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『『隣より近く あなたを想えば こんな寒い夜にも』 』
月夢・優名2803)&(登場しない)

 梅雨入り宣言が出された日の夜、律儀にも夕方ごろから空を隠した雨雲はしとしとと雨を降らせ始めた。
 机に向かってさらさらとお気に入りの鉛筆で香りのついた和紙に文章を書いていた月夢優名はそっとその手を止めて、耳を傾ける。



 始まるよ。始まるよ。学校のグラウンドで始まるよ。
お代はちゃんと持ってきてね。
ボクが喜ぶものを持ってきてね。
絶対だよ。
絶対だよ。



 雨粒が夜に奏でる音色にあわせてそう流れる歌声。
 可愛らしいコントラルト。
 それが夜に流れ出した瞬間、それまで雨音に耳を澄まして息を押し殺していたさまざまな気配、そう、たとえば世界そのものがにわかに活気付いたようだった。
 それはお祭りの開始を知らせる花火が打ちあがった瞬間の子どもの気配によく似ている。
 とても純粋で綺麗なモノも、とても暗く澱んだモノも、そわそわしだして、それまでただ雨音だけがしていた世界が、ぐるぐると落ち着き無く回りだしている。
 ぐるぐるぐるぐるぐるぐると回りだしていたとても騒がしい気配から、やがて、ぽん、とひつの独立した気配が生まれ、それがまた、続いていく。
 まるで綿菓子みたいに、その独立したひとつひとつの気配はなんだかふわふわしていて、形が定まってなくて、その色も砂糖の結晶のようにとても真っ白で。
 ぽん、ぽん、ぽん、と次々と生まれていく気配を優名はピアノの鍵盤を叩くように細くしなやかな指で机を叩いて、歌うように声に出して数えていく。
「いち、に、さん、よん・・・・きゅうじゅうはち、」と、そこまで数えた瞬間、ぽん、と優名の机の上に、黒のモーニングを着て、白髪と同じ色のひげを上品にたくわえた足の長い老紳士が現れた。
 彼を見て、優名はゆっくりと瞬きをした後に、何かを納得したようにくすりと笑う。
 書きかけの文章。それは優名の大切な人への手紙だった。




     ―――隣より近く あなたを想えば こんな寒い夜にも―――


 たとえばあの人は、どんな内容の手紙を書けば喜んでくれるのだろう?
 遠縁のおじさまからの仕送りでこの神聖都学園高等部に進学できて二ヶ月目。あらかた、書けることは手紙に書いてしまったように想う。
 学園の風景、気質、建物の事。
 自分が暮らす寮の事。
 クラスメイトの事や、担任、各教科の教師の事。
 それから、花も恥らう素敵な女子高生になった自分の事。
 昔読んだ、児童文学の主人公の少女は、援助してくれるおじさまにどんな内容の手紙を書いていたのだっけ?
 しばし、逡巡して、それから優名の頬が真っ赤になったのは、その児童文学の少女が、最後は素敵な大人の女性となって、おじさまと結婚するからだ。
 優名は最後の主人公がおじさまに向けて書いたラブレターのことを想って、耳まで真っ赤にしてしまう。
 学園の敷地内に有る寮の裏の森を散歩しながら、優名はゆっくりと早朝の冷たく澄んだ空気を深呼吸した。
 優名のおじさまからは月一回の手紙を強制されているわけではない。むしろ、自分からおじさま宛に手紙を出していることを嫌がられていないか優名は心配している。
 それでも、学費と生活費を援助してくれているおじさまに自分ができることと言えば、学園での生活を綴り、おじさまへの感謝の言葉を送ることしかできないのだ。
 それが本当にひどくもどかしい。
「早く大人になりたいな」
 朝露に濡れた紫陽花をそっと指で弄いながら呟く。
 そう。大人になったら、おじさまに会いに行こう。そして働いて得た給料で買ったおじさまへのプレゼントを贈るのだ。あたしはあなたのおかげでこんなにも素敵な大人になれました。ありがとうございます、と感謝の言葉を口にして、それからそう、たとえばこれまで送った手紙に綴った学園での生活の事、これから送る事になる手紙に綴る学園での生活の事を語り合うのだ。
 美味しいワインと、温かな料理を口にしながら。
 もちろん、料理は自分の手作りだ。ふたりだけの優しい時間をそんな風に送りたい。送ってみたい。
 優名の胸がとくん、と小さく脈打つ。
 早鐘のように脈打つ心臓のメロディーは、優名が高校を卒業してからようやく始まる長い人生へ想いを馳せた希望の音楽だ。
 高校生の自分は大人の手によって庇護された箱庭の中で硬く身を閉じる蕾。
 その蕾を美しく花開かせられるかどうかは、これからの自分次第なのだ。
 それはきっと、簡単な事ではない。それこそ折れてしまう事だってあるだろう。それでも、それに負けないで、自分に誇れる自分でいられさえすれば、絶対にいつか自分だけの花を咲かすことができる。
 その花を、自分は優しく見守ってくれているおじさまに見せたいのだ。
 それがおじさまに自分が顕すことのできる感謝の念だと想う。
 だから………。
 ぎゅっと、優名は自分の身体を両手で抱きしめる。
 ―――早く大人になりたい。
 大人にならなければやれないことがあるから。
 そうして、そういう自分のやりたい事をやれる大人になるために、自分に自分で栄養をあげないと駄目で、その栄養がこの、おじさまからプレゼントされている神聖都学園での日々。



