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『六花、惑う。 〜馬車道で 』
松浪・心語3434

 きーん、と凍り付くような冷たい空気の中で、松浪・心語(まつなみ・しんご)はほとほと困り果てた風情で、きょろ、と辺りを見回した。だが、この身を切るような寒さのせいだろうか、人影は見あたらず心語はまた視線を戻す。
 目前には馬車。ひたすら頑丈であれと目指したかのような重厚な作りの馬車は、見た目を裏切らずずっしりと重たい。なぜそれを知っているかと言えば、心語はさっきからこの馬車と格闘しているからだ。
 先頃、聖都では珍しい雪が降り出した。それだけなら「珍しいものだ」で終わるのだけれど、その雪のお陰で心語の乗っていた乗り合い馬車が車輪を滑らせ、轍にがっちりとはまりこんでしまって。
 まさか歩いて帰る訳にも行かないし、もし帰れる距離だったとしても、こんな人気のない場所で動かない馬車と御者を放り出し、じゃあここで、と帰るのはなんとも寝覚めが悪いものだ。だからさっきからこの雪空の下、乗り合い馬車の御者と一緒になって、重たい馬車を押したり引いたりしているのである。
 ちら、と心語は次々に白いものを舞い降らせる雪空を見上げた。どうやら積もる雪らしく、時間が経つにつれて足下が悪くなってきて、力を入れて踏ん張るとずるずる滑ってやりにくい事この上ない。
 幾度目かの失敗の後、やれやれ、と心語は大きな息を吐いた。すでに御者の方はぐったりしていて、戦力としては期待出来そうにない。それでも顔を真っ赤にして必死に頑張っているのだから、見上げた御者魂(?)と言えるだろう。
 他の客がすべて降りてしまった後というのがせめてもの救いだ、と思う。この寒空の下で立ち往生をさせるのはいかにも気の毒だ――とはいえ、他の客が居たらもしかして、さっさと轍を抜け出して先へ進むことが出来ていたかもしれないが。
 それにしても。このままでは埒があかないから、せめてもう1人くらい、手伝ってくれる人が見つからないものだろうか――そう考え、再び辺りを見回した心語の視界に、ちら、と見知った影が映る。あれ、と瞬きしてそちらを良く見ると、相手も驚き顔で心語を見つめ返していた。
 正確には、見知った、なんてもんじゃない。実の兄のように慕っている、大切な家族。

「いさなじゃないのよ、どしたの?」
「ああ、兄さんか‥‥いいところで会った‥‥」

 きょとんとした眼差しでそう尋ねてきたフガクに、知らず、心語は安堵の息を吐いていた。それが声色にも出ていたのだろう、珍しいものを見たような表情で、首を傾げてフガクは心語を見下ろしている。
 そんなフガクをじっと見上げ、心語は期待を込めて尋ねた。

「兄さん、これから仕事?」
「まぁ」

 だが心語の言葉に、兄は多少迷うような素振りを見せたものの、こくりとしっかり頷いた。それを見て、ほんの少しの失望と、それもそうだ、という諦めが心語の胸に去来する。
 考えてみれば、自分だって歩いて帰るのを迷うような場所に、フガクがふらりと散歩に訪れる訳もない。ましてこの寒さの中だ、余程の用事でもなければ誰だって家の中に居たいと思うことだろう。
 そうか、と心語は小さく呟き、視線を落とした。

「では、迷惑か‥‥」
「だからいさな、どしたのさ。こんな所で何してんの?」

 迷う素振りの心語を見かねたように、重ねてフガクが尋ねて来る。それは純然たる疑問であると同時に、困っているなら助けてやろう、という兄の優しさでもあるのだろう。
 とまれ、尋ねられたからには答えなければならないと、妙に生真面目に考えて、心語は口を開いた。

「俺は‥‥昨日、短期のアルバイトが終わってな。一晩泊って、今帰るところだ」
「へぇ。どんなバイトよ」
「ああ‥‥雪が降りそうだから、工期を短縮するとかで‥‥建築現場で人を急募していたのでな」

 下手に雪に降られてしまえば次に工事を再開出来るのがいつになるか解らなくなるし、場合によっては基礎から組み直さなければならなくなることもある。だからその前に仕上げてしまいたいからとにかく少しでも人手が欲しいとかで、割合に賃金も良かったから引き受けたのだ。
 心語以外にもそうして雇われた人足はたくさん居て、幸い雪が降り出す前に行われた工事はすべて片づけることが出来た。そうしてそれぞれに給金を受け取り、お疲れさんと声を掛け合って、聖都まで戻ってきたのだけれど。
 なぜそれがこんな所に、と不思議そうな顔になったフガクに、心語は見上げた視線をそのまま背後へとスライドした。そこには彼がつい先ほどまで御者と一緒に押したり引いたり頑張っていた、がっしりと頑丈な乗り合い馬車がある。
 少し休んで回復したのだろう、御者はいつの間にか再び、1人で何とか轍を抜けようと、一生懸命に馬車を押していた。そんな様子を見たフガクが、つまり、と心語に視線を戻して確認する。

