の身で某社に勤務していたこともある。
 では何が問題かといえば、幽霊でありながら一義は絶望的なまでに方向感覚が鈍いのだ。それこそ自宅から徒歩10分のスーパーに買い物に行くのさえ半日がかりという有様である。
 そのため会社員として人間社会に復帰するのは諦め、現在は弟の住む廃墟寸前のアパートに同居して、主夫兼内職に専念する日々を送っていた。
「もう夏も終り近いですが、まだレジャー地はだいぶ混んでるでしょう? そんな所へ出かけて迷子にでもなったら大事ですよ」
「そりゃまあ、そうだけどさ……」
 言い出しては見たものの、兄の性癖をよく知る十四郎も口ごもった。
 茶の間に気まずい空気が流れ、一義は何となく部屋のTVに目を向けた。
 先程まで政治関係のニュースを流していた報道番組は社会ニュースのコーナーに切り替わったらしく、画面は行楽地で残りの夏を楽しむアベックや家族連れの姿を映し出している。
「……おや? あれは確か、城ヶ島公園ですね」
 ふと一義が呟いた。
「城ヶ島って、三浦半島の?」
 十四郎も兄につられるようにしてTVを見やる。雑誌記者だけに、聞き覚えのある地名を耳にすれば咄嗟に周辺の地図まで思い浮かべるのが習慣となっているのだ。
「忘れましたか? 私たちがまだ小さい頃、遊びに行ったじゃないですか。家族みんなで」
「ああ、そういえば――」
 一義にいわれ、十四郎もぼんやりと思い出した。現世で生きている時間が長い分、幽霊の兄に比べると幼少時の記憶はだいぶぼやけてしまっている。
「あの時もちょうど夏休みの終り頃でしたね。父さんが珍しく『家族で遊びに行こう』と言い出して……思えば、あれが最後の家族旅行になってしまいましたが」
「そうだよなあ……」
 一義の何気ない言葉を切っ掛けに、十四郎にとって数少ない貴重な家族との思い出が走馬燈のごとく蘇る。少しばかり感傷的な気分でTVに映る城ヶ島の光景を眺めていたが、やがてポンと膝を打った。
「よし、じゃあ今日の旅行はあそこにしよう!」
「ええっ?」
 唐突な提案に、眼鏡の奥で目を瞬く一義。
「城ヶ島ならここからでも充分日帰りで行ける。俺の車で行って、公園の中をぶらつくくらいなら、いくら兄貴だって迷子になりようがないだろ?」
「それはそうですが……」
 一義は眼鏡の位置を直しながら思案した。
(ひょっとして、普段思うように外出できない私への気遣いでしょうかね?)
 性格の違いから日頃は口喧嘩の絶えない2人だが、そこはやはり兄弟である。
 そう考えると、一義も妙に嬉しくなってきた。
「分かりました。たまにはこういうのも良いでしょう」

 昼間でも相変わらず首都高は混んでいたが、県境を越え神奈川に入ると道もだいぶ空いてきた。
 インターチェンジで横浜・横須賀道路に乗り換え、一路三浦半島の南端を目指す。
 空は青く晴れ渡り、南の方角には入道雲が頭をもたげている。
「こうしてると昔を思い出しますねえ」
 オンボロ車の運転席でハンドルを握る十四郎の隣で、一義はそれこそ子供に帰ったかのように浮かれていた。
 取材のため東京都内はもちろん、時には日本の各地を駆け回る十四郎と違い、一義にとってはドライブなど本当に久しぶりの体験なのだろう。
 助手席の車窓に顔を張り付けるようにして、次々と変わりゆく景色に目を輝かせている。まるで遠足バスに乗り込んだ小学生だ。
「あんまりはしゃぐなよ。他の車に見られて恥ずかしいから」
 ぶっきらぼうに釘を刺すが、十四郎も悪い気はしない。
 方向感覚皆無の兄にナビゲーター役などはなから期待していない。十四郎もその辺はぬかりなく、周辺の道路地図はしっかり把握していた。
 やっぱり誘って正解だったな――嬉々とする兄を横目で見ながら、内心でそう思うのだった。

