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『『化け猫が語るある少女の話』 』
月夢・優名2803)&(登場しない)


 ―――えーっと、動画、って、どんなの?―――

 さあさあ、お立会い。お立会い。
 お暇な人もそうでない人も寄っておいでー。そうしねー。
 今日は人の世で言う平成22年。2月22日。2が五つ並んでちょーお目出度い。激お目出度い。今日は2が五つ並ぶスーパーにゃんにゃんにゃんにゃんにゃん猫の日でぇ!
 んでもってよ、俺たち猫が化けて出られる銀の月の日でぇ!
 俺たち猫は銀の月の日、夜に、化けて出られる力を持てる。それが俺たち猫の秘密よ。人間どもには知られてねーがな。
 それでもって、その俺たちの秘密の力にプラスして、その、猫の日よ。
 人間どもが認識し名づけてその存在を許した猫の日。わかるかい、この今の俺様の呟きを読んでる人間さんよ。
 あんたがこの今の文章を読んでるその一秒前にあんたがこの次元に存在してたという証拠がどこにある?
 世界はほんの一秒前に生まれて、あんたはあんたのその思い出とか記憶とかをただの情報として持ち合わせているだけなのかもしれないぜ?
 そう。こう書いている俺自身もあんたがこの文章を読んでいると思い込んで記憶を捏造してそうしてこの事象を認識し確認し許して見ているこの瞬間今まさに生まれ出たのかもしれねえぇ。
 ああ。深く考えてくれなくてもいいぜ。
 もちろん。悩む必要もねえ。
 読み流してくれてもぜんぜんOK。
 だってよ、これはそういう物語。
 ただの呟き。
 そう。戯言よ。
 猫の戯言。
 猫は夢を見ねえ。
 だから寝言なんかほざけれねー。
 これはただのとりとめもねー、戯言よ。
 んでもってよ、この俺様の戯言に読み手のあんたは付き合ってくれんだよな?



 +++


「動画研究会?」
「そう。動画研究会!」
 きょとんと小首を傾げた優名に彼女は嬉しそうに頷いた。
「えーっと、動画、って、どんなの?」
 機械類には弱く、今時の女子高生には珍しく携帯電話すら持っていない優名にとってはその聞き慣れた言葉ですら魔法の言葉のように思えた。
 否。後から思えばそれは確かに珈琲のように黒く、蜂蜜のように甘い、天使のふりをした悪魔の囁きだった。
 そう。だって、
「こんなの」
 彼女は携帯端末機を取り出すと、それに保存されていた動画を優名に見せてくれた。



 ―――おお。ほら、始まったぜ。陰惨な人間同士さまの淘汰がよ―――


「おもしろいでしょぉー♪」
 彼女はとてもおもしろそうに笑っていたけれど、優名は思いっきり引いていた。それをおもしろいと笑う彼女の感性がちょっと理解できないというか………。
 だってそうじゃない?
 携帯端末機の画面の中で、その小さな仔猫は溺れていたのだから。
 その感情が顔に出ていたのだろう。
 彼女の方こそが何かとても信じられない物でも見たのかのように冷たい目で優名の顔を見ていた。
「私がこの猫、貯水池に落とした訳じゃないわよ」
 彼女は右の袖を引っ張りながら言った。
「たまたまよ。たまたま。たまたま動画研究部の活動で何か面白い事を探しに皆でほっつき歩いてたら、たまたまこの溺れてる猫を見つけて、それで、撮ったのよ」彼女は最後の部分だけ目を逸らしながら言った。
 そして、さっきは隠そうとしていた右服の袖の下の傷を、彼女はこれ見よがしに優名に見せた。
「恩知らずの仔猫でね、人がせっかく助けてやったのに、引っ掻きやがったのよ」
 優名はため息を吐いた。
「それで、それが動画で。あなたが言う動画研究会、というのは、困っている人や動物を探して撮って回る部活で。それで、それがあたしに何か?」
 ―――あたしはあなたにも、そしてあなたが属するその動画研究会、という物にも関わりたくは無いわ。
 その華奢な肩を竦めて優名は小さく吐息を吐いて、毅然と目の前の彼女を睨み吸えて、それから、ん? と小首を傾げた。
 はらりと額から落ちた前髪の、その奥から彼女を見据える優名の目には怯えとかそういう物は無くて、それは正しい人だけが持つ引け目の無さという奴で、
 だから、彼女は、目を逸らして、それから下唇を噛み締めて、そして、優名を睨みつけると、ばっと腰まである長いその髪を翻らせて、優名の目の前から立ち去っていた。



