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『『巨大な獣』 』
デリク・オーロフ3432)&ロン・リルフォード(8405)&(登場しない)

 霧雨のような天気で、暖かくも寒くもなかったが、湿気が強かった。だから本が傷まないように注意しなくてはと考えたのが、最初であったように思われた。木々がしっとりと濡れる外の景色は変に明るくて、館内にはその分薄暗がりが広がっていた。
 私は書棚の間を歩きながら、そこに収められた膨大な書物の状態を一つ一つ確かめていった。この作業は、一体いつまで続くのか検討も付かなかった。それはこの図書館が極めて不自然な形をしていたからで、特に全体の様相を把握するとなると、全く無理な話であるからだった。
 建物の中には、壁や天井、棚や本に至るまで、真っ直ぐと言うものがまるで見当たらなかった。そのどれもがほんの少しずつ歪んで弧を描いており、そのために先の方を見通せる場所がどこにもなかった。また、そのような連続性の接続部は皆一様に滑らかで、鋭い角度もまた存在しなかった。角や隅に目をこらしても、そこには緩やかな影が底知れず続いていて、その果てがどこであるのかを、なかなか判断出来なかった。
 構造は更に不可思議だった。入り口から左右二方に伸びた壁は長大な曲線を続け、やがて奥で繋がれるはずなのだが、その直前になると、突如渦巻き状にねじくれて上や下へと這っていったかと思うと、それが何層にも続いていた。これだけでも、この空間において高さや座標、そんなような位置について考えるのがほとんど無駄であると、すぐに知れた。
 それでも、こうして連綿と作業を続ける内に、私は自身が行っている事が一体何であるのかを、次第に理解出来るようになっていった。ふとした時に、自分がここにある全ての書物、それは世界の全てとも言い換えられるが、それらを一つ余さず知っていると言う事実に気が付いたのだ。途端、その全てがことごとくこの身体の一部、四肢そのもののようにも感じられ、私は静かに感動を覚えた。そしてちょうどその頃になって、ある書棚の中に明らかに不自然と思える空きを一つ認めたのである。隙間なく書が並べられている中で、ちょうど一冊分、ぽっかりと暗がりが広がっていた。この場所にあったはずの書を思い起こそうとして、私はなるほどなと、まるで他人事のように、自分の役割と生まれた理由について思い至った。
 それから長い間、失われた一冊をどうしようかと考えていた。どうにも胸の奥に嫌な気持ちが生まれて仕方がなかった。しかしどこへ持ち去られたのか全く手がかりもない上に、私はここを離れる訳にはいかなかった。自分に出来る事は何一つ見つからず、ただ深く考え続けていた。
 するとある時、何処かさほど遠くない所で、ガシャンと何かが割れるような音が聞こえた。私はこの突然の出来事に、ぎょっとした。ここには何一つ動くものなどないはずである。じきに辺りが静まりかえると、私は延々と続く書棚の中を慎重に駆け出した。
 少し走ると、視界が開けて棚が途切れる空間があった。半径五メートル程の円形で、そこでは弱々しい光に照らされた木目調のタイルの上に、長身で黒色の男が膝をついていた。駆け付けてきた私の方を気にするそぶりも見せず、こちらに背を向けて、カチャカチャと何かの破片を拾っているようだった。
「おや」
 男はいかにもわざとらしい驚き方をして振り向いた。眼鏡をかけたその鋭い顔は、理知よりも先に狡猾さを感じさせた。口元に張り付いた微笑みに私は思わず恐ろしさを覚えた。
「どなたですか? いつからここにいるのです?」
「デリク・オーロフと言ウ者です。貴方ハ、司書さんですカ?」
「ロン・リルフォード、ここの管理をしています。いつからここにいるのかお答え下さい」
「いつカラ? しかしこの建物ノ中にハ時計がない。それは意味ノない質問デハないでしょうか?」
