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『  グレイト・エンブリオ 』
三島・玲奈7134)&黒瀬・アルフュス・眞人(NPC1381)


 ひやりとした岩室の洞窟の奥に、少しばかり開けた広間があった。
 中央に据えられた小さな卓の上に、蝋燭の灯りが一つ、灯っている。
 凹凸の形も荒々しい壁には、黒い影が大きく広げた布のように揺れていた。
「この憂慮すべき事態をいかがすべきか……」
 煩悶の表情を浮かべて龍族の賢者はひとりごちた。
 もはや切迫している、と言ったところでけっして言い過ぎではない。
 龍の一族の雌個体数が急激に減少している。すなわち、種の滅亡に向かっているということだ。
「わからぬ。なぜ減少し続けるのか、わからぬ」
 だが、減少の原因はいまだに突きとめることができていない。
 あまねく賢人たちを呼びよせ、幾度となく議論を戦わせた。雄と雌から体液・体組織のサンプルを採取して究明しようとしたことはもちろんだ。そうしてどれだけの年月が過ぎたかわからない。今も雌個体急減の理由は依然として雲の中だ。
 挙げ句、ついに原因を探っている時間すらなくなってきた現状に、賢者は低く唸った。
「かくなる上は、他種族の血を入れてでも」
 禁じ手中の禁じ手だが、今はもうどんな形であれ、種族を存えることが先決だ。現龍族の雄と雌が交配する限り、一族の未来は無いのだ。
 部屋を照らしていた唯一の灯火が、小さな音を立て、今にも掻き消えそうに揺れた。



 一週間前のその日、スポーツ新聞の大見出しに躍った活字は、アイドルグループ6人組「OPIUM」の一人が失踪した、というものだった。
 ミステリアスで蠱惑的な雰囲気を持つ美少年たちで結成されたグループ「OPIUM」のメンバーは、その麻薬を表す名の通り、一目見た者を中毒に陥れる魅力を備えている。
 彼らの中性的で、国籍が入り交じったような顔立ちは、明らかに平凡な日本人顔とは一線を画しており、かといって、日本人離れしすぎているということもない。おそらく、誰から見ても懐かしく感じる雰囲気と未知の雰囲気を併せ持っているということなのだろう。現に海外のファンも多いと言われている。
 キャラクターを重視するためかバラエティに出演することは少なかったが、あちらこちらの雑誌の表紙を毎日のように飾り、CMに起用すれば間違いなく売り上げが上がるという。6人それぞれがゴールデンタイムのドラマの主演・準主演を総ナメという、まさにドル箱だった。
 そんなであったから、「OPIUM」という商品はMKプロの現社長――美少年アイドルグループを次々と世に送り出してはヒットさせ、彼らを叩きそうなマスコミには金を握らせ飴と鞭とで上手く防衛しながら、役に立ちそうな方面には抜け目なく繋ぎを付けるという辣腕で知れた女社長である――にとってて、まさに目に入れても痛くない存在だったようだ。特に女社長の「OPIUM」のメンバー一人一人に対する直々の待遇は、まるでケーキか何かを買い与えるように、高級車をポンと買ってプレゼント、別荘、別宅をポンと買ってプレゼント、などというほどで、人も驚く溺愛ぶりだったという。
 そんな「OPIUM」の一人が失踪した。
 黒髪が美しい伏し目がちの少年の顔写真と共にテレビに映ったMKプロ社長は、朝から晩までひっきりなしにたかれるフラッシュを浴びながらハンカチを目元に押しつけて泣いた。
「あの子を返して!!」
"芸能界の鉄の女"の異名を取る女社長が、しわ嗄れた太い声で泣きじゃくっていた。
 そんな女社長の様子に対するマスコミおよび視聴者の反応は、好意的なものも非好意的なものも含めて実に様々だったらしいが――。




