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『『鈍色の聖母』 』
三島・玲奈7134)&(登場しない)

兵士は、もう随分と晴れた空を見ていない気がした。
いつからか、白い息を吐いて上を見ると、そこには常に厚い雲が垂れ込めていた。
うっすらとした雪を降らせながらも、しかしそれでも空は妙に明るかった。
視界に広がるのは一面の瓦礫しかなく、文明が爆ぜた跡地は皆一様に静まりかえった灰色で、この世界からは上も下も、空も地面もなくなってしまったかのようにも思えた。

人間は今、死にかけていた。
泥沼と化した戦場でついには少年兵すら引きずり出しながらも、戦況は耐え忍んでいると表現出来るかどうかも怪しい。
今虚空を見つめている彼も含め、現場で戦っている兵士達はよく、相手は誰だったろうかと思い出そうとした。
そうしてやっとの事で、どこかから生まれ、独自の進化を遂げたコンピューターウィルスがこの銃口を向けるべき敵であったのだと考えついて、その度にまた惚けたように思考が薄らいでいくのだった。
今や思索は果てのない単色の漠を漂い、一切の価値を持たなかった。

声が聞こえた。
ぼうっと周囲を見回したが、誰もいるはずがなかった。
破壊し尽くされた都市部の中で、何故か戦火を免れた兵器工場がぽつんとあるだけだ。
貴重な生産拠点であるはずなのに、警備はアサルトライフルを一丁提げただけの、痩せこけた兵が一人で突っ立っている。
戦士たる男達が続々と死に子供までもが求められる中で、徴兵忌避する母親達から圧迫を受ける軍部は、もはや軍隊の体をなしているとは言えなかった。
今ここにある図が、それを端的に表している。

くだらない、と彼は急に笑いがこみ上げてきた。
誰が何のためにどれと戦っているのか、全くくだらなかった。
しかし男は疲れ切っていて、口端を吊り上げる事も出来ないでいた。

「龍っ」

今度ははっきりと無線から音声が漏れた。
すると背後にあった工場建屋の一つが吹き飛び、衝撃が辺りを薙ぎ払った。
数十メートル大地を転がってから彼がよろよろと身を起こすと、眼前には巨大な機械の躯が粘菌のような雷光を振りほどきながら四肢を伸ばしていた。
地鳴りのような咆吼が轟き、他の建屋の外壁も崩れ落ちた。
そこではウィルスによって冒された機器類が、高速で彼らを組み上げていた。
鼓膜が破れたのだろう、既に目に映る光景から音が消えている。
首をもたげてじっとこちらを見る歪なそれを、人類は龍と呼んだ。



「旧ドイツ西部に残存していたAF:GERG018から、わずかな通信内容を最後に連絡が途絶えて三時間が経過。産まれた龍はウクライナ中心部へ向かい、東からの群れと合流。挟撃を実行し、都市を完全に壊滅させたと思われます」
「キエフにはまだかなりの戦力が残っていたはずだが」
「戦術核兵器もそのほとんどが致命傷を与えるに至らなかったようです。地上戦力は足止めにもならないと、多くの師団から意見が上げられています」
「意見か……。アラスカは何と言っている」
「加速器の準備は二十一日時点で完了。本日の正午現在も、ビーム照射による効果の見込みは前回の報告と変わらず、以下の通りと告げてきています。龍の掃討は極めて高い確率で成功。しかしこの星の地表58%が壊滅的被害を受け、後への物理的、生態的影響は未だに計算出来ず」
「『我は死なり、世界の破壊者なり』。二十世紀の科学者達が見た未来が私にも見えるよ」
「……」
「三島玲奈と、衛生軌道上に浮かんでいる船に関して変化はあったか」
「船は発見された五日前からその速度、軌道を変えた様子はありません。攻撃的、支援的な動きもまた観測出来ませんでした。三島玲奈の所在は日本国である事は確かですが、政府の協力が得られず、これ以上の絞り込みは困難なようです」
「交渉は」
「取り付く島もありません。日本は既に政治の中枢まで女が支配したと思われます。元々武力保持すら反対意見が多く、有事の際に満足に動けるような議論もなされていなかったため、初動の混乱が大きかったようです。徴兵への抵抗も強く、自衛軍は早々に宙に浮いた状態となり、戦う意志のあった者からその数を減じていきました。現在残っている女達は、各国軍の動向を批判する動きの急先鋒ですので、仮に彼女達が三島玲奈に接触したとしても、武力支援ではなく、その持論であるワクチンによるウィルス駆除について掛け合うと考えられます」
「ワクチンによる駆除? 平和主義者のお客様が、自分達の居るべき場所を間違えたらしい。それとも夢でも見ているのか? あいつらか、私達が」
「他国でも女達による似たような事例がいくつか起きています。しかし我々も含め、そこへ人と戦力を動かせる余裕はどこにも残っていません」
「結局、三島玲奈が何を選び取るにしても、舞台上で引き金に指をかけてただ祈るしかない。アラスカへの回線は常に開いておけ」



