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『■泡沫と永久の夢■ 』
千獣3087





 あちらこちらに飾られた不可思議な飾り。
 あちらこちらに響く稚く縺れる高い声。
 あちらこちらに佇む風変わりな衣装の何者か。

 そんな風に浮き立つ空気の中。
 すいと瞬き過ったそれは、何故だか己の目を惹いたから。
 意識するよりもずっと早くに視線が巡って追い縋る。

 ――それは、まろいものだった。

 細い路地へ隠れるように滑っていく、まろいそれに焦点が合う。
 ふわりと風に流れてしまうかのような動き。けれど風によらぬ動き。

 ――それは、やわらかいものだった。

 頼りなく思わせるくせに、やわらかいそれは壁を滑って奥へ向かう。
 人々の間をすり抜けて足を運ぶ先は細い路地の、奥の奥の、奥。

 ――それは、それは、それは、

 通り過ぎて踏み出した先には小さな空間。ささやかな水場。
 落日の光、薄月の光、洩れ注ぐ街灯がそこに降る。
 まろくやわらかいそれは降り散る光の泡の中に混ざってしまう。

 けれど意識を絡め取ったはずのそれは既に欠片程の磁力も持たない。
 止まった噴水。その傍に立つ誰か。磁力はそちらに移っていた。
 水場に散る光の泡のせいなのか、顔は見えない。
 ただ、持ち上げられた腕だけが、差し延べられた腕だけが。
「――――」
 己の名を呼ぶ声だけが、鮮明で、抗い難く。

 ――それは、夢見の淵へ招く泡沫の灯。

 ――永久の、夢見へと、招く。泡。





■泡沫と永久の夢■





 ぱちり。泡がはじけた。



 ふると睫毛を揺らして瞬きを数度。
 心地好い風に目を細めていたのだけれど、どうやら半ば眠り込んでいたらしい。
 小さな欠伸をひとつ。指先で滲んだ涙をぬぐって立ち上がると、小さな鏡を取って身嗜みの確認。
 ほんの少し乱れた髪は櫛を入れ直す程ではない。そっと手で流す。
 頬杖をついたりもしていなかったから、おかしな跡が顔に、などということもない。
 うん、と小さく頷いて鏡を戻し、そうしてから時計を見る。午後のお茶にはまだ少し早い。けれどお菓子を自分で用意すると言うにも少し遅い。きっともう取り掛かっているだろう。それを仕事にしている人の邪魔をしてはいけないよ、と教えられたのはずっと昔の小さい頃だった。
「――」
 と、呼ばれたような気がして視線を扉へ向ける。
 それが動くよりも先に耳に届いた軽い音。ああと微笑んで足を向けた。
 かちゃりと扉を開けば驚いた声が小さく上がり、ほんのり笑うと声の主は「もう」と零してからにこりと笑んだ。廊下とこちらと向かい合わせ。にこにこと笑みを交わすのは生まれたときから一緒の子。双子の姉妹。どっちが先でどっちが後かだなんてことは小さい頃に放り出した。
「のんびりなのに、こういうときはすぐに気付くんだから」
「だって足音がよく聞こえていたもの」
 でも中身はそろそろ一緒じゃないから、付き合いのある人達は自分達が並んでいればどうにか見分けもつくとのこと。それもまあ、すまして仲良く座ったりしていれば無理な話かもしれない。先日の昼食会を思い出せば愉快な気持ちになった。
「楽しそうね」
「思い出したから」
「昼食会?」
「そう」
 こういったときに当然にそれが通じるのは双子だからだろうか。
 ずっと一緒にいれば不思議でもない気はするのだけれど。
 部屋に入らない姉妹に、迎えに来られたらしいとふんで部屋を出る。かちりと扉が閉まる音。
「あ、それでね」
 並んで廊下を歩き出してすぐにはきはきとした調子で姉妹が話し出すのは、割合にいつもの通りだ。
 のんびりとした性質の自分とバランスを取るように、彼女は気が早く行動も早い傾向にある。ただ、小さな頃からそうだったと父母は言うから生まれる前から役割分担をしていたのかもしれない。とはいえそれは嫌な気分ではなかった。歌うように言葉を紡ぐ自分の姉妹。それに相槌を打つのは楽しいのだから。
「さっき――の――さんが来られて」
 そんな普段通りの気持ちでいたところで、あら、と内心で首を傾げた。
 ――さん。
 昔から付き合いのある、兄のような人。
 自分よりも幾らか年嵩の優しい、家の使いで訪ねてくることの多い人。
 ――家の――さん。
「探していた本を見つけたので、って」
「――さん?」
「そうよ。わざわざ持って来て下さったの」
 思わず口に出せば、少し普段と違った笑みで覗き込む。曖昧に笑って受け流しつつ、気のせいかしらとまた首を内心で、ことり。今自分はその人の名前を音にした。確かに頭の中で考えた。そのはずなのに、どうしてまだ、名前が聞こえていないような気がするのだろう。
「もしかしてまだ私寝ているのならどうしよう」
「わざわざあなたの為によ?――って、え?」
「なんでもないから」
 ころんと唇から落ちた呟きに、姉妹の言葉が止まる。
 何故だかからかうような調子になっていたので、それは幸い。兄のような人の話をするときには最近いつもこんな風だったから、戸惑っていたのである。
「こうして起きてるから大丈夫でしょうって言いたいけれど、そんなことを言うのって寝惚けているのかしら。どっち?」
「本人に確認するのっておかしいと思うんだけど」
「そもそも私が呼びに行くまで眠っていたのね。それはまあ、いいお天気だけど」
「うん。いいお天気だから眠ってしまっていたの」
 そうして、転がった話を繋いで続けながら階段を下りたところで件の人。
「やあ」
 自分達の父と並んで出て来た兄のようなその人は、自分を見て微笑むと、こちらの名を呼んだ。