 ヒト遺伝子のY染色体――ヒトの性別を男と特徴付けるそれが、密かに劣化の兆しを見せ始めたのは、いつごろからのことだろう。
 見えるところ見えないところで汚染され続けている自然界は、循環し続けている。ヒトは自然を汚染して、結果的に、自身の遺伝子欠陥という災害を招いたのかもしれないし、あるいは、人知の預かり知るところではない天の采配なのかもしれない。
いずれにせよ、大多数のヒト、つまり世間一般の人間たちがその危機を身に迫るものとして感じていない一方で、過敏に反応している者たちもいた。
 滅亡の危機に瀕している優秀な男性遺伝子を守ろうという名目で設立された団体、『グレイト・エンブリオ』。
 別名を「美少年教」。もっとも後者は一部のマスコミがつけた知る人ぞ知る名称である。
 本来は、知力や運動能力などの優秀な遺伝子を対象にしていたというこの団体の出自は、世界大戦があった時代の某国にまで遡るという、一種、国際秘密結社じみた団体だった。
 それがここに至ってY染色体の劣化という原因不明の事態に直面し、急務として劣化Y染色体の研究と、ヒト精子の冷凍保存という方面に方針転換したらしい。――との噂がもっともらしく流れていた。もちろん、アンダーグラウンドでの話である。



「で。ええっと、黒瀬さん、でしたよね? その『グレイト・エンブリオ』っていう組織が、OPIUMの子を攫ったっていうんですか?」
 玲奈は、向かいの席に無表情に座る全身黒尽くめの男に尋ねた。
 喫茶店の奥まった席だった。三方を壁に囲まれていて、化粧室やスタッフルームからも遠い。開けた一方は広く、店の入り口までを見通すことができるが、観葉植物があるせいで、入り口に背を向けてしまえばそれとなく人目を避けることができる。窓を叩く枯れ葉の音もここには届かず、立ち聞きの恐れもない、という場所だった。
 黒瀬と呼ばれた男は、曖昧に首を捻り、隣に蹲るようにして背を丸めている中年の婦人へと親指を向けた。
「この人がそう言うんでね。俺は『グレイト・エンブリオ』の名は聞いたことがあったが、ノータッチだった。てことで俺の方でも調べてはいる。だが、どうかな。ざっとネットに流れる噂を洗ってみたところ、少年……美少年の温存を訴える妙な書き込みがここひと月で激増していた点。それから、ここ一月で、十代の少年の行方不明者が目に見えて増えている点。またさほど時間も経っていないから公表されてはいないが、早晩、報道されるようになるだろう。何にしろ、この二点の連動が妙だと思った」
「少年が、拉致……美少年の、温存ってこと?」
「さぁな。例の書き込み内容曰く、美しい男がいなくなるってさ。優れた男性の遺伝子を早急に保存、保全しなければならんのだとかなんとか。わけがわからん。――だがまあ、『グレイト・エンブリオ』と関係があるにしろ、書き込みの方は、その不用意さからして末端にいる者の仕業だろう。団体の目的は、次世代のために各方面に優れた遺伝子を集めることだそうだ。ゆえにそこには選民的な思想がある。排他的な思想もある。次世代を美しい人間たちの世界にすべく、外見も重視する。……旧約聖書曰くの神の姿を写した完全な人間たちによる楽園を作ろうとしているらしいな。その目的のために、奴らはお眼鏡に適った若者を勧誘しては連れ去り、家族の元に戻さない。機密を知られる恐れがあるからだろう。『美少年教』と言われる所以だな」
 それまでだまりこくっていた中年の婦人が、不意にがばりと顔を上げた。
「絶対それよ!」
 そう叫ぶやいなやテーブルを叩く勢いで身を乗り出して、唾を飛ばしはじめた。
「そいつに違いないわ! だって、あの子を誘拐したのに身代金の一つもアタシに要求してこないのよ!? それに、記者クラブの連中だって言っていたもの。『グレイト・エンブリオ』だって。きっと今頃あの子に人体実験なんかをやってて……!!」
「まぁまぁ、静かに、落ち着いて。他の客に聞かれたらマズイだろう。マスコミだってひさしぶりのオイシイ芸能ネタだっつって血眼になって嗅ぎ回ってるんだ。人体実験とか聞いたら、涎垂らして飛んでくるぞ。当然、アンタだって今見つかったら面倒なことになるんじゃないのか」
 黒瀬が女社長の肩に手を置き、押し込めるように押さえつけた。
「そんなわけで、三島、と言ったよな。君に頼みたいんだ。彼を奪還して欲しい」
「う〜ん。いいですけど、私は何をしたらいいのかしら。それに、黒瀬さんは?」
 そう玲奈に言われて、黒瀬がどうにもまばらな長さの髪をガシガシと掻いた。
「……俺も動く。このオバサンに、誘拐された彼の代役をやってくれ、とかフザけた仕事を頼まれたんだが、俺がやったって刃物が送られてくるだけだ。だったら、とっとと彼を連れ戻したほうがよほどマシだ。――ただ、俺一人では難しそうでな。『美少年教』とかいう眉唾な情報よりも、むしろ、俺としては軍関係のキナ臭さの方が気になる。ロシアの極地近くの辺境に地下研究機関を持っているらしい」
「美少年拉致犯罪者が……地下研究機関? それってなんか、大袈裟じゃない?」
「美少年拉致なんて言い方をすれば、世の中にさして影響のなさそうなイカれた連中だと笑うこともできるよな。だがこのオバサンが言うように、実際の所はきっと人体実験もやっている。もっと言おうか。俺の推測からすると、総本部があるのはかつて史上最大最強の水爆が作られた場所だ。『グレイト・エンブリオ』には選民的で排他的な思想があると言っただろう? 彼らは優秀な遺伝子と劣等な遺伝子が混ざることを良しとしない。つまり、いずれ、彼らによって『優秀』と見なされなかった者たちは、抹消される可能性がある、ということだ。奴らがそれを実行するのがいつかはわからない。明日明後日に迫っているとは思えないが、いつかはやるだろう。その思想がある限り。――とまあ、本来はそういうことを目的としている団体だったらしいんだがな。今は男性遺伝子に拘っているらしいから、よくわからん。念頭に無ければならんのは、そういう団体からある程度知名度のある人間一人を奪還しようとしているということだ。まさか今は水爆が飛んで来たりはしないだろうが、俺が一人でライフルごときを担いで殴り込んだって、骨も残らない、という可能性もなきにしもあらずだ。何事も無ければそれはそれでいいだろうが、何があっても不思議じゃないと認識しておくことは無駄じゃないだろう。そういうわけで、君に協力を頼みたい。報酬ははずむ、はずだ」
 黒瀬はそう言って、女社長を横目に見た。



