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『人肌に溶けるは愛かチョコか 』
白藤(gb7879)


 大きな一枚ガラスが嵌った出窓から、見えるすべての夜空には満点の星が散りばめられていた。月が出ていなくても、零れ落ちそうな星屑の煌めきが、床一面に広げられた毛布の上で眠る白藤の上へと降りかかる。
 ガラスの破片が一気に飛散するときの音にも似た、乾いた音が響く。それはけして現実的な音ではないのだが、そう錯覚してしまうほどに、キラキラと降り注いでいたのだ。
 白藤一人で眠るには、大人一人分ほどスペースが空いていた。ゴロリと寝返りを打った白藤の顔に影がかかる。
「ただいま」
 起こさないようにと小さな声で帰宅を告げたのは、もう一人の住人であるケルベロスだった。一頻り恋人の寝顔を楽しんだ後、ミネラルウォーターを取りに傍を離れた。キッチンへ行き、喉を鳴らして水を流し込んでいると、裸足で駆けてくる音が聞こえた。
 ケルベロスが振り返るより早く、白藤がその背へ抱きついてきた。するりと腕を回した白藤が、ケルベロスの脇から顔を覗かせ、ふわりと柔らかく笑う。
「おかえり」
 洗いざらしで跳ねた白藤の髪を一房摘み、口付けるような仕草を見せたが、ちらりと恋人の反応を窺った後、摘んだ髪をぽいと離した。
 期待していたらしい白藤が、むぅとした表情を見せる。
「帰ってきたんなら、起こしてくれたってエエやん。けーちゃんもイジワルやな。それに」
「可愛い顔で寝てたから、起こすのも悪いと思っただけだ。なんだ、いやに絡むな」
 白藤の絡む原因が、髪への口付けが中途半端だったことだと承知の上で、ケルベロスは意地悪く言った。
「理由わかっててそれ言うてんやったら、けーちゃん性格悪いで?」
 服越しに白藤が横っ腹に噛み付いた。
 その柔らかな唇があたる箇所から、彼女の熱い息が堅く引き締まった男の筋肉を侵食していく。
「絡む理由はほかにもあるだろう? なんだ。聞いてやる」
 ぶっきらぼうな口調でも、トーンはひたすら甘い。フットライトしかないキッチンの薄暗い中で、はっきりと見えないケルベロスの表情だが、どれほど脂下がっているかを白藤は知っていた。
「チョコがあんねん。ほら、バレンタインてやつや。それでやな……」
 言って白藤があっさりと身体を翻した。ひたひたと足音を立てながら、白藤はキッチンを出て行く。恋人が触れていた箇所が急速に冷えていくことに寂しさを感じながら、ケルベロスは白藤の後をゆったりとした足取りで追った。
 タンクトップに下着、というなかなかにそそられる格好で、白藤はなにやら出窓の端をゴソゴソと弄っている。
 二人でベッド代わりに使っている出窓に腰を下ろし、ケルベロスはその様子をじっくりと眺めた。
「よかったぁ。溶けてへんかったぁぁ」
 大振りの羽枕の下敷きになっていた、目的の代物を引っこ抜き、白藤が素肌にぎゅうと押し付ける。さきほどの話から察して、それがチョコだと気づいたケルベロスが、無事だったと喜ぶ白藤を指差して言った。
「肌で温めれば溶けるんじゃないのか?」
「せやな! アカンアカン。本番はこっからやねんから、溶けたら元も子もない」
 白絹の肌を惜しげもなく晒し、上質のアメジストのように透き通った瞳をくるりと輝かせて、凝ったラッピングが施されている箱を開けた。
 無邪気にリボンを毟り取り、ビリリッと派手な音を上げて包装紙を破いていく。茶と金で纏められたシックな色合いの包装紙が、シーツ代わりの毛布の上へ大小の紙片となって散らばった。
 行動がまったく読めない恋人を、ケルベロスは微苦笑を浮かべつつ抱き寄せ、その手元をひたすら眺めた。
「ん!」
 腕の中で半身を捻って顔を近づけてきた白藤の唇には、スティック型のチョコレートが一本、咥えられていた。
 ケルベロスが困ったように眉を寄せた。甘いものは苦手だが、それを挟むふっくらとした白藤の唇は好物だったから、ケルベロスの固くなった表情もやがて柔らかく弛緩していく。
 腕の中の丸みを帯びたフォルムも、カカオの香りに混じって鼻腔をくすぐる恋人のフレグランスも、なにもかもが男の心臓を鷲掴んでいた。
「ほへう(溶ける)やん」
 まるでソファへもたれるように、白藤はケルベロスの胸へ体重を預けた。悪戯に浮かぶ微笑が、早く食べてや、と急かしているようで、ケルベロスは諦めたように――そもそも初めから拒否するつもりはなかったが――自分の唇を寄せた。
 チョコレートの折れる、乾いた音が部屋に響く。ウエハースの欠片が、白藤の胸元へ零れ落ちた。
「汚すな。そこは俺の場所(もの)だぞ」
 ケルベロスは舌で焼き菓子の破片を舐め、拾い上げていく。
 白藤はくすぐったそうに声を立てて笑うと、「そない丁寧に取らんかてええよ」と、ケルベロスの額を押しのけた。
 熱を帯びた恋人の腕の中で、白藤は躰を反転させて向き合うと、短くなった残りのチョコを差し出した。
 それを含んでしまったら、互いの唇は完全に触れ合ってしまう。ところが、ケルベロスは器用なくらいに微妙な距離を開けてチョコを奪い取った。
 口の中で、カリッとチョコを噛み砕き、味わうことなく飲み下すケルベロスは、視線を白藤からけして離さない。熱く甘い吐息だけが二人の口唇の間でゆらめいた。
「……甘い」
 口にしたケルベロスの表情は苦い薬でも飲まされたみたいに歪んでいた。渋い表情のケルベロスの頬へ白藤がそっと手を宛がう。ケルベロスはひやりとしたその手に頬を摺り寄せ、安堵したように瞼を閉じた。
 一頻り恋人の掌を堪能したケルベロスは、頭を起こし、抱き寄せていた白藤の肩へ額を押し付けた。ふいに、白藤に噛みつかれたことを思い出した。
 大きく口を開け、さながら吸血鬼の食事風景のように白藤のうなじを唇で挟み込む。牙の代わりに犬歯を立てた。
「ちょ、けーちゃん?!」
 いつになく乱暴な行為に、白藤は驚いた声を上げたが、それはすぐさまくぐもってしまう。声をあげた途端に強く歯を当てられたからである。
 唇をきつく噛み締めて、痺れさえ感じる行為に耐えた。小刻みに震える姿は怯える子猫のようで、ケルベロスの胸に嗜虐の炎を灯らせた。
 うなじから離れたケルベロスの唇に、白藤のそれが塞がれる。
「苦手なものを無理して食ったんだ。次は好きなもので口直しがしたい。同じ甘いものなら、白藤の唇の方がずっと美味い」
 数ミリしか離れていない距離から発せられるケルベロスの熱い言葉に、白藤は熱病に冒されたみたいな息を吐く。その甘さがケルベロスの心中にいっそうの情を滾らせていくというのに。
 浅い呼吸を短い間隔で繰り返す白藤の唇へ、ケルベロスが唇を重ねる。
 反論する権限を与えられないまま、白藤はまんまとケルベロスの夜食にされた。いや、チョコレートがメインなのだからデザートだろうか。
 とろんとした双眸に嵌め込まれた紫水晶へ、星空の瞬きが刷り込まれる。喉元を撫で上げてくる感覚に、白藤はようやく意識を取り戻した。
 ネコ科の大型獣を思わせるしなやかな肢体は、愛しい恋人へそのすべてを預け、もう一度自身を覆う恍惚感に浸り始める。
 全身で甘えてくる白藤の背へケルベロスはその左腕を回し、支えた。彼の左頬に大きく残る贖罪の傷も、この僅かな時間だけはその存在をひた隠すように色を抑えていく。
 敷布代わりの毛布の上へ横にさせると、白藤がパチリと両目を見開いて、やがて花開くように笑った。
 冷えた室温すら上げてしまうほどの眩い笑顔だ。
 ふわりと笑みながら、両手をケルベロスへと差し伸べる。
「あっためて……――けーちゃん」
「そんな薄着をしているからだ」
「ファーもレザーも、けーちゃんとは比べモンにならんよ。白藤にはこれが一番やねん」
 覆いかぶさってくるケルベロスをぎゅうと受け止めながら、白藤は喉を鳴らした。
 