上空では速い速度で延々と雲が流れ続けていたが、地上では風の音もしなかった。
街は遠くのビルがところどころ傷ついてはいるものの、それでも家々が慎ましく昼前を過ごしている。
公園のベンチに座っていると、子供が練習でも始めたのか、遠くからピアノが聞こえてきた。

玲奈はそんな景色を眺めていると、心中に穏やかな愛情が涌き起こるのを感じた。
それは自分自身の本質であるのか、それとも人間への憐れみ、世界への郷愁、または一種の諦観なのか、よく分からなかった。
一体いつ頃からこんな風に想うようになったのかも、あまり覚えていなかった。
彼女は、迷っていた。

これで何度目になるのか、上へ向かって睨むような視線を投げた。
時間はそれ程残されていないだろう。
それを考えれば、未だに解析が不十分な自己改変型ウィルスのワクチンを作成するなどは、女達が好む感情任せの理想論にしか思えない。
しかし電子情報を相手取って武力戦争を繰り返したとしても、それが緩やかな死に他ならない事は確かである。
事ここに至って本当に取るべき選択肢など、果たしてあると言えるのだろうか。

「ママは、こっちよ!」
「こっち? ありがとう」
「はいどーぞ!」

公園に、二歳頃の女の子とその母親が通りかかった。
少女は覚えた言葉を必死に使って、おぼつかない足取りで駆け回りながら、母と遊んでいた。
その姿はいかにも頑張っていると言うような様子で、けなげであった。
だが同時に、力強さも見て取れた。
少女はただ一生懸命に違いないと感じられた。

もしかすると、結局あたしは、結末を見た気になって、知った風な口をきいて、諦めていただけだったのではないか。

玲奈は立ち上がり、じっと親子の方を見つめた。
少女は肩から提げた小さな鞄からおもちゃの食べ物を取り出すと、それを母親に渡した。
それから砂場まで走っていってその縁に自分の小さなタオルを敷き、ポンポンと叩きながら親を呼んでいる。
玲奈ははっとした。
あの子が自分を見つけたようだった。
しばらくの間彼女は首を傾げながら見ていたが、じきに鞄をごそごそと探り、一つおもちゃのリンゴを掴むと、それを差し出しながらとことこと歩いてきた。

「駄目よ!」

金切り声にも聞こえる母親の叫びが、時間を止めた。
気付いた時には、少女は抱きかかえられ遠くへ行っており、親は大声で玲奈がいる事を喧伝していた。
それからはあっという間に、どこにいたのかと思うほどの大勢の女達に囲まれていた。

「三島玲奈ね」
「船はどこにあるの!」
「ワクチンを作れ!」
「加速器を壊して! あんなものが許されるはずがない!」

突然に飛び交い始めた詰問や命令、果ては野次で、耳がおかしくなりそうだった。
警察やそう言った類も何人かいたものの、取り囲むそのほとんどは一般人ばかりだった。
彼女らでさえも玲奈の存在を知り、にわか仕込みの知識で発言を繰り返すのは、平等を語りむやみやたらと情報を拡散する女性政府の意向に違いなかった。
四方から罵詈雑言に近い句で圧される中、玲奈は一度、あの少女を思い浮かべていた。
そして少し息を吸い、口を開いて喉を震わせた。

「もう、軍部はビーム照射の判断をいつ行ってもおかしくありません。残念ながら今からワクチン作成に専念するのは無理があります。ですが、あたしも諦めないで戦おうと思うんです。まず軍にコンタクトを取って、最も戦況が悪いと言われているヨーロッパに飛びます。戦う意志を見せるんです。生き残れるかは分からないけど、とにかく戦いながら頑張るしかない……。全てはそれから、それからなんです。ウィルス解析を、軍部にも働きかけてみます。それに、人々がその気になれば、国や土地を捨てて機械から離れる道だってあります。何が正しいのか、どれだけかかるのか、そしてその先がどうなるのか、私にも分かりません。ただ、今、真っ向から向き合わないと、向き合うしかないって……」