 +++


 ああ。やっちまった。そう思ったね、俺は。
 あいつらが何を思って優名を誘ったのかそれは今となっちゃわからねー。
 ただ、あいつらのターゲットが優名になっちまったのだけは確実だわなー。
 どうするよ? あいつらは罪もねー仔猫をまだ氷のように冷てえ水の中に放り捨ててそれをきゃーきゃー喜んで動画に撮る奴らなんだぜ?
 世間ずれしていておっとりしていてそれでいてちょー頑固。そんな生真面目優等生は皆の好意の眼差しだけを受けて学園生活を送れる訳じゃねー。
 んでもって、そういう奴をいじめのターゲットにする時は、そういう奴らの感情の感染力は強いんだぜ。
 それはとてもどす黒く、そいでもってねちっこい。
 おー、やだね、人間ってのは。俺たち猫はよ、よく思うんでえ。ほんと、人間ってのは、どういう風になったら、自分が幸せなんだ、って思うんだろうな?



 おお。ほら、始まったぜ。陰惨な人間同士さまの淘汰がよ。


 ―――2が5つでスーパーにゃんにゃんの日。猫の日ですね―――


 とはいえ、おつむが弱い奴らが思いつくような苛めってのはまあ、オーソドックスな、オリジナリティーの無い物が多いよなー。
 とどのつまり動画研究会の面々が優名に仕掛ける苛めっていうか、悪戯はどこかで見たような物が多くって、んでもって、優名といえばこれまた、そういう物をもう既に何十回も経験してきているというか知り尽くしているような感じでほんの些細な違和感で奴らがどんな悪戯を仕掛けてきているのかを見抜いて、これまた嫌味なぐらいにひょいひょいとしなやかにかろやかに飛び越えていきやがるんだよなー。
 いやー、かえって動画研究会のやつがいっそ哀れにさえ見えるぐらいに優名はよくやったよ。
 学園で語り継がれるありとあらゆる悪戯を仕掛ける動画研究会VS本来は今の生徒が誰も知らないような古すぎる悪戯から学園で流行る最新の悪戯まで、全てを軽やかに飛び越えていく優名。
 普段のほほんとしていてとろいように見えるが、いやいや、あいつは恐ろしい女だぜ。
 そしてそれがまた、動画研究会の奴らを苛立たせるんだろうなー。

 
 その手紙の手触りは、ゴムの回転で音が鳴る蠍と呼ばれる脅し道具を使った悪戯だった。
 優名はため息を吐いて、巻いてあるゴムが戻って鳴らないように指で押さえながらそれを包んでいる紙を剥がし、次に巻いてあるゴムをゆっくりと元に戻して、それを無効化させ、教室の廊下側の窓から優名を録画していた動画研究会の面々ににこりと微笑んで見せた。
 それを見て、動画研究会会長で悪戯が大好きな彼女は綺麗にブローされた髪をぐちゃぐちゃに掻き毟って壁をけりつけた。
「もうこうなったら仕方ないわね。直接対決と行きましょう」
 彼女はにやりと悪い顔で笑った。



