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『始まりの、その日。〜きざはし、のぼって 』
玖堂 柚李葉(ia0859)

 それが本当は意味のない行動だって事は、佐伯 柚李葉(ia0859)にだって解っていた。髪型や、衣装や、持ち物や。そういった外見を大人びたものに変えたって、自分自身が大人になれる訳じゃない。
 けれども、そうやって大人の姿に近付いて、少しでも大人になった気持ちになって、今までとは違う一歩を踏み出す勇気を仮初めにでも手に入れることが、今の柚李葉には必要だったから。

「よく似合ってるわよ」

 にこにこと、まるで少女のように笑って愛娘の姿を天辺からつま先まで嬉しそうに見つめる、養母の言葉にはにかんだ笑みを返す。時にはまだ大人とは言い難い柚李葉よりも幼い印象を見せる養母は、けれどもやっぱり柚李葉よりも遙かに大人なのだ。
 それを何となく不思議で、何となく嬉しい気持ちで噛みしめる。噛みしめ、養母をまっすぐ見つめる。

「お養母さん、行って来ます」
「行ってらっしゃい、柚李葉。気をつけてね」

 そうして告げた出立の言葉に、返ってくる声は穏やかだ。だからほっと安堵して、はい、と柚李葉は頷いた。頷き、花謳へと振り返って微笑みかけると、その背にするりと滑り上った。





 いつか、本宅へ来て欲しいと告げる玖堂 羽郁(ia0862)の誘いに、頷く勇気が持てたのは、この春先の事だ。それから訪ねていく日取りを相談して、ようやく今日の日を迎えて。
 身につけているのは、今日のために用意した服。今までよりほんの少し大人びたその服からも、小さな勇気を借り受ける。
 それに――

(大丈夫、一人じゃないから)

 そっと、手を伸ばして花謳の首筋を撫でた。眼下にはまだ小さな、けれども十分大きなお屋敷。あそこに待っているのが見知らぬ誰かではなく大好きな羽郁だと解っていても、たった一人で辿り着くにはきっと、想像を絶する勇気が必要だったに違いない。
 けれども、柚李葉の側には花謳が居る。たった一人で赴くのではないのだと――触れた相棒に、また幾ばくかの勇気をもらう。
 そんな勇気を大切に胸に抱いて、ゆっくりと高度を下げていった。次第にお屋敷が大きく、目の前いっぱいに広がり始める。と同時にお屋敷の方からも一頭の龍が、柚李葉達を目指して飛んでくるのが見えた。
 羽郁の愛龍・帝星だ。
 目を凝らせば背に乗っている羽郁の姿も見えて、ほっ、と知らず安堵の息を漏らした。花謳に帝星の傍へ行くよう頼んで、ゆっくりと近付いていく。
 帝星の背にいつもと変わらぬ姿で乗っていた羽郁の姿が、やがてはっきりと見えてきた。同時に羽郁の、柚李葉の姿を見て同じくほっとしたような、とても嬉しそうな笑顔。

「迷わなかった?」
「ううん。あの、もらった地図がすごく、解りやすかったから」

 そうして尋ねられた言葉に、ふる、と首を振る。実際その地図はすごく解りやすかったし、近づいてきてからは間違えるのが難しい位に、玖堂の本邸はひどく大きい。
 そっか、とまた羽郁が安堵の息を吐く。それから改めて柚李葉の姿を、小さな勇気をもらったその服を、目を細めて見つめると「よく似合ってる」と微笑んで。
 姉達も待っているからと、帝星の首をめぐらせた羽郁の後について、柚李葉も花謳に乗り、お屋敷へと舞い下りていった。近付くにつれて次第に、そのお屋敷が東西南北の四つの対屋で成り立って居ることや、見事な広い庭が丹精されている様子が、くっきりと見て取れる。
 羽郁が帝星を着陸させたのは、そんな対屋からは少し離れた広い庭だった。それに倣って花謳も帝星の隣に舞い降りる。
 そうして花謳の背中から滑り降りると、側に駆け寄ってきた使用人らしき男が、二ノ君様、と呼びかけた。それに頷いた羽郁は何事かを彼に告げ、それから柚李葉を振り返る。

