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『in the wonderland 』
ロン・リルフォード8405)&尾神・七重(2557)&(登場しない)



 これまで幾度か訪れた事のある図書館だが、やはりその途方もない蔵書数には毎度同じように目を見張ってしまう。初めてここを訪れた時には、世界随一のグレードを誇るホテルもかくやといった風の重厚な雰囲気を放つエントランスにも驚いたものだが、目を向けるべきはエントランスなどではなく、世界に散在するすべての書物を所有しているのだという、その巨大な書架なのだと知った後はもう、七重の心は書架にのみ向けられるようになっていた。
 この、果たしてどれほどに大きいのかも解らない図書館は、ロン・リルフォードという男が司書を務めている、ロンが有する異界だ。ここを訪れるためにはロンによる認可が必要となる。七重は他に来訪者の気配のないエントランスを歩き進めながらポケットを探った。――ポケットの中に入館のためのカードをしまいこんでいるのだ。が、七重がカードを手にするよりも先に、英国紳士のような出で立ちの青年がひとり、エントランスの向こうから姿を見せて笑みを浮かべた。
「カード提示は結構ですよ、尾神七重さん」
 青年はそう言ってわずかに目を細めた。
 七重は青年の声に顔をあげて、声の主が司書であるロンであることを検めると、深く礼を見せてから口を開けた。
「お久しぶりです、ロンさん」
「調べものですか?」
 問われ、七重はゆるゆると首を縦に動かす。
「先日、新しい依頼を請けたんですが、ちょっと解らないことがあって」
「なるほど。それで、どういったタイトルをお探しですか?」
「はい。……ええと」
 うなずきながら、カバンに収めてきたメモ帳を取り出す。
 先だって請けたばかりの依頼の内容は、ネットを媒体としたものだった。電子回路を利用してヒトの理を外れた外界からなにがしかを喚び出そうとする試みは今に始まったことではないが、最近はそれを集団で行おうとする、いわばカルトじみたグループが出来ているのだという。個々よりも群でのほうが当然に影響力は高くなる。まして、そのグループを統率しているのが人間の身体に入り込んだ外界の一端であるというのであれば、なおさら。
「なるほど。それでは今回七重さんが調べたいここというのは」
 七重の説明に耳を寄せていたロンは。穏和な微笑みをたたえたまま、わずかに視線だけを斜め下に移ろわせた。
「はい。改めて、魔術やそういった系統に類する資料に目を通しておきたいんです」
「しかし、七重さんはこれまでもあらゆる魔術書に目を通していらしたのでは?」
「はい。知りうるかぎりの書物には触れてきたつもりです。もちろん、一般的には知られていないようなものも」
 ロンの目を見据えながら、七重はうなずく。
 こうしてロンの目を見ていると、深い、底の知れないような暗い闇の奥底を覗き込んでいるかのような錯覚をすら覚える。けれど、不思議と恐ろしさは感じない。心地良く身を沈めておけそうな、安堵の闇だ。
 ロンは七重の言をうけて一度だけうなずくと、静かに数歩ほど歩み進めた後に振り向いて口を開けた。
「ご案内します」

 図書館内は途方もなく広い。七重が生をうけた世界の他にも世界は存在するのだというが、そのあらゆるすべての世界の本のすべてがこの図書館には揃えられているらしい。果たして何冊――何万冊あるのかと興味も持ったが、それを訊いてみようとは思わなかった。たぶん、訊いたところで、司書は微笑を曇らせることもなく首をかしげてみせるだけだろうと思ったからだ。むろん、ロンにはその数は把握出来ているはずだ。けれど、その数を、七重が、司書以外の者が知る必要はまったく無いのだろうから。