 横浜・横須賀道路を衣笠ICで降り、さらに国道134号線を南へ下った先に城ヶ島公園がある。
 城ヶ島大橋で本土と結ばれた島内には民家や造船所もあるが、小さな島全体がいわば自然公園のようなものだ。
 大橋を渡って島へ入ると、公園内の駐車場に車を停め、久方ぶりの城ヶ島に降りた来生兄弟は磯の香りと潮騒の音に包まれながらぶらぶら歩き出した。
「ああ、昔のままだ。懐かしいですねえ」
「もう20年ぶりくらいじゃねえか?」
 クロマツの林を抜けて広場に出ると、太平洋から吹き付ける強い風が十四郎の頬を打った。
「昔に比べると人が減りましたね。ちょっと寂れたんじゃないですか?」
「まあ、最近は家族旅行も海外まで足を伸ばす連中が増えたからなあ」
 とはいえ十四郎の目から見れば、バブル景気の頃に比べてまた賑やかになったように思える。昨今の不況のため、夏休みの旅行も近場で済ませようという観光客が再び戻ってきたのだろう。
「さて、これからどうしましょうか?」
「そうだなあ……」
 十四郎は僅かに考え込み、ふと思いついた。
「とりあえず安房崎灯台にでも行くか? ほら、昔みんなで行った所」
「それはいいですね」
 安房崎灯台(あわざきとうだい)は城ヶ島の東端、公園から海岸に降りた場所にある高さ13メートルの小さな灯台である。
 その昔、来生家が家族旅行でここを訪れた際、ちょうどあの辺りで海遊びをしたことを十四郎と一義は思い出したのだ。
 公園を横切り東へ歩いていくと、間もなく灯台の白い建物が目に入った。
 明治3(1870)年に完成、日本では5番目に建造された洋式灯台だという。
 もっとも関東大震災で一度破損したため、現在の灯台は大正時代に改築した2代目ということになるが。
 いずれにせよ歴史的建築物とあって、灯台の周囲も綺麗に整備され小さな公園となっている。
「折角ここまで来たんだし、海岸に降りてみようか?」
「しかし水着なんて持ってきてないでしょう」
「別に泳ぐわけじゃねえよ。ちょっと水に触れるだけ」
 たとえ水着に着替えて泳いでも、夏も終りに近いこの時期では体中をクラゲに刺されるのがオチだろう。
 兄弟は子供時代に戻ったような、ちょっとワクワクした気分で岩伝いに海の方へと近づいた。
「思いの外波が高いですね。気を付けてくださいよ」
「大丈夫だって、ガキじゃあるまいし……そういや憶えてるか? 昔ここに来たときも、兄貴この辺で迷子になったんだぜ?」
「……そ、そうでしたっけ?」
 気まずそうにあらぬ方向へ顔を逸らす一義。
「段々思い出してきた。あの時はえらい騒ぎだったなあ……母さんなんか『海に落ちたんじゃないかしら?』なんてオロオロしちゃってさ。公園の管理人や、周りにいた他の観光客にまで応援頼んでみんなで探し回ったんだから」
「子供の頃の話です。誰だって迷子になることくらいあるでしょう」
「おいおい。兄貴の場合、今も全然変わらな――って、うわっ!?」
 つい一義をからかうのが面白くて足元が疎かになっていたらしい。
 濡れた岩場で足を滑らせ、十四郎は眼下の海へ転げ落ちていた。
「あわわ!?」
 慌てて海中でもがく十四郎の片手を、何者かがぐっとつかんだ。
 滑るように空中を移動した一義だ。そのまま近くの岩場へと助け上げる。
 他人に見られたら騒ぎになりそうな光景だが、幸い周囲に人影はなかった。
「あなたも変わりませんね。そのそそっかしい性格」
「ほっとけ!」
 憎まれ口を叩いてから、ぼそっと小声で――。
「……助かったよ、ありがとう」
「礼には及びませんよ。兄として当然のことです」
 あの放火事件から唯一人生き残った弟の身を案じ、現世へと舞い戻ってきた「幽霊」の青年はにっこり微笑んだ。
「そうそう、思い出しました。昔ここに来たときも、あなたは『どうしても水に触るんだ』と駄々をこねて、この岩場から足を滑らせて海に落ちたんでしたっけ。すぐに父さんたちが助け上げましたが、そりゃもう大騒ぎでしたよ」
「何だよそりゃ?」
「ははは。さっきのお返しになりましたね」
「……ちぇっ」
 十四郎はふくれっ面でそのまま岩の上に座り、濡れた衣服を乾かすためしばらく日光に当った。
 できれば一服つけたい所だが、あいにくポケットに入れた煙草もぐしょ濡れだ。

 服が乾いた頃を見計らい、来生兄弟は灯台を離れ、公園内の展望台やピクニック広場などをあちこち見て回った。
 そろそろ日暮れも近い時刻になって、2人は公園の反対側にある島内の商店街へ足を向けると土産物を買いに立ち寄った。
 狭い路地に土産物屋が軒を連ねる光景は、兄弟が昔家族旅行で訪れた時代と変わらぬ風情がある。
 アパートで留守番しているもう一人の「居候」への手土産と酒の肴を兼ねた買い物でもあった。
「おっ。さすが海の観光地だけあって、よりどりみどりだな」
 マグロを始め、ダツ、カマス、アジ――。
 店頭に並ぶ新鮮な魚や干物を見回し、思わず十四郎が顔を綻ばせる。

 手当たり次第に食料を買いこみ、あまり遅くならないうちアパートに戻れるようにと十四郎は帰りの車を出した。
「どうだい、来てよかったろう?」
「ええ。悪くなかったですね」
 ハンドルを操りつつ尋ねる十四郎に、助手席の一義も頷く。
(そのうち、また兄貴を誘って出かけるか。今度は何処がいいかな?)
(まあ今晩くらいは弟の晩酌も大目に見てあげましょう)
 お互いそんなことを思う兄弟を乗せ、オンボロ車は城ヶ島公園を後にするのだった。

<了>

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0883/来生・十四郎/男性/28/雑誌記者
3179/来生・一義/男性/23/幽霊

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 こんにちは! 対馬正治です。今回はご発注誠にありがとうございました。
 十四郎さんを書かせてもらうのは一昨年のハロウィンノベル以来ですが、お褒めの言葉と共にご指名を頂戴し感謝感激です!
 当時他のクリエーターさんのOMC作品を拝見し幽霊になった一義さんの設定を知り、非常に興味深く感じたものです。今回はその一義さんを書く機会も頂き、個人的にも嬉しく思っています。夏のある日の小旅行、ほのぼのした兄弟の交流を楽しんで頂ければ幸いです。
ココ夏!サマードリームノベル -
対馬正治 クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年09月17日

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