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『始まりの、その日。〜ひとり、たつ 』
紗々良(ia5542)

 春は、散歩には良い季節だ。寒くもなく暑くもなく、華やかに花が咲き誇り、木々はこれからの季節に向けて力強く若葉を芽吹かせている。
 そんな気持ちの良い町の中を、紗々良(ia5542)は兄達とともに、わずかに目を細めて景色を楽しみながら歩いていた。とても、華やかで可憐で、時にどこかいじらしい、鮮やかな季節。
 ぼんやりと、けれどもはぐれないように気をつけて歩いていたら、ぽつり、不意につぶやきが耳に届いて、紗々良はぴたりと足を止めた。

「‥‥白無垢が着てみたい、わ」
(‥‥‥白無垢?)

 こくり、首を傾げて同じく足を止めた兄の由他郎(ia5334)と顔を見合わせる。それからゆっくりと彼女の、黎阿(ia5303)の方を振り返った。
 兄の恋人でもあり、紗々良自身の友人でもある黎阿は、今は町中のあらぬ方を見つめているようだ。一体なにを、と目を凝らしてその視線の先を追いかけると、その先にはしず、しず、しず、と歩んでいく花嫁行列があった。
 行列の中の花嫁は、白の練り絹で仕立て、白の絹糸で全面に細かな刺繍を施した、清楚で豪奢な白無垢姿。頭をすっぽり綿帽子に覆われた、その表情はわからないけれども、俯きかげんにゆっくりと、けれども一歩ずつ確実に、踏みしめるように進んでいく。
 なるほど、それで白無垢かと、紗々良は納得して黎阿へと視線を戻した。由他郎はまだ、何かを考えているように何も言わない。
 それに、黎阿がわずかに焦ったような、取り繕うような色を瞳に浮かべ、けれども表情と声色は対照的に、殊更に明るくクスクスと笑って見せた。

「ほらやっぱり、ああいうのを目にすると着てみたくなるものね。きっと、花菖蒲と合わせたらすごく、素敵だと思わない?」

 そうして冗談で押し流すように、ひょい、と肩を竦めた黎阿の言葉に、紗々良もその光景を想像してみる。白無垢を身に纏った黎阿の周りに、咲き揺れる花菖蒲の鮮やかな色。
 それは確かに、白に映えて見栄えがするだろうと、想像できた。そうして当然、その傍らに並び立つのは――ちらり、傍らの兄の端然とした顔を、見上げる。
 その眼差しに気付いているのかいないのか、由他郎はしばし静かな面もちの下で黙考した後、良いんじゃないか、と頷いた。

「ただ、花菖蒲、は‥‥今から準備では、咲いているうちに里に着くのは、間に合わないだろうが」
「‥‥え?」

 そうして続けられた兄の言葉に、黎阿が愕然と目を見開くのを見つめる。なにやら兄が真剣に考え込んでいる時点で、きっとその可能性を検討しているのだろうと思っていたけれども、やはりそうだったのだと納得、する。
 兄が、由他郎が、驚くばかりにまっすぐにこの恋人のことを想っていることを、紗々良は知っていたから。
 だから淡々と、いつもの調子で里帰りの算段を決めた由他郎が、くるりと自分の方を振り返るのを見上げる。

「紗々良、手伝ってくれるか」
「‥‥うん」

 そうして告げられた言葉に、紗々良はこっくり頷いた。それはもちろん、当たり前のことだった。
 とはいえ、果たしてちゃんとお手伝いが出来るのかな、という不安はある。婚礼自体は大体こんなものだったかな、という想像は出来るものの、実際に手伝いをするのは初めてなのだ。
 村に帰ればきっと、経験の豊富な大人達が何をすればいいのか段取りを決めてくれるに違いないけれども、未知の体験に対する不安というのは拭いようのないもので。そっ、と自分の手を見下ろして、何をすればいいのだろうと想像を巡らせる。
 目を白黒させて、けれども表情ばかりは必死に平静を装っているらしい黎阿が、紗々良に気遣うような眼差しを向けた。さらりと、風に流れた黒髪をかきあげる仕草一つが様になる、そんな人。