 とんでもない詭弁である。だが、ギクリとした。そう言えば私は、作業を始めてから今までにどれくらいの時が経っているのかを、全く覚えていなかった。男は首を傾げたまま、こちらをじっと見ている。
「何故ここにいるのです? どうやって入りました? その手に持っているのは何です?」
「随分質問ノ多い方だ。一度にそんなには答エ切れませんよ。これは、ホラ、ただのガラスです」
 からからと笑って、男は手の中にある破片を見せた。鋭いガラス片のようなものが数枚、暗々とした中で煌めいていた。その輝きは薄気味の悪さを感じさせた。この建物の中には、ガラスなどどこにもないはずなのである。男に目を向けると、彼は何気ない様子で、隙のない目つきをしながら、周囲に目を走らせていた。奇妙な事に、その視線の先はいつも本の背表紙や棚の並びではなく、床の端や壁の隅と言った、まるで見当違いの所に向けられていた。
「ところデ、物理学書ヲ探しているのです。物理学書ハ、どこに置かれテいますか?」
「そこに見える所ですが、あなたはどうしてここにいるのです?」
「ありがトう」
 彼はニッコリ笑って礼を言うと、すぐ側の書棚の前へ行って立ち止まった。私はその姿が視界から消えないように、注意を払った。もし仮に能力者であったとしても、館内ではその力が極端に制限されるため、外へ追いやるだけであれば造作もないはずであったが、何故かそのような余裕は持てなかった。
「私、魔術教団ニ所属していまして、そこデハこうした異界ト呼ばれる特殊ナ位相は、常に観測が行われてイルんです。ここにハ以前から注目してイタのですが、どうも大きスギる、分かりにくい言葉ですがご容赦下サイ、観測員曰く、大きすぎて把握が大変難シイらしいのです。異界と言ウのは、場合によっては存在自体が危険なものデシて、そのためにそこデ生まれたものを、モチロンそれを守ル意味でも、やはり確かめナクてはいけない」
「この場所には書物しかありません。危険なんてとんでもないです」
「しかし驚キましたよ。ここにはもしかスルと、世界中の本が全てあるのじゃナイですか?」
「その通りです」
「残念ですガ、それは、あまり穏やかとは言えナイのです」
 彼は分厚い革装丁の本を一冊取り出すと、長い指で器用にそれをもてあそんだ。
「書物トは、何でしょう?」
「情報でしょうか」
「非常に現代的ナ答えと言ウやつだ。あなたノような人が言うのだから、面白イ」
「説明をして頂けますか?」
「以前、物語とは何カと言う質問に対して、それは時間ノ経過ダと答えた作者がいました。これは文学屋ノ諸氏にとっては少々乱暴ナ表現だったようですが、実に的を射た捉エ方と言えます。例えバ、この小難しい本をゴ覧下さい。これに類する学識がなけれバとても理解出来そうにない。書いてある事モ、その上積みでアル知識です。しかし実際にハ、これ自体はさほど特別なモノではない。この作者がソウであるように、時間さえあれば誰モが習得出来る。どんな環境ノ、どんな人間デモ、数十年、数百年、数千年とかければこれに書かれた位置に到達スル事が出来る。もちろん、個人と言うのハたった数十年しか時ヲ所持していない。だから人間達はコウして書物を作り、より多くノ時間を手に入れヨウと躍起になってイルのです」
 彼は手に持ったものを棚へ戻すと、両手を軽く広げた。
「この異界がイツどのように発生したのか、正確な事は私達ニモ分かっていません。しかしある特定ノ空間に、川流れの朽ち木ノように、次々と時間が漂着してイルと言う報告が始マリでした。やがてソレらが、全テ揃って、このようナ形になった」
「その事と貴方の目的は、一体何の関係があるのです? もしもこの場所に危害を加えようとするつもりでしたら、今すぐに退出して頂きます」
