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『【写月之追悼酒】 』
以心 伝助(ia9077)


●陰殻〜忍び里
 一年振りに訪れた場所は変わりなく、今年も初夏の緑が青々と地を覆っていた。
 五月の陰殻。故郷の里を脇に見ながら、なおも以心伝助は歩く。
 片手には天儀酒の徳利、もう片手には道すがらに摘んだ、名も知らぬ野の花。
 草深く、道とも分からぬ山道を幾らか進んだ先が、彼の目指す場所だ。
 木漏れ日が差し込む草叢の一角は周囲より僅かに土が盛り上がっていて、その一番高いところに数個の石が積まれている。
 一見しただけでは其と分からぬ、申し訳程度の粗末な墓。
「今年もまた、来れやしたよ」
 僅かに砕けた調子で語りかけ、積み石の間に一輪の花を静かに手向けた。互いに花など似合わぬ身であるが、そこは気持ちの問題とでもいうべきか。
 無造作にその場へ腰を下ろし、持ってきた徳利の栓を開けて石の上で幾らか傾ければ、流れ落ちる酒は見る間に土へ吸い込まれていく。
「ここは……変わらないっすね」
 木漏れ日を仰いで、小さく呟いた。
 あれからもう十年以上の年月を経ったが、こうして見る風景は何も変わっていない。
 ただ、彼が歳を重ね……変わっただけで。


   ○


 伝助にシノビの技を教えてくれた師は、育ての親も同然と言える存在だった。
 だが彼が十二になった年、師に対して裏切りの嫌疑がかけられ、極刑が決まる。
 そして彼の弟子である伝助に里が命じたのは、「重罪人である師の処刑」。
 自身もまた嫌疑をかけられたくなければ、命令の速やかなる実行を以って、里に対する忠誠を見せよ――という訳だ。
 だが、当時の伝助にそれは無理な話だった。
 いくら里の決定とはいえ、親とも思える師を討つ非情……それを実行出来るほど、当時の伝助はシノビとして研ぎ澄まされてはおらず。それを、彼の師は最もよく知っていた。

 ――自分を討てなければ、弟子の伝助までもが里への忠誠を問われる。

 鍛えた弟子の技自体は、師という立場を外しても申し分のない域まで達していた。
 問題があるとすれば、やはり精神の部分。
 そして共倒れとならぬため……後に残す弟子のために、彼の師は一計を案じる。


 やがて、師弟が戦う時が来た。
 木々を抜ける影へ素早くクナイを投じ、時にすれ違いざま一合二合と忍刀を打ち合わせる。
 経験の違いもあって技巧が劣るのは致し方ないが、何よりも本意ではない命懸けの戦い。やはり弟子の技には鋭さが足りなかった。師が幾らかの手心を加えてなお、弟子の反撃はことごとく急所を外し、彼を倒すに到らない。

 ――このままでは。

 予想していた懸念が現実になると、師は悟ったのだろう。
 その時、伝助が感じたのは……紛う事なき殺気。
 気配を殺し、存在を秘して任を成すシノビであるにも関わらず、只ならぬ気迫で一直線に伝助を目指す。

 ざくり。

 冷たい刃が、彼の頬を裂いた。
 次の瞬間、反射的に伝助の忍刀が閃く。
 意識せずとも、一刀は相手の致命となる箇所を難なく貫いた。
 決して伝助自身が意図した訳ではなく、全ては積み重ねてきた鍛錬の賜物……だったが。

「それでいい」

 満足げに師は弟子を褒め、最後に告げる。

「どれだけ手を汚しても、生き延びろ」

 伝助が繰り返して呼んでも、身体を何度も揺さぶっても、倒れた師は二度と目覚めることはなく。
 それが、師の最期の言葉となった。


 里を裏切った者を、丁重に弔うことなど許されず。
 残された伝助は自らの手で、爪で無心に土を掘り返し、師の亡き骸を地に返した。
 申し訳程度に盛った土饅頭の上へ、墓石代わりの石を積み。
 その前に座して、忍刀の切っ先を自身へ向ける。
 鋭い刃を見つめた末に息を詰め、師のつけた傷へ交差するよう刀身を当て、引いた。
 傷と共に師が彼へ残した約束を身に刻み、誓うかの如く。


   ○

 目を閉じて、独り思う。

 ……本当はあの時、頬ではなく自分の喉笛を、ひと息に裂いてしまいたかった。

 しかしそれでは、師との約束を違える事になる。
 それ故、今まではただ約束を果たす、その為だけに生きてきた。
 やがて数年が経つと、里も長が代わり、それに従って体制も変わった。
 伝助自身も里からの命を受けて神楽へ赴き、開拓者へと身を変えた。
 最初は命じられてのことだったが、今はそれも変わりつつある。
 ただ変わらず、毎年この時期になると伝助は誰も告げず、一人でここへ来た。
 去年も、そして今年も。
 だが神楽で暮らすうち、彼の内でも少しずつ、少しずつ何かが変わってきて……。
 もし師に問われたならば、「幸せだ」と今の彼は答えるだろう。
 逆に幸せ過ぎて、時に自分の過去の所業が……下してきた数々な罪の重さが胸を掻きむしり、苦しく辛くなる時もあるが。
 それでも――。

「……ようやく少し、自分から『生きていたい』って思えるようになった気がしやすよ」

 師の教えを身に写した彼は徳利をあおり、ぽつと言葉を墓へ零す。
 それから故人と酌み交わすように、再び酒を墓へかけた。


 ――陰穀五月、新緑の下で。
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舵天照 -DTS-
2011年06月22日

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