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『<IF〜LOVE STORY〜> STEP UP! 』
宗太郎=シルエイト(ga4261)

 ――これは、ある学園の早春の物語。

 年が明けると高校三年は受験勉強も追い込みだ。受験のその当日まで、それは続く。
 バスケ部で下級生からの人気を誇った月森 花も例外ではなくて、部活を引退した後は授業の合間の休み時間も放課後も、教科書と参考書と問題集に埋もれていた。「思い立ったら!」な性分も手伝って、勉強に詰まれば教師を頼りに走っていく。
 一年前には、花の行き先は主に数学教師の宗太郎=シルエイトのところだったが、今は違っている。主に英語の担当教師のところだ。若い男性教師であることには変わりないが……
「あー! もう、わかんないっ! 行って来るー!」
 がたんと椅子を鳴らして突然立ち上がるのも最近の花の恒例で、周りは驚いた様子もない。クラスメートの中にはもう推薦で行き先の決まった者もいるし、全員がピリピリしているわけでもなかった。
「おー、本鈴前に帰って来いよー」
「うん!」
 割とお気楽そうな級友の声に明るく応え、花は教室を飛び出していった。
「あ、宗太郎センセ♪」
 飛び出したところで花は宗太郎と行き合ったが、足を止めることなく手だけ振って走り過ぎる。
 宗太郎の方が足を止め、その慌ただしい鉄砲玉娘の姿をただ見送った。
 廊下を逆から来た女生徒が、宗太郎の横を擦り抜けて教室に入る。
「なーに、花、また行ったのー?」
「うん」
「また英語?」
「そう」
「留学するっての、マジなのかなあ」
「え、そんな話あるんだ?」
「本人から聞いたんじゃないんだけどさ」
 教室の中で始まった会話が漏れ聞こえてきて、宗太郎はその場から動けなくなった。
 花のことを話題にしているのは間違いなく、そして留学なんて宗太郎には聞いたこともない話が語られている。
 もちろん花から去年告白されたと言っても、その後に何も目に見える形での進展はなく、それを宗太郎が知らなかったとしても何も不思議なことはない。けれど宗太郎の気持ちは複雑だ。
 一年は「気になる」を「恋」に変えるのに十分な時間で、教師という立場をわきまえて表に出すことはないが、宗太郎の心の裡には恋と称していいものが芽生え育っていた。
 好意と恋に差があるとするならば、恋には様々な欲が伴うことだろう。宗太郎はそんな
欲得もきっとどこまでも封じ込められるのだろうが、それでも寂しいと思う気持ちは止められない。
 卒業を目前にして、このまま黙っていれば縁が途切れるかもしれないことはわかっている。けれど卒業までは黙り続けなくてはならないのが、教師という職の道義だ。
 板挟みで悶々としているところで、留学という更に花が遠ざかる情報は宗太郎を静かに揺さぶった。
 まだ教室の中の、花のクラスメートたちの会話は続いている。
「まとめて放課後にでも訊きに行きゃいいのに。こうもしょっちゅうじゃ、訊きに行く時間の方がもったいなくない?」
「アレじゃない? 目的は別にあるってヤツ」
「通い妻だねぇ」
「あーゆーの好みだっけ? 花」
「あんだけ通ってれば、いつの間にか……はあるかもね」
「どうなんだろ。宗太郎先生のことは諦めたのかなあ」
 話は宗太郎に追い打ちをかけるようなものばかりだ。
 宗太郎は、花が向かったであろう男性英語教師の顔を思い出す。
 花の好みがどうであるかは、正直わからなかった。
 宗太郎は自分の顔を撫でてみた。思い出された英語教師の顔と、自分の顔はだいぶ違うということだけはわかる。
 告白の後に何も応えなくても、花は屈託なく好意を示してくれた。一時は卒業したら宗太郎の嫁になるとまで言ったけれど、そんなことを言うなと言ってからは誤解されるようなことは言わないようになった。ただ……その後から受験勉強が追い込みになって、英語教師のところへ入り浸るようになったのも事実だ。そしてそれに伴って、宗太郎のところを訪れる頻度も激減した。
 叱ったのは、やはり道義の問題だけれども、宗太郎が心変わりを責められる立場でないことは確かだった。
 受験勉強に頑張っているのだということも、わかってはいる。
「避けられてる……のでしょう、か……」
 宗太郎は自分の中で出口なく回っていた疑問をとうとう口にして、少しだけ眉根を寄せる。
 ただ悶々とさせる材料だけが増えていくことに耐えられなくなって、宗太郎は再び廊下を歩き始めた。