 直接対決。
 それが何を意味するのかと思えば………



「OK。あなたがすごいのはわかったわ。だけど、度胸のほうはいかがなものかしらね? 知ってる? 今日が何の日か?」
「平成22年2月22日。2が5つでスーパーにゃんにゃんの日。猫の日ですね」
 しれっと優名は微笑みながら言った。
 かわいく笑う優名を動画研究会の面々は憎憎しげに睨む。
 動画研究会の会長は頬にかかる髪を耳の後ろに流しながらゆっくりと深呼吸すると、余裕のある笑みを見せた。
「違う。今日は、何十年も前にある女子生徒が教師に殺された日よ。彼女は男性教師と不倫をしていたのだけど、妊娠したのをきっかけに彼に奥さんと別れて自分と結婚するように迫って、それで殺された。彼女の死体は旧館校舎の地下に隠されて長らく発見されなかったそうよ。そして、今も彼女の魂は自分を殺した男性教諭を求めて、旧館をさ迷っている。今日はね、その女子生徒が殺された日よ」
 優名の眉間にしわが刻まれた。
「まさか、今夜、その旧館に忍び込んでみようと言うんじゃないですよね?」
 それを彼女たちは自分たちの勝利と思った。
「ええ、そのまさかよ。ええ、そう。そうなのよ。そう。あら? あらあらあらあら。まさか、優名さん、怖いのかしら? 怖いというのかしら? 旧館に入るのが! 肝試しが!!! なら、このカメラの前であたしたちに怖いです。ごめんなさい。って言ってもらえるかしら!!!」
 息もつかせぬほど上ずった声で彼女は優名に迫る。
 優名は、
「・・・」
 カメラを見据え、
 それから、
「      」
 ゆっくりと息を吸い込むと、
 にこりと微笑んだ。
「ごめんなさい。怖いです。だから今夜は旧館になんか入れません。だから肝試しなんかやめてください」
 驚くほど彼女は自然に穏やかな、何の屈辱もなさそうな声で言った。
 それから最後まで微笑を崩さずに、動画研究会の面々の前から立ち去っていった。
 小さな彼女の背中を見送ると、動画研究会の面々は手を叩き合って喜んだ。
 それから自分たちが録画した動画を見てもう一度喜び合う。
「やりましたね、会長」
「ええ。あなたのせいであの娘とやりあうことになったのだけど、やっぱりあたしたちの勝利で終わったわね。あとは、旧館に忍び込んで、校舎一周の動画を撮ればあたしたちの完全勝利だわ」
 その彼女の言葉に他の面々は面食らった。
「ちょっと待ってください! 本当に旧館に入るんですか!」
 あの怪談は動画研究会に古く語り継がれる物で、それと一緒にどんなにネタに困っても絶対に2月22日の深夜の旧館には入ってはいけないという教えもある。
 それなのに!
「何よ? 何か問題でもある?」
「問題なら大有りですよ!」
「だって!!!」
 しかし会長は彼女たちの意見を聞かなかった。
「あんなの、ただの迷信よ。だって、どこにも無かったじゃない。そんな、事件。ネットで調べたでしょう?」
 その会長の言葉に彼女たちは口をつぐむしかない。
 けれども、本能が、彼女たちにそれをやめろと告げていた。
 しかし、この動画研究会の会長が、自分の思い込みだけで全てを評する性格であることは彼女たちが一番わかっているから、彼女は全てを自分の都合の良い風に取って、人の意見をまったく聞かないことは彼女たちが一番よくわかっているから、だから、
「いい。じゃあ、今夜21時に集合よ」
 その言葉には誰も逆らえなかった。



 ―――惨劇の夜が幕を開けた―――


 まったく良い夜だった。
 夜空にはオリオン座が美しく輝き、その周りにある星星も美しく瞬き、大気は星でやさしいメロディーを歌っている。
 空気はまだ肌寒かったけれど、それでもそれが心地良いと思えるぐらいにはその夜は、気持ち良いぐらい美しかった。
 それはそんな夜に奏でられていたのだ。
 赤子が啼いている声が夜に響いている。
 誰かが小さく悲鳴を上げた。
 他の誰かが自身も怯えながらそんな誰かを皮肉る。
「何びびってんのよ? 猫の鳴き声でしょう?」
「わ、わかってるわよ」
「猫の集会よね、これ?」
「珍しいですよね。猫の集会だなんて、めったに遭遇できないものでしょう?」
「そうよねー。ねえ、これを撮りに行きましょうよ」
「スーパーにゃんにゃんにゃん、猫の日の猫の集会」
 誰かが周りの空気を伺うように言ったその言葉に、
 その空気自体が凍りついた。
 皆が動画研究会会長を見る。
 彼女は睨みつけていた。
「じょ、冗談ですよー」
「ふーん」
 動画研究会会長を先頭に彼女たちは旧館に入って、そして、