「千獣」

 自分の名前を呼んだのだけれども、確かに名前を呼んだのだけれども。
 違う音が聞こえた気がしてぱちりと瞬きを、何度か瞬きを、怪訝そうに繰り返す。
 ああでもそれも私の名前なのだ。それを知る。
 重なって聞こえる二つの――生まれたときから呼ばれているものと、千獣という聞きなれないものと――が奇妙な重なりを響かせた中、ようこそ、と笑ったのは、そんな気持ちが確かにあったからだった。



 ぱちり。泡が。ぱちり。遠く眠りの水面の近く。



「父の使いで出た先で……っと、もう手に入れた?」
 庭からの色と光がふんだんにかかるテーブルに置かれた一冊。
 そこから硬い輪郭の指先が離れるのを見遣ってから、手の主へ目線を動かしていいえと首を左右に振る。その返事に、テーブルを挟んだ向こう側で彼はそうと微笑んだ。
「それはよかった。うん、そこで見つけたものだからさ」
 にこり。にこり。
 向けられた笑顔に笑顔を返す。
 自分を呼びに来た姉妹は「いやだ私ったら用があったの忘れてたわごめんなさいお付き合い出来なくて」だとかいったことを滔々と語って席を外してしまった。
なのでここには自分達しかいない。まあ別に居心地の悪いわけでもないから問題はないけれども。むしろ兄妹とばかりに親しく付き合いのある――丁寧に考えていけば、兄というのとも違うのだろうけれど、何年もの関わりをそこまで細かく解すわけもないので兄同然という慕わしさで全てが収まる――相手との時間だ。双子で過ごす午後のひとときとはまた違った楽しさがあるというものだった。
「読み終わったらまた感想を聞かせてくれると嬉しい」
 そんなことを言う彼の視線を感じながら、本を手に取り数頁ばかりめくってみる。一息に読もうか、少しずつ少しずつ読んでいこうか。思いつつ開いたばかりの本を閉じた。ありがとう、と告げて頂戴する。今度こちらからも贈り物をさせて貰おう。心の中で考えた。
 ふうわりと庭の花を揺らして風が吹く。季節ごとに花が咲くようにと毎日手入れに精を出す庭師の親子は裏手で作業中で、遠くの音はすれどもそれだけだ。彼と自分の間で会話がないときには割合に静かであった。
 不快ではない沈黙を広げて二人で遠くを見る。千獣、と呼ぶ彼の声。
(そういえば私の名前)
 応えを返しつつ相変わらず重なる二つの名前に瞳を瞬かせてしまう。
 うん?と訝しむ彼が覗き込むけれど「私をなんて呼んでいるの?」だなんて聞けるわけもない。なんでも、と首を振る。これが席を外した姉妹ならばあっさりと聞きそうだけれども、彼女より気長な分だけ行動に余裕を持つ自分では、思った事をすぐに口にするというのは少々難しい。しばらくは黙っておいて様子を見よう。
 ひとりで結論を出してもう一度、返した。
「そう、なんでも」
 彼はその言葉にそうと頷いて、つと表情を改めた。優しげな様子に何かが混ざる。千獣、と彼は名前を呼んだ。相変わらず二つの名前が重なっている。
「君は少し――かなり、かな」
「?」
「自分の中で色々と片付けようとするね」
「そんなこと、はない……と……」
 思う、と言うのが消えてしまったのは多少の自覚があったから。あるいは言う間に彼の眉間になんだか力が入ったから。まあどちらもあるだろう。
 しかし、それにしても名前の二重状態について考えた今の僅かな間から、彼は何やら自分の思案を察してしまったらしい。これも付き合いの長さ故か。するっとそんな風に考える間も彼の眉間に力は入ったままだった。
「だからいい機会だし言っておこう」
「私に?」
「ここで君以外に何を言えと」
「そうかしら」
「そうだよ」
 彼の眉間に皺を刻みそうな力の入れ具合が抜けたのは、問い返しの更なる返答にとりあずながら頷いて、ようやく。
「最初から最後まで自分の中で片付けようとするのはやめるように」
 ただ、妙に力の入った話しぶりについ頷いたという部分は大きかったのだけれども、ほっと息を吐いた彼にそれを悟らせることもなかろう。知らぬ方が良いことも多いのである。