「図書館内の温度設定は常に一定を保っています。もちろん湿度や光源、あらゆる環境が常に一定であるように保たれているのです」
 ロンの声を聞きながら七重はうなずく。四季を問わず、まして昼夜を問わず。ここはいつ訪れてもいつでも同じ環境で調えられている。それはおそらく、来訪者のために調えられているのでは決してなく、広大な図書館に収蔵されている数多の蔵書のためなのだろうけれど。
 ロンは七重を案内している間にも、時々思い出したように口を開く。出過ぎるのではなく、また、その内容も七重の好奇に沿ったものであることも手伝って、能弁を嫌う七重も心地良く耳を傾けていることが出来るのだ。
 途中、横目に、過ぎていく書架の数々も検める。ゆるやかな曲線を描いた書架は、視界にうつる場所よりももっとずっと向こうにまで続いている。図書館内の書架やインテリアにいたるまで、空間内には直線や鋭角といったものはひとつもない。見上げれば螺旋を描き伸びている書架がはるかな高みにまで続いているのも見える。
 七重の縁故者の中には、こういった場所に並ならぬ好奇を示す者も少なくない。彼らがこの場所に足を運んだことがあるかは分からないが、もしも仮にこの場所に立ち入ったことがあるとすれば、あるいは立ち入る機会を得れば、彼らはきっと一様に同じことを思うだろう。「この場所に逗留し続けたい」と。
 七重がぼんやりと考えていたことを察していたかのように、ロンが肩越しに振り向き、ゆっくりと目を細めた。
「これよりご案内するのは、あらゆる世界に存在するすべての魔術書が収められている書架です。少しクセの強い本が集められているので、お取り扱いにはくれぐれもご注意を」
 言われ、七重は言葉なくただうなずく。
 図書館内は確かにどの場所に足を向けても、完璧なまでに環境が調えられている。だが、今、ロンによって案内されているこの辺りは、なぜか少しだけ薄暗く感じられるのだ。どこからか小さな歌声のようなものも聴こえ、空気もひやりと冷たさを帯びている。
「先ほども申し上げましたが、当館内は光源、湿度、気温、あらゆる環境を全館において一定であるように留意しています。しかし、書架によっては、収蔵されている書物の性質上、どうしても影響をうけてしまう一郭もあります」
 ロンの声が七重の意識を呼び寄せた。七重ははっとして周囲を見渡し、それからロンの顔に目を向ける。
 ロンはいつもと同じ微笑みを浮かべ、小さくうなずいてから足を止めて腕を広げた。
「この一帯が、魔術書に関する書架となります。七重さんがお探しのものも必ずあるでしょう。タイトルを探すお手伝いをしましょうか?」
 七重は首を振る。
「大丈夫だと思います」
 “クセの強い”。ロンの言葉が持つ意味を、七重は理解出来るような気がした。この図書館ではあらゆる者のあらゆる能力が無効化する。それはロンがそういった者を許さないためだ。純粋に頭だけで対抗するとなれば、おそらく、ひねた魔術師では書架に並ぶ書物たちによって追い帰されるのがオチだろう。
 ロンはやはり穏和に微笑んだまま、「ならばこれをお持ちください」と言って、書架の隅からカンテラをひとつ持ち出した。
 ロンが小さく息を吹きかけると、カンテラは刹那小さく震え、ふっとオレンジ色の灯りを点けてみせた。
「闇に呑みこまれないよう、お気をつけて」
 言いながら七重の手にカンテラを渡す。
「ありがとうございます」
 受け取りながら、七重はそっと背筋を伸ばした。
「禁帯出は守ります。肝心な部分のメモ書きも、許してもらえるかどうかわかりませんが……」
 風のない場所であるはずなのに、カンテラの中の灯りが小さく揺れる。さわさわと空気がざわめく気配がした。
「温かいお茶を用意して、お待ちしています」
 ロンが微笑む。そうして七重に一礼すると、そのまま、再び静かに姿を消した。 
 