 惨劇の夜が幕を開けた。



 そしてその頃、我らが月夢優名様といえば、
 旧館校舎に居た。
 そう。優名にはわかっていたのさ。
 あいつはこれまでそういう人間を嫌というぐらいに見てきたんだろうな。
 そう。数えるのを諦めてしまうぐらいには。
 そしてだからこそ、あいつは、独りでこの惨劇の夜を迎え撃つために単身旧館校舎に乗り込んだ。
 埃が月の光を浴びてキラキラと輝きながら落ちてくる。
 廊下には誰かが忍び込んで食べ散らかしたコンビニ弁当のケースが転がっていて、所々に虫やらネズミの死骸も転がっていて、
 不潔と非日常と、それから、死が、あった。
 頭から流れ出ている血は延々とそのままで、顔はそのどす黒い赤に全部濡れていて、毛は頬に、額に、首筋に、血で張り付いていた。
 現在の制服にデザイン変更される前の前の制服は、燕尾色になっていて、蛆が這いずり回っていて、よく見れば、彼女のごわごわの髪の間からも、月明かりの加減で生前の肉がついた顔に見える顔面、もしくは月明かりの加減で骸骨に見える彼女の顔面にも、蛆虫が涌いていた。
 彼女の通り過ぎた後の廊下には血の跡があって、その血は一瞬で腐敗し、腐敗したそれから蛆が沸き、そして、それが一瞬で蝿になって、廊下を満たしていく。優名にたかりだす。
 優名は目を見開き、両手を振ってそれらを振り払おうとするが、それらは尚も依然と優名にたかって、彼女から離れようとはしなかった。
 優名はその場から走り出す。
 けれども、廊下の窓は開かず、昇降口も何も無くなっていた。
 もはや旧館校舎からは逃げられない。
 後ろを振り返り、彼女を見る。
 それは血に濡れた顔で優名を見て、こくりと小首を傾げて、目を何度も開閉させて、それからにたぁーと笑った。
 かくかくとした直角の、明らかに死後硬直した体の動きで優名を追いかけてきた。
 それは、完全に人外のモノだった。
 優名は、走り出す。
 走り出したとして、彼女はどうするのだろうか? ここに逃げ道は、無い。
 そして、彼女にはそれと渡り合う術も無い。
 夜の旧校舎は息苦しく蒸し暑く不快で、臭くて、胸が悪くなるようで、そんな腐ったような空気が彼女の肺の中に入ってきて、それは肺から体内へと浸透して、腐った何かが全身の毛穴から滲み出してきそうで、そしてそれが先ほど見たあの蛆虫になりそうで、その蛆虫が蝿になりそうで、それが容易にイメージできて、喘ぐ口から気を抜くと悲鳴が零れ落ちそうで、優名は下唇を噛み締めて、笑いそうになる足を叱咤して懸命に走った。
 そんな悪夢の鬼ごっこがされている旧館校舎に動画研究会の面々が入ってきてしまった。
 そう。入ってきた彼女たちの目の前を今まさに血塗れの彼女が走りすぎて、走りすぎたその場でぴたり、と彼女の足が止まって、彼女がゆらり、と後ろを振り返って、そして、
「         」割れ鐘のような奇怪な高音の声を上げて、
 動画研究会の方へ走ってくる。
 喘いだ口からは空気の塊のようなものが溢れ零れただけで、悲鳴は上げられない。
 みんな、誰も、足が動かない。
「ばかぁッ。逃げてぇ」優名が初めて悲鳴を上げた。
 それで、皆、我を取り戻し、目を開け広げ、悲鳴を上げた。それでも、足は動かない。
 ―――終わり、だ。