「どうにも一人で抱え込んだり背負い込んだりすることが多くなりそうな気がして仕方がなかったんだ。言おう言おうと思っていた」
 どこかで無茶をしそうだし、と表情を緩ませた彼にきょとんとするばかりだ。
 面倒見のいい人ではあるが何をそれほどに案じてくれるのか。
「たとえばそう、ちょうど一年前の――」
 首を傾げた内心を読み取ったのだろう。彼は指折り数えて一つ二つと出来事を並べ始める。ああそれもなのか。そういえば姉妹にも「内緒にしないで」と言われたことがあった、そうかそれもか。聞けばそんな感想を抱く彼の話す内容に終わる気配が見当たらず「あと半年前にも」と最近の事に戻ったところで言葉の隙をついてそっと詫びた。
「ごめんなさい。そんなにだとは思わなくて」
 ゆるりと笑って首を傾げる。姉妹がいうには自分に甘いという兄のような人である。ぐ、と言葉を詰まらせて飲み込んでから溜息を吐いて笑った。やれやれとばかりの表情の変化を間近で見る。彼の手が上がって自分の頭に伸び、触れて。
「…………」
 しまったとばかりに唇を「あ」の形にした彼は、一瞬動きを止めてから何気ない様子で頭に触れた手を動かした。するすると撫でる風に、ちょっと遠慮がちに。ぎこちなさは上手に隠されたのだけれど、生憎と彼が自分を撫でるのは以前からよくあることだったのだ。妹のように扱ってくれている人が、いつも通りの動きに緊張を混ぜるのには気付かないわけもない。というかそこからまた気付くことがあったりもするのだけれど。
「そういえば撫でて貰うの、久し振りな気がする」
 思わず気付いた事を口にすれば彼はまたぎこちなく手を動かした。
 撫で終わって引っ込む腕がこれまた一瞬だけぐらりと上下に振れたのだ。しかしそれを気のせいですよとばかりに戻すので確証を抱くまでには至らない。
「違ったかしら」
「そう……だったかな」
「……だと思うけれど」
 記憶を辿ってあらぬ方へ視線を投げてみる。
 ただ、別段これで何が変わるわけでもない事なものだからわざわざ追及する必要もなかろう。心地よい風の吹く中でいっときのんびりと思案する風を装ってみてから、わからないわ、と首を傾げたらそれで終わりにすることだった。
 そうして安堵の表情――だけでなく困惑だとか落胆だとかが混ざっているように感じられる理由はそれこそ不明。彼は今なにかを期待していたのだろうか。辿りついて欲しい答えがあったとか?それは彼女ではなく、彼女の双子の姉妹の方が第三者故に気付いているようなことだったので、ここではどうにもならなかった――を浮かべる彼となんとなし見詰め合う。再びの沈黙。会話が途切れても不快ではない間柄だから、鳥の声なぞを拾いながらのんびりと庭を。
「今度、出掛けようか」
 二人でゆっくりと、庭を眺めてどれくらいか。
 用があると去った姉妹はともかく、他の誰もずっと来ないから二人だけで、ゆっくりと過ごしてどれくらいか。じきに日も落ちる頃になるだろう。もう少ししたら中に入らなくちゃ。空の彩りに瞳を細めていれば耳に入った穏やかな低い声。
「可愛らしい小物を扱う店が新しく出来ているそうだよ」
 案内してあげよう、と微笑む顔をまじと見る。あまりに優しい瞳につられて自分の瞳も和らいだろう。ありがとう。そっと告げれば彼は浮かべた笑みを深めた。嬉しそうにするのはむしろこちらなのに。思いながら言葉を続ける。
「あとであの子にも言っておかなくちゃ」
「……うん。そうだね」
 途端に彼の眉がしんなりとなにやら悲しげな風情を湛えたのは不思議。
 ことりと首を傾げる前で、彼は「うん」ともう一度頷いて深呼吸をひとつしてから何かが抜け落ちるような力の入らない微笑を刷いた。
「そうだよなあ」
 苦笑交じりな呟きに、胸の中で疑問符をぽろりと作り出しながら細く息を吐いて目を閉じる。
 ああ――本当に今日は過ごし易くて気持ちのいい日。