 高層ビルの合間から、空に向かって何本ものレーザーが放たれている。それらの光線に洗われるようにして、都心の夜空を滑空する黒点があった。
 太古の恐竜のそれのような数メートルもの翼を広げた人型の生物。翼と堅い甲殻様の外皮で覆われた体表。うなじに見え隠れするトカゲのような肌を除けば人の女性の姿にごくごく近い。龍の一族の女たちだった。
「港にいる赤い冷凍輸送用トラックが目標とのことだった。見えるか」
「いません。駐車場にも見あたりません。貨物船にもう搬入されてしまったのかも…」
「そんなはずはない。長老の仰せからして、彼らを誘惑するに充分に足りる時間のはずだ。探せ。右方に見える倉庫のあたりは」
「倉庫……。……あ! 見えました! 第一、第三と書かれている倉庫の間に、赤いトラックが一台だけ」
「よし、向かう」
 そうして人気のない倉庫の間に降り立った龍女たちは、通路に放置されていた赤いトラックへと近づいた。
 地上に立つと同時にその翼を消し、龍の姿を人の姿へと変える。めいめいが胸元も露わなパーティドレスに身を包んだ艶めかしい女性の姿へと身を変じ、トラックの荷台へと忍び寄る。
「運転手が居眠りしているほかは誰もいないようです」
「そうか。薬でも嗅がされているのだろう。元より人目に付かぬ場を用意するとのことであった。そして籠絡して後、一族の元に連れて来るようにとの仰せだ。そうであれば万が一とて人間たちの目に触れることはなかろうが、念のため、おまえはその運転手を見張れ」
「はっ」
 龍女たちの長と思われる凛然とした面だちの女がそう命じると、淡いラベンダー色のドレス姿へと身を変じた女が運転席の方へと走っていった。
「さて、開けるか」
 冷凍輸送用トラックの荷台を開くべく、龍女たちは、観音扉へと手をかけた。
「この中に、人の男たちがいるのだ。我らが手始めに落とすべき男たちが」
「そうでなければ、わたくしたちの未来はないのですものね」
「そうだ。人の男の血統を我ら龍族に交えるなどとは、前代未聞である。だが、一族が滅びに直面しているときに、血統を云々していられぬという長老の仰せには一理も二理もあろうというものだ。いまや他の同胞たちも動き始めている。これは我らの血統が劣る一歩なのではない。一族の新たな未来がここからはじまるのだ」
 並みいる悲壮な顔をした龍女たちのなかで、とりわけ深刻な表情でそう語った龍女の長が、力任せに荷台の扉を開いた。