 そう。
 終わりだねー。
 本来ならね。
 ここで少し、俺様っちの話をしよう。
 俺様は鍵猫よ。
 幸運を呼び寄せる鍵猫様だぜ。
 けれども、その鍵猫という存在を知らねー、人間ってのも居るのよ。
 かつて俺様が普通の猫だった頃、俺様はドジって死に掛けた事がある。
 そして、車にひかれ、死に掛けていた俺を助けてくれた娘がいた。
 その娘は血塗れの薄汚ねえ野良猫だった俺を両手で抱きしめてくれて、それで、動物病院に連れて行ってくれた。
 まあ、俺様にとっては本当に運が良かったことは二つ。
 その娘が何の縁も所縁も無え俺様を助けちまうぐらいにお人好しだった事。もう一つは、
 ――――「ばか。こんなお金なんて払えるわけ無いでしょう! 何で、うちが薄汚い野良猫の治療費なんて払えるのよ!」「ごめんなさい。ママ。許してママ」「あんたなんかうちの子じゃないわよ」「ママー!」
 ひっく。ひっく。ひっく。ひっく。ひっく。ひっく。ひっく。ひっく。ひっく。ひっく。
 「どうしたの、かわいらしいお嬢さん? せっかくのかわいらしいお顔が泣いてちゃ台無しよ?」「そう。じゃあ、野良猫が車にひかれてたのをあなたは助けてあげたのね。でもそれでお母さんに怒られてしまったの。そうかー。動物病院は保険が利かないもんね」「そうかー」「よし。わかった。じゃあ、お姉さんから優しくてかわいらしいお嬢さんにプレゼント。このお金を治療費に使って」「いいのよ。このお金はとても優しくて温かい人からの贈り物なの。そういう優しさは是非とも人から人へと伝わっていって欲しいものでしょう?」「おじさまはわかってくれる人だから大丈夫」
 俺様の治療費を出してくれた優しいお姉さま…いや、おじ様かな? そいつらが現れてくれた事かな。
 そう。それももう、十年ぐらい前の話か。
 その十年の間に俺様も死んじまって、まあ、俺様は化け猫になった訳だがな。
 んでもって、その俺様が、この猫の集会で何をしていたのかといえば、哀れな仔猫には充分に同情するんだけどよ、それでもよ、この俺様を助けてくれた恩人のお嬢ちゃんには、まあ、幸せになってもいてーからな。動画研究会の娘たちを猫の日の銀の夜に殺す算段をつけていた猫たちにそれをやめるように交渉しに行っていたのよ。
 って。その俺様の苦労も知らずにあいつらは自ら命を捨てに行ってくれたんだがね。
 っとによ、化け猫になってまで俺様を助けてくれたお嬢ちぁんを生きてる時も死んでからも影から見守ってきた俺様もほんと、お猫好しだぜ。



 ―――うそ。だって、あれは、冗談…作り話なんでしょう?―――


 優名の足は動かなかった。
 自分の命の危険には、怖いけれども、でも、毅然と動ける彼女だが、しかし、他者の命の危険には恐怖してしまって、動けなくて………
「       」
 血塗れの彼女がもはや音にすらなっていない憎悪と怨嗟を音声化させてた物を喉の奥から迸らせながら、鍵爪を振り上げて、動画研究会の面々に襲い掛かり―――
「ニゲテェーッ」優名が悲鳴を上げる。
 窓ガラスが割れた。そこにあるのに見えなかった窓ガラスが。
 そしてそこから大量の猫たちが雪崩れ込んできて、血塗れの女に襲い掛かった。
 猫たちが彼女を襲い、その鋭い爪で悪霊は切り刻まれていく。
 空気が爆発した。猫たちが吹き飛ばされる。
 女の鍵爪が、動画研究会会長を襲う。その鋭い切っ先が彼女の前髪に触れる、そう思われた瞬間、血塗れの女の右腕が綺麗に飛んだ。
 埃と死骸が積もった廊下にそれが落ちた。
 それで優名の意識の回線が繋がった。彼女は動画研究会の方に走る。恐怖で腰を抜かしている彼女たちを立たせて、割れた…異界と現実世界とを唯一繋げているその割れた窓から彼女たちを逃がす。
 最後の動画研究会会長を立たせようとして、けれども彼女は優名の手を振り払った。
「いらないわよ。あんたの手なんて。何よ。あんた、あたしの事、嫌いなんでしょう? あんただってあたしの事、嫌いなんでしょう! あの優しい人に似ているあんただって。何よ、何よ、何よ。皆、あたしの事…ママにすら…世界で唯一無条件で愛してくれるママにすら愛してもらえないあたしの事なんか…いいわよ。あたし、ここで死ぬ」
「       」優名は驚きとともに目を開け広げ、それから下唇を噛み締めると、
 泣き喚く彼女の頬を、優名は平手打ちした。
「しっかりしなさい。眼を見開いて生きていきなさい。そうよ。あなた、生きているでしょう? 生きているのなら、いつか出会うわよ。自分が生きていることを実感させてくれるあなただけの人に。いい? 生きるということは、自分の力で自分の行きたい場所に歩いていくということなのよ。諦めさえしなければ絶対にそこに行ける。時々立ち止まってもいいから、だから、いつか行きたい(生きたい)場所にいけれるように、お願いだから、どうか、自分を諦めないで。これからも生きていって。学校生活も、社会生活も。きっと、出逢えるから。あなただけの物に。だから、」
 優名は優しく微笑んで、そして、彼女を立たせた。
 化け猫が悲鳴を上げた。
 廊下の壁に叩きつけられた。
 優名は化け猫と目をあわせ、頷く。
 彼女を抱き起こし、窓から逃げ出す。
 ふたりで走り出す。
 夜の闇は深く、沈黙していた。それは有り得ない事だった。世界には常に音があるものだから。
 だから、依然、闇は、血塗れの彼女…怪異は、ふたりを追いかけてきているのだ。
 中庭へと続く硝子張りの廊下。合わせ鏡のように廊下の硝子は互いの中に向かい合う硝子を映し、それは延々と続いていく。
 その延々と続いていく硝子の世界の中に優名と彼女の姿が映りこんでいる。
 それは全て同じ形ではなかった。とある世界の中では優名たちは彼女に追いつかれ、殺される。
 殺される。
 殺される。
 殺される。
 それがいくつもの硝子の回廊の世界の中の世界に伝染していき、そしてそれはだんだんと現実世界の二人に近づいていく。
 近づいてくる。
 動画研究会会長が優名の腕にぎゅっとしがみつく。
 優名は彼女を抱きしめる。
 優名の睨み付ける硝子に、血塗れの鍵爪を振り上げる彼女が映る。
 彼女が!!!
「     」優名が声にならない声をあげる。
 後ろを振り向く。
 窓硝子から血塗れの爪が襲いかかる。
 そう。怪異は後ろの窓硝子に居た。
 駄目だ。もう逃げられない。優名は動画研究会会長の前に立つ。両手を広げる。会長は優名の細い腰に両手で抱きつく。
 優名の額に…。
 化け猫が彼女に後ろから襲い掛かった。
 そして化け猫が、
「お嬢ちゃん。窓硝子を割りな」
 優名の目が見開かれる。
 それをすれば硝子の世界の中の化け猫も一緒に―――
 でも、


