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『いざ眠る、桜呼ぶ頃。 』
来生・十四郎0883)&来生・一義(3179)&来生・億人(5850)&(登場しない)


act.1 導き

 来生・一義とて何も、好きこのんでいつもいつも迷いたいと思っているわけではない。彼自身も重度の方向音痴を自覚していたし、何度も弟に口酸っぱく言い聞かされているのだから、それを敢えて逆らってまで、という気持ちもない。
 だから、一義はちゃんと自宅で待っていた。弟は仕事で遅くなるようだとしても、せめて同居人が帰ってくるまでは待っていようと、いつも以上に丹念に掃除をしたり、浴槽を洗ったり、今日はシンクをぴかぴかに磨いてみようかなんて思ったりしながら、同居人の帰宅を今か、今かと待っていたのだ。
 けれどもジリジリと太陽が沈む頃合いになっても、同居人も帰ってこなくて。生憎と日頃から食料が豊富とは言い難い来生家にあって、今日こそ食料の買出しに行かなければと思っていた所だったから、冷蔵庫はすっかり空っぽで。
 それでもしばし、一義はどうしたものかと考えて。けれどもこのままでは、弟が帰ってきた時に弟に出す夕飯が出来ていないという、主夫として致命的な事態が発生してしまうと、一義はついに第一日景荘から1人、足を踏み出して。

「‥‥‥ここはどこなのでしょう」

 とっぷり暮れた夜の街で、案の定あっさりと迷子になって、現在に至る。
 きょろ、と辺りを見回してみても、見覚えのある景色も建物も、人影だってどこにも見あたらない。何とか見知った場所に出ようと歩き回ったせいか、どうにもますますアパートからは離れてしまったような心地もする。
 さて、どうしたものか。一義は手に提げた買い物袋の重みを感じながら、幾度となく考えたことを再び考え、夜に染まった街並みを見回した。
 弟の迎えを待つという選択肢もあるが、自力で辿り着けるのならそれに越したことはない。それに弟の迎えは漏れなく、1人で出かけて迷子になった一義への怒りとセットになっているだろうから、ますます避けられるに越したことはなく。
 うーん、と途方に暮れてため息を吐いた一義の視界の隅に、ふわりとよぎる、白いものがあった。おや、と妙に惹かれてまなざしを向けると、それは1枚の桜の花びらだ。
 夜ともなればさすがにわずかな冷たさが感じられる、春の風と戯れるように飛ばされていく、桜。ぐるぐると迷い疲れ、考え疲れていたのもあって、一義は何となくその後を追って、夜の街を再び歩き始める。
 ふわり、ゆらり。
 ひらり、はらり。
 不思議と地に落ちることもなく、風に乗って夜の街を抜けてゆく桜の花びらに、導かれるように歩いていた一義は、ふいに見知った光景が眼前に現れたのに目を見開き、ぴたりと足を止めた。
 第一日景荘。あれほど帰りたくて、あれほど見つけられなかった我が家が、一義の目の前にある。

(助かりました‥‥)

 ほぅ、と心の底から安堵の息を吐いた。それはやっと自宅に帰ってこれたという安堵でもあったし、弟に迷惑をかける前に帰ってこれたという安堵でもある。
 見上げれば自宅の部屋の窓は開け放たれ、おぼろげな灯りが点いていた。弟なのか、或いは出かけたきりの同居人なのか、とまれ手つかずの夕食を急いで作らねばなるまい。
 そう、思った一義の肩に、まるでぽんと叩くように桜の花びらが舞い落ちてきた。
 その白をじっと見て、一義は指先で花びらをつまみ上げる。つまみ上げ、小さく微笑んで花びらへと囁きかける。

