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『真実の在処 』
来生・一義3179)&来生・十四郎(0883)&(登場しない)
●真夜中の作業
 カタカタとキーボードを叩いていた音が不意に止まったかと思うと、大きなあくびの音が部屋に響き渡った。時刻は午前零時をとっくの昔に過ぎていて、もう少しすれば丑三つ時と呼ばれる時間帯に入ろうとしている所であった。
「……腹減ったな……」
 パソコンに向かいそれまで一心不乱にキーを叩いていた細身の男――来生十四郎は、キーボードから放した両手を自然と頭上で組み、大きく伸びをしてみせた。
「んっ……んあぁ……ふぅ……」
 言葉にならぬ声を二言三言漏らした後、十四郎は頭を左右へと振る。コキコキと音が鳴る様子からは、そこそこの長時間同じ姿勢のままで居たであろうことが窺える。
 そして傍らに置いてあった煙草の箱に、十四郎の右手がすっと伸びたのだが――。
「……んだよ、いつの間に切れたんだ?」
 愚痴りながら、空になっていた煙草の箱をぐしゃりと握り潰す十四郎。もちろん自分が吸ったからこそなくなった訳だが、作業をしながらスパスパと煙草を吸っていたヘビースモーカーに残り本数など気にする余裕などない。
「買い置きはっと……」
 潰した煙草の箱をミスプリントで溢れ返った屑篭へ放り投げると、十四郎はすくっと立ち上がって普段買い置きの煙草を置いてある場所へ向かった。だが、あいにくそこには何もなく。本来なら何かしら置かれているであろう空間が、ただあるだけであった。
(散歩がてら買ってくるか)
 ちょうど小腹も空いた所だ、コンビニエンスストアで煙草を買うついでにチョコレートなり何なりちょちょいっと摘める物を買ってくるのも悪くない。
 十四郎はパソコンの前に戻ると電源を落とし、財布をつかんでまっすぐに玄関へと向かう。そして十四郎が外へ出て少ししてから、家の中には何者かが目覚める気配があった――。

●事実の在処
 コンビニで煙草と若干の買い物を済ませた十四郎が家へと戻ってきたのは、30分近く後のことだったろうか。玄関を開けると気配を感じた。
(……出掛けに起こしたか?)
 若干眉をひそめる十四郎。気配の主は分かっている、兄である来生一義だ。本来ならばすでに『この世に居ない存在』であるのだが、幽霊となってなおこの世に留まり十四郎と現在は同居していたりする。
(幽霊も実体化すると寝なきゃならないってのも、よく分からん話だけどな)
 小さく溜息を吐く十四郎。幽霊である一義は、何やら身につける指輪の力で実体化をしているのだが、それを維持するためには生きている者同様に食事や睡眠を必要とするらしく。それゆえ、先程十四郎が作業を行なっている時には、一義は一足早く床についていたはずなのだが……。
(また何か小言あんのか?)
 十四郎は日頃からよく、同居する一義より生活態度で注意を受ける。聞き流したりもするのだが、毎日のように兄弟喧嘩になるのが常である。今はまだ作業中、ここは聞き流しておくかと考えつつ十四郎はパソコンを置いてある部屋へと入っていった。
 と、そこには何かを手に持ち、十四郎へ背中を向けて立っているスーツ姿の男性の姿があった――一義だ。一義は手にした物……1度ぐしゃっと潰された形跡のある紙の束に目を通しているようであった。十四郎が帰ってきたことにもどうやら気付かずに。
「なっ……!」
 一義が何を読んでいるのか、それに気付いた十四郎は慌てて駆け寄って紙の束を一義の手から取り上げた。
「何勝手に読んで……!」
 一義に向けて文句を言いかけた十四郎の言葉が不意に止まる。一義は十四郎に背を向けたまま、顔だけを向ける形になっていたのだが、銀縁眼鏡越しの眼差しを向けるその顔は青みがかっていた。今は実体化しているとはいえ、本来一義が幽霊であることを差し引いても、だ。
「……それは……」
 沈黙を破ったのは一義の方だった。十四郎は無言のまま一義を見つめている。
「その記事は……確かなんですか……?」
 一義には珍しく、そう言うのがやっとといった様子。十四郎は思わず一義から視線を逸らしていた。こうなる可能性が頭にあったからこそ、出かける前にわざわざパソコンの電源を落として一義に作業していた内容を見られぬようにしていたのだ。だがまさか、まさかミスプリントを見られてしまうとは――。
「……確かなんですか?」
 答えぬ十四郎に対し、なおも問う一義。十四郎は大きな溜息を吐いてから、ようやくその問いに答える……何とも気まずそうに、一義と視線を合わせぬまま。
「ああ……。それは間違いない。何ヶ月もかけて調べたんだ。……証拠だってあるんだ」
 十四郎が作業していたのはとある技研会社内の横領疑惑の記事原稿。その記事で取り上げている渦中の人物は、立場的にも会社内の金を動かすことの出来る立場であり、十四郎が時間をかけて調べた限りではその人物が起こしたものと十分に考えられるのだが……。
「記事を取り下げてください」
 だが一義は、十四郎の答えを聞くや否やそんなことを言い出した。
「そっ……! そんなこと……出来る訳ないだろ。編集会議も通ってる、下書きだってとっくに編集長に出してるんだ。取り下げるなんて無理だ」
 首を横に振る十四郎。現実的に考え、例え今からその記事を取り下げることが出来たとしても、それに代わる新たな記事やそのことに伴う様々な作業が発生してしまい、関係各所にも大いなる迷惑をかけてしまうことになる訳で。一義がそんな簡単なことすら分からないはずがない。だのに何故、記事を取り下げろなどと言い出すのか。
「……こんなことが出来るはずがないんです」
 一義が十四郎をじっと見つめたまま、静かにつぶやいた。
「真面目で小心者で……こんな……会社のお金を横領することの出来るような……そんなことは……」
 その一義の物言いからすると、どうやら渦中の人物を非常によく知っているらしい。それも個人的、にも。これを聞いた十四郎が顔をしかめる。この記事の調査に取りかかる時、社名を見て危惧したことはあったのだが、よもやこれほどとは――。
「……人は変わることだってあるんだぜ。裏の顔だって持っていたのかもしれない」
 十四郎は意を決して視線を合わせ、感情を入れぬよう一義にそう言った。実際そういうことは少なくない。数年前は正義感に溢れていた者が、今は悪いことを何とも思わぬようになっていることだってあるのだ。だがしかし、一義には決してそうは思えなかった――この渦中の人物に対しては。
「本人から事情を聞きたい……直接。今すぐに」
「今すぐだって?」
 一義の言葉に十四郎が驚いた。
「元同僚です、家の場所は知っています。車を出してください。……急いで」
 静かだが、有無を言わさぬ態度で十四郎に言い放つ一義。かくして無理矢理に車を出させ、兄弟で真夜中の小ドライブへ出かけることとなった――一義の元同僚の家へ向けて。