 化け猫の目が優しく笑っていた。
 それは覚悟を決めた者の目で、
 そして、
 その想いを優名には、無碍にすることはできなかった。


「ごめんなさい」

 
 優名は持っていたコンパクトをスカートのポケットから取り出して、血塗れの手が生えている硝子に向かって投げつけた。
 夜が悲鳴を上げ、
 そして、
 その後から、世界から音が溢れ出した。
 優名は下唇をかみ締め、こみあげてきそうになる嗚咽を飲み込むと、毅然と後ろを振り返って、それから呆然としている彼女に微笑んだ。
「大丈夫?」
 だけど、彼女はその声に反応しなかった。
 一滴、涙が零れ落ちる。それを境に彼女の目から涙が零れ落ち続ける。
「どうしてだろう? どうしてこんなに涙が零れ落ちるんだろう…。どうして…どうして…。ママに捨てられた原因になった猫なんか大嫌いだったのに」



 どうしてこんなに悲しくって、
 どうしてこんなにあたし、温かいんだろう?



 彼女はその後もずっと泣き続けて、優名は彼女が泣き止むまでずっと優しくその胸に彼女を抱いて、彼女の頭を優しい母親のように撫で続けた。



 ―――幸せになれよ―――


「ねえねえ、優名。これ見てよ。猫の日常、っていうタイトルの動画!」
「ん?」
 優名は頬にかかる髪を耳の後ろに流しながら友人が手に持つ携帯端末機を見る。小さな画面の中には優しい猫たちの日常が映っている。それは気まぐれで可愛らしくて、次はその猫たちはどんな動きをするんだろう? って期待しちゃうぐらいに自然で優しいアングルで撮られている可愛らしい動画で、
 そして、
「あのね。これ、23年2月22日猫の日賞っていう動画でグランプリ取った動画で、うちの3年生なんだって」
「そっかー」
 優名は嬉しそうに笑い、それからふたりでもう一度、その優しい動画を見始めた。
 そんなふたりの姿を校舎の横の木の枝から鍵猫が嬉しそうに目を細めて眺めていた。



 ―――fin―――



PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2011年03月08日

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