「柚李葉。すぐに案内の女房が来るから、先に父上達のところに行っててくれるかな? 俺も着替えたらすぐに行くから」
「う、うん」

 頷いた柚李葉を、安心させるように羽郁はにこっと微笑むと、小走りでどこかへ行ってしまった。言われた通りにしばらく待っていると、やがて案内を頼まれたらしき女房がやってきて、すい、と軽く頭を下げる。

「郁藤丸様――二ノ君様のお客人でいらっしゃいますか」
「は、はい」
「御主殿と二ノ姫様の所へご案内致します。こちらへ」

 それだけ言って、柚李葉がついてくる事を疑わぬ風でくるりと背を向けたその女房に、はい、とまた小さく呟いた。その声を聞いて何を思ったのだろう、女房は半身だけを振り返らせると、ふわ、と小さな微笑みを浮かべる。
 ぁ、と知らず、声を漏らした。雅な装いを見て、やはり自分は場違いなのではないかとほんの少しだけ考えた、その心を女房は気付いて、そうして安堵させようとしてくれたのだと、解ったから。
 だからぺこんと小さく頭を下げて、その後に続いた。階から上がり、よく磨かれた白木の廊を滑るように、ただ女房の背を見つめて歩き続ける。
 その歩みがやがて、ぴたり、と止まった。こちらにございます、と軽く柚李葉に頭を下げた、その部屋の中を恐る恐る覗き込む。
 そうしてそこに居た、既知の姿にほっ、と息を吐いた。

「真影さん」
「柚李葉ちゃん、いらっしゃい!」

 安堵を込めて名を呼んだのに、応えてぱっと顔を輝かせたのは、玖堂 真影(ia0490)だった。いつもとは違った、唐紅に金糸で椿の刺繍を施した小袿を身に纏い、ぴんと背筋を伸ばしてお行儀よく座っている。
 その傍ら、上座に座ってこちらに軽く会釈したのは、羽郁と真影の父である玖堂 紫雨(ia8510)。やはり彼もまた、黒を基調とした普段の装いとは異なる、薄紫に銀糸で菊花を刺繍した狩衣を身に着けていて、改まった雰囲気だ。
 同じいつもとは違う装いでも、大人の装いから勇気を貰った柚李葉のそれとは違うのだろうな、と何となく思う。思って、養母が良く似合っていると言ってくれた、少女のように嬉しそうな微笑を胸に思い浮かべる。
 勧められた円座に座ろうとしたら、羽郁が姿を見せた。薄青の狩衣に着替えたその姿は、凛々しく涼やかだ。涼やかなまま、遅れてきた事を父と姉に詫び、それからにこっ、と柚李葉に微笑む。
 うん、と頷いた。頷き、今度こそ円座にちょこんと座って、養母と何度も練習をした挨拶を口に載せた。

「このたびはお招き頂きまして、本当にありがとうございました。こちらは養母からです」
「佐伯殿が来られるのを楽しみにお待ちしてました。我が家と思って、ゆっくり寛いでください」

 すい、と差し出した菓子折りの箱を、受け取った紫雨が艶やかな笑みでそう告げる。その微笑みも、柔らかな真影の眼差しも、励ますような羽郁の笑顔も、まるで本当の家族に対する時のように、暖かい。
 お嫁に行くってこういう事なんだな、と思った。柚李葉の事を暖かく迎えてくれる、この人たちと家族になる、という事。この人たちを義父と呼び、義姉と呼ぶようになるのだ、と言うこと。
 その場面を想像していたら、紫雨が申し訳なさそうに柳眉を曇らせて、これからまた仕事に戻らなければならない非礼を告げた。実は、と口を開く真影もその紫雨の手伝いに戻らねばならないのだと言う。
 忙しいのに、わざわざ柚李葉のためにこうして時間を作り、出迎えてくれたのだ。そう思うとまた、この人達の暖かな優しさが胸に迫ってきて。
 申し訳ないと、頭を下げて揃って退出していく2人を、見送った。それから羽郁に誘われて、彼の自室に足を運び、本邸に保存してあるという羽郁達の絵姿を見せてもらう。

