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『夢を売る店 ――もみじいろの、あした―― 』
来生 十四郎(ea5386)

 薄暗い路地の、更に奥。
 迷路の様に枝分かれした、その細い道の突き当たりに、その店はあった。
 ――夢、あります――
 塗料の剥げかかった木の看板には、奇妙に曲がりくねった文字で、そう書かれている。
 古びた戸の隙間からは、香を焚いた様な甘くねっとりとした匂いが漏れていた。
 どうやらここは、金さえ払えばどんな夢でも見せてくれる、魔法の店らしい――


「ごめんよ、夢を売ってくれるってのはここかい?」
 俺、来生十四郎(ea5386)は、軋んで悲鳴を上げる戸の隙間に、素早く体を滑り込ませた。後ろ手に閉めた戸に挟まりかけた着物の袖を引き抜いて、薄暗い店の中を眺め渡す。
 粗末な寝台がひとつと、その脇には低いカウンター。そこに、誰かがいた。頭からすっぽりと布を被ったその人物が、この店の主人だろう。
「その……無理ならいいんだが」
 遠慮がちな前置きをして、俺は話し始めた。
 俺が見たい夢は、遠い昔に過ぎ去った……もう二度と手の届かない、幻の未来。もしあの時、違う選択をしていたら……ってな。
「昔別れた相手と所帯を持って、長屋でごく平凡に暮らす夢、なんてのは……? 相手は……」
 だが、俺が話の穂を継ごうとすると、主人は片手を上げてそれを制した。
「……あんたがどんな夢を望むか……そんな事に興味はないんだよ……」
 頭に被った布の後ろから、くぐもった声が聞こえる。
「……見せるよ。……カネさえ払えば、どんな夢でも、ねぇ……」
 男か女か、若いのか年寄りなのか、見ただけじゃわからなかったが……声を聞いて、ますますわからなくなった。
 いや、そんな事はどうでもいい。主人と同じように、俺も見たい夢が見られさえすりゃ、それでいいんだ。
「金は払う。それで……どうすればいい」
「……なにも。……あんたは、そこに寝転がるだけで、いい。……あとは、楽しい夢の世界さ……」
 ――キッ、キッ、キィ……
 嫌な笑い方だ。まるで、あのボロ扉のような音を出しやがる。
「……まぁ、本当に楽しいかどうかは……知らないが、ねぇ……?」
 また、笑う。
「……気を付けるこった。夢の世界が楽しけりゃ楽しいほど……戻るのが辛くなる。……そのまま、戻って来ない客……ひとりやふたりじゃ、ないからねぇ……」
「俺は、大丈夫だ」
 大丈夫。俺は、夢にすがりたい訳じゃねぇ。今の暮らしだって、これはこれで気に入ってんだ。良い仲間も、大勢いるしな。
 それに、あの時の事はすべて納得ずくだ。それでいいと思った。今だって、そう思ってる。ただ……な。
 いや、正直な話、自分でも未練がましいとは思うぜ。だから、これっきりだ。
 俺は主人に金を払い、言われた通り寝台に横になった。むせるような香の匂いがますますきつくなり、頭の芯が重く痺れて来る。
「……良い、夢を……」
 主人の声を、どこか遠くで聞いた気がした。