「乗り合い馬車が雪で滑って、轍にはまって抜けなくなった?」
「ああ‥‥家に帰ろうと馬車に乗ったは良いが、この有様だ‥‥」

 一目でわかるとはさすが兄だ、と感心しながらこっくり頷いた。なるほどねぇ、と苦笑混じりのため息を吐いた兄の顔には、この成り行きにほんの少しだけ面白そうな色が見える。
 この程度の雪で、と思っているのだろうか。見えぬフガクの内心を、心語はそう想像した。
 心語自身にしてみても、まさか聖都の馬車がこの程度の雪で滑るとは思いもしなかったのだ。今でこそだんだんと降り積もってきているが、滑った当初はうっすらと霜のように道を覆っているに過ぎなかったのだから。
 だからその事実自体は心語にとって、困った、と言うよりはいっそ感心するしかない出来事だ。かつて山岳地帯でゲリラ戦に参加していた頃を思い出せば、頭まで雪に埋もれても物ともせずに動き回っていたのだから、積もっていると言っても未だに足下をようやく覆うに過ぎない程度の雪など、塵のようなものなのに。

「‥‥都会は自然の力には脆いものだな」
「ま、ね。じゃ、いさな、良いところに来たってのはもしかして‥‥」
「おーい、あんた! 立ち話してないでさっさと馬車を押してくれ!」
「ああ‥‥」
「‥‥って事ね」

 そうだった、とようやく思い出して馬車の方へと動きかけた心語の背中に、笑いを含んだフガクの声が届いた。はいはい、と小さく呟きながらすっと自分の横を通り過ぎ、まずは馬車の中をのぞき込む。
 まだ心語は兄に、手伝ってほしい、とも何とも言っていない。とはいえこの状況で、心語がどうして兄を見つけて「ちょうど良かった」と言ったのかは、さすがに一目瞭然だろう。
 けれども出掛ける所ではないのかと、伺うようにフガクの顔を見上げたら、兄は苦笑しながらこっくり頷いた。

「俺とお前で、この馬車を轍から押しだしゃいいのね。了解」
「ありがたい‥‥済まないが、頼む」
「はいはい。そんじゃいさな、俺と一緒に馬車の後ろに回って。御者さんは乗って、お馬さんに馬車引っ張れって言ってくれる?」
「ああ、解った」

 そうしててきぱきとその場にいる人間に役割を振って、当たり前のように馬車の後ろに回ったフガクに、頷いた心語と御者もそれぞれ、与えられた持ち場に走った。素早く御者台に駆け上がった御者が手綱を握り、心語はフガクの隣に立って、足場をざりざりと確かめてから馬車に手をかける。
 ちら、と確認するようにフガクの視線が心語の上に降りた。それから辺り中に響くような大きな声で「いいかい」とここからは見えない御者に呼びかけて。
 こくり、眼差しだけで頷き合って、「はいそんじゃ、せーので押しますよ〜」と声を上げたフガクに合わせ、馬車を押す腕に力を込めた。

「せーの!」
「ヨーッ! ハイッ! 踏ん張れッ!」
「む‥‥後少し、か‥‥」
「よし、もっかい行くよ。せーの!」

 ギシ、ギシ、とかすかに軋んだ音を立てる馬車を、力を合わせて全力で押す。それでもすぐには動き出さないが、さきほど御者と2人きりで奮闘していた時よりはよほど、手応えがしっかりしている。
 せーの、せーのッ! と雪空の下で何度も声を掛け合って、幾度目かでようやくガタン! と馬車が轍から外れる音がした。ふっ、と手の中が軽くなり、少しつんのめりかけたのを踏ん張って堪える。
 ガタガタガタ‥‥ガタッ。
 そのまま緩く走り出した乗り合い馬車が、もうここらで大丈夫だろう、と言うところまで来てぴたりと止まる。それから御者がぴょいと馬車から飛び降りてきて、さすがに肩で息をする心語とフガクの元まで駆けてきた。
 ぺこ、と帽子を取って頭を下げる。

