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『Snow Dream 』
ファリルローゼ(ib0401)

 一

「お姉様、早く早く!」
「待ってフェン、そんなに走ったら転んでしまうわ」
 ジルベリア東方、山間に流れる川沿いに位置する温泉宿に一年の疲れを癒すべく旅行したいと言い出したのはアジュール姉妹の妹、フェンリエッタ(ib0018)だった。
 山間は雪深く寒さも厳しい。
 宿への道も整備されていない箇所が多く、其処へ行きたいという声もあまり聞かれないような温泉宿。通常であればファリルローゼ(ib0401)もこの旅行を躊躇っただろうが、他の誰が「其処は‥‥」と敬遠するような場所であろうとフェンリエッタが「行きたい」と言った事が彼女には重要だった。
 そう、最愛の妹であるフェンリエッタが行きたいと言うならば、山間だろうが雲海だろうが、果ては未知の新大陸であろうと赴くかどうかに否はない。
 前進あるのみ、いざ行かん。
「お姉様!」
 ましてや宿を前にしての、この調子。
 フェンリエッタのこんな楽しげな様子を見るのは久し振りな気がして、それだけでもファリルローゼにとっては『来た甲斐があった』というものだ。
 雪を踏みしめながら緩やかな坂道を登ることおよそ一〇分。天儀の造りに似せた古びた外観が情緒を漂わせる温泉宿に到着する。
「こんにちはー!」と屋内に入るなり声を上げたのはフェンリエッタ。
 すぐに中から従業員が姿を現す。
「あらまぁ随分と可愛らしい‥‥御嬢さん達のようなお客さんはいつ以来かしら」
「え?」
「とっても素敵なお宿ですね」
 従業員の台詞に違和感を覚えたファリルローゼが聞き返すと同時、フェンリエッタが間に割って入る。
 従業員は嬉しそうに目元を緩ませた。
「お陰様で繁盛させて頂いておりますもの。お部屋のご用意は済んでおりますから、どうぞ。ご案内致します」
「お部屋の場所って‥‥」
「ええ、ご要望の通りに」
「??」
 従業員とフェンリエッタのやり取りに、ファリルローゼの脳内には「?」が飛び交う。そんな彼女へ。
「もしよろしければそちらの御饅頭をどうぞ。温泉饅頭と言いますの。うちの名物ですんよ?」
「ぁ、ああ‥‥フェン、一つずつで良いかしら」
「ええ♪」
 上機嫌の妹の返答を聞き、両手に一つずつ温泉饅頭を持ったファリルローゼは、先を行く彼女達を追う形で木の廊下を進んだ。
「お食事は此方、宴鶴の間でご用意させて頂きます。お時間になりましたら係りの者が伺いますので」
「ありがとうございます」
「温泉はあちら‥‥女性は右側の、赤い暖簾が掛かっている入口です。中は女性専用の湯殿。もしも混浴での入浴をご希望でしたら、奥に竹御簾が掛かっておりますのでそちらからご移動下さいませ」
 移動しながら公共施設の説明を受ける姉妹は、青い暖簾の先――男性風呂の方が随分と賑やかだなと思った。豪快な笑い声に、何やら下品な会話。
(‥‥万が一、フェンに不埒な真似をするような輩には容赦すまい‥‥!)
 ファリルローゼがそう心に誓い右手の温泉饅頭を潰しかけた、――その時。
「あら」
「おや」
「まぁ、失礼しました‥‥」
 前方の角から現れた男の影に慌てて足を止めた従業員だったが、その男とフェンリエッタが顔を合わせるなり、‥‥その表情が。
「お知り合いですの?」
 従業員の問い掛けに、ようやく前方に意識を傾ける事が出来たファリルローゼは、直後に絶句した。
 何故なら其処に居たのがスタニスワフ・マチェク(iz0105)だったからだ。
「な‥‥なっ、‥‥な‥‥!」
 驚き以外の何物でもない衝撃から立ち直れず、言葉も出てこないファリルローゼの震える手のひらから温泉饅頭が落ちる。が、姉の反応を“待っていた”フェンリエッタが見事にキャッチ。
「やぁフェンリエッタ。ロゼ。君達もこの宿に泊まりに来るとは不思議な偶然もあったものだな」
「本当ですね」
 マチェクの台詞に、笑顔で同意を示すフェンリエッタ。
「あ、もしよければ三人で少し外を歩きませんか? こんな機会、滅多にないでしょうし」
「構わないよ」
 にこにこ。
 にこにこ。
 単純に再会を喜んでいるだけにしては明らかな意図を含んだ二人の笑顔に、ファリルローゼが「何が偶然‥‥!!」と絶叫したい衝動に駆られたのは、無理からぬ事だった。