「紗々良‥‥良いの?」
「‥‥何かと、手が要るし‥‥」

 そうして尋ねられた言葉に、紗々良はぽつりと言葉を返す。女手は幾らあっても良いのだと、言っていたのは誰だっただろう。
 そう告げると、黎阿はなんだかもの言いたげな、複雑な表情をして「そう」と頷いた。頷いて、それから何かを言いかけてまた、唇を閉ざした。
 きょとんと、首を傾げる。けれどもすぐに由他郎が、帰郷の日取りや段取りを話し始めたので、紗々良はそちらに耳を集中させることにした。
 ――集中、しようと思った。





 話自体はあっさりと決まったものの、帰郷自体はひどくのんびりとした旅路になった。黎阿の希望の花菖蒲にはどんなに急いだって到底間に合わないし、ほかに一刻を争うほど急ぐような事情もない。
 だから、萌え盛る初夏の緑を楽しみながら、紗々良もまた兄たちとともに、故郷への道をたどった。そうは言っても物騒な世の中だから、兄たちの護衛を途中まで勤めて、村が近くなってきたら先触れとして先行することになっている。
 とはいえ道中は、時折街道沿いに建つお茶屋を冷やかしたり、途中の町で土産物屋を覗いたり、ある意味では観光も兼ねた旅路となった。その先頭に立つのはたいてい黎阿で、彼女の賑やかな声に由他郎が目を細め、そんな兄と黎阿の姿を少し離れた場所から紗々良が見つめる。
 祝言を控えた花嫁というのは、ああ言うものなのだろうか。いつも以上にくるくると良く表情が変わる黎阿を見つめながらそう考えていると、気づいた黎阿がぱた、と近寄ってきた。
 ねぇ紗々良、と不意に真面目な顔になる黎阿。少し離れたところで、龍の苑梨を見上げて何事か呟いている兄。

「いきなり行って、はい祝言、ってわけにも行かないと、思うんだけど。大丈夫なのかしらね」
「支度は、みんな、手伝ってくれると思う――お衣装は、あるし」

 そんな光景を眺めながら、紗々良はこっくり頷いた。一から白無垢を仕立てるなんてこの日程では到底無茶だけれども、村にだってちゃぁんと大切に仕舞われている白無垢は、ある。
 そう告げると、黎阿はほっとしたように「そう」と微笑んで頷いた。そうしてくるりと、柔らかな眼差しで由他郎を振り返る。
 兄が、黎阿の視線に気づいてこくりと首を傾げた。それにくすりと笑った黎阿が、どこか踊るような足取りで由他郎に近寄ろうとしたのを、空から舞い降りてきた影が遮る。

(ぁ‥‥)

 苑梨だった。さきほど兄と何か言葉を交わしていたようだが、その兄の意識が黎阿に向いたのが面白くなかったのだろう。それでなくとも、紗々良の目から見て苑梨と黎阿は、なんだか折り合いが悪いように、見える。
 兄が、苑梨を制して黎阿に手を差し伸べた。それに面白くなさそうな色を浮かべた龍は、くるりと紗々良の方を振り返り、のそのそ、と近寄ってくる。
 背に負わせた荷物が緩んではいないかと、確認してから紗々良は、そんな苑梨の鼻先をそっと撫でた。

「‥‥苑梨」

 呟くと、応えるように龍は鼻先を紗々良の頬にすり付けて低くのどを鳴らす。苑梨が黎阿と折り合いが悪いのは、きっと彼女が苑梨よりも後から現れて兄の『特別』に収まってしまったせいもあるのだろうけれど、妹である紗々良のことはまるで自分の妹か、戦友のように扱うのだ。
 くすりと、小さく笑みをこぼす。そうして苑梨の鼻先を撫でて、黎阿さんと仲良くしなきゃ、ね、と言い聞かせるわけでもなく、独り言のように呟く。
 苑梨がますます鼻面を押しつけて、紗々良を励ますように何度もつついた。それに微笑みを返しながら、ふと、兄が嫁を連れて里帰りすると知ったら、村の皆はどんな反応をするのだろうと思いを巡らせる。
 由他郎と黎阿が揃って村にたどり着いたら、きっとおめでとうと言って、黎阿には由他郎をよろしくとか何とか言って、由他郎には黎阿を大事にしてやれよとか肩を小突いて。けれども――紗々良が、先触れとしてその事を告げに村に戻った時は?