「またかい、質問はまとめておいでよ」
「だって、詰まると先に進まなくなっちゃうんだもん」
「しょうがないな、どこだい」
「えーと、ここのとこの訳なんだけどー」
 職員室で握ってきたテキストを広げて、花は英語教師にわからないところを指で示した。
「そこはね……」
 そんな光景は、職員室でも見慣れたものになりつつある。時期的に珍しくはないものだから、咎められることなどはない。
「進んではきたね。初めは酷かったもんなあ」
「それを言われるとキツイよ、センセ♪」
 花は笑って返すが、受験を前にして厳しい事実だった。部活やら何やらにかまけていたツケを、今一気に払っている状態である。
 英語を駆け込みでどうにかしようとしている目的は大学受験で、それに追いつかないだけだった。留学なんてとんでもない話だ。そんな噂が流れていることも、ちらと花も耳にしたが、本気で目指している者に怒られると思うばかりだ。
「ボク、絶対本番までにはどうにかするんだから!」
 質問の答を聞き終えてテキストを閉じ、花は改めて気合を入れる。
「頼もしいね。頑張って」
「うん♪」
 希望の大学に入りたい気持ちももちろんだが、受験に失敗したら宗太郎に顔向けができない。「卒業したら、宗ちゃんのお嫁さんになる♪」なんて言えるのは、他に行き先があってこそだ。
 受験に失敗して言うのでは、ただ逃げるだけと思われるかもしれない。
 宗太郎はそんな風には思わないと思うけれど。
 他ならぬ花自身が、そんな可能性を思うのが嫌だった。
 それを逃げ道にしたくはなかったから、絶対に大学に受かりたかった。
 そしてそんな動機も、やがて受験勉強の中に埋没して忘れかけていた。



 受験まで、後一ヶ月――
 小さく些細なすれ違いは、致命的にはならないままに、日々は過ぎて。

 受験当日。
 空は生憎の模様で、小雪がちらついていた。
 受験会場へ向かう早朝の路上で。
「先生」
 傘をさし、花の行く道に立っていた宗太郎の姿を見つけて、花は思わず駆け寄った。
 いつから立っていたのかは、花にはわからない。花が何時にここを通るのかわかっていたとも思えなかった。そんな話はしていなかったからだ。
「頑張ってきてください」
 ただ花が宗太郎の前まできたところで、本当に普通通りに宗太郎は言った。
 緊張も何もなく、寒ささえ感じさせず。
 何も変わらない鉄面皮を前にして、花は逆にほっと力が抜けて。
 緊張が解けて、笑いがこみ上げてきた。
「……うん♪ 行ってくるね!」
 今日はきっと大丈夫だと、根拠のない確信を抱く。
 笑顔で応えて、花は宗太郎の前を過ぎようとし、そしてもう一度足を止めた。
「先生」
 振り返る。
「風邪引かないでね」
「大丈夫ですよ」
「あのね」
「なんですか?」
「2月14日が発表なんだ」
「……はい」
「いっしょに見に行ってくれないかなぁ?」
 それは駄目元のつもりだった。
 ちょっと狡いような気もした。
 これから受験に行く生徒の頼みに否と言う教師は、どれだけいるだろうかとも思う。でも教師が一人の生徒の合格発表に付き合うことがどれだけあるだろうかと言えば、そうはなく。なにより宗太郎は、そんなことは気にもしないようにも思えた。
 駄目だと思えば、いつものようにクールに「そんなことはできませんよ」と言うだろう。そうもわかっていたから、花はいつもの調子で思いつきを躊躇いなく口にできた。
「……いいですよ」
 だから返ってきた意外な答に、花は目を見開いた。
 そしてたまらなく嬉しくなる。
「約束だよ! 宗ちゃん♪」
 そして今度こそ踵を返して、花は駅へ走り出す。
 翼があるなら、今すぐ試験会場に飛んで行きたいくらいだった。
 今なら、なんでもできるような気がして。
 身体を軽く感じて、宗太郎が自分に力をくれることを噛み締めて――