 二

「マチェクさん達は、いつもこのお宿で忘年会を?」
「ああ。見ての通り山の中で人気が少ないうえに、此処に来るまでの道程も結構な体力勝負だっただろう? ――あぁ、君達は途中まで馬車で来たのかな」
「ええ。御者さんが「此処までなら」という場所まで乗せて下さいました」
「それが良いよ。俺達は麓から足で登って来るんだが大半の団員は宿に着いた途端に倒れ込むからね」
「年内最後の鍛練‥‥という感じでしょうか」
「ああ、加えて年内最後の勝負事さ。上位者は途中で音を上げた連中に罰ゲームを課せる。例えば夜の宴で一芸を披露させたり、帰りの荷物を持たせたりね」
「それは皆さん必死になられるでしょうね‥‥因みにマチェクさんは、やっぱり上位に?」
「まさか」
「違うんですか?」
「自力で宿に辿り着きさえすれば罰ゲームにはならないんだ。ゆっくりのんびり、冬の山道を楽しみながら登らないと損だよ」
「まぁ」
 フェンリエッタは呆れたような、けれどそれがマチェクらしいのかもと、鈴のように愛らしい声で笑う。
 実に楽し気。
 幸せそう。
 まるで仲睦まじい恋人同士‥‥とは、彼女達から数歩後ろを歩いているファリルローゼの、いろいろな私情を交えた上での見解だが。
(マチェク‥‥私のフェンに近付き過ぎだ‥‥っ)
(いつもはあんなに異性へのガードが固いフェンなのに‥‥ああっ、そんな無邪気な笑顔を見せてマチェクが妙な気を起こしたらどうする‥‥!)
(一センチでもフェンに近付いてみろ‥‥後ろから叩き斬る!)
 普段は決して離さない騎士の証である剣も今日ばかりは置いて来たのだが、まるで見えない剣を腰元に帯びているような動作を見せた。
 が、手が空を掴む感触にハッと我に返る。
(‥‥何をやっているんだ、私は)
 何も持たない掌を見つめて胸中に呟く、その表情は心なしか切なくて。
(フェンが楽しいのなら、それが何よりじゃないか)
 近頃は、どんなに気丈に振る舞っていても悲しげな気配を覆い隠せなくなっているフェンリエッタが嘘のない笑顔を綻ばせるなら、それはファリルローゼにとってもこの上ない喜びのはずだった。
 ただ、その相手が男であるという点だけが。
 ‥‥マチェクである、という事が。
(楽しそう、だな‥‥)
 先ほどよりも幾分か冷静さを取り戻した瞳で二人を見遣れば、自然、ファリルローゼの口元にも笑みが浮かんだ。
 楽しそうなのだ、フェンリエッタが。 
 マチェクが。
 二人ともがこうして自分の手の届く範囲で笑ってくれているという事が、どんなに幸せな事か――。
「え‥‥」
 幸せ。
 自分の胸に確かに浮かんだその言葉に、ファリルローゼは目を瞠った。
 妹の笑顔を嬉しく思うのは当然だ。フェンリエッタは誰よりも、何よりも、‥‥自分の人生において最も大切な存在。その彼女が喜んでいる姿を幸せに思わないはずがない。だが今の自分が感じていた「幸せ」は。
(どう‥‥したんだろう‥‥)
 胸がざわつく。
 不安?
 心配?
 ‥‥違う。
 こんな奇妙な感覚を、彼女は知らない。


