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『 暗夜・2 』
夜神・潤7038)&ディテクター(NPCA002)


 時間はない、とディテクターは言った。
 毎晩のように被害者が出る。事件の発生率も高くなる一方だ。今晩は昨夜よりも多くの人が被害に遭うだろう。
 ネオンの明かりとはまるで無縁な明治神宮を、アーマードスーツに身を包んだディテクターとともに木の葉を散らして駆け抜ける。眠る杜を抜けると首都高4号の高架が横たわっていた。
 ふたりは同時にアスファルトを蹴った。跳んで、ガードレールを跳び越え、車のいない車道に次々と降り立つ。
 都心の高層ビル群の黒々とした影が聳えていた。
 ビルに残る窓の明かりは普段にくらべてめっきり少ない。そのせいか、やたらと目立っている赤い灯は、まるで何者かの眼差しのようにゆっくりと瞬いて不気味でもある。
 ここ最近は事件のせいで早々に帰宅する者が爆発的に増加しているというが、夜に出歩いて得体の知れない犯人の標的にされては、という思いが人々の心を占めているのは当然のことだろう。普段ならばこの時間帯でも首都高を埋め尽くしがちなラッシュの車列も、今夜はまったく見られない。高架から下の道を見下ろしてみてもそれは同じで、忘れた頃にライトを落とした車影が心細げに流れていく程度だ。
 暗視ゴーグルをかけたディテクターと目があった。親指を立て、くい、とそれが曲がった。
 親指の示す先には、都庁。
 巨人のように立つ二つの塔が、周りのビル群から異様に高く伸びてその姿を晒している。
 IO2は目標を捕捉しているのだ。遠巻きながら捕捉し、追尾している。
 そう、遠巻きに。
 潤の心のうちの暗い底で、澱のようなものが波打った。
 今回の敵は、間違いなく、潤の同属だ。
 ディテクターはこうも言った。「公式の発表では意識不明の重体と発表されている被害者だが、重体というのは実は正しくない」。
 潤にしてみればその先は容易に想像がついたし、また驚くに足りないことだった。新たな命を得た、あるいは別の物に成り変わったのだろう。ディテクターも潤には説明不要と感じていたのか、「今は凍結させることで眠らせてあるとのことだ」としか言わなかったが。
 同族と殺り合うハメになる。
 複雑な気分だった。
 同族ならば、潤の存在を知らぬわけがない。潤が人間の世界でどのように身を窶していようが関係ない。「夜神潤」という人としての名を知るも知らぬも関係ない。同族ならばわかるのだ。潤が持つ血、それが存在するだけで、一族の者ならば、世界のどこにいようとも潤が「いる」と、わかる。潤の存在を誰もが感じている。潤が持つ神祖の血とはそういうものなのだ。
 そして、もうひとつ。
 一族のほとんどの者が、潤がどのような時にどう動くかを知っている。
 たとえば、人間や他の種との共存の均衡を崩すような行いを一族の者が働いたならば、おそらくは制裁する側に回るだろうということは、誰もが知っていることだと言っても過言ではない。
 であれば、今回の相手は、潤の存在と意向とを十二分に知っていながら、こうも派手に動いているということになる。人間に対して、ひいては潤に対して宣戦を布告したようなものだ。
 そう、それもあって、潤は今回の件を引き受けたのだ。
 一族のうちで潤に対して反発している者たちはきまって、潤は人間の肩を持ちすぎだ、と言う。だが、それは彼らの誤解だと潤は思っている。
 潤にしても無条件で人間の味方をしているわけではない。ディテクターも言っていたように異種族の力に怯えているのも人間ならば、こうしてあわよくば利用しようとするのも人間であり、隙あらば組み敷こうとするのも人間なのだ。
 一人一人は極めて微力あるいは非力、もしくは善良でもあるが、組織を成せば狡猾になり、強大な存在となる。けっして侮れない。それが潤の人間観だった。
 ひるがえって一族を見れば、一人一人が個人差はあれど人間に比して強い力を持っている。まして一対一であれば、比較にもならない。しかし、本能的な衝動に支配されやすいがために、連携を取りにくいという大きな欠点があった。個々の力は強くとも、協同して目的を達成することが難しいということは、対人間で考えれば充分な弱点に成り得るのだ。
 だから人間を敵に回したくはない。大敗を喫することはこれまでの経験則からしても目に見えているのだ。
 なれば、一族が生き残るためには、何が必要か?
 可能な限りの統率だ。
 人間と吸血鬼という異質な者同士が共存するために必要なのは何か。
 調停役だ。
 だから潤は仲立ちを務めてきたのだ。今や一族の大半を統率する立場にもある。
 ふと、一抹の感傷が潤の胸中を過ぎった。
 この身の異質さのために、一族の長老たちから迫害された時代もあった。どこに存在することも許されずに逃亡だけに費やした歳月があった。
 それが、いつの間にか統率者という立場に収まっているのだから奇妙なものだが、では、この立場の逆転劇をもたらしたのは何だったのか?