 ――それでもそんな当日が過ぎると、じわじわと花にもプレッシャーが戻ってきた。
 日を追うごとに、不安は増していく。受かるのか受からないのか、どんなにやきもきしようとも合格発表の日が来るまでは結論はわからないままだ。
 不安を誤魔化すように、もう自由登校になって出席の必要はない学校にも通い続けた。
 けれど学校にいるだけで、何も手はつかない。
 日々受験や様々な理由でクラス全員が揃うことのない授業に出ても、上の空だ。学校には来ても、授業に出ないで別の場所でただぼんやり過ごすことが多くなっていた。
「明日、か……」
 どんな結論でも、この胃の辺りの重苦しい状態は、明日で終わる。
 まだ寒風の吹き抜ける屋上で、花は放課後に入った昇降口前を見下ろした。部活動のない一年二年が下校していく姿を見て、ふと一年前を思い出す。
 一年前のバレンタインディに、ここからやはり見下ろしていた。
 ここで宗太郎を待ち、帰ろうとする宗太郎を見つけて呼んだ。
 あれからもう一年が経ったのかと、そして明日はここにいないことを思う。
 家路につくざわめきの中に、去年とは違って宗太郎の姿は見つけ出せなかった。
「こんなところにいると、風邪をひきますよ」
 探した姿の主の、その声が背後から聞こえて花は驚いて、しかしゆっくり振り返った。
「先生」
 もちろん今日は呼び出したわけではない。
 ここは、たまたま来るような場所ではない。
 どうしてここに、と訊くべきなのか考えて、花は僅かに首を傾げた。
「あなたは……明日、いっしょに見に行って欲しいと言いながら、その後何も言ってこないのはどういうことです」
「え」
「いっしょに行くなら、待ち合わせとか、迎えに行くとか……話が必要でしょう」
「あ、そっか」
 花は、宗太郎に言われて初めてそのことに思い至った。お願いしたことは憶えていたが、そんなことはすっかり失念していた。そんなことまで頭が回るような状態ではなかったのだ。
「ごめん、宗ちゃん。ええと……無理なら、その」
「行きますよ。約束しましたから」
 宗太郎の言葉に、冷え切りかけていた花の胸が少し熱くなる。きっとずっと、宗太郎の言葉は、自分にこうして力を与えてくれるのだろうと花は思った。
「明日、家まで迎えに行きますから」
「え、いいの?」
「その方が効率がいいでしょう」
「あ――ありがと、宗ちゃん!」
「だから、今日はもう帰りなさい。風邪をひかないように」
「……うん♪」
 やっと花に笑顔が戻ると、宗太郎の表情も僅かなれど微笑みに変わる。
 緊張はまだ花を離さなかったが、宗太郎のおかげで違うことを考えることもできるようになった気がした。
 さっきやっと思い出したけれど、告白の日から一年が経とうとしているのだ。
 明日はバレンタインディ。
 ならば、今日は、花にはやることがあるはずだった。
「冷える前に帰るね♪」
 帰り道には、寄るところがある。
 簡単なものなら、手作りする時間もあるだろうかと考えながら。