「これは穏やかではナイと、私ハ言いました。大変に危なっかしい事実ナノですよ、これハ。長い間、世界は空間ト時間、その広がりト流れで構築されてイルと考えられてきました。しかし、それらは決シテ絶対的でない事が、アインシュタインによって証明されたのハご存じですね。この衝撃的な真実ヲ前にして、人々がいかにも平然とシテいられたのは、単に理解する事が出来なかったカラと言うだけに過ぎません。人間は狭ク暗い空間のトンネルを、まるで盲目ノ状態のまま、一定速度で進まされてイル事が明かされたのですヨ。速度ヲ緩める事モ、立ち止まる事モ出来ない。その外側、トンネルを覆う薄皮一枚を剥ガシタその向こう側には、距離と時間が従来の意味ヲ失う、得体の知れない世界が常に横たわってイルにも関わらず」
 彼の口ぶりは、まるでそれを一度見てきたかのようなものだった。
「言い換えレバ、時間と言うのは、空間ノ新しい次元の不完全ナ知覚に当たると言う訳です。この世界が誕生シテ以来生まれたものは、全テ現存している。同時にこれから起こる事モまた、今在り続けてイル。一つの生命ハ全ての生命を含んでいて、この限られた本棚にも無限に近イ書物を入れラレる。私とあなたまでは歩くと四秒程ノ距離がアリますが、私は今既にあなたノ場所に居る事も出来ル」
「一体何のお話をなさっているのです?」
「この図書館ハ、それそのものナノですよ。そして私達ハあまりにも無知です。深淵には一体何ガ眠っているのか、ほとんど知ラナイでいる」
 そう言うと、彼は通路の先へと姿を消した。私はあっと慌てたが、歪んだ棚のせいで行方を見る事も出来ず、ただ呆然とその場に立ち尽くしてしまった。するとどこをどう通ってきたのか、後方から声が聞こえたかと思うと、彼は本棚から一冊の薄い小説を取り出していた。
「コノ作家はかつて、アインシュタインの相対性理論発表の後十数年経ってカラ、非常に短い一遍ノ中で、ある怪物の存在にツイテ言及をしました。時ノ始まりまで遡ると、ある一点ヲ境に今ある時間ガひっくり返る。そこには宇宙ノ邪悪を全て凝縮シタような、痩せて、渇いた獣ガいると。奴らハ不浄であるガ故に角度のある時間ノ中に生きてイテ、一度獲物のニオイを嗅げばそれを捉エルまでドコマデも追いかけてくる。そして空間に鋭角ヲ見つけると、酷イ刺激臭を伴っテ、こちら側へやって来ルのです。ココはまさに時間ノ果て、そしてコノ図書館は広い。お一人で管理されるノは、あまりに大変かと思イますね。そうそう、早速、探し物が一ツ、あるんじゃあないですか?」
 私は思わず息をのんだ。顔を上げると彼が微笑んでいて、視界の端でゆらりと、その足下にある影が歪んだようにも見えた。

 デリク・オーロフは、あっさりと持ち去られた一冊の魔術書を回収した。まるで手品でも使って出したようにも思える程だった。結果として、私は彼の意見に押され、彼と彼の所属する魔術教団員達に入退出の許可を出すに至った。彼らの維持管理作業と引き替えに作成された貸し出しカードは、私の判断で渡す者を限ると、そんな条件を付けられただけまだ良かったと言えた。
 あの男について印象深かったのが、取り戻した魔術書についてこう語っていたのを耳にした時だった。
「人々に忘れ去られたり、タブーとされてきた真実を記した書は、包皮に包まれた世界の核そのものだ。しかしその新しい事実は、今現在それが無くとも成り立っている世界にとっては、過去の遺物ともペテンとも呼べる。何より私は、新しいもの好きでね」
 私は今になって、彼の語った事や行った事は、そのほとんどがペテンだったのではないかと考えている。しかし、それは今更どうやっても確かめようがなかった。時折こんな事を思い返しながら、私は今日も、図書館としての役割を果たすようになったこの場所で、書物を管理している。

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東京怪談
2010年10月19日

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