「こっちが俺の元服の時。こっちが姉ちゃんの裳着で――」
「これは、子供の頃?」
「うん。庭で舟遊びをした時のかな。家族全員で描いたのもあるよ」

 羽郁が作ったお茶菓子とお茶を楽しみながら、羽郁が1枚、1枚解説してくれるのを聞いて、その絵姿に目を落とした。家族全員、と言っても羽郁と真影の母は双子を出産した折に亡くなっているから、そこには描かれていない――両親揃った絵姿は、紫雨が大切に持っているのだと言う。
 だから見せられないのだと、残念そうにそう告げた、羽郁にふる、と首を振った。これまでの絵姿だけでも、彼らの家族仲がひどく良い事は伝わってきたし。あの紫雨が大切に持っていると言うのだから、それは彼にとって本当に大切な思い出なのだろう。
 そんな人達の、家族になるのだ。羽郁のところに嫁ぐと言う事は、そういう事なのだ。
 ――いつか。この人たちを、私の大切な、大好きな家族です、と呼ぶ日が来る。大好きで大切な養母のように、胸を張って。





 夕暮が近くなると、ひょこ、と羽郁の部屋に顔を出した真影に連れ出された。夜は親戚の人たちが集まって、ちょっとした宴会が開かれるのだと言う。ちょっとした、と言ってもこのお屋敷の規模を見れば、それが相当に大規模で本格的なものなのだろう、と想像はついた。
 何しろ迎えに着た真影からして、装いこそ昼にあった時と変わりはしないけれども、頭には後ろ髪の鬘を被っている。そうするとただでさえお姫様然としている真影は、すっかり絵物語に出てくる姫君そのもので。
 だが当の真影はまったく気にした様子もなく、柚李葉を幾つかある部屋の一つに連れて行くと、そこに用意されていた綺麗な小袿に着替えて、と告げた。青緑で銀糸に藤花の刺繍を施した、それはそれは綺麗で鮮やかな小袿。
 女房達の手も借りて小袿を纏い、薄化粧を施され、よく髪を梳って藤の造花の簪を挿し。そうするとまるでお姫様みたいだと、自分で自分の姿を見下ろして、ため息を吐く。
 そんな柚李葉を見て、真影が満足そうに微笑んだ。