「行きましょうか」
「う……うん」
 そして、翌日。
 それは小さな運命の日。
 迎えにきた宗太郎と共に、花は駅に向かった。
 緊張をぬぐい去ることはできず、いつになく口数の少ない花と、元来おしゃべりではない宗太郎の二人では、行く道のぎくしゃくした沈黙はどうにもならなかった。
 大学のキャンパスまでくると、同じように発表を見に来た学生たちの姿が辺りに溢れる。
 その中をくぐって、二人は発表の掲示板の前まで辿りついた。
 掲示板の前は、明暗分かれた人々の歓喜と落胆が既に渦巻いていた。花がどちらになるのか、息を呑む。
「2185……2197……22……」
 並んで数字を見上げ、花の番号を探していく。
「2352……! ……あったぁー!!」
 手にした受験票の控えの番号と確かに同じ番号を見つけて、花は本当に飛び上がった。
 同じ数字を目で追っていた宗太郎も、詰まっていた息が緩むのを感じる。花の合格に心底ほっとしている自分を感じ、改めて宗太郎は自分の気持ちを自覚していた。留学の噂もあったけれど、地元の大学に合格したのなら、花が手の届かないところに行く可能性は下がったのだとも思って。それを喜んでいる自分を、見つけて。
 それは教え子の前途を祝う教師の気持ちとは違う。
「あった! あったぁっ♪」
 そして花は何度か飛び跳ねた後に、こみ上げる何かにたまらず宗太郎の胸に抱きついた。
「やったぁーっ! 先生、ボク……ボクっ……!」
 胸に飛び込んできた花を、一瞬宗太郎も喜びのまま受け止めようとして――
 同時に襲ってきた動悸の意味を悟って、ぎりぎりで手を止めた。
 額と肩を押して、引き離す。
「……合格、おめでとうございます」
「うんっ♪」
 幸いは、そんな宗太郎のぎくしゃくした様子も、敢えての冷たい態度も、浮かれた花は気にも留めなかったことだろうか。
「これで、ひとまず安心ですね。他の結果も、少しは気が楽に……」
「え、他はないよ」
「え……ない……んですか?」
 宗太郎は留学の方はまた別にあると思っていたから、花の返答に驚いて顔を見る。
「うん、ここだけ。一本だから、ホント落ちたらどうしようかと」
「ないんですか……」
 花が離れていく可能性がまた少し下がって、宗太郎は口元が緩むのを感じた。
 もう気持ちが引き返せないところまできているのを、それで改めて感じる。
「学校に戻りましょう。私も午後は授業がありますから」
「……うん♪」

 通勤通学時間を外れた人も疎らな電車に揺られ、高校の最寄りの駅に着く頃には長い緊張の反動のように花は寝入っていた。並んで座る、宗太郎の肩に頭を預けて。
「着きますよ」
 次で降りるというところまできて、宗太郎は花を揺り起こしたが花は目を開けない。
 少し困って、そして少し悪戯心が芽生える。
 改めて認めた気持ちを、囁いたならどうなるだろう。
 夢の中の花には通じなくても、きっと来るその日のリハーサルにはなるだろうか。
 電車が、駅のホームに滑り込む前に。
「……コホン。私も好きですよ、花さん」
 そっと、他には聞こえないように。
 名前で呼んで。
 だが、宗太郎が花をもう一度揺り起こす前に、その袖を掴む手があった。
「……ほんとに!?」
 どんなタイミングで目を覚ますのだろうと思い、その耳には自分に要るものを聞き逃さない魔法でもかかっているのではと思う。言わなければよかったかと思いもするが、でも重い気持ちでもない。
「本当に!? 先生!」
 本当ですよとは言わずに、宗太郎はしれっと目を逸らした。
「駅です、降りますよ」
 離さない手を引いたまま、電車を降りて――

 花の鞄の中に眠っていて、昼には衝撃の告白で忘れられかけたチョコレートの包みが宗太郎の手に渡ったのは夕方のこと。
 もう躊躇うことなく宗太郎はそれを受け取って。
 返事は、未来への約束で返された。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ga4261 / 宗太郎=シルエイト / 男 / 25? / 高校数学教師】
【ga0053 / 月森 花 / 女 / 18? / 女子高生】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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少しでもお気に召したなら、嬉しいです。
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2011年03月24日

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