「……あさりぃ〜、しじみぃ〜」
「……なっと、なっとぉ〜、なっと!」
 ――ああ、いつもの物売りの声だ……それに、子供の泣き声に、どこかのおかみさんの怒鳴り声、茶碗の割れる音。
「どこだか知らねぇが……朝っぱらから夫婦喧嘩かい……」
 大きな欠伸をひとつ。俺は煎餅布団の中で思いっきり手足を伸ばす。長屋の朝ってやつぁ、毎度毎度、騒々しいったらねえ。
「おかげで、おちおち朝寝も出来や……ッ」
 ――ズキン。
 頭の芯が、鈍く痛んだ。
 ……宿酔か? 夕べは、そんなに深酒をしたつもりはねぇんだが……。
 いや、酒のせいじゃねぇ。妙な夢を見たせい、か。あいつから、別れ話を切り出された……あの時の、夢。
『丁度いいぜ。俺もお前には飽きが来てた所だ』
 自分の声が、まだ耳の奥にへばりついてやがる。ただの、強がりだ。そんな心にもねえ事を言って、あいつを遠ざけた。
「……いや。夢だ,夢……」
 あいつは、ここにいる。江戸の下町で、俺と所帯を持って、裕福とはお世辞にも言えねぇが、まあ、それなりの暮らしを……している、筈だ。
 だが……何かおかしい。いつもなら外の喧噪に混じって聞こえる筈の、あの音。台所で包丁を使う、あの少し危なっかしい音が聞こえねぇ。
「おい……どこだ?」
 家の中にいねぇのは、一目でわかる。何しろ、土間と四畳半のふたつっきりねえ貧乏長屋だからな。
 外に、水汲みにでも行ってるのか? それにしちゃあ、水桶がそのままだ。
「まさか……な」
 今まで見ていた夢の方が現実で、こいつはその夢の続き……なんてこたぁ……
 言い様のない不安に胸が締め付けられそうになった、その時。
「十四郎さん。起きてたの?」
 ガタピシと長屋の戸が開いて、陽の光が顔を覗かせた。いや、本物のお天道様の事じゃねえ。こいつさ。俺の、女房。俺の太陽が、戻って来た。
「ごめんなさい、遅くなっちゃった。急いで朝餉の支度するわね」
 ……よかった。やっぱりあれは、ただの夢だ。
 この辺りじゃ珍しいお嬢様言葉が、耳に心地良い。こいつも一歩外に出りゃ、他のおかみさん連中とすっかり馴染んだ調子で砕けた喋り方をするんだろうが、家の中じゃぁ昔のまんまだ。
「いや、急がなくていい……、……ん?」
 背中に、何かおぶってるぞ? 何だ、ありゃ? 赤ん坊? 俺の? ……いやいや、そんな筈は……
「やだ、もう忘れちゃったの?」
 くすくす、ころころ。
 ……笑ってやがる。……ったく、可愛いったらありゃしねぇ、チクショウめ。
「忘れた? 何を?」
「夕べ預かったじゃない。お向かいのおかみさんが風邪をこじらせて寝込んじゃったからって……」
「……あぁ……」
 言われてみりゃ、そんな事があった気がする。
 乳は出ねぇし、赤ん坊に風邪を移しちゃいけねぇってんで、うちで預かった……のは、良いんだが。
「お前、乳……出るのか?」
「出ないわよ」
 やだぁ、とコロコロ笑う。
 出ないのに、預かったのか。どうするつもりだ。
「だから、飲ませに行ってたの。ちょっと先の長屋に、お乳をくれる人がいてね」
「……だったら、その人に預かってもらった方が良かったんじゃねぇか? 腹すかせる度に連れてったんじゃ、お前も大変だろ」
「うん、そうだけど……でも、この子もお母さんも、なるたけ近くにいられた方が安心じゃない?」
 なるほど。いかにも「らしい」な。
 子供みてぇにお天気屋でわがままで甘ったれで、だが、家族や友人はもちろん、使用人や、話を聞いただけの他人まで心から思いやれる、無邪気で優しい、太陽のような娘。
「……変わらねぇ、な」
「……ぇ? なに?」
「いや、なんでもねぇ。それより……赤ん坊、俺が抱いててやるよ。ずっとおぶってたんじゃ、重てぇだろ?」
「大丈夫? 泣かないかしら……落とさないでね?」
「なに言ってやがる、子守りくらい……」
「ふんぎゃあぁぁぁーーーーー」
 言ってるそばから泣き出しやがった。何だ、俺の抱き方が悪いのか?
 いや、違う。この、ほわ〜んと生暖かい感触は――
「うわ、やられたっ」
「あー、えぇと、おしめ、おしめ……預かって来たの、どこに置いたかしら」
 ごそごそ、がたがた。
「お前、大丈夫か? ちゃんと出来んのか?」
「大丈夫よ、近所のおかみさん達が寄ってたかって、好き勝手に教えてくれたから。……あんたの所も、すぐ必要になるんだから、なんて……」
「……ん?」
 最後の方はよく聞こえなかったが。頬がほんのり朱に染まって見えるのは、気のせいか。
「ううん、なんでもない」
 ますます赤くなる。しかし……なるほど、初めてにしちゃぁ手つきが良い。まあ多少不細工に出来上がったのはご愛嬌だ。
「ごめんね、先にこれ洗って来るから……ああ、それも脱いで、染みちゃってるから。あ、替えの着物はそこ、長持の中……」
「あぁ、わかってるよ。気を付けてな、転ぶなよー?」
 俺の声を背に、慌てて井戸端にすっ飛んで行く。その姿を見送って一息つくと、俺はすっかり忘れていた朝の一服をしようと、煙管に火を入れた。
 なんとまあ、騒々しくも慌ただしい……これが「赤ん坊のいる暮らし」って奴か。
 だが、悪くねぇ。悪くねぇ……な。