●残された真実
「ここでしばらく待っていてください」
 目的の家から少し離れた場所に車を止めさせた一義は、そう言いながら十四郎に大きめで厚みのあるシンプルな指輪を手渡した。たった今まで一義がつけていた、奇妙な紫の光沢のある銀で作られた指輪である。その指輪の力で実体化をしていた一義は、幽霊本来の状態へと戻っていた。すなわち、壁などをまるで無視することの出来る状態に。
「……きっと何かの間違いですよ……」
 一義はぼそりとそう言い残し、十四郎の車をすっと抜けて外へと出て行った。十四郎が今出来るのは、指輪を預かりつつただ一義の帰りを待つことだけだった。
 そして十四郎が待ち続けて2時間ほど経った頃だった。ようやく一義が車へと戻ってきた。
「お……」
 一声かけようとした十四郎は、戻ってきた一義の顔を一目見た瞬間言葉が出なくなってしまった。一義の顔はそれまでの青さに加え、暗さまでまとってしまっていたのだから……。
 一義は無言で十四郎から指輪を受け取ると、再び実体化させた身体を助手席のシートにもたれさせ、窓の外をじっと見つめていた。そのただごとならぬ様子に、十四郎もまた無言で車を発進させる。行きもそう言葉を交わした訳ではないが、帰りの車内はそれに輪をかけて静かであった。結局帰宅するまで、一義と十四郎が言葉を交わすことはなかったのである。
 だがそんな一義が、部屋の中へと入るなり十四郎に向けて口を開いたのだ。
「あの記事ですが……」
 歩みを止め、一義の方へと振り返る十四郎。また記事を取り下げろと言うのかと思いきや――。
「書いてください。……ありのまま、徹底的に」
「は……?」
 思わず十四郎は聞き返していた。ほんの3時間かそこら前には記事を取り下げろと言っていた者が、一転して記事を書けと言うのだ。十四郎でなくとも不思議に思い首を捻るはずだ。
「話してくれましたよ、全部」
 そう言って一義は自身の聞いたことを、そのまま十四郎へと伝え始める。横領したのは事実であること。しかしそれは、所属する派閥の上司が個人の借金を返すために、密かに指示されて――立場を利用した脅迫とも言う――行なわざるを得なかったということ。自身は当初から罪の意識に悩まされていたということ……などを。
「この裏付けを取って記事にしてください。いえ……するんです。そうしなければならないんです……!」
 繰り返す一義の言葉に、静かなる怒りが加わってきていたことに十四郎も気付く。その理由を、十四郎は最初はその上司とやらの理不尽な行為に対するものかと思っていたのだが、この後何気なく尋ねたことに対する一義の答えで、それ以上のことであることに気付かされた。
「本人がそう話してたのか」
「聞きましたよ……本人の残存意識から」
 この一義の言葉が意味すること――つまり渦中の人物は……。
「……え?」
「……遺書も残さず……」
 部屋の中がしんと静まり返る。一義が渦中の人物の家へと入った時に、どのような光景であったのかは、それだけで想像がつく。
「本当なら……」
 ややあって、十四郎が言葉を発した。
「それが本当なら編集長ともう1度相談する。ただし」
 十四郎は一義の方へ向き直り言葉を続ける。
「……記事を書き直すとしても、俺はあくまで記者として、第三者の立場で書く。……いいな?」
 そう念を押してくる十四郎に対し、一義は少し間を置いてからゆっくりと無言で頷いていた……。

●世に出される事実と真実
 約1ヵ月後――家には出たばかりの『週刊民衆』に目を通す一義の姿があった。やがて読み終えた一義が雑誌を静かに閉じて深い深い溜息を吐いた時、十四郎の見るその横顔は今にも泣き出しそうであった。恐らく不用意な一言をかけてしまえば、たちまちに崩れ落ちてしまいそうな……そんな雰囲気をまとっていた。
 若干の思案の後、十四郎はすぅ……と息を吸ってから、おもむろにそんな一義に近付いてゆき、その背中を乱暴に叩いてみせた。
「!!」
 突然の十四郎に叩かれ、驚き振り返る一義。十四郎は余計なことなど何も付け加えることなく、一義に向けてこう促したのだった。
「飯でも……食いに行こうぜ」

【了】
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
高原恵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年10月22日

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