 真夜中の首都高を一台の黒いオートバイが疾走していた。ハンドルを握っているのが黒瀬で、その後ろに乗っているのが玲奈だ。
 黒瀬の腰につかまりながら玲奈が声を張り上げた。エンジン音がけたたましくてそうでもしなければ声がかきけされてしまう。
「……さん! 黒瀬さん!」
「なんだ」
「もう一度聞きますけど! 彼がどこにいるのか、黒瀬さんは知ってるんですよね!?」
「ん? ああ、だいたいな。」
「だいたい!? …っじゃあ、それって、遭遇できないかもしれないってことじゃ」
「OPIUMの彼の他にも失踪している人間はかなりいる。日本の各地で、な。もっとも若い男のみならず、女もという情報もあったんだが、そっちはわからん。無関係か、それともガセか、調べるには時間が足りなかった」
「そんな話、喫茶店でもしてたけど……でも、それで何がわかるっていうの?」
「時期を同じくして失踪ということは、急な目的があるからだ。急遽拉致して集めた彼らをどうしたいからだと思う?
「そういえば、せーので拉致したら怪しまれるってものよね。じゃあ、ヤツらも危険な賭をしてるってこと?」
「そうだ。いくらなんでも怪しまれる。怪しまれないようにやるなら、下策中の下策だろうが、それでも断行しているということは、それなりの理由があるんだろう」
「なるほどね。奴らは急いでる……」
「ああ。で、警察ではなく、情報屋が持っていた被害者の足取りが掴めなくなったポイントを洗い出してみたら、軒並み主要幹線道路から見て比較的周辺だったってことがわかった。それらの道が通じている先は関東の港湾だ。まあ、拉致した彼らを日本外に運び出したいんだろうからな。とはいえ、俺の勘である以上、これも賭だ」
「でも、港湾だったら取り締まりだって厳しいでしょ? もっと港って感じじゃないところから国外脱出させた方がいいんじゃない?」
「そこはそれ。木は森に隠せというやつだ。弱小の組織が国外へ拉致しようというのなら、港湾を使わない方が断然リスクが低いってもんだが、今回はどうせ、グレイト・エンブリオが絡んでる。奴らが絡んでいるなら、取り締まりなんざあってないようなもんだ。もし森の中で木じゃないものが発見されたとしても、誰かが目をつむってくれるという寸法だろうな」
 深夜の首都高にタンデムするバイクのテールランプが流星のように流れていった。