 三

 一頻り散歩を楽しんだ三人‥‥正確には楽しんだ二人と難しい顔付きで無言のまま過ごしたファリルローゼだったが、夕飯まであと一時間という頃になってそれぞれの部屋に帰っていた。フェンリエッタが事前に希望していたと従業員が話した部屋は、マチェクの部屋の向かい側。
 恐らく「打ち合わせ通り」なのだろう。
 その事にまた奇妙な感情を募らせたファリルローゼは部屋でも難しい表情が解れる事はなく、そのせいで、フェンリエッタに勘違いをさせてしまったらしかった。曰く、マチェクと同じ宿での宿泊を計画した自分に、お姉様が本気で怒ってしまったのでは、と。
「あの‥‥お姉様?」
「え?」
 呼ばれてハッと顔を上げれば、ひどく沈んだフェンリエッタが隣にいた。こんなに近くまで彼女が寄って来ている事にも今の今まで気付かなかった。
「フェン‥‥どうしたの?」
「‥‥ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「だって、お姉様‥‥私が勝手にマチェクさんから聞いて、一緒の宿に泊まろうと計画した事を怒ってらっしゃるのでしょう?」
「まさか!」
 怒っていると指摘されたファリルローゼは即答する。他の誰かならいざ知らず、フェンリエッタのした事に怒るなど天地がひっくり返っても有り得ない。
「あぁごめんなさい、少し考え事をしていただけなのよ。そのせいで貴女にこんな顔をさせてしまうなんて‥‥っ、悪いのは私だわ。ごめんなさい」
「お姉様‥‥」
 姉失格とまで自分を責めながらも、落ち込む妹を抱き締めれば、フェンリエッタもようやく安堵の表情になる。
「じゃあ‥‥今回の旅行、楽しんで下さる?」
「勿論よ。貴女が計画してくれた旅行だもの、一緒に楽しみましょう」
「私が計画したこの旅行、喜んでくれるの?」
「当然じゃない」
「マチェクさんに会えた事も?」
「ええ、もち‥‥ろ‥‥」
 勢いで頷き掛けてはたと気付く。
「それは関係ないでしょうっ?」
 思わず頬を赤らめて語調強く応じれば、フェンリエッタはいつの間にか上機嫌。
「だってマチェクさんにお会いするのも計画の内だもの」
「どうして彼と同じ宿に‥‥っ」
「お姉様のため♪」
 顔を真っ赤にして必死に反論するファリルローゼは、その反応に満足(?)したらしいフェンリエッタにぎゅっと抱きしめられて、今度こそ『敗北』。
「せっかくだもの、温泉に入りましょう? 久し振りにお姉様の背中を流してあげたいし」
 妹の言うシチュエーションを思い浮かべたファリルローゼは咳払いを一つ。
「し、仕方ないわね」
 そっぽを向いて言う彼女に、フェンリエッタが微笑んだ。


 温泉は内風呂と外風呂に分かれており、どちらも広さは同等で木の香りがする心地良い造りになっていた。冬という季節柄、屋内の方が暖かくて過ごし易いとは思うものの雪に降られながらの入浴も捨て難い。
 そのため、中で体を洗ってから外に出ようと言う結論に至った。
 ファリルローゼは両手いっぱいに泡立てた石鹸で妹の背中を洗う。肩から腕へ。掌へ。‥‥その大部分はもう癒えているけれど、戦場に身を置く騎士であればこその傷が絶える事のない体だ。
 体だけじゃない。
 傷つくのは、むしろ心――‥‥。
「‥‥大切にしなければダメよ、自分の事を」
「お姉様?」
 唐突な呟きに不思議そうな顔をする妹へ、ファリルローゼは微笑む。その微笑みにフェンリエッタは何を思ったのだろう。
「代わるわ。今度は私がお姉様を洗ってあげる」
「え‥‥」
「さぁ後ろを向いて♪」
 早く早くと急かされてフェンリエッタに背中を向ければ、その間に彼女の手も石鹸の泡だらけ。程よく潤う素肌に、その泡の滑らかさが気持ち良かった。
 気付けばファリルローゼの表情はリラックスした微笑みに。
「‥‥お姉様」
「なに?」
「‥‥」
 何気なく応じるもフェンリエッタからの反応は途切れて、どうしたのかと思いながら肩越しに振り返ろうとした、その時。
 ぎゅっ‥‥と後ろから抱き締められてファリルローゼは目を瞬かせた。
「フェン?」
「‥‥ふふっ」
 心配になって呼び掛けると同時に聴こえた小さな笑い声と、怪しく動く、指先。
「お姉様、‥‥少し成長された?」
「きゃっ」
 胸元の膨らみを掌に覆われて真っ赤になるファリルローゼを、更に追いつめるフェンリエッタ。忘れてはならないのは二人共が全身泡だらけだということで、掌は容易に体を滑るのだ。
「ちょ、フェンっ?」
「あらでも腰は細く‥‥引き締まったのかしら」
「くすぐっ‥‥」
「お姉様ってば相変わらずここ弱いのね♪」
「あはっ、フェンっ‥‥もうっ!」
 脇腹をくすぐられて我慢するのも限界とばかりにファリルローゼはくるりと向きを変えて接近していたフェンリエッタを正面から抱き竦める恰好に。
「フェンだって背中は弱いままでしょう?」
「きゃぁっ♪」
 幼い頃から一緒にいる姉妹だからこそ、相手の弱いところなど手に取るように判るわけで、泡だらけの二人、半ば本気でじゃれ合った。
 姉妹しかいない浴場には朗らかな笑い声が響き渡り、温泉の静寂は、まるでそんな光景を見守るように二人の笑顔を害さない。
 ただ、時間まではそうはいかなかった。
「さぁそろそろ温まって上がりましょう? 夕食の時間に間に合わなくなってしまうわ」
「ええ」
 姉の言葉に応じたフェンリエッタは、しかしふと考える。
「ねぇお姉様。せっかくだもの、混浴に行ってみない? もしかしたらマチェクさんが居るかも‥‥」
「絶対にダメよっ!」
 ファリルローゼの即答。
 真っ赤になる顔は、決して温泉にのぼせたわけではなく。
「フェンの素肌をどこの馬の骨とも判らない男達に見られるかもしれないなんて‥‥っ!」
「それだけかしら?」
「っ、フェン!」
 そうして再び明るい笑い声が響くのだった。