 ロンの気配が遠くなると、一帯を照らす光源はもう一段階ほど暗くなった。夕闇の押し迫る部屋の中のような薄暗さだ。なるほど、これではカンテラななければ不便をきたすだろう。
 オレンジ色の灯りが薄闇をゆらゆらと波打つように照らす。自分の背丈よりも二倍の高さはあるであろう書架を仰ぎながら、七重は唇を結んだ。
 気後れしてしまいそうになるほどの圧迫感、タイトルを流し見るだけで頭の隅が痺れそうになる感覚。これは七重がまだ未熟であるということなのか、それとも誰しもが平等に抱く感覚であるのか。
 カンテラの灯りが、七重の心を誘うように揺れる。まるで「こちらへ」とでも言われているかのようだ。
 七重はその灯りの揺れるままに歩みを進めた。

 フレーバーティーの香りがたちこめている。リンゴの芳香に似たそれに眦をゆるめながら部屋の中に踏み入ると、テーブルについていたロンが「こちらへどうぞ」という仕草で椅子のひとつを示した。
 七重は小さく頭を下げた後、示された椅子に腰を落とし深い息をひとつ吐いた。
「いかがでしたか?」
 ポットから紅茶を注ぎながらロンが問う。七重は「はい」とうなずき、差し出されたカップに指を伸ばした。
「確かに“クセの強い”本ばかりでした」
 目を瞬きながら応えると、ロンは「そうでしょう」と言って小さく笑った。
「これまでも何人かをあちらにご案内したことがあります。しかし、その大半が、“彼ら”によってあしらわれ、追い帰されてしまう。……七重さんならば大丈夫かと思いましたが」
「はい。……その、大変でした」
 迷いの国に入り込んでしまったアリスは、きっとこういう気分でいたのだろうかと考えながら、ロンが淹れた紅茶で喉を潤す。気持ちが一息に落ち着きを取り戻していくのが分かった。
 小さなテーブルを挟み、ロンが紅茶を口に運びながら微笑んでいる。
「メモ書きなどは許してもらえましたか?」
「ええ、なんとか」
 言いながらメモ帳を開いてみた。そこにしたためてきた記録に目を落として、七重は「あ」と小さく口を開けた。
「どうしました?」と、ロンが問う。七重はしばし呆然とした顔を見せていたが、ロンがわずかに首をかしげると、そろそろと窺うような表情を浮かべてメモ帳を広げて見せた。
 細い罫線の引かれた、変哲のないノート。その上に、踊るように散らばった文字がしたためられている。中には紙面から逃れようとしたのか、文字の半分だけを紙上に残した状態のものもあった。
「なるほど、してやられましたね」
 ロンが小さく喉を震わせた。
「僕は確かにちゃんと」
 言いかけて、もう一度メモ帳に目を落とす。もう、文章らしい痕跡を少しも残してはいない文字の配列がそこにある。
 七重は首をすくめてため息を落とした。
「禁帯出、ということですね」
 情報はすべて己の記憶の中にのみ残すことを許される、ということか。
 ロンが穏和な笑みをのせたまま、静かにカップを口にしている。七重はメモ帳を閉じてカバンにしまった。
「もう少しゆっくりしていきますか? 当館はあなたを心から歓迎しているのですから」
「……そうします」
 外に戻ればまた忙しない日常に戻るだけ。今は少し、この、不思議に心地良い場所で休もう。
 カップを口に運ぶ。
 小さな歌声が聞こえたような気がして目を落とすと、カバンの中からそろそろと文字が抜け出しているのが見えた。





ご発注、まことにありがとうございました。お届けが遅れてしまい、大変に申し訳ありません。
こ、今年の夏も凶悪です。わたしが言うのもなんですが、体調など崩されませんよう、ご自愛くださいませ。

七重様にはいつもご愛顧いただき、ありがとうございます。ロン様には、初めまして。イメージや口調その他を崩していなければ良いのですけれども。

少しでもお気に召していただけましたら幸いです。
それでは、またのご縁、心よりお待ちしております。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
櫻井 文規 クリエイターズルームへ
東京怪談
2011年07月12日

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