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『月影斬舞 〜 舞 〜 』
水嶋・琴美8036)&(登場しない)

 琴美の一撃を、男は余裕で受け止めた。続いて鋭く繰り出されるクナイを避けながら、刃渡り20センチは優にある軍用ナイフで反撃してくる。琴美はそれをクナイではじき返しながら、蹴りを入れる。かすかに手応えを感じたものの、さすがにこの程度でダメージを受けるような相手ではなかった。これだけの部隊を率いているだけの事はあると言うべきだろう。素早いカウンターを紙一重で避け、間合いを取った。二人とも息は上がっていない。お互いに小手調べだ。
「ふん、逃げるなら今のうちだぞ。お前のような女が大の男にかなうものか」
 間合いを取った琴美に男が蔑みの視線を投げかける。だが琴美は、あら、と小さくつぶやいて、
「そう思ってらしても構いませんわ?知らない方が幸せな事もありますものね」
 と微笑んだ。琴美の態度にいきり立った兵士たちが数発発砲したが、無論当たりはしない。かえって琴美の姿を見失い、慌てた彼らの間から短い悲鳴がいくつか漏れ、また静かになった。月明かりはまぶしいほどだったが、太い柱のお陰で部屋の中に差し込む光は切れ切れで残された闇を縫うように駆け抜ける琴美の姿は彼らに見いだす事はできなかった。悲鳴と人の倒れる音が続き、途端に恐慌状態に陥りかけた部下たちを男が一喝して鎮めた。
「なるほど。速さだけは認めてやる。だが…」
 男の瞳がぎらりと異様な光を帯び、次の瞬間細いナイフが数本、闇の中に放たれた。ぎゃっと言う悲鳴が上がり、兵士たちが息をのむ。だが、ゆっくりと月光の中に現れた琴美の身体には傷ひとつなく、ひらりと見せた右手には、先刻男が投げたナイフがあった。その背後で兵士が一人、どさりと倒れた。周囲の兵士たちがどよめく。
「だが、何ですの?」
 と言いながら投げ返されたナイフは正確に男の心臓を狙っていたが、避けられて背後に居た兵士たちに刺さった。驚愕しつつ苦しむ部下たちを気にする風もなく、男は軍用ナイフをすらりと抜いた。
「近接戦なら、と思われるのですね?」
 琴美が微笑む。男の考えはよく分かるし、妥当だ。得物の違い。パワーの違い。リーチの違い。どう考えても近接戦は琴美には不利だ。速さをアドバンテージとする琴美だが、圧倒的な力を持つ男の力で捕らえられたら、逃れるのは困難だろう。もしも、捕らえられればの話だが。琴美よりも速くなければ、琴美を捕らえることなど出来はしない。たとえそれが、手の届く距離であっても、だ。
「いいでしょう。お望み通りにお相手いたしますわ」
 琴美もクナイを構えた。南中した月の前を雲が過ぎたのか、琴美を照らし出す月光がふっと陰る。その瞬間、二人は同時に床を蹴った。きらめくナイフの刃をクナイではじく。二人ともいつの間にか両の手に武器を構えていた。男のそれは短めのサバイバルナイフで、ギザついた刃で琴美の攻撃をはじき返してくる。弾かれては弾き返し、そしてしばらくして間合いを取り、またぶつかる。その繰り返しだった。残り10人ほどの兵士たちも無傷な者はなく、また二人の戦いに割って入ろうにもかなわず、ただ周囲を取り囲むのみだ。琴美が間合いを取った隙に銃撃しようとする者もないでもなかったが、彼らが狙いを定められるほど長い間、琴美がその視野にあることはなかった。月光の下で、鈍い金属音とブーツの靴音が響く。その都度、光の中に琴美の黒髪が舞い、同じ色のプリーツスカートが踊った。時折見えるうなじは白く輝き、汗がにじむ様子すらない。豊満な胸元は、場合が場合でなければ彼らの視線を引きつけて放さなかったであろうほど重力を感じさせぬ弾力に満ちていたが、呆然と見守る彼らにはその動きなど目に入らなかっただろう。
「はっ」
 気合いとともに繰り出した回し蹴りを、男が同じく足で止める。黒のスパッツの下からちらりと白い太股が見え、一瞬動きが止まったところを狙って男のナイフが繰り出された。だがその刃は空を斬り、代わりに男の方が顎下からの蹴りを食らってよろめいた。
「このっ」
 体勢を建て直しながら琴美の足を取ろうとした男の肩を踏み台にし、後ろに跳ぶ。空中の琴美を狙って銃撃しようとした兵士たちは、一発も発射することなくクナイの餌食となった。かつん、と琴美のブーツが音を立て、再び金属音が響く。
「くっ」
 時折漏れる悲鳴は琴美ではなく、男のものだ。連続する蹴りとクナイによる攻撃の8割は防がれていたが、残る2割は着実にヒットし始めていた。