「やっぱり、よく似合ってる。きっと、柚李葉ちゃんに似合うと思ったの」
「ありがとう、真影さん」

 はにかんで応えると、真影がぎゅっ、と柚李葉の手を握った。そうして並んだ様子を、ちらり、姿見で見てまた、良かった、と安堵の息。
 こんな綺麗な小袿なんて、着るのはもちろん、見るのだってめったにないくらいだし、ちょっと照れる。けれども真影とお揃いで、そうして何より若君姿になるのであろう羽郁とも釣り合えるなら、すごく嬉しい事だ。
 その思いは、そのまま一緒に手を繋いで向かった宴席で、柚李葉はその思いを強くした。さすが、大きなお屋敷の宴会だけあって、集まったのは真影や羽郁、紫雨と似たり寄ったりの、とても煌びやかな衣装に身を包んでいる人ばかりだったから。
 真影とともに現れた柚李葉を見て、すでに座っていた羽郁が眩しそうに目を細める。そんな彼の隣に当たり前に座り、紫雨が柚李葉のことを居並ぶ人々に紹介して、そうして宴会は始まった。
 運ばれてくるお料理も、見るもの何もかもが珍しく、そうして何より美味しくて。知らず、並ぶお料理を黙々と食べる事に精一杯になる柚李葉の前にも時折、玖堂家の親戚の人々が膝を進めては、自己紹介をしたり、柚李葉を誉めそやしたり、これから宜しくと頭を下げたりしていった。
 そのたび、少し身を固くしていると、ぎゅ、と傍らから手を握られる。柚李葉よりもずっと大きくて、暖かくて、頼もしい、羽郁の手。それにほっと息を吐き、同じようにぎゅ、と握り返して、勇気を貰って胸に抱く。
 きっと、とても普段の自分では落ち着かないような、賑やかで格式高い宴席で最後まで微笑んでいられたのは、だからだ。次から次へとやってくるお料理が、どれも美味しいと感じることが出来たのは、手の中の温もりと、時々話しかけてくれる紫雨と、そうして困ってしまうたびに助け舟を出してくれる、羽郁と真影のおかげだ。
 今も、佐伯の家の事を何くれと聞いてきた親戚を、やんわりと、けれどもきっぱりとした口調で退けた真影が、ねぇ、と何でもない事のように柚李葉を振り返った。

「柚李葉ちゃん。柚李葉ちゃんの笛、聴きたいな」
「え?」
「それは良い。佐伯殿がよければ、笛の音に合わせて一指し、舞ってみようか――お前はどうする?」
「俺は柚李葉と笛を合わせてみようかな」

 同じくなんでもない事のように、娘の言葉に父が応え、父の言葉に弟が応じる。そうして「どうかな?」と向けられた眼差しに、うん、と柚李葉も頷く。
 宴席には庭から花謳も、美味しいご飯を貰って帝星と一緒に寄り添っていた。その傍らにそっと立ち、愛笛を懐から取り出してそっと、唇に添える。帝星の傍らには羽郁が同じく、持ってこさせた笛を手に、問いかける眼差しを向けていた。
 それに目顔で頷いて、すぅ、と息を吸い込む。吸い込み、祈るような気持ちを込めて、添えた笛に息を通す。
 伸びる、澄みやかな音に耳を傾けた。絡むように伸びてくるもう一つの笛の値に心を寄せて、舞を踏む音を聞き、嬉しそうに見つめる眼差しを感じる。
 どうかこの笛の音に乗せて、これほどの持て成しをしてもらった感謝の気持ちが、皆に伝わりますように。この人達が大好きなのだと、皆に届きますように。
 ――その日の夜は、真影と一緒に並んで眠った。と言ってもずいぶんと夜遅くまで、明かりを消した後もお喋りをしていたのだけれども。

「今日はありがとね、柚李葉ちゃん」

 はぎゅっと、薄暗がりの中で柚李葉を強く抱き締める真影の体温を感じて、気持ちを感じて、眩暈のような心地がする。こうして抱き締められる事が嬉しいと、素直に感じる。
 けれども、こうして全身での好意を向けられて、嬉しいと感じるのは、それに甘えてしまうのは、良いんだろうか? 幸せだと、自分が感じて良いのだろうか。

「ありがとう、真影さん。真影さんの事、大好き‥‥幸せばかり貰って、ごめんね?」
「あたしも柚李葉ちゃんの事が大好き! 羽郁に負けない位ね♪」

 おず、と柚李葉が告げた言葉に、ふふ、と嬉しそうに笑った真影の腕に力がこもった。溌剌とした、いつでも真っ直ぐな感情を向けてくれる人。だからこそ、その言葉が嘘ではないと素直に信じられる人。
 うん、とだから頷いた。頷いて、貰った気持ちをまた大切に胸に抱く。この気持ちもまた、大切な勇気なのだと噛み締めて。





 翌日は、朝から句倶理の里の観光に出かけた。携えていくのはもちろん、羽郁のお弁当。