 四

 予定以上に時間の掛かった入浴を済ませ、宿が貸してくれた浴衣と羽織を着て夕食は此処と案内された宴鶴の間へ向かえば、既に傭兵団の忘年会は始まっていた。
 たまたま宿で一緒になった、という事になっている姉妹を待っての宴開始というわけには、さすがにいかなかったのだろう。
 それでもマチェクは入口の傍に席を設けており、二人が来た事にもすぐに気付く。
「やぁ、来たね。二人とも、浴衣姿も似合っているよ」
「ありがとうございます」
 笑顔ですぐに応じるフェンリエッタと異なり、思わず彼から視線を逸らしてしまったファリルローゼ。自分達と同じく湯上りらしいマチェクも浴衣姿で、普段見慣れない彼を直視していられなかったのだ。
 そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、マチェクの右隣に座ったフェンリエッタは「今年一年、色々とお世話になりました」と彼の猪口に酒を注ぐ。
「今日の事も、感謝です」
「それなら感謝される謂れはないよ。男だらけの忘年会よりも君達が居てくれた方が楽しいと個人的に思っただけだからね」
「‥‥そんな疾しい気持ちでフェンの話を引き受けたのか」
「あら、こういうのを利害の一致と言うんだわ♪」
「ははっ、どうやら妹君の方が一枚上手だな」
「〜〜っ」
 二人に笑われて、マチェクに対し眉根を寄せるファリルローゼだったが。
「ほら、お姉様もそちらに座って食事を楽しみましょう?」
 フェンリエッタにそう促されては拒むわけにもいかず、仕方なくマチェクの左隣に腰を下ろした。
「さぁ、お姉様も」
「ぇ、ええ」
「なら君には俺から‥‥」
「待て、フェンには私が注ぐっ」
 妹の猪口に酒を注ごうとするマチェクを睨んで自ら銚子を手に取ったファリルローゼに、今日何度目かになる妹と傭兵、二人の笑い声が重なるのだった。