「ありがたい、助かった」
「‥‥無事に轍から抜けられて良かったね」
「俺も兄さんのお陰で助かった、これで家に帰れる‥‥」

 心語も本気でほっと息を吐いて、御者と一緒にフガクに深々頭を下げた。何しろ工事現場でしっかり働いて、くたくたになって帰ってきてのこの災難だ。正直を言えば今すぐにでも早く家に帰って、ぐったりと寝床に潜り込みたいくらいである。
 雪はますます勢いがついてきて、そうそう止みそうにはない。この後は気をつけなよ、と声をかけたフガクの言葉に、御者は深々と頷きを返した。
 ところで、と心語はそんな兄を見上げる。

「兄さん、このお礼は‥‥」
「お礼はいいから、俺を貴族の家まで送ってくれない? 仕事に遅刻しそうなのよ。いさなには寄り道になっちまうけどさ」
「寄り道? 俺は構わんが‥‥」

 そんな簡単なことで良いのだろうか、と頷きかけてから心語は、自分の一存で決めるわけにも行かないのだと思い出して御者の方を振り返った。この乗り合い馬車は心語が働いていた工事現場の近くの町と、聖都を結ぶ定期便だ。貴族の家まで回ってしまうと、完全にルートを外れる事になる。
 だが幸い、轍を抜けるのを手伝ってくれたフガクに、御者の方も恩義を感じていたようだ。その位ならば、と二つ返事で頷いたのを見て、ほっと安堵の息を吐く。

「‥‥では御者殿、兄の依頼先まで頼む」
「はいよ! お客さん、詳しい場所を教えてくれるかね」

 心語の言葉に頷いて、御者は再び御者台に登りながらそう言った。それに答えてフガクが貴族の家の場所を説明しながら、ごそごそと馬車の乗り込む。
 すぐに、雪に染まりつつある聖都をがらがらと大きな音を立てて、乗り合い馬車は走り始めた。窓の外を流れ始めた景色をぼんやりと眺め始めた兄に、心語は「兄さん」と声をかける。

「貴族の家って、どんな仕事だ‥‥?」
「うん? 簡単な護衛なんだけどさ」
「そうか‥‥ならば、俺が後で酒を買って差し入れよう。これから外で仕事なのだろう?」
「‥‥そうだけど。よく判ったね」

 きょとん、と目を瞬かせて心語の方に向き直ったフガクに、眼差しだけで兄が身に着けている念入りな防寒具を示した。貴族の家で仕事、と言っても思いつくものは幾つもあるが、ただ出向くためだけならば厳重な防寒対策は必要あるまい。
 そうして、外で護衛と言うならば、この寒さのことだ、雇い主の貴族たちとて家から出てくる事はまずないだろうし。ならば暖を取るための酒を差し入れるくらいは良かろうと、心語は考えたのだった。
 そのことにフガクも思い至ったようで、なるほど、と頷いた。頷き、悪いね、と肩をすくめた兄に、いや、と心語は首を振った。

「‥‥俺のせいで、兄さんに風邪を引かせては申し訳ないからな」
「いさなのせい、って訳でもないけど。ま、手伝いのお礼は今度、いさなにはゆっくりしてもらうから」

 楽しみにしてな、と笑ったので、こっくりと頷いたら何だか面白そうな顔をされた。けれども心語にとってはその位、今日の出来事はありがたかったのである。
 それにしても、この雪はいつまで降っているのだろうと、心語もフガクの視線を追う様に馬車の外へと視線を向けた。
 酒を差し入れに持っていくまで、この雪は降り続いているだろうか。だとしたらどの店で、どんな銘柄の酒を差し入れるのが、兄には一番良いのだろうか。難儀も強いられたけれども、せっかく聖都ではめったに見ない雪景色だ、それに見合う酒があれば良い。
 そう思うと何だか楽しい心地になって、聞こえてきた兄の鼻歌を頭の中で繰り返しながら、心語は雪を眺め続けていたのだった。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /  PC名  / 性別 /    年齢     / クラス 】
 3434   / 松浪・心語 / 男  / 12歳(実年齢21歳) / 異界職
 3573   /  フガク  / 男  / 25歳(実年齢22歳) / 冒険者

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。

ご兄弟のちょっと困ったエピソード、心を込めて書かせて頂きました。
何やらこう、気付けば全力でお兄様大好きオーラが出ておりましたが、色々と大丈夫でしたでしょうか(ぇぇ
いざという時に頼りになるお兄様がいらっしゃると、安心出来るのだろうなぁ、と思いながら書かせて頂いたり。
男兄弟は居りませんので、いつも羨ましく拝見しております(笑

仲良しのご兄弟の日常(?)のヒトコマが、弟様のイメージ通りに表現出来ていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
SnowF!Xmasドリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2010年12月29日

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