「どうなさいましたの?」
 月光を背に、琴美が悠然と微笑む。その頬にも胸元にも、クナイを握る白い手にすら汚れの一つも見あたらない。
「返り血すら浴びぬとは…」
 男の身体にはすでに数カ所に及ぶ深い傷があった。その傷から吹き出した血しぶきすら、男の目の前にたつこの娘は見切っているということなのだ。
「くそっ…」
 再びナイフを構える直前、男が部下たちに合図を送ったのを、琴美は無論見逃さなかった。破れかぶれともとれる一撃をひらりとかわしてナイフをたたき落とすと、窓の方に向かおうとした男の進路を塞ぐ。
「隊長っ!」
 慌てて戻ってきた兵士たちをあっと言う間にクナイの餌食にした琴美が振り向くと、男はガラス窓を割って外に飛び出した所だった。
「っ!?」
 一瞬、自決するつもりかと思ったが、違った。窓に駆け寄った琴美の目に映ったのは、黒いパラシュートを開き、ビルの谷間を舞い降りようとする男の姿だった。
「させませんわよ」
 躊躇無く窓の外に身を踊らせながら、フック付きワイヤーを投げる。安全装置のカチリという音を聞きながら、琴美はワイヤーに足をかけ、逆さまになりながら降りてゆくパラシュートよりも速く降下した。髪がざっとビル風になびく。プリーツスカートの裾がめくれスパッツに包まれた太腿からヒップにかけての美しい曲線が露わになったが、見ている者はない。下を行くパラシュートはみるみるうちに近づき、琴美は音もなくその横に並んだ。
「ひいっ」
 急に現れた琴美の姿に、男があられもない悲鳴をあげ、琴美は呆れ顔で微笑んだ。
「全く。最初に申し上げましたでしょう?」
 何とか逃げようとして必死でパラシュートを操る男に、琴美はゆっくりと首を振った。
「全て、あなた方の命であがなっていただかなければ」
 意志を失い、あてど無く降下していくパラシュートを見下ろしながら、琴美はインカムのスイッチを入れた。
「終わりましたわ」
 短いノイズの後、オブザーバーの声が答えた。
「そのようだな。怪我はないか」
「ありませんわ。ただ、潜入捜査員の方が…」
 まだ彼はあの最上階にいるはずだ。生きているのかどうかは分からないが。だが、オブザーバーは気にするなと言った。
「でも、生死も確かめていませんのよ?」
「こちらで対処する。それより君にはもう一つ、やってもらいたい事ができた」
「何でしょう?」
 人使いの荒い事だが、珍しい話ではない。そういう仕事なのだ。
「施設の爆破だ。武器庫を爆破してもらいたい」
「でも、ここは表向き…」
「病院施設については心配ない。厳重なセキュリティが幸いして、表の施設とは全ての側面から完全に切り離す事ができると判明した。武器庫は最下層。研究施設はそこを含めて地下4階までだ」
 武器庫の爆薬を使って、それらを全て消滅させろ、という事か。
「無茶をおっしゃいますのね」
「君ならば可能だというお墨付きだ。地下へは最上階からのエレベータを使え。セキュリティは解除されているはずだ。だが時間はそれほどない。先刻の騒ぎで近所のビルから通報が入った」
 オブザーバーの言葉に、琴美が形のよい眉をひそめた。
「一帯は封鎖してらしたんじゃ…?」
「会社の通達を無視してこっそり残業していた輩がいたようだ。とにかく、警察の動きはこちらで押さえているが、1時間が限度だ。それまでにかたを付けろ」
「わかりましたわ。地下へはどうやって?」
 しばらくの沈黙の後、オブザーバーの声が答えた。
「丁度今君が居るその辺りがオフィスゾーンだ。セキュリティは解除済み。そこからビル内に戻ってエレベーターを使え。最下層へ行くのはE−7の一機のみ。行き方は最上階へ行った時と同じだ」
「了解」
 答えてから、空を見上げる。雲はまたすっかり晴れて、月明かりが静かに辺りを照らし出していた。
「…良い月夜ですのに」
 残念そうに呟いてから、ガラス窓を蹴った。ぐん、とワイヤーが揺れて琴美の身体が宙に舞う。黒髪をなびかせながら身体を縮め、反動をつけてガラス窓を蹴破った。
「しばしのお別れですわ」
 ガラスの破片と共に室内に転がり込んだ琴美は、名残惜しげに月明かりを振り返ってから、ブーツの靴音を軽く響かせてエレベーターホールに消えた。

<終わり>

PCシチュエーションノベル(シングル) -
むささび クリエイターズルームへ
東京怪談
2010年12月29日

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