 どうか、手紙に書き綴る自分が、自分とおじさまが望む自分になっていく成長過程の月夢優名でありますように。



 優名は両手を広げ、明るくなっていく空を見上げながら、もう一度、早朝の穢れの無い空気を胸いっぱいに吸い込んだ。



 それが、1年生の頃の事だった。
 2年生になったあたしが綴る手紙はそれこそライトノベルのような非現実的な内容の手紙の時がある。
 おじさまからの手紙には怪奇事件への感想などが綴られている。それからあまり危険なことには首を突っ込まないようにとも。
 なるほど、おじさまは確かにあたしが綴っているこの学園での日々を信じてくれているようだ。
 だからこそ、あたしはおじさまに申し訳ないような気分になる。
 命の危険にさらされる怪奇事件なんてそう多くは無い。でも、それは数の問題ではないのだ。その数少ない事件であたしが命を落とすことは十分にありえるのだから。
 そしてここ最近の手紙を思い出すに、そういうことを綴った手紙が多かったような気がしてならない。
 あたしは軽くめまいを覚えた。
 しまった。おじさまにだいぶ心配をかけているかもしれない。
 そういう事を綴った手紙をおじさまに出していたのは、おじさまに嘘を吐きたくは無かったからだけど、でもあたし自身の基準がいつの間にかこの神聖都学園の基準についつい慣れてしまっていたことも否めないのだ。なにせこの神聖都学園なのだ。そのレベルは、この箱庭の外とは違うはずなのに。
 だからといって、ここで、じゃあ、そういう生活外のことを手紙に綴れば、というのも何か違う気がする。
 わざとらしさを感じるのだ。きっと、そんな手紙を送ればおじさまはもっとあたしを心配するだろう。
 だから、きっと、あたしがしなくてはいけない事は、取るに足らないと想った手紙に綴らなかった本当に日常にある些細な事なのだろう。
 あたしは購買で、綺麗な和紙のレターセットを買った。