 頭上の大きなガラス窓から、朝日が容赦なく入り込んでくる。
 夜明け間近まで互いの熱を求め合ったケルベロスと白藤は、いつのまにか眠りに就いていた。
 先に目覚めたのはケルベロスだった。
 腕の中にいたはずの白藤がいないことに、怪訝な顔をしつつ、頭をもたげると――
「無防備も度が過ぎると――」
 ケルベロスは、年甲斐もなくムゥとした顔で起き上がった。
 心地よい寝息を立てている白藤は、ここが安全な場所であること、傍にいるのがもっとも信頼を置ける男だとわかっているからこそ油断しきった寝姿を見せていた。
 だが、そうだとわかっていても男心は複雑なもの。けして寝相が云々と言っているのではない。
 何の前置きもなく、ケルベロスは白藤を抱きかかえると、
「風邪だとか、そんなものにまで身体を許すなよ」
 意味不明な言葉を発した。
 うにゃ、と目を擦りながら目覚めた白藤は何のことだか一瞬わからずに、首を傾がせたが、ややあって、
「からだ、ユルス? なにを言うてんの、けーちゃ……。白藤のぜんぶがけーちゃんのやん、……くふ〜……ゥ」
 必死に答えたが、後半はほとんど寝言のようだった。
 疲れ果て、くったりと眠りに耽る姿は雛鳥である。
 しかし、寝言とは言え、白藤の返しは絶妙にケルベロスの心臓を撃ち抜いた。最新兵器でさえ、いとも簡単にかわす精鋭のボディガードも恋人の一言には形無しということか。
 ケルベロスはそっと耳打ちした。
「俺を殺せるのは白藤だけだな」
 殺す、という物騒な言葉でも、そのニヤけた顔を見ればどんな意味か誰にでもわかる。
 それほどまでに、ケルベロスの情愛はダダ漏れなのだった。
 コツンと額をくっつけて、次は頬をすり寄せた。それから、朝露に濡れた花びらのような口唇へとキスを落とす。
「キス泥棒や」
 片目だけ開けた白藤が小さく笑いながら、その口付けに応えた。
 空はすっかり白み、新しい朝が来た。
 明けても尚求め合う二人には、いつもと変わらない一日の始まりに過ぎないのだった。


【gb7879/白藤/女/20/スナイパー】
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2011年03月08日

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