 力だ。
 圧倒的な力だ。
 神祖の血を引いたがための強大な力と、突然変異として生じたがための爆発的に覚醒した能力と。
 皮肉なものだ。潤をかつて迫害に追いやった力が、今の立場を成り立たせている。
 実際に手を下したことは持てる力を考えれば限りなく少ない。だが、数少ない機会とは言え、たびたび「力」を証明してきたことはたしかだ。他の追随を許さない力があったから、統べることができたのだ。秩序をつくることができた。
 単純なものなのだ。権力というものは純粋に「力」と比例する。
 だからこそ、今回の凶暴な宣戦布告を黙って看過することはできなかった。
 戦いを挑むだけの理由があるはずだ。他の種族と共存していくという未来を破棄するだけの理由が。だが、だからといって「是」とするわけにはいかない。
 都庁まで一直線の首都高を、黒い風となって駆ける。潤の場合、駆けると言うよりも翔るというのに近い。
「ディテクター、大丈夫か」
 はるか後方にディテクターの影が見えた。アーマードスーツの動力を借りているとはいえ、人間だ。潤の身体能力には到底及ばない。
『大丈夫だ、と言いたいところだが悔しいことにそうでもない』
 先刻ディテクターから借りた耳元のレシーバーがノイズ混じりの声で言った。言葉とは裏腹に淡とした口ぶりではあったが。
『先に行けるようなら行ってくれ。俺は後から援護にまわる。現在地と状況だけは報告を頼む。こちらからもわかる限り、情報は随時送る』
「了解だ」
 それを合図に、潤は地を蹴った。首都高の出口へと向かう緩やかな勾配を眼下に、ビルの壁面を蹴る。常人の目には捉えられないほどの速さと高さで壁から壁へと跳躍し、屋上伝いに次々とさらに高いビルの屋上目指して跳んでいく。
『ヤガミ、どこだ』
 早々に潤の姿を見失ったのだろう。ディテクターの声が耳元でした。
 ダン、と着地先のコンクリートを踏みしめる。
「今、目の前に第二庁舎が見えている」
 地上数十階の高層ビルの屋上に立ち、目前に見える都庁の第二庁舎を仰ぎ見た。 臭いがした。
 死んだ血の臭いだ。循環する生命の恩恵から、地上の正統なる生命から見放された、呪われた血の臭い。
 いる、と潤の全神経が告げた。
「近くにいるようだ。瞬間移動の使い手なのか、うまく痕跡を消しているようだが……。探ってみる」
 ビルの縁から月明かりの注ぐ中空へと身を躍らせた。
 すぐ下のビルの給水塔を大きく蹴って、一気に第二庁舎の屋上を目指す。
 風が耳元で甲高い悲鳴をあげた。上着も夜風をはらんで千切れそうにはためく。正面から叩きつけてくる大気の塊を切っ裂きながら跳び、階段状に段をなしている第二庁舎の屋上を次々と渡っていった。そして、ぐ、と膝を曲げ、250m近くもあろうかという第一庁舎の屋上へと一息に飛翔する。
 宙を翔る間に見下ろした視界に、ちらと映ったものがあった。
 議事堂前の広場に、小さな点が見えたのだ。
 潤の視界がぐっと狭まり、フォーカスがその半円を描く広場に佇む一個の点へと引き絞られていく。
 銀色の狼だった。
 周りの物と比較しても、自然界の狼とはケタ外れの巨体と知れる狼。3mはゆうにあるに違いない。そんな異形の狼が月明かりに背を輝かせ、天を仰いでいた。
 いや、天ではない。潤を仰いでいた。
 爛と燃え上がる目で潤を見ていた。
 第一庁舎のヘリポートへと着地して、すぐさまレシーバーの内蔵マイクへと声を送る。
「いた! ディテクター、ヤツは議事堂だ」
『議事堂! 了解だ、向かう』
「ああ、いや待て。ヤツは俺に気付いていた。動くぞ。俺も動く。待機していてくれ」
 屋上の縁に足をかけ、ヘリポートの端から議事堂を見下ろす。
 果たして、今しがた見た狼の影はそこに無かった。
「さて……。どう出てくるか」
 ひとまずは議事堂に降りて、血の臭いを確かめるべきだ。今ならばはっきりとした痕跡が残っているだろう。まだ鮮やかに残っているだろう痕跡に近づけば、相手の素性と能力を探ることもできる。
 ヘリポートの端から一歩踏み出した。そのままの姿勢で垂直に落下していく。みる間に地上のものが大きく迫ってくる。徐々に前のめりに傾いでいく身体で、背後の壁面を蹴った。道路を挟んだ議事堂へと跳ぶ。
 と、背中にぞくりとしたものを感じた。
 ――こう、出るのさ。――
 間近で声を聞いた。低く、敵意に満ちた声だった。
 宙に弧を描くまま膝を抱えて回転し、頭を下に背後の声の主と相対する。先刻見た銀狼の巨体が半透明の姿で、ぼう、と宙に浮かび、潤の視界を埋め尽くしていた。その獣の口が深紅に開いた。輪郭が、ぶわ、とぶれたように見えた。
