▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『月影斬舞  〜 還 〜 』
水嶋・琴美8036)&(登場しない)

 最下層には、少数ながら部隊の生き残りが潜んでいた。散発的に仕掛けられる攻撃をかわしつつ反撃し、琴美は一人一人確実に屠ってゆく。照明は落とされていたが、それは琴美には何の影響も及ぼさない。非常灯のオレンジ色の灯りすら必要がないくらいだ。闇の中から現れ舞うように繰り出されるクナイに、兵士たちは為す術もなくたおれ、10分としないうちに残存勢力は沈黙した。
「ふがいない方々ですのね」
 半ば憤慨するようにつぶやいた横顔が、薄灯りの中でぼんやりと輝く。黒髪は変わらずに乱れることなく、少しだけ緩んだ白い胸元にはらりと落ちた。セキュリティシステムはまだ生きていたが、兵士のいない今となってはただの騒音だ。琴美はけたたましく鳴り響く警告音を無視してフロアの奥に足を進めた。琴美の靴音だけがカツ、カツ、と響く。いくつかの小部屋に分かれた倉庫内には、それぞれに大量の銃器類や薬品、爆薬までが分類され格納されていた。
「確かに、こんな物を東京の真ん中に置いておく訳にはまいりませんわね」
 かといって、このまま警察に見つけさせるのも困る、というのが上層部の判断なのだろう。きれいに爆破してしまわなければならないのだが…。琴美は小部屋の中からプロパンガスのボンベをいくつか見つけると、微笑んだ。
「助かりましたわ」
 時間はかかるが、これが一番手軽だ。琴美はボンベの栓を開けると、フロア全てのドアを開けはなした。爆薬庫にあった爆薬の中からC4を見つけだすと、いくつかを手に取った。ご丁寧にもついていた起爆装置は時限式。武器庫内にガスが充満するであろう5分後にセットすると、一つ一つの小部屋に仕掛けながらフロアを駆け抜けた。銃器庫、薬品庫、被害者を拉致する際に使ったのであろう、衣装部屋。最後にコントロールルームから研究施設各階のエレベータのドアを操作した後、そこにも入念に爆薬をしかけた。エレベーターのドアをロックして滑り込んだところで残り3分。
「もう少し歯ごたえのある方々だと思いましたのに。お先に失礼」
 応えるはずもない屍の山に優雅に微笑むと、琴美は最上階のボタンを押した。上昇し始めた籠の中で一つ息をつく。その手には残っていた爆薬があった。地下武器庫爆破まであと2分…1分…30秒。29、28…その間にもエレベーターはぐんぐんと上昇を続ける。まるで琴美とともに爆発から逃れようとするかのように。だが、それはかなわない。琴美は最後の爆薬を仕掛けると、最上階についたと同時に飛び出しエレベーターを降下させるとケーブルをクナイで切断した。どおおん。地下の奥深くから重い音が響く。開け放したエレベーターのドアから噴出した爆風と熱風が研究施設を吹き荒れる。琴美は落下させたエレベーターが二度目の爆発音を轟かせるのを確認してから、見事に割れた窓からぽん、と外へ飛んだ。小さなグライダーの翼を広げた。都会の薄闇の中に、黒髪をなびかせた琴美のシルエットが一瞬浮かび、消える。そのまま音もなく隣のビルの屋上に着地すると、だいぶ西に傾いた月が丁度雲間から顔を出した。
「水嶋琴美。無事か」
 数十分ぶりに聞くオブザーバーの声に、琴美はゆっくりと空を仰いだ。遠くにパトカーのサイレンが聞こえる。
「もちろん。…時間、間に合いましたわね?」
「ああ、十分だ。回収班が向かいの公園で待っている」
「確認しましたわ」
 小さな公園の向こうに車が停まっているのが見えた。一見、タクシーに見えるが偽装だ。後にしてきたビルを振り返ると、琴美の意図した通り爆発はすでにおさまっていた。最上階は吹き飛ばしただけで火災は起きていない。事前情報通り研究施設が完全隔離されていたのなら、表の施設に被害が及ぶ事もなかったはずだ。
「後ほど課長に報告を」
「了解」
 琴美の黒髪を吹き上げたビル風が衣の裾をはためかせ、スパッツに包まれた太股のラインを露わにする。ひんやりとした夜気が肌を撫でた。少し、気温が下がってきたようだ。
上空も風があるのか、月が再び雲間に消えようとしていた。琴美はもう一度だけ静かな光を見上げてから、非常階段を降りた。
 