「‥‥ありがとう、あなたが送ってくれたんですね」

 それにどう応えたものか、桜は不意に吹き抜けた夜風に乗って、またどこかへ行ってしまった。




act.2 追憶

 狭いアパートの事だから、部屋に入った瞬間に、兄が不在であることは来生・十四郎にも解った。というか、アパートにたどり着いたときに206号室に灯りが点いていなかった以上、そこが無人であることは間違いなかった。
 けれども。普段ならがっくりと膝を突いたり、怒り狂ったり、そして同じくらいの深さで方向音痴の兄を心配して、探しに行こうと街に飛び出す十四郎なのだけれども、今日の彼はそんな事は思いつかない様子でどさりと鞄を下ろすと、玄関灯だけをつけて手にしていたエアメールの差出人名をじっと見つめた。
 郵便受けで十四郎を待っていたエアメール。その差出人名にかかれた日本語と、それから全く同じ内容のアルファベットを見比べる。
 ふぅ、と複雑な思いのこもった、細いため息。
 それから無言で封を切り、存外きっちりと折り畳まれた便せんを引っ張り出して、そこに綴られた文字に目を走らせた。幾つかの近況と、他愛のない話。そうして最後に記された一文――『これからアンナプルナに登る予定だ。じき、桜が咲く頃には日本に帰る』。
 そこまでを読み終えて、十四郎はふぅ、と今度は深い、深いため息を吐く。
 エアメールの差出人が、知らぬ相手だったというわけではもちろん、ない。友人の登山家で、時折はこうしてエアメールを寄越し、気が向けば十四郎もそれに返事を送ってやる――そんな男だ。
 けれども。十四郎が吐いたため息の理由は、それではなくて。

「‥‥ッ」

 小さく舌打ちをして、不意に沸き上がってきた感情をやり過ごす。
 彼の名を、十四郎はまさに昨日聞いたばかりだった。登る予定だと書いて寄越したアンナプルナ、その登頂中に滑落死したと、また別の友人経由で知らせを受けたのだ。
 いったいこのエアメールを、いつ送ったのか。少なくともアンナプルナに登る前のことだろう。タイムラグを考えれば1月かそこらは前に違いない――桜が咲く頃には帰ると、桜が咲くまでには十四郎の手元に届いてる事を信じて。
 部屋の電気を点ける気にはなれず、薄暗い部屋の中を横切って、十四郎はがらり、と立て付けの悪い窓を開けた。意味があったわけではない。ただ何となく、ここからだとアンナプルナはどちらの方になるのかと見てみたかっただけだ。
 だが、十四郎が身を乗り出すよりも早く、ふわり、と白いものが部屋の中に飛び込んできた。ん? と瞬きをしてその行方を追い、肩に舞い落ちたものを確かめると、それは1枚の桜の花びらだ。
 桜。桜が咲く頃には帰ってくると書いて寄越し、アンナプルナで儚くなった友人。
 十四郎は指先でその花びらをつまみ上げると、棚から白い封筒を引っ張りだした。薄暗がりの中で宛先にアンナプルナと書き、友人の名前を記す。さながら、まるで友人に手紙を送るかのように。
 そうして封筒の中に、つまみ上げた花びらをひらりと入れて、封をした。窓際に灰皿を引き寄せて封筒を乗せ、カチ、とライターで火をつける。
 一瞬、炎がためらうように揺らぎ。やがて、白い封筒の端からなめるように赤く燃え上がった炎が、白い煙を立ち上らせた。それは迷いなく窓の外へと漂い出て、春の空へと昇っていく。
 その行く末を、しばし眺めた。夜空に白い煙が吸い込まれていくように思えて、くらりとかすかな眩暈を覚え、十四郎は僅かに目を細める。

「‥‥咲いたぞ、帰って来いよ」

 やがてぽつり、呟いた言葉に応えるように、白い煙がふわりと揺れた。




act.3 幽玄

 おや、と来生・億人は視線を巡らせ、長い髭をぴくりと震わせた。せっかく気持ちの良い夜だから、のんびり夜の散歩でも楽しもうかと、猫に変身してブロック塀の上を歩いていたのだ。
 まるで濃紺の帳を垂らしたかのような、春の夜。昼間のうららかな陽気とはうって変わって、ひんやりとした心地よさすら感じる張り詰めた月の下。
 もうあと少しで第一日景荘に辿り着くという所で、億人はピタリと足を止めて、ぴくぴくとせわしなくひげと耳をうごめかせた。はっきり、これ、と何かがあったわけではない――けれども何とはなしに、感じるところがあったのだ。
 億人はするりとブロック塀から飛び降りて、その何かを――恐らくは「誰か」の意識と思われるその感覚の源を求め、歩き出した。猫特有のしなやかさで、感覚を張り巡らせて音もなく進んで行くと、やがてそれは第一日景荘へと辿りつく。

(誰、やろな?)