喉を枯らして訴えた。
しかし、彼女達にその言葉は届いていないようだった。
一時的だろうが、どんな理由があろうが、男に協力姿勢を示すのは許されなかった。
玲奈がそのような行動を取ると口に出しただけで、信用できるはずがないと口々に吐き捨てられた。
まだもう一度説得してみようと口を開くものの、もはや誰の声かも聞き分けられない程、集団には混乱が広がっていた。

玲奈は肩を落とした。
その時、子供の泣き声が雑音を分け入って耳に入った。
目を向けると、先程見たあの少女を抱えた母親が、恐ろしい形相でこちらに叫んでいた。
子供は恐がり泣きわめいていたが、ここにいる誰も気にとめていない。
それを見た瞬間、玲奈は思わず、可哀想にと嫌な顔をしてしまった。

途端にその方向から腕が伸びてきて、彼女の髪を掴んで引きずり倒した。
枯れ草に火がついたように人々がうごめき、口汚く罵り、踏みにじり、殴った。
じきに暴力は方向性を見つけ、玲奈の頭髪を握り街中を引きずり回し始めた。
中途で新しい女達が何度も加わり、そのほとんどが醜い表情をして彼女の事を打ち、非難を繰り返すのだった。

それは言語すらも失った、憎しみや苛立ち、悪意そのものだ。
玲奈は徹底的に傷つけられ、衣服が千切れみすぼらしい格好となり、それでもなかなか薄れる事のない意識の中で、過去に見た群青色の空を思い出していた。
ぎゃあぎゃあと叫び上げる女達の声は、あの空の下で聴いた妖精達の呪詛によく似ていた。

いつしか痛みはなくなっていった。
音もすっかりと失せ、玲奈は人形のように静かになった。
それでも女達は、その事を全く気にもとめず汚いものを吐き出し続けた。

ああ、あれは何という曲だったろう。
玲奈の耳奥では、子供が練習をしていた拙いピアノ曲が流れていた。
有名な曲だったように思う。
優しくて、暖かい。
そう、そう、トロイメライと言ったっけ。
とても良い曲。
ずっとこうしていたい。
そんな曲だ。

気が付くと、玲奈は再びあの公園に横たわっていた。
あれからどれだけ経ったのだろうか。
ピアノの旋律は消え、頭上では不快なサイレン音が響き渡っている。
避難警告らしく、辺りに人の気配はしなかった。

いや、腫れ上がった目を見開いてみると、いくらか倒れて動かない者達がいた。
あの騒ぎの中で転んだか、争ったか、そうして何人にも何人にも踏み付けられてしまったのだろう。
玲奈は満足に動かない身体を少しだけ起こし、自分のすぐ側に小さな子供を見た。
ゆっくりと這っていくと、それはあの少女らしかった。
一人きりで、横たわっている。

少女に寄り添いその身を抱きしめると、目から涙が出た。
玲奈は、まるで植物にでもなったかのように、そのままじっとしていた。
そうしていると、全ての感情が一緒くたになって、次第に溶けて消えていくのが分かった。

そしてある時、火が空を焼いた。
垂れ込めていた雲は裂けて、弾け飛んだ。
光が、星を包み込んだ。



「こいつ、生きてる」
「死人に隠れるなんて」
「お前のせいだ! 男は皆死んだ」
「精子銀行も全て焼けて、人間はおしまいだ」

丸坊主で下着姿、、全身に火傷を負った娘を、女達が囲んで口々に何か言っている。
だが、彼女には今は何も聞こえなかった。
瞳を開いても、周りに立つ人々は黒い影にしか見えず、人と人との区別が付かなかった。

美しいと、呟いた。
人影の向こうには空が開け、広い広い青があった。
世界は美しいと、口だけでも動かした。

するとそれに反応したかのように、娘の全身の皮膚が剥がれ落ち、脈が強く胎動して再生が始まった。
女達は体が崩れたかと勘違いし、二、三歩後ずさった。
その中心で、娘は白い翼を目一杯広げ、尾を伸ばし、頭髪はないものの瑞々しい肌で復活を終えると、地面からほんの少し浮遊した。

同時に、娘は代替えの体をその子宮に宿した。
女達の目の前で、彼女の腹は膨れていった。
もう世界に男はいない。
残った女は、彼女に倣い妖精と化し、女同士で愛し合って子を育てるしか道がなくなった事を悟った。
今や娘の姿は、道を照らす天使か、地獄へと誘う悪魔にも見えた。
雲一つない青空の向こうでは、復讐の呪いを遂げた妖精達がくすくすと微笑んでいた。

PCシチュエーションノベル(シングル) -
JOEmasa クリエイターズルームへ
東京怪談
2011年04月27日

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