 巨大な腕のようなクレーンをいくつも載せたタンカーが横付けされている港の、倉庫と倉庫に挟まれた通路で、爆音が上がった。
 今を去ること十数分前、意を決してトラックの荷台を開けた龍女たちが見たものは、手足を縛られ、猿轡を噛まされた少年たちだった。
 驚きに目を見開く彼らの中には、例の黒髪が美しい伏し目がちの少年も混ざっていたわけだが、それは龍女の知るところではない。
 真っ暗な鉄の箱の中で、少年たちはどこに連れ去られ、自分たちの身がどのようになるかもわからない極度の不安を味わったのだろう。人間の美女の姿に変じた龍女たちの姿を見ても、その瞳から恐怖は立ち去らなかった。
 龍女たちは艶やかな微笑みを浮かべ、物腰柔らかに荷台に上がり込むや否や、少年たちを抱きしめた。柔らかく豊満な胸の中にである。
「怖かったでしょう? もう安心していいのよ。私たちが助けに来たんだから」
「あら、汗でびっしょり。さ、これで拭いて。これもほどいてあげるわね」
 少年たちの足にきつく結ばれたロープを切り、猿轡も解いていく。
 はじめは怯えきって青くなっていた少年たちも、身体を戒めていた物が無くなり、無理な姿勢を強いられていたための痛みも消えていくと、顔と身体から強ばりが抜けていった。
 それどころか、天女のように現れた女たちの謎めいた甘い声音にだんだんと恍惚とした表情を浮かべはじめ、やがては麗しの微笑をたたえた龍女たちの肩や腕に取りすがり、しがみついた。
「もう少しの間、僕とここにいてくれませんか」
「いかないでください!」
「怖かったんだ、俺……俺、これからどうなるんだろうって思って」
 龍女たちは、纏いついてくる少年たちの耳に濡れた声で囁いた。
「もう少しだなんて。ずっとここにいてあげてもいいのよ」
 そんな甘ったるい会話が荷台の中のそこここで交わされていた時。
「全員そこを動くな!!」
 何処から現れたのか、武装した男たちが現れた。
 そして短機関銃を構えた彼らは、龍女と少年たちに銃口を向けた。
「なんだ!? どういうことだ!」
 龍の女が目をみはると、武装した男たちの後ろから、スーツに身を包んだ男が一人現れた。
「諸君。お役目、ご苦労だった」
 口元に薄い笑いを浮かべた痩せた男だった。



「黒瀬さん! 今の音、聞こえた!?」
「音!? なんの音だ。俺は聞こえなかったが?」
 玲奈の鋭い感覚にかかれば、たとえ飛行機のエンジン音が間近で鳴っていたとしても、テレパスの力で存在を感知してしまう。本気の玲奈にかかれば、だ。
「爆発した音よ! 悪意も感じたわ。何かを害そうという強い意志……私、先に行く!!」
 そう言うなり、黒瀬の腰から玲奈の腕が離れた。
「おい、待て! 先に行くって、うわっ!」
 100キロを軽くぶっちぎって走っていたバイクの後ろで、夜闇にも白い翼が大きく広がった。パラグライダーのように風をはらんで、見る間にバイクの後方になる。そして一気に高く舞い上がった。
「玲奈! 玲奈!! どこへ行くんだ! 行き先は!」
 橋梁の頂よりも高くを飛翔する玲奈を振り返り振り返り、届くわけもない高みへと黒瀬が叫ぶ。よそ見運転のせいで一歩間違えればあの世行きになりかねない。危うくあらぬ方向に向きそうになるタイヤを勘で御していたが、そんな黒瀬の頭に、唐突、声が響いた。

<――……この先のインターを降りて、四つ目の信号を右折して。そのまま埠頭に向かったら、倉庫が見えてくるわ。その第一倉庫と第三倉庫の間へ――……>

 黒瀬に超能力はない。
 耳ではなく頭に直接響いた玲奈の声に、なかば呆然としながらも、黒瀬は低くつぶやいた。
「……了解」
 ぐらついていたバイクが体勢を立て直し、再び猛然と走り出した。


