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『冥府の番犬とラクスさん 』
海原・みなも1252)&ラクス・コスミオン(1963)&(登場しない)



 お姉さまが帰ってしまうと、あたしは再び不安に襲われた。
 冥府から出ようとする人たちがあたしに暴力をふるうこともなかったというのに、この湿度の高い空気はそれだけで気持ちを重くさせる。

 ピクン。
 六つの耳が一つの足音を捉えた。誰かが現世からこちらへと近づいて来る。
(…………誰?)
(お姉さまがお戻りになった?)
(…………ううん、違う)
 音の連続性から、あれは四本足の生き物だと分かる。静かな足音から敵意は感じられないが――、
 あたしはやや身構えて相手が顔を見せるのを待っていたけど、やって来た相手を見て目を丸くした。
 薄暗い中では赤よりも黒に近い葡萄色に見える髪、その髪に隠れるようにある柔らかな曲線を描いた胸、その下には上品そうに揃えられた前足……背中には鷲の翼が生えている。
 ラクス・コスミオン――あたしが時々勉強でお世話になっている方だった。
「ラクスさんがどうしてここに?」
「はい、ケルベロスさまがご不在だと伺ったものですから……その、錬金術に使う素材を採取しにまいりました……」
 ラクスさんは伏し目がちにそう言って、あたしを見た。
「あの、ケルベロスさまには秘密にしていただけますか?」
「え、えっと……」
 あたしは言い淀んだ。
 ……ここはケルベロスさんの管轄であってあたしのものではないのだから、勝手に通してしまって良いんだろうか。
 でもラクスさんは信頼の置ける方だし、お世話にもなっている。
「危険なことに使わないのなら……」
「ええ、もちろんです。では、急いで取ってまいります」


 ラクスさんは沼に沿って冥府の奥へと消えて行った。
 それを見送ってから、ふと思う。
 ――あの奥にはどんな光景が広がっているんだろう?
 興味を持っても、あたしはケルベロスとしての努めがあるから、ここを離れる訳にはいかない。
 だから疑問ばかりが湧いてくる。

 ここから眺めているだけでは闇が広がっているばかりだけど、あちらにもぬかるんだ道が続いているんだろうか。
 植物は生えているんだろうか?
 植物があるとするなら、何を養分にしているんだろう。葉の色は何色なんだろう。日の光がないに等しいのだから、緑色ではないだろうけど。花は咲くんだろうか?
 影達に家はあるのだろうか、ないのだろうか?
 それとも影達は家どころか休む場所も必要としていなくて、永遠に踊っているだけなんだろうか。
 他にはどんな生き物がいるんだろう。その生き物たちは今、目を覚ましているんだろうか。それとも眠っている?
 その生き物たちは、あたしより小さい? あたしより大きい?
 皮膚は硬くてザラメのようなものなのか、それともあたしの尖った爪では撫でただけで傷つけてしまいそうな脆いものなのか。
 視力や聴力、嗅覚はどうなんだろう。聴力や嗅覚は優れているかもしれない。だけど、ここは暗いから、目が退化しているかもしれない。だとするなら、生き物たちは今この瞬間にも嗅覚を頼りに土の上を蠢いているんだろうか。
 ――あたしは定期的な唸り声をあげた。
 見知らぬ生き物たちも、この警告音に耳をそばだてているんだろうかと思いながら。