(ずっと、私にとって、兄さまが一番、で。兄さまに、とっても‥‥私が一番、で)

 村のみんなだって、それは解っているだろう。あの村に、志体持ちは母と兄と紗々良しかいなかった。それで周りから隔意を置かれていたわけではなかったと思うけれど、自然と兄と一緒にいた。
 兄と、紗々良と。いつでも一緒で、兄がどこかに行くとなれば必ずと言っていいほど紗々良は後をついて歩いて。そんな紗々良をいつも、兄は一番大切にして、守ってくれて――
 けれども、これからはそうじゃない。兄は、由他郎は紗々良ではなく、黎阿と一緒に、これからを歩いていくことになる。今まで紗々良が一番だった兄の中で、これからは黎阿が一番に、なる。
 少し先を行く、手をつないで寄り添い歩く2人の姿を見た。とんと、苑梨が紗々良の頬を鼻先で小突く。

「‥‥おめでたい、けれど」

 そんな苑梨にそっと頬をすり寄せ、呟いた。由他郎と黎阿が夫婦になることは、おめでたいことだけれど。おめでとうと、思っているけれども。
 けれども胸の中に一抹だけ存在して、ふとした瞬間にこみ上げてくる、ツキリとした痛み。

「‥‥少しだけ、寂しい、ね」

 紗々良が一番だった兄の中で、もう紗々良が一番じゃないってこと。どんなに望んでも、その眼差しが一番に向けられるのがこれからは、紗々良じゃなく黎阿だってこと。
 その事実は、想う度に胸にぽっかり穴が空いてしまったようで、それでいてぎゅぅっと締め付けられるようで。どうすれば良いのか解らない心地になりながら、そっと胸に手を当てる。
 ふと、由他郎の眼差しがこちらを向いた。それにふる、と首を振ると、兄は少しだけ思わしげな眼差しになって、けれども何も言わずに黎阿へと視線を戻す。
 それを寂しく、どこかほっとした気持ちで、見つめた。そうしてそっと、口の中だけで呟いた。

(兄さまが、黎阿さんと、ちゃんと手を、繋いでいられる、ように‥‥少しずつ、一人立ちの、準備。がんばらないと、ね)

 だって紗々良にとって兄と黎阿の祝言が、喜ばしい慶事であることは、間違いのない事実なのだから。





 近づいてくると、紗々良は兄達に断って一足早く、村へと向かった。そうして辿り着いた故郷の村で、一体何がと驚いた表情の村人達に出迎えられた紗々良が兄の事を告げると、案の定、それはめでたい事だと喜ばれた後で、気遣うような眼差しが向けられる。
 けれども、努めて何でもないのだという顔をして、由他郎にも頼まれたし、兄の嫁とも仲が良いから自分も支度を手伝いたいと告げると、そうか、と頷きが返った。頷かれて、結局何も言われないまま、ぽん、と肩を一つだけ叩かれて。
 それから、兄達が到着するまでを言われるままにくるくると、目まぐるしい忙しさの中で働いた。
 まずは行李に仕舞い込んだ白無垢を探し出して、衣紋掛けにかけてようく陰干しし、風を通す。綻びたり、穴が空いたりしているところは、繕ったり、新しく刺繍して修繕する。
 それと同時に紋付き袴も同じように風通しをして繕って、それから祝言に必要な細かな品々を整えて、宴席のお料理を手伝って――
 紗々良がそうして働いている間に、遅れて到着した兄達が挨拶をして回ったり、衣装の丈を合わせたりした。その折りにも兄が何度か、一緒に来ないのかと尋ねるような眼差しで自分を見ていたのは知っていたけれど、紗々良は忙しいからと断った。
 忙しかったのは、本当だ。幾らでもやることはあったし、紗々良は黎阿の付き添い人も努めることになっていたから、覚えねばならないこともたくさんある。
 それでも、意識して兄の後についていかないようにしたのは、事実だった。そうやって、少しずつ、少しずつ、兄にとっての紗々良が一番ではなくなったように、紗々良の中の兄を一番ではなくそうとした。
 ――そうして迎えた、祝言当日。
 白無垢を身に纏い、綿帽子を頭からすっぽり被って、楚々たる花嫁姿になった黎阿の傍らに、紗々良も付き添い人としてそっと隅に控えていた。
 今日ばかりは華やかな振り袖姿で、兄の訪れを待つ。ここから由他郎と黎阿は、2人で祝言の場まで歩いていくことになっている――紗々良はその付き添いをしたり、時には黎阿の介添えをするのだ。
 わずかに伏せた眼差しの先には、黎阿の纏う白無垢。無意識に自分が繕ったところを探し、糸が綻んでいないかを確かめていると、がらり、戸が開かれた。
 見なくても、それが由他郎だと解る。白無垢の模様がゆらりと揺れて、黎阿が身じろいだのだと知る。