「我々を抹消せよとの依頼だと…? ……ふ、ふざけたことを言うな!」
 いまや龍族としての姿に戻り、しかし、背から生えた翼は折れている龍女の長が、怒りに燃える目で痩せた男を見つめた。膝を突いている彼女を銃を構えた男達が取り囲んでいる。その後ろでは、もうもうと上がる煙の中で龍女たちが折り重なって倒れ臥している。トラックは運転席がひしゃげ、爆風のあおりを食らったらしい少年たちもアスファルトの上に倒れている。
「長老がそんなことを仰せになるわけがない! 我らは龍族の種族としての命を長らえるため、長老の特命を帯びてここにいるのだ!」
 血を吐くように叫んだ龍女の長へと、痩せた黒づくめの男は相変わらずの薄笑いを浮かべていった。
「ほう。あなたの考える長老は相当あなたを信頼しているようだが、考えてもみたまえ。君たち龍族の血が衰えた理由はそもそもなんだった?」
「なんだと……? 何が理由って」
「君たちだよ。君たち、龍族の雌の遺伝に欠陥が生じたからだ。君たちの持つ血のせいで、龍族全体が滅亡の危機に瀕しているということだ。ならば、どうせねばならないだろうかね?」
「我ら龍の雌の遺伝子が原因……。それで、それで我々が邪魔だと……?」
「さすがだな、察しが早くて助かる。私も長々と説明するのは面倒なのでね」
「だが! だが我々を滅ぼしてどうする! 龍の雌がいなければーー!」
「人間の女を龍に交わらせるのだ」
「それで、滅ぼした我々の代わりに人間の女を使って、それで龍族が成り立っていくとでも…!」
 男はにやりとした笑いを頬に浮かべた。
「遺伝的に優秀な人間の女だ。潜在的な能力に恵まれている女も多くいる。安心しろ。我々が責任を持って提供させていただく。なにせ、君たちの長老たちから既に多大な協力を得ているからね。全世界の優秀な人間を集める我々の計画に対して。ーーさて、憤懣は多々あるだろうが、これで多少は納得してもらえただろうか。君たちが消えねばならない理由というのを」
 そう言って、痩せた黒服の男は、武装部隊を一瞥した。
「始末しろ。だが、体組織は使う。こまぎれになろうと構わないが、死体は回収するのだ」
 武装した男たちの一人が龍女の額に照準を合わせた。引き金へとかけた指に力が篭もる。
 その銃を持った男の首から上が、次の瞬間、消え失せていた。
 一瞬の間の後、漸く事態を飲み込んだ男たちが悲鳴を上げた。
「なんだ! どこからだ!! 落ち着け!」
 痩せた男もトラックの残骸の影へと走る。
 その男の目の前にひらりひらりと落ちてきたのは、一枚の白い、羽。
 男は、はっと天を仰いだ。
 仰いだ先の夜空には、アメジスト色の瞳を輝かせ、夜空には白い翼をはためかせる天使がいた。いや、天使では――なかったのだが。
 一瞬で辺りは混乱に陥った。アメジストの瞳から鋭い光線が走るたび、叫び声が上がった。痩せた男が何を喚いてももはや誰の耳にも届かない。
「撃つな! 撃てば殺されるぞ! 撃つな!!」
 痩せた男が目の前で銃を構えた者の肩を掴み引き戻そうとすると、武装兵は邪魔だとばかりに突き飛ばした。
「落ち着けっ! 撃つな! ……畜生!!」
 そう歯噛みする間にも、あちらこちらで手榴弾の爆発する光が、短機関銃が独りでに暴発して木っ端微塵になる音が、腕が飛んだ男の断末魔の悲鳴が、辺りに満ちていった。