 首を捻りながら入り込んだ裏路地は、見上げれば自室の窓が見える場所だ。何気なく見上げた206号室の漆黒の窓に、瞬間、おぼろげな光が映った。
 誰か帰ってきたんかいな、と思いながら億人は眼差しを窓から眼前へと戻す。そうしてさらに「誰か」の意識を求めようと、足を動かしかけてピタリ、と止めた。
 ゆらり、猫の尻尾が揺れる。

「‥‥こんなとこに、桜なんてあったかいな?」

 そう、思わず呟いて首を傾げた億人のまなざしの先にあるのは、古ぼけた桜の木だった。太い幹を持った、枝振りの見事な桜の老木――それは今を盛りとばかりに惜しげもなく、満開の可憐な白の花弁を咲き誇らせている。
 自宅の近くにこんなに見事な桜があったなら、億人ならずとも同居人の誰かが気づきそうなものだった。けれどもそう言った話を彼らから聞いた覚えはないし、億人自身だって見た覚えはない。
 けれども、絶対にそうだったのかと言われれば、途端に記憶が曖昧になった。なんとなく、前々からこの桜はただここに在って、儚くも美しい花弁を咲き誇らせていたのであって、ただ億人の方が覚えていなかっただけのような気がした。
 しきりに何度も首をかしげながら、億人は桜の老木に背を向ける。とまれ同居人が帰ってきたのなら、今宵の散歩は終了だ。なんならこれだけの見事な桜、明日また明るくなってから改めて花見をしても楽しかろう。
 そう思い、ひょい、と億人は塀に飛び乗って、自室に戻る事にした。そうして同居人が慌てて作ったらしき夕食を、珍しく文句も言われずたっぷり食べて。
 翌日、改めて裏路地を訪れた億人は、しばし目を見開いて立ち尽くした。
 ――そこに、春の月の光を受けて儚くも美しく咲き誇っていたはずの桜の姿は、どこにもなく。かわりに『工事中』と無骨な看板が立てられていて、道路縁のアスファルトが無残に剥がされている。
 僅かに目を瞬かせ、近寄って見たそこにあったのは、朽ち果てた桜の木の根。工事の最中に掘り起こされたのだろうか、ずっとアスファルトの下で眠っていた桜は朽ちていてもしっかりとした根であった事が伺えて、そうしてそんな根に支えられた幹はいかばかりに立派であっただろうかと思わせた。
 そう、それはきっと、昨夜見た桜の老木のように――

「‥‥桜の幽霊やったんかな」

 ぽつり、呟いて億人は僅かな黙祷を桜に捧げ、裏路地をあとにした。






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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /   PC名   / 性別 / 年齢  /       職業       】
 0883   /  来生・十四郎 / 男  /  28  /  五流雑誌「週刊民衆」記者
 3179   /  来生・一義  / 男  /  23  /  弟の守護霊・来生家主夫
 5850   /  来生・億人  / 男  /  996  / 下級第三位(最低ランク)の悪魔

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
また、お届けが大変遅くなってしまい、申し訳ございませんでした(ぺこり

ご兄弟それぞれの桜のひととき、如何でしたでしょうか。
蓮華は変わりなく過ごしております、ご心配頂きまして本当にありがとうございます(深々と
ご発注者様の方こそ、お変わりなければ良いのですが‥‥色々、ご無理はなさいませんよう、ご自愛くださいませ。

桜は(お届けが遅くなってしまったものの!)まだまだ咲く品種や地方もございますから、問題ないかと思います(こく
華やかで、神秘的で、儚い桜の美しさは、何度季節が巡っても素敵なものですよね。
ご発注者様のイメージ通りの、桜に惑わされるような、桜に見守られるような、神秘的なノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2011年05月10日

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