 次の瞬間、潤の身体は吹き飛ばされていた。
 見えない巨大な鉄球に殴られたような、質量を伴った衝撃があった。
 まさか前触れもなく背後に現れるとは思わなかった。勢いを殺すのが間に合わず、そのまま議事堂正面の壁面に叩きつけられる。背の後ろで壁面が砕け、放射状のヒビが刻まれた、と知る。
 地面に落ちるときは浮揚の力を使ったものの、さすがの潤もすぐには立ち上がれなかった。全身の骨が粉砕されたような痛みを鳩尾で堪える。
「衝撃波……!」
『どうした! ヤガミ、大丈夫か!』
 目だけを動かして、敵影を探す。もう姿がない。
「……大丈夫、だ」
 ギリ、と歯を食いしばって答える。どうなったところで灰にもなりようがない。そんな自嘲は奥歯の間に噛み潰して、さきほど狼を見たあたりを見上げた。
「ディテクター。少々厄介なことになりそうだ。ヤツは瞬間移動を自在に操る。俺の予想以上だ。空間の境界上にありながら攻撃することが可能とは……」
 唇を噛みしめた。
 一定時間存在する物体に対してであれば、潤の攻撃力の方が断然上回るだろうが、転移しきらずに複数の空間を移行中の物体に対してはどうだろうか。半減するか、無効化されるか。第一、どこから狙ってくるか、予測が難しい。今この瞬間もどこから現れるかわからないのだ。
 しかし、わかったこともあった。
 相手の狙いはディテクターではない。IO2でもない。やはり潤だった。潤を意識して、相手は動いている。硫黄の炎を宿したような獣の瞳が瞼の裏に焼き付いていた。
 石畳に手を突き、身を起こす。
「どこだ……。俺に」
 冷たい建造物に囲まれた夜空を見上げた。
「俺に、言いたいことがあれば言えばいい」
 やはりそうか。このひと月もの間、人間たちを片端から餌食にして、知らぬ者がいないほど暴れ回ったその理由は、人間たちに潤を担ぎ出させることにあったのか。「俺に、すべてをぶつけるがいい」
 古い一族の者であれば、潤が消滅することのない存在であることも知っているはずだ。莫大な量の爆薬を体内に埋め込まれて全細胞を木っ端微塵に吹き飛ばされたとしても、せいぜい復活までの時間が多少かかるという程度。ほんの足止めぐらいの意味しかなさない。
 では、どう足掻こうとも滅ぼすことが叶わない驚異的な不死身を誇る潤を攻撃することに、いったい何を見出そうというのか。敵と相対していなくとも、潤には想像が付いた。また、確信に近いものも感じていた。なぜなら過去、幾度となく、同種の戦いがあったからだ。
 挑戦だ。
 ここに挑む者がいるということの宣言だ。異議を唱える者がいるということを、全世界の一族に広く知らしめんとしている、ということだ。おそらくは反抗する者たちの決起を促すために。
 退けぬ戦いだと思った。
 自分を守りたいのではない。
 一族を守りたい。均衡と秩序を守りたい。
 過去、潤に、神祖の血に挑んできた者たちは皆それぞれに苦しみを抱えていた。 しかし哀しいかな、特異な存在として生じてしまった潤には、彼らの苦しみを想像することはできても真の意味で理解することはできなかった。どれだけ望もうとも痛みを分かち合うことはできなかった。
 だからこそ、挑む者が絶えないのだということも、わかっている。
「俺の役目は、俺にできる唯一のことは……」
 彼らの憎悪を受け止めることだ。
 ゆらり、と立ち上がる。
「ディテクター、聞こえるか」
 インカムへと手を当てる。さきほどの衝撃で壊れていなければいいが、と案じたが、間もなく応答があった。
『聞こえている』
「君に要望がある。IO2本部と繋いで欲しい。本部にはおおかたヤツを追尾している"追跡者"がいるんだろう? そいつの情報を直でこちらに流して欲しい。ヤツは文字通りの神出鬼没だ。タイムラグがあれば情報に価値はなくなる」
 レシーバーの向こうで、少しの沈黙があった。
『いいだろう。今から30秒後に通信が切り替わる』
「対応に感謝する。それともう一つ、君に告げよう。君を含めた実働部隊の、付近からの全力待避を。それと、大規模破壊行為の許可を、要求する」



 <続>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
工藤彼方 クリエイターズルームへ
東京怪談
2011年05月17日

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