 黒瀬が到着したとき、その目に見たものは、呻き声を上げながら死屍累々とばかりに転がる武装兵たちと、翼を隠すこともないままに鬼気迫る表情で彼らを睥睨する玲奈の姿だった。そして玲奈の腕にはぐったりとした龍女の長が抱かれていた。
「帰りなさい! 貴方たちの企みなら聞いたわよ。この人たちを繰り人形にして、まとめて始末しようとしていただなんて……! 帰ってあなたと一緒にこのことを企んだ奴らに言うといいんだわ。この私が、あなたたちの好きにはさせないって!」
 痩せた男がむくりと砂埃と血飛沫に塗れた身体を起こした。ヒビの入った眼鏡をかけ直し、震える声で笑った。
「……失礼。お嬢さんみたいな人がいたとは知らなかったよ。ああ、帰ろう。帰ろうとも。そして伝えよう。お嬢さん、君の存在を。だが、君の言うとおり、この計画は私だけのものではない。もう、止めることはできないのだ」
「なんですって!?」
「残念だが、私だけが動いているわけではない。他にも大勢が動き出している。さながら戦闘機のような君でも、世界中で動き出した我らを止めることは……。それとも、できるのかね?」
 玲奈の眉間に深い皺が刻まれた。
「世界中で……」
「そうだ。だが、いずれにしろ、私はこの場を退かせて頂こう。お嬢さん、君からの伝言も承ったことだしね」
 そうして男は足を引きずりながら、一人港を立ち去っていった。
「追わなくて良かったのか」
 バイクから降りて事の次第を見守っていたらしい黒瀬が玲奈に声を掛けた。
「……うん。大丈夫。あの男の顔と声とは覚えたわ。私のテレパスで、居場所は突き止められる。それに、黒瀬さん、あなたとあの男の言った通り、敵は海の向こうにいるみたいだから。それよりもこの人が心配……」
 玲奈の腕の中では、龍女の長が呼吸も荒く負傷に苦しんでいる。
 その目尻から、涙がつうと伝い落ちた。
「信じていたのに。一族が生き残るために、我らは人と交わらねばならぬのだと、それでも一族の運命を担っているつもりだった。だが、我々は一族からもはや要らぬ物と見なされていたのだな……」
 玲奈は血糊で張り付いた龍女の前髪をそっと撫でた。
「そんなこと……。きっと、誰かが独断で決めたことよ」
 根拠はまったくなかった。嘘でも、思いつきでも、玲奈は今絶望の淵にいるこの龍女の心の痛みを一瞬だけでも和らげたかった。
 龍女は玲奈のそんな言葉に、小さく笑い、それから痛みを堪えるように顔をしかめた。
「人間に慰められるとは思いもせなんだ。私の忠誠が報いられなかったなどと、そんなことはもう、どうでもいい。それよりも、我らの同胞が案じられる。我らのように人の男を飼い慣らせと命ぜられた者たちは、他にも多くいる。あの男の言っていたことが本当ならば、今頃……。ああ、伝えなければ。助けに、行かなければ……」
 そこまで言って言葉は途切れた。龍女の身体から力が抜けた。
「ちょっと! 大丈夫!? しっかりして。ねぇっ!」
 龍女の肩を揺さぶる玲奈の腕を、黒瀬が掴んだ。
「俺が運ぼう。今回、俺は何もできなかったことだしな。といっても、バイクでは運べないから応援を呼ぶ。いずれにしろ人とは違う身体だ。俺たちでは手を施すことができない。助かるにしても助からないしても、彼女の力に委ねるしかないんだ」
 そう言って黒瀬は玲奈の腕から龍女を抱き取った。
「そういえば、例の少年達はどうなった」
 本来は少年達を奪還する予定だったのだ、はたと気付いて玲奈たちがトラックの後ろへと回ると、そこには失神したままの少年たちが転がっていた。
 一人一人の脈を取り、瞳孔を確認してから、玲奈は大きく溜息をついた。
「よかった! みんな無事みたい」
 緊張した面持ちだった黒瀬も、ほっと息をついた。眠っているように見える少年たちの数を数え、
「しめて13人。OPIUMの子もいる。大丈夫だな。一先ず、増援要請を出すとするか。とっとと撤収しないと、グレイト・エンブリオ絡みの警察やらがわんさかと駆けつけてくる」
 龍女を抱き直しながら、器用に携帯を弄り始めた。
 携帯と話しだした黒瀬の隣で、玲奈は地に臥した武装兵たちの亡骸と、翼と四肢のもげた龍女たちの成れの果てを見つめた。
 鉄屑と化したトラックの向こうに、海が見える。倉庫と倉庫に挟まれた間から見える海の沖合で、赤く小さなライトがゆっくりと明滅している。
 玲奈はぐっと拳を握りしめた。
 この海の向こうに、人を差別し排除し操ろうとしている巨大な組織がある。
 「偉大なる胚」というその名とは裏腹に、命を命とも思わない組織が。
 玲奈は寒風の吹き渡る暗い海を、黒瀬に呼ばれて気付くまで、睨むように見つめていた。





<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
工藤彼方 クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年11月22日

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