 忘年会という名の宴は最初から大盛り上がりだった。
 三人で散歩した時に姉妹がマチェクから聞いた、傭兵団の罰ゲームが始まれば上座に設けられたステージ上、煌びやかなドレスで女装した傭兵達が楽師達の音に合わせてダンスを披露。
 力比べでは、正座した足を帯で固定された態勢の傭兵――恐らく競争で下位の方だったのだろうが、彼の肩に屈強な男が乗り、更にその上に男が乗り‥‥という具合に加えられていく重量に、一番下の傭兵が苦悶の声を上げる度に「まだまだ!」「それくらいで音を上げてちゃ一人前にはなれんぞ!」と囃し立て、終いには肩に乗っていた男達の方が耐え切れず総崩れ。
 ドドドドッという激しい崩れ方に「大丈夫か?」と心配する声も上がるも、宴会場に沸き起こるのは邪気のない笑い声が大半だ。
「‥‥あれで怪我をしたりしないのか?」
 ファリルローゼが些か眉を寄せて問い掛ければ、マチェクは「さて」と。
「それぞれに体を鍛えた男達だし、崩れるにしても大怪我をしないよう崩れているから問題ないはずだよ。‥‥心配かい?」
「心配、‥‥と言うか」
「お姉様は、あまりこういう余興が好きではないのよね」
 フェンリエッタも決して好きではないけれど、お互いに納得して楽しんでいる酒の席ならと自身を納得させている風だ。
 もちろんファリルローゼも酒の席と割り切れない事もないのだが、基本的に根が真面目なのだ。
「確かに君達の周りにいる男達に比べれば多少野蛮で下品な連中だが、中身は信頼するに値する気さくで良い連中ばかりだよ」
「野蛮で下品などとは思っていないが‥‥っ、マチェク! フェンに何度酒を注がせる気だ!」
 妹が再び銚子を手に取って傭兵の猪口に注ごうとしているのを見て止めに入るファリルローゼへ、二人。
「あら、私がお注ぎしたくてしているのに‥‥」
「なら君が注いでくれるかい?」
「くっ‥‥」
 何とも良く似た笑顔を向け、ファリルローゼにそれぞれ銚子と猪口を差し出してくる彼らに、完敗。
「‥‥貸してちょうだい」と妹から銚子を受け取り、不本意ながらもマチェクの猪口に酒を注いでやった。
 くすくすと聞こえて来る笑い声にファリルローゼの頬は赤くなり。
「‥‥君は相変わらず意地悪だな」と言ってやればマチェクは更に楽し気だ。
「からかい甲斐がある、というのは一つの才能だよ」
「それを喜べると思うか?」
「嬉しくないかい?」
「当たり前だ」
「おや、それは残念だな」
「何が残念だと‥‥!」
 口調を強めたファリルローゼは、ふと妹の声が途絶えている事に気付いた。どうしたのかと心配になれば、表情は笑んでいるものの、どこか寂しげな色を濃くしているフェンリエッタ‥‥。
「どうしたの?」
「‥‥何かあったかい?」
 ファリルローゼに続いてマチェクも問い掛ければ、フェンリエッタは「いえ‥‥」と一度は左右に首を振った後で、けれどと口を切る。
「せっかくですし‥‥マチェクさんにお聞きしてみたい事が‥‥」
「ん?」
 言い難いのなら酒の力でも借りてみようかと、フェンの猪口に銚子を傾けるマチェクを、今ばかりはファリルローゼも止めなかった。
 何故ならそれを受けるフェンリエッタの表情が心なしか和んだから。そして、それが必要な事だと判ったから。
「‥‥マチェクさん。私‥‥好きな人が、いるんです」
 ツキン‥‥と痛むのはファリルローゼの心。
 堪らなくなって、自らの杯を酒で満たした。
 マチェクの表情は、変わらない。
 フェンリエッタは自嘲気味な笑みを零す。
「分不相応な片想いです。あの方には縁談も進行していて‥‥その上、忘れられない人がいて‥‥私はとっくに振られているんです」
 その言葉に、語る本人以上に辛い表情を見せるのはファリルローゼだ。それを誤魔化すように自分の杯を満たす酒を一気に煽るも痛みが薄れる事はなく、――それからの事は、よく覚えていなかった。



