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『記憶に残るモノ 』
松浪・静四郎2377)&松浪・心語(3434)&ルディア・カナーズ(NPCS003)




「よし。これならぐっすり眠れそうですね」
 ベッドメイキングの仕上げにぽんと軽く叩くと、布団はふんわりした体でそれを受け止めた。干してよかったと松浪静四郎は微笑んだ。今日は天気が良かったのだ。
「掃除は午前中に済ませましたし、洗濯物は片付けましたから‥‥あとは夕食の買出しですかね」
 独り言とともに作業状況の整理をすれば、ぽんと手を打ち、つけていたエプロンをはずす。すっかり主婦の体である。ふたつの店で働きながらの家事はなかなか大変だが、これもかわいい弟・心語のためとあれば何の苦にも感じない。
 備蓄されている食糧の種類と残量を確認し、今日の献立を頭の中で組み立てて。最近は寒くなってきたから体の温まるものがいいだろう、野菜を多めに入れたスープはどうか。仕事に出かけている心語が戻ってくるのは明日の夜遅くになるとのことだから、今日は自分だけの食事になるとしても、日持ちするものを作っておくのもいいかもしれない。

『‥‥そういえば、俺が生まれたのも、今の時期らしい』

 予算の都合と栄養のバランスに思考を巡らせる静四郎の脳裏に、心語の言葉が思い出された。以前、買出しに荷物持ちとして同行してくれた時のことだ。紅葉する木々に静四郎がため息をつく隣で、いつもの口調でつぶやいていた。
 その話を聞いた時は「時期?」と首をかしげたものだが、心語の出自である戦飼族に暦がないと聞き、納得した。季節と月の形で判断しているそうだ。だからもちろん、「誕生日」がない。そもそも生まれた日を祝うという感覚に乏しいという可能性もある。戦わされるために作られた種、それが戦飼族であるから。
「えぇと‥‥調味料はだいぶ余裕がありましたから、あとは日々の食事の予算配分変更と多少の勤務時間増加で‥‥よし、足りそうですね」
 指を折って確認すると、静四郎は瞳を輝かせながら大きくうなずいた。
 あまり大金を稼げる職ではないため、お財布の中身は日々生活するだけでぎりぎりだ。よく食べる心語に、しかし普段は十分満足できるほどには食べさせてやれずにいる。紅葉した葉がもうすぐ散り終えることを考えるとタイミングも少々遅れている。お詫びを兼ねて、心語の好物である甘いものを、腹一杯食べさせてあげよう。
 弟が大好きで仕方のない兄は、こうして大きなチョコレートケーキを作ることを決意したのだった。



 聖都エルザードはいつものように賑わっていた。木枯らしに上着の前を寄せて小走りで家に向かう人もいれば、これ幸いとぴったり寄り添う人たちもいる。
 静四郎は前者だった。大きなケーキを作るための大量の食材を手に、ずんずんずんずん歩いていく。すでに構想は出来上がっていて、それに見合う大きさのものがないからと皿まで買った。
 大きな大きな好物を前に喜ぶ弟の嬉しそうな顔が目に浮かぶようで――――‥‥
「‥‥おや? もしかして」
 大きなケーキの前でバンザイする弟を想像して、彼はようやく大事なことに気がついた。
「なんということでしょう‥‥! あの家の竈では大きなケーキは焼けないではないですか!!」
 そう、心語の家の竈は小さい。そもそも家が小さい。ログハウス風の素敵な趣ではあるが、ベッドこそ静四郎も泊まれるように二台あるものの、テーブルもいすもその他の家具も最低限のものしかなく超殺風景。台所だって小さな竈のほかには簡素なシンクのみだ、何しろ主である心語が凝った料理など作らないのだからさもありなん。
 静四郎は愕然として頭を抱えた。先ほどまで幸せに満ち溢れて血色のよかった肌が一気に色を失っている。それでも食材を地面に落とさずにいるのはさすがと言うべきか。
「これは大きいものを作るなということでしょうか‥‥。しかし心語にはたくさん食べさせたいですし‥‥それには一体どうすれば‥‥‥‥‥‥」
 うんうん唸るも、そこは実は大通りのど真ん中であって、かなり人目を引いている。とはいっても、大事な弟のために悩む静四郎にはそうしたことに気づく余裕もなければ、気づいたとて特にどうということもないかもしれない。
 静四郎の苦悩はしばし続いた。娘を連れて八百屋へ買い物に来た女性が、一通り店内を巡り、目当てのものを購入して帰っていく間、ずっと道の真ん中で悩んでいた。
 そうしてようやく導き出した解決策は、白山羊亭の大きな竈を借りることだった。
「ええ、かまいませんよ。静四郎さんならお店の鍵を預けるにも心配無用ですしね」
 突然のお願いにもかかわらず、白山羊亭の看板娘ルディアは快く承諾してくれた。
「ありがとうございます! 使用料は私の今月のお給料から引いてくださいっ」
 いつもの笑顔を浮かべるルディアの手をとり、静四郎はお礼の言葉を述べた。けれどルディアは首を左右に振ったのだった。
「お金なんていりません。その代わりに、次の季節の新メニュー、考えてくださいね?」
「え、それでいいんですか?」
「できればケーキの味見もさせてもらえると嬉しいです♪」
「‥‥っ! 味見だなんてとんでもない、ルディアさんの分も作りましょう!」
「わあっ、楽しみにしてますねっ」
 かたく握り合った手は約束の証。こうして大きなケーキを焼くための大きな竈の使用許可を得た静四郎は、その日最後の客が帰るとすぐに作成へ取り掛かった。
 持ち込まれた材料の量に目を丸くしたルディアが手伝いを申し出ても「これは自分がやらなければいけないから」と断って、鍵を預かった。二人分のケーキを作ることになったのはお礼の気持ちを示すためなのだから、示そうとしている相手に手伝ってもらったのでは意味がない。