 親愛なるおじさまへ

 こんにちは、おじさま。
 こちらの方は今日、梅雨入り宣言がされました。
 新聞の天気予報は見事に雨マークばかりです。
 でも、あたしは雨って嫌いじゃありません。
 雨はとても優しく心に触れて、嫌なこと全てを洗い流してくれる気がするから。
 それに虹は雨が降らなきゃ見られません。
 あと、雨が奏でる音色って、なんだか可愛らしくないですか?
 今日はおじさまにご紹介したいことがあります。
 おじさまが学生だった頃にも学校の七不思議とか、噂とかってありましたか?
 神聖都学園にもやっぱりそういうのってあります。
 そしてそれが、ちょっとした生活に関わっているんです。
 たとえば、朝です。
 前にも書きましたがきっと、あたしは寮の中で一番朝早く起きています。
 朝の、まだほとんどの人が活動していない空気が好きなんです。
 早朝の空気が一番、一日の中で澄んでいる気がします。
 そして、そういう空気の中を泳ぐ魚がいるんです。
 それはとても大きくて、そして虹色に輝いていて、綺麗で。
 回遊魚のように早朝の空気の中をそれは泳ぎまわり、そして人の気配が寮に満ちだす頃になると、ゆっくりと消えていく。まるで朝露のような存在なのです。
 そして、寮にはこんな噂があります。
 早朝の寮の天井に、時折、大きな魚の影を見る事がある、と。
 その魚の影を見ると、身体の不調が消えて無くなる、と。
 友達に、優名は早起きだから、そんなにもお肌がすべすべで、髪も艶がいいのかしら? なんてよく言われますが、そのお魚さんのおかげだとあたしは想っています。
 もちろん、友達にはそんなことは言えないから、早起きは三文の徳よ、なんて言って、笑いあっています。
 たとえばお昼過ぎです。
 お弁当を食べてお腹いっぱいの状態で古文の先生の授業を聞いていると、水着を着た妖精さんが現れます。
 その子のおかげでとても眠くなります。
 不思議な事にこの水着を着た妖精さんは霊感がある子にも無い子にも等しく訪れる珍しい妖精さなんです。
 恐るべし、スイマー、です!
 そして、もうひとつ、今から書くこの子たちは、あたしと数人の霊感のある子しか見えないのですが、お昼過ぎ頃になると、おかっぱ頭の幼い子どもたちが校舎内を走り回ります。
 その子たちはとてもいたずらっ子で、廊下の窓を叩いたり、カーテンをめちゃくちゃに揺らしたり、時にはテストの答案用紙を空中に放り投げたりします。そして時折、とてもエッチで、女子生徒や恐ろしくも若い女の先生だけのスカートをめくり上げます。
 おじさま、これは噂なのですが、世の男性たちから疎まれる女子高生がスカートの下にジャージのズボンを履くファッションは、神聖都学園の女子生徒たちがその子達への対策として履き始めたのが走りだという事です。
 ちなみにあたしは、スカートの下にジャージのズボンを履くのがちょっと恥ずかしいので、日々、その子達から自分と、スカート派の先生たちを守るための戦いを繰り広げています。
 まさか高校生になってまでスカートめくりの被害に遭うとは思ってもみませんでした、おじさま。やれやれです。
 たとえば放課後です。
 おじさま、神聖都学園にはこんな噂があります。
 人の想いを溜め込む桜の樹の下で、ラブレターを書くと、それまで桜の樹が溜め込んだ、人を好きだという想い、でとても綺麗なラブレターを書けるそうです。
 夕方の世界に淡く溶け込むような橙色の光の中、いそいそと校舎裏に広がる桜の樹の園へと向かう子たちの顔はどれも、誰かに恋をしている子の顔で、とても胸がきゅんとします。
 え? あたしはその桜の樹の下に行ってラブレターを書いたり、誰かからそういうラブレターをもらったことがあるかですか?
 おじさま、それは内緒です。
 たとえば夜です。
 おじさま、雨が降る日の夜。
 誰かを想っていると、その想いに応えて妖精が現れます。
 その妖精は、その人が想っている人の姿を借りて現れるそうです。
 そして素敵なパーティーに誘ってくれるそうです。パーティーチケットがその妖精さんなのです。
 と、書いていたら、あたしの前にもその妖精さんが現れました。そしてその妖精さんの姿はどうもあたしが無意識にイメージしていたおじさまのようです。
 ちなみにそれがどんな容姿をしているのかは内緒です、おじさま。
 パーティーにはそのチケットと一緒に、パーティーのホストが喜ぶ品物を持参しないといけません。
 あたしが持っていったのは石榴を刺繍したハンカチです。
 パーティーにはお面を被って行きました。
 会場は学園のグラウンドの真ん中に現れていた扉から入った大きなお部屋です。
 そこで皆でワルツを踊って、演奏を聴いて、手品を見たり、皆で歌ったり、そんな楽しい時間を過ごしました。
 おじさま、これは噂です。
 天国から現世に生まれ行く命が、生まれ持って行く才能を生きている人からプレゼントしてもらうために、パーティーを開いて、生きている人を招待するそうです。
 なら、あたしが贈った刺繍の才能を持った赤ちゃんが、これから生まれるのかもしれません。



 おじさま、あたしの日常は日々、こんな不思議な事に囲まれているけれども、それは本当にとても楽しくて、そしてとても愛しい時間です。
 そんな学園生活を送れる時間をあたしにくださったおじさまに本当に心の奥底から感謝しております。
 おじさま、本当にありがとうございます。
 手紙を書く前は、雨の降る夜はとても肌寒く感じたのですが、おじさまの事を想うと、とても温かく感じられます。
 おじさま、また手紙を書きますね。
 失礼します。



                           親愛なる おじさまへ
                              月夢 優名
 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2011年06月20日

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