 一時間くらい待っただろうか。ラクスさんが戻ってきた。
「お待たせしました。探すのに手間取ってしまって」
 そう言って見せてくれたのは、白くてとぐろを巻いた塊で、掌には入りきらない大きさだ。これがとても水っぽくて、シュワシュワと何かが弾けて溶けて行くような音をたてていた。
 シュワシュワという音と、広がっていく水、そして時折現れる泡を見ていると背筋がゾッとしてきて、あたしはこれが何なのかラクスさんに訊かずにはいられなかった。
「冥府にしか生息出来ない生物のヌケガラです。ですが、既に分解が始まっているようです……」
「分解?」
「特殊なバクテリアです。ここでは分解の速度が速すぎて……ヌケガラを見つけるのに手間取ったのもそのせいでしたから。すぐに手を打たなければなりません」
「どうするんですか?」
 興味本位で訊いたあたしに、ラクスさんは柔らかく微笑んだ。
「焼成すれば良いんです。みなもさま、お願いします」
「………………え?」
「焼成、お願いします」
 ラクスさんはにっこり微笑んでいる。あたしが炎を出せると思って疑わないようだ。
(そりゃあ、普通そう思うよね……)
 だって、今のあたしはケルベロスの姿をしているんだもの。
 顔は三つあるし、鋭い爪もあるし、蛇のようにウネウネ動く尻尾もつけて、凄みを利かせた唸り声もあげていて。なのに、炎が出ない。
(うう……これじゃあ、あたし、ハリボテ同然かも……)
 あたしは俯いて、土を弱弱しく引っ掻いた。爪を動かすのはこんなに簡単なのに……。
「もしかして、出来ないのですか?」
「はい……。あたし、アイテムのお陰で変身出来ているだけなんです……」
「いいえ。それは違います」
 そのはっきりとした言われ方に驚いて、あたしは顔を上げてラクスさんを見た。
「ケリュケイオンのこと、御存じなんですか?」
「ラクスも開発に携わったものですから。ケリュケイオンと逆鱗を使えば炎は可能です」
 ラクスさんの話し方は穏やかだったけど、経験と自信に裏打ちされた雰囲気があった。それは勉強を教えてくれるときと同じ、あたしに確かな知識と信頼を与えてくれる。

 みなもさま、ケルベロスは魔獣なのを思い出してください。魔獣は魔力を使って肉体を高めます。炎とて同じこと。ケルベロスになったみなもさまとの作りの差など、ないのです。
 逆鱗で補佐しながら、ケリュケイオンで周りの魔力を認識してください。魔力を認識したら、ケリュケイオンに水分を纏わせ魔力を吸収し、炎に変えます。工程自体はケルベロスに変身したときと変わらないのです。
 ただ丁寧に、魔力を取りこぼさないように行わなければなりません。最初ですから、一つの顔のみで試すと良いでしょう。みなもさまなら出来ます。自信を持つことも大切です。

 あたしは中央の顔にある左目だけに集中して、あたりの気配を探った。
(――ある、ある!)
 冥府のせいか、この空間全体に魔力が漂っていた。これを取り込むには――。
 あたしはケルベロスである自分の体形を崩さないように注意しながら、身体のケリュケイオンを一部ほどいて霧に変えた。そしてまわりの湿気と混ぜながら、目に見えないケリュケイオンの粒一つ一つに魔力を呑み込ませて行った。
 魔力は温かく、水を含んだケリュケイオンに比べて幾分乾燥していた。そして風のように力があった。
(丁寧に、丁寧に……)
 逆鱗を意識して使うことで、魔力を呑み込んでいく様子が確認出来る。今までケリュケイオンに意識が行き過ぎていたのかもしれない。逆鱗は補佐でしかないから、と意識がおろそかになっていた気がする。
 ケリュケイオンをあたしの身体に戻すと、体内に熱風が籠ったような感覚に襲われた。あちこちで温かかった感触が一塊になって、身体の中を動き回っている。
「炎を想像しながら、口から一気に吐き出してください。逆鱗への意識も消さないように」
 ラクスさんの助言に従って逆鱗の力を借りながら、この体内で逃げ回る魔力の塊を捕まえた。それを練りながら喉元へと運ぶと、唇を開いた。
 全ての用意が整ったことを確認してから、ヌケガラへ向けて一気に魔力を放出した。

 、

 地を割るような低い轟音が、六つの耳の底へと叩きつけられた。
 その音によって、あたしの耳はブルブルと震えた。自分自身で出した音だというのに、本能が恐怖におののいていた。
 達成感という意識よりも本能に侵されたあたしは、炎が出尽くしてもガタガタと揺れる視線をラクスさんに向けた。
 ――そこには微笑みを湛えたラクスさんがいた。
「完璧です」
 その優しい声。
 それだけであたしの中の恐怖が溶けて行く。
 後に残るのは、安堵感、そして喜び。
「あたし、やれたんですね!」
 あたしの声に被さって、ラクスさんが言った。

「今度は三つの顔から炎が出るように練習してください。その間に、ラクスは再びヌケガラを取ってまいります」
 それはとても、穏やかで、力強い響きをしていた。



終。

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年12月10日

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