 結局、静四郎は徹夜した。
 まだ薄暗い中、完成したケーキを手早く包むと、休む間もなく馬車へと飛び乗った。

 ◆◆◆

 ぎぃっ、と木製の扉がきしんだ。この家の主の帰還である。
 時間はまさに草木も眠るころ。虫の声とてほとんど聞こえない。心語は家に入ろうと手に下げていたランタンを掲げ、開いた扉の向こうを照らし、思わず一歩後ずさった。
 広くない部屋の中央、テーブルの上に、異様に大きな黒い塊が鎮座していた。
「‥‥な‥‥なんだ‥‥?」
 珍しく狼狽をにじませながら近づいていく。塊はますます巨大に見えた。毒物か。ひょっとして魔物か。警戒しつつ触れてみれば表面はやや固く、しかしぽろりともげた。もげたことにも驚きだが、おそるおそるにおいをかいでみれば甘い。まさかと思って口に放り込む。やっぱり甘い。そしてこの味は。
「‥‥‥‥‥‥チョコレートケーキ、なのか‥‥これは‥‥」
 いくら心語が小柄だからといって、普通のチョコレートケーキは見上げるようなものではない。一応たったの三段重ねではあるのだが、一段一段が分厚いというか背が高いので、てっぺんを見ようとすると少し首が痛い。
 これは一体何事か。ランタンでケーキの周囲をよく見て回ると、フォークと並んで手紙が添えられていた。

 ――親愛なる弟へ
    心語がいてくれるおかげで、私の日々はとても充実しています。
    なかなか兄らしいことはしてやれませんが、また一緒に食事をしましょう。
    いつも無事を祈っています。
                   兄より

「‥‥」
 手紙を読んで、心語は理解した。黒い塊ことチョコレートケーキは、静四郎の作ったものであり、自分への誕生祝なのだと。
 なんともあの兄らしい行いではないか。そう思うと、めったに表情を変えることのない心語の口元へ、じんわりとかすかに微笑が広がった。
 大変な思いをして作ってくれたであろう兄を思い浮かべ、心中で礼の言葉を告げる。それから改めてケーキを眺めた。
「‥‥いくら何でも、限度があるだろう‥‥」
 自然と溜息が出た。だが、自分のために作ってくれたのだ。食べなければ兄に悪い。
 心語はフォークを取った。まるで竜に棍棒で挑むかのような心もとなさ、しかし残されているのは前に進む道のみ。行け、心語。お前ならばできる。――いや、これはお前にしかできないことだ。進め! 進むんだ!!
 自らを奮い立たせ、心語はケーキへと突撃した。

 明け方。
 フォークを握り締めたままテーブルに突っ伏す心語の上に、朝日が届き始め‥‥たかと思いきや、いまだ残る黒い塊がそれを遮っていた。
 塊の残量、およそ半分。
 そこまで食べて胸焼けを起こし、心語はあえなく撃沈したのであった。ちーん。

 ◆◆◆

 時間は心語が帰宅するよりも少し前にさかのぼる。
 閉店後の白山羊亭内に、心語の家で鎮座していたものと同じものが、どーんとそびえていた。どーんと。天井が高いだけに圧迫感はさほどでもないが、そのぶん余計に大きく感じられる。
 さすがに見上げるとまではいかないが、かといって見下ろすわけでもないサイズに、ルディアはただただ呆然とするばかり。確かにこの大きさは一般家庭の竈では無理よね、と妙な納得をしてしまう。
 彼女の様子を喜んでいるのだと受け取ったのか、静四郎はにこにこしていた。
「突然のお願いだったにもかかわらず、竈を使わせていただいてありがとうございました。こちらが約束のケーキです」
「は、はい‥‥」
「季節の新メニューはこれから考えますので、すみませんが時間をください」
 むしろ私に対処方法を考えるだけの時間をください。そんな台詞が喉を出かかったがどうにかこうにか飲み込んだ。客商売の鑑である。
 食べずに捨てるわけには行かない。これは自分へのお礼だ、その気持ちを踏みにじってはならない。きっとおいしいはずだし、もったいない。けれどどう考えても一人では無理。他の人にも一緒に食べてもらうのが最善策か、しかし一体誰に?
 ルディアの思考、高速回転。にこにこ顔の静四郎と差し伸べられたフォークが迫ってくる。
「あのっ! これだけのものですから、明日、ぜひうちのお客様にも召し上がっていただきたいのですが!」
「え?」
「数量限定になりますけど、新メニューの参考にもなるかなって!」
「‥‥なるほど」
 必死である(ただしルディアだけ)。
 数秒考えた後、そういうことなら喜んで、と静四郎は笑顔のままでうなずいた。何とか危機を乗り切ったルディアの体からはすーっと力が抜け、危うくその場に崩れ落ちるところだった。
 本当に危ないところだった。本当に崩れ落ちていたなら、大鍋いっぱいの滋養強壮スープを食べさせられていたかもしれないのだから。
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2010年11月24日

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