 しんと静まり返った部屋で、琴美はするりと帯を解いた。スタンドの丸い灯りの中に、ひとつ、ひとつ、漆黒の戦闘服が脱ぎ捨てられてゆく。帯に上着、そしてスパッツ。既に脱いだブーツは、玄関の脇に置かれていた。
「う…ん」
 全てを脱ぎ捨てると、琴美はゆっくりと伸びをしてバスルームのドアを開けた。高めに設置されたシャワーから、暖かい湯が琴美の肢体に降り注ぐのを目を閉じて受け止め、ゆっくりと汗を流した。滴が額から頬へ、そして首筋からなだらかな曲線を描く胸へと伝い、落ちてゆく。大した疲れはなかったが、それでも冷えきった体には湯が何よりも心地よい。お気に入りの石鹸を泡立てるときめ細かな白い肌を撫でるようにして洗い、シャンプーで黒髪に絡んだ戦いの匂いを入念に洗い流した。そしてコンディショナーとローションで艶やかさに磨きをかける。バスルームの中に甘い香りと湯気が広がり、琴美の体を覆い隠す。降り注ぐお湯で泡を流し、しばらくの間瞑目した後、琴美はきゅっとお湯を止めた。濡れた黒髪をタオルでまとめてバスルームを出る。
「…さて、と」
 ローブを巻き付けるようにしてドレッサーの前に立った時にはもう、つい今し方まで荒々しい男たちを次々と倒してきたくのいちの姿はどこにもなかった。鏡に映っているのは、瑞々しい色香に溢れた若い女性だ。黒髪を丁寧に乾かすと、白いシャツに黒いスーツを身にまとった。どちらも日本ではあまり知られていないブランドのものだ。スカート丈は膝上15センチほど。体の線を隠さぬシルエットは着る者を選ぶが、琴美にはあつらえたように合っていた。豊かな胸やヒップラインを押さえつけることなく包みながらも品があり、十代とは思えぬ落ち着いた色香を引き出している。引き出しを開けると、柔らかな胸元を飾るアクセサリーを一つ選んだ。金色の鎖に小さな真珠を星のようにアレンジしたペンダントヘッドのネックレス。シンプルなものだ。髪をまとめるべきか少しだけ迷ったが、やめた。着こなしを鏡でチェックすると、琴美は最後に薄く唇に紅を引いた。窓の外には既に月明かりはなく、夜明け前までの短く深い闇が街灯りを覆うように広がっていた。

「水嶋琴美、戻りました」
 帰還の報告すると、課長は満足げにうなずいた。任務では常に厳しい要求をつきつけてくる冷徹な上司だが、琴美は全幅の信頼を置いていた。だからこそ、どんな任務の後でも時を置かずに報告に来ることを常としているのだ。課長もまたそれを是としており、いかなる時間であっても琴美たちが帰還する頃には、こうして登庁して待っていてくれる。
「ご苦労。疲れただろう、かけなさい」
「失礼します」
 すすめられ、すらりと伸びた足をそろえてデスク横のソファに腰を下ろした琴美の前に、湯気を立てたカップが置かれた。帰還の報告に来た部下たちに課長はいつも手ずからブランデーを落としたミルクティをいれて労ってくれる。かなり甘いはずなのにしつこさはなく、一口飲むとじんわりと柔らかな暖かさが体に染み込んでくる。他の皆と同じく、琴美もまたこのひと時を何よりも楽しみにしていた。
「今回は君に貧乏くじを引かせてしまったな」
 少し目を細めながら言われて、琴美はいいえ、と首を振った。
「そんな事は。少々拍子抜けはいたしましたけれど」
 正直に言うと、課長は困ったように微笑んだ。
「あれでもトップは歴戦の兵士だったんだがな」
「そう言えば、遺体は?」
「すぐに回収した。最上階の遺体もだ。今身元を洗っている」
「あの、潜入捜査員の方は…」
 最上階に置いてきたままだった。オブザーバーが回収すると言っていたが、気になっていたのだ。だが課長は残念そうに首を振ると、既に事切れていたと言った。
「そう…ですか。残念です」
「ああ。だが、情報だけは無事に持ち出していた。こいつを飲み込んでいたからな」
 課長が見せたのは、カプセル入りのマイクロチップだった。
「優秀な男だった。犬死ににはしないよ」
「はい…」
 優秀な捜査員であったにもかかわらず、最後に味方を売らねばならなかった彼の無念を思うと、見知らぬ人間とは言え琴美も口惜しくてならない。そして彼の末路はそのまま自分に重ならないとも限らない。水嶋家初代に優るとも劣らぬ実力の持ち主と言われてはいたが、琴美は決してうぬぼれている訳ではなかった。いつの日か、自分にもそういう日が来るかもしれない。その時自分は、水嶋琴美は…。
「水嶋くん」
 顔を上げると、静かな瞳がこちらを見ていた。今はスーツのよく似合う穏やかなこの男が、課の前身であった非合法機関で最強と謳われた兵士であったことを、琴美も知っている。彼がいくつもの戦場から生還したのは、決して幸運によるものだけではない。類稀な才能に恵まれた指揮官。その男の信頼を勝ち得たひと握りの人間の中に、琴美はいるのだ。
「大丈夫か?」
「…はい」
 琴美が頷くと、課長は立ち上がってもう一杯、ミルクティーを注いでくれた。甘い香りが再び部屋を満たす。その香りを深く吸い込むように琴美は豊かな胸を微かに上下させた。そう。自分は強い。たとえ力尽き地に這う事があろうとも、負けたりはしない。こちらを見ている指揮官の視線を受け止めると、琴美は悠然と微笑んで、言った。
「大丈夫ですわ。私は」
 気づくと、ビルの谷間から朝日が昇ろうとしていた。黒髪をさらりとかきあげると、陽射しが胸元に落ち、深い胸の谷間で真珠がキラリと輝いた。

<終わり> 


PCシチュエーションノベル(シングル) -
むささび クリエイターズルームへ
東京怪談
2011年01月28日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.