「行こう」

 そうして木訥に言葉を紡いだ兄が、まっすぐに黎阿に向かって手を差し伸べた。後は黎阿があの手を取って、そうしたら紗々良はその後をついていって、草履が必要なときは走っていって――
 頭の中で、何度も繰り返した手順を確かめる。だが紗々良の視界の中にある白無垢が、離れていくのではなくゆらりと振り向いたものだから、驚いてつと眼差しをあげ。
 無意識に、こくりと首を傾げた。紋付き袴に身を包んだ由他郎と、その手を取るでもなく自分を振り返って、何か言いたそうにしている黎阿の眼差し。それはとても、眩しくて。
 まるで夜闇の中、ふいに灯火を見てしまったような心地になって、紗々良は目を細め、顔を伏せた。そうするとまた、紗々良の視界には白無垢しか映らなくなる。
 黎阿の意識が自分から離れたのを、確かめて紗々良はそっと息を潜め、部屋から抜け出した。由他郎には気付かれていたかもしれないけれど、それはそれで構わない。
 抜け出した部屋の外、縁側には鮮やかな緑。対照的な、高く青い空。あの白無垢と同じ、抜けるような白い雲。

(いつか‥‥)

 いつか自分にも、あんな風に寄り添える相手が出来るのだろうか。当たり前に寄り添える、他の誰よりも愛しく大切な相手。今はまだ紗々良にとっては一番の、兄よりも心を占める相手。
 白い雲を目に焼き付けるように、瞳を閉じてそれを想像してみた。いつか、黎阿のように自分も白無垢を纏って、誰かの手を取るのであろう、その姿を思い浮かべてみた。
 けれども、その想像はなんだか遠くおぼろげで、ちっとも現実感が伴わない。兄よりも自然に寄り添える、寄り添うことが心地よく感じられる相手など、果たして現れるのだろうか。
 しばらく考えてみたけれども、やっぱり紗々良にはよくわからなかった。わからなかったけれども、そんな人がいればいいと、思った。
 兄達が出てくるまでは、もう少しだけ時間があるようだ。それを静かに待ちながら、紗々良はまた瞳を開き、白い雲をじっと見つめていたのだった。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /  PC名  / 性別 / 年齢 /  職業 】
 ia5303  /  黎阿  /  女  /  18  /  巫女
 ia5334  /  由他郎  /  男  /  19  / 弓術師
 ia5542  /  紗々良  /  女  /  15  / 弓術師

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
そして、大変にお待たせしてしまって本当に申し訳ございません(全力土下座

お兄様達の結婚式に臨まれた特別な日、如何でしたでしょうか。
妹さんの優しい決意はきっと、お兄様にも、新しく出来たお義姉様にも伝わっているのではないかなぁ、と思います。
きっといつか必ず、妹さんにも負けないくらいに素敵な方が現れるのではないかと、楽しみにしております(笑

妹さんのイメージ通りの、決意のノベルであれば良いのですけれども(ちょっと自信がないですが;

それでは、これにて失礼致します(深々と
水無月・祝福のドリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2011年07月12日

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