「千獣」

 やんわりと風が吹く。やんわりと声がする。
 心地よい世界。心地よい時間。心地よい、心地よい、心地よい。

「千獣。駄目だよ」

 呼ぶ声がする。二重に聞こえる私の名前。私の。
 そうそれは私の名前。千獣と呼ぶ声を私は知っている。
 名前が一つになっていく。一つだけ。千獣。知っている声。

「千獣。このまま眠ってはいけない」

 あなたがわたしをよんだせかいは――



 ぱち、ぱち、ぱち。泡をはじいて眠りの水辺に手を伸べる、誰か。



 ――おはよう、永久の淵より引き戻された人。

 目を覚ましたのは普段通りの宿の一室。
 ハロウィンの夜を過ぎた街は普段通りのようで、普段通りでないようで、どこか曖昧な空気を湛えて朝の光の中にある。千獣はそれを窓の向こうに見遣ってことりと首を傾げた。
 街で何か見て後を追ったような気もするのだが、何故だか誰かに促されて動いたような気もするのである。はて、ハロウィンに便乗した不思議が千獣にも関わった結果だろうか。しかし記憶に引っ掛からない。悪いものではなさそうな感じがするので大丈夫だろうとは思っているのだけれども。
 早朝のエルザードをぼんやり眺めてから千獣は身支度を整え始めた。
 化粧だとかで時間を取るわけでもないから、かかる時間はそれなりだ。長い黒髪をさりさりと梳いていくのが存外と手間を取るというのも、毎日であれば慣れたもの。さらりと引っ掛かりなく滑り落ちるようになれば完了。小さく頷いてからそっと片手を耳に近付け――止めた。
 指先に触れる硬質のものはない。耳飾りは今は大切な友人のもとに。
 けれど何故だろう。今朝に限ってその耳飾りを着けていた辺りに指を添えてしまう。ささやかな重みを懐かしんでしまう。どうしてだろう。記憶のずっと奥深くから誰かの声が聞こえる気がする。無理をするな、抱え込むな、背負い過ぎるな。案じる言葉がかかるような、そんな。
「…………」
 千獣はその感覚に逆らわなかった。
 いっとき指先が耳に触れるままに目を閉じる。
 そっと胸の中で木霊する朧な声を掬い上げる。
 きっとそれは僅かばかりの時間のこと。
 瞬きを数度重ねる程度の時間のこと。
 ただそれだけ。千獣が目を閉じていたのは、それだけ。
 そうして身支度を再開して、合間にそっと呟いただけ。

「大丈夫だよ」

 そこに聞く人はいないけれど。訊いた人はいないけれど。
 でもきっと抱える多くを吐露しない千獣を案じて手を差し伸べた誰かが。

 誰かが、眠りの水面を揺らしてまでも、誰かがいたから。

「うん、まだ、大丈夫」

 だから千獣は笑みを僅かに浮かべ損ねながらも、その人に告げた。



 さあ、泡は全て消えました。
 夢は終わり、永久も終わり。

 ぱちん。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3087/千獣/女性/17歳/異界職】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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御参加有難うございます。珠洲です。
大変お待たせして申し訳ございません。
おそらくは彼が引き止めてくれたんじゃないかなと。
結果として寝たままバッドED回避なんていいかなと思います。
それでは、お楽しみ頂ければ幸いです。
HD!ドリームノベル -
珠洲 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2010年11月22日

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