 ――コト、コトン、トン、トン……
 メザシの焼ける匂いと、味噌の香りが鼻をくすぐる。赤ん坊は、膝の上ですやすやと寝息を立てていた。
 絵に描いた様な、朝の風景。平凡だが、穏やかで満ち足りた……幸せな,家族の時間。
 手に入れる事が出来るとは、思わなかった。良いとこのお嬢様が、こんな暮らしに馴染めるとも……
「……本当に……良かったのか?」
「なぁに、いきなり?」
 ふと口をついて出た言葉に、少し困惑した調子の笑い声が応える。
「いや……俺なんかで良かったのかと……な」
「自分で攫って来たくせに」
「……まあ、そりゃそうなんだが」
 よくもまあ、そんな度胸があったもんだと、我ながら恐れ入るが、これも若気の至りって奴か。
 それにしたって、素直に付いて来るとは……。
 あの時、小さな呉服屋を営んでたこいつの実家は火の車だった。その傾いた家業を何とかするって条件で、どこぞの大店の若旦那との縁談が決まりかけてたらしい。
 家も継げない次男坊の俺に、傾いた店をどうにかできる訳がねぇ。だから、俺はもう諦めるつもりでいたんだ。別れ話を切り出されたら、憎まれ口のひとつでも叩いて、すっぱり縁を切ってやろうってな。
 ところがどっこい、気が付いてみりゃ……これだ。
「あのまま若旦那との話を進めてりゃ、今もまだ、何ひとつ不自由のねぇ暮らしって奴が続いてたかもしれねぇぜ?」
「そう、かも……ね」
 手を止めて、振り向いた。
「でも私、わがまま娘だもの。家の為に、なんて……らしくないでしょ?」
 薄暗い部屋に、光が溢れる。……眩しい。
「……すまねぇな。俺にもっと稼ぎがありゃ……」
 ――コツン。
 何かが飛んで来て、頭に当たった。何だ……豆?
 顔を上げると、我が家の小さなお天道姫が腰に手を当てて笑っていた。
「あぁ……すまねぇ」
 今日は、どうかしてる。妙に弱気になるのは、あの夢のせいか……。

 俺と女房と、預かりものの赤ん坊。三人の賑やかな暮らしは五日目の夕刻に終わりを告げた。
「おぅ、帰ったぜ……っと、なんだ、妙に静かだな」
 仕事から帰った俺を出迎えたのは、女房ひとり。もう、返しちまったのか。
 なんだか急に、狭い長屋が広くなったように感じる。それに、妙に静かだ。赤ん坊なんて小さなもんで、そう場所をとるもんじゃねぇ。それに、のべつ騒々しく泣き喚いてるって訳でもねぇのに……不思議なもんだ。
「寂しい?」
 くすりと笑う。
 返事を濁した俺に、女房はザルいっぱいのキノコを見せて笑った。
「代わりに、ほら。こんなにもらったの。お礼だって」
 向かいの亭主が山に行って採って来たらしい。ヒラタケ、シメジ、クリタケにナラタケ、ハツタケ……松茸まであるじゃねぇか。
「へぇ……こいつぁ鍋に良いな。松茸は飯に入れて炊くか」
 美味そうだ。想像しただけで口の中に唾が湧いて来る。
「あ、そうそう。山の方はね、良い色に染まってるそうよ」
「紅葉か……」
 もう、そんな季節なんだな。
「よし、明日は弁当持って紅葉狩りにでも行くか」
「え、でも……仕事は?」
「心配ねぇよ。仕事は少しくらい待ってくれるが、お天気は待っちゃくれねぇ。大風でも吹きゃ山は丸裸になっちまうだろ? 思い立ったが吉日って奴だ」
 それに、来年の今頃は……家ん中に豆台風が生まれてるかもしれねぇし、な。そうなったら、夫婦水入らずでのんびり、なんてのは当分お預けだ。
「行くだろ?」
「うん、行く!」
 子供みてぇに、はしゃいでやがる。もっとも、はしゃいでんのは俺も同じか。
「よし、そうと決まったら……寝るぞ!」
「え……ちょっと、まだ……っ」
 外は明るい。晩飯も食っちゃいねぇが……なに、構うもんか。
 細い腕を掴んで、布団の中に引っ張り込む。襟元から立ち上る仄かに甘い香りが、鼻の奥をくすぐった。
「……飯より、お前だ」
「ん……」
 夢よりも甘い夢を見て、目が覚めたら二人で出かけよう。
 秋には紅葉、冬は雪、春には桜……夏は、花火。季節を追いかけて、毎日を楽しみながら、ゆっくりと歳を重ねて……二人が、何人に増えても、ずっと。そんな暮らしが、続けばいい。

 ――あいつはきっと、婆さんになっても可愛いんだろうな……。



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ea5386 / 来生十四郎 / 男性 / 34歳(実年齢34歳) / 浪人】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お世話になっております。STANZAです。
お懐かしゅうございます。【葱】では大変楽しんで書かせて頂きました(笑

さて、此度の夢は如何でしたでしょうか。
イメージをぶち壊していなければ良いのですが……。
あ、PCさんは無事に夢の世界から戻られましたので、その点はご安心下さい。

では、ご依頼ありがとうございました。
またご縁がありましたら、よろしくお願い致します。
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Asura Fantasy Online
2010年10月18日

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