 五

「ロゼ」
「ぇ‥‥」
 不意に呼ばれて顔を上げれば、くらりと視界が歪み、体が揺れて、‥‥ふと、腕に力強い温もりを感じる。
「飲みすぎだよ」
「飲み過ぎ‥‥? そうだ、フェンは‥‥」
「団の連中と楽しそうにしている」
「そ、そうか‥‥」
 自分の頭を抑えながら、どこからか記憶が飛んでいる事に気付く。妹がマチェクを相手に恋愛相談を始めた事は覚えているのだが、その後が‥‥。
「まったく‥‥」
 マチェクの呆れたような笑い声が、すぐ傍から聞こえて来る。
「最愛の妹君の恋のお相手に嫉妬して、自棄酒かい?」
「っ‥‥別に自棄酒などでは‥‥うぅっ‥‥」
 否定したくても、もはや飲み過ぎは明らかで、マチェクもお見通しといった様子。
「妹君が心配するわけだよ」
「なに‥‥?」
「いいや」
 すぐ傍から聞こえてきているはずなのに、どこか遠く感じられる相手の声。聞き返しても笑われて、不意に、体が軽くなる。
「少し夜風に当たろうか。そうすれば少しは楽になるだろう?」
 その言葉に自分がどう答えたのか、ロゼは最後まで思い出せなかった――。


 次に気付いたのは冷たい風に頬を撫でられた時だった。熱を持った頬にそれはとても気持ちよく、優しく、甘い匂いがふわりと揺れた。
「‥‥マチェク‥‥?」
 その匂いに彼を思い出す。
 はっきりとしない意識の中で手を動かし、近くに誰か居るのかと探るも手は空を掴むばかりで誰の存在も捕えなかった。
 ただ、‥‥暖かい。
 ファリルローゼを包む甘い匂いは暖かく、優しく、冬の冷たい風から彼女を守るようだった。
「マチェク‥‥」
 違うのだろうか、と。
 そう思いつつも再びその名を口にし、身動ぎすると、やはり彼の匂いが。‥‥温もりが揺れた。
「ん‥‥」
 確かな存在を感じるのに掴めない。
 近いと思うのに遠い。
 人当りは良いが、触れるまであと一歩というところでサラリと躱す彼には、いつだって決して心の中に他人を踏み込ませない壁を感じていた。
「‥‥君の心までは遠いな‥‥」
 思わず声にしてしまった呟きは、酔った勢いなのか、‥‥酔ったが故の本心か。
「‥‥私には‥‥」

 ――‥‥私には、その壁を越えられるだろうか‥‥?

 それきり再び眠りに落ちたファリルローゼを、椅子のように後ろから支えるようにしていたマチェクは、彼女の手が何かを探るように廊下の上で彷徨うのも、身動ぎして胸に顔を埋めてくる姿も、ただ静かに見つめていた。
 さすがに部屋に運ぶのは躊躇われ、廊下の縁側で風にあたろうとしたのが良かったのか悪かったのか。木の廊下に横たえては体が痛かろうと椅子代わりになった迄は良かったが、‥‥その後がこれでは。
「参ったね‥‥」
 今更女性の寝顔に心が騒ぐ事など無いと思っていたのに、‥‥何故だろう。彼女に「恋」という自覚が無いせいか、不思議な感情が胸を占めた。
 だから彼は微笑う。
「‥‥いいよ。今は君だけの男になろう」
 夢路に伴うも良い。
 一夜こうして君のためだけに生きるのも良い。
 朝陽に目覚めた君がどんな表情を見せてくれるのか――それを思えば楽しい時間になるからと、マチェクは彼女が風邪を引かぬよう抱き締め、微笑うのだった――‥‥。


 Fin.

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●登場人物
・フェンリエッタ(ib0018)/18歳/女性/騎士
・ファリルローゼ(ib0401)/19歳/女性/騎士
・スタニスワフ・マチェク(iz0105)/26歳/男性/傭兵

●ライター通信
 この度も姉妹お揃いでの当方へのノベル発注、誠にありがとうございました。お待たせした分だけ楽しんで頂けるノベルにしようと努めさせて頂きましたが、‥‥如何でしたでしょうか?(どきどき)
 思い出に残る一日にして頂ければ幸いです。

 どうやらうちの傭兵は『妹さんを溺愛しているお姉様をからかう』のが心底楽しいらしく(酷)妹さんと共謀にも大乗り気。彼にとっても思い出深い一夜となったようです。ありがとうございました。
 またご一緒出来る機会がありますことを傭兵共々願っております。

 ようやく暖かくなって来た今日この頃ですが、まだまだ冬は続きます。体調を崩したりなさらないようくれぐれもお体はご自愛くださいませね。

 失礼いたします。
SnowF!Xmasドリームノベル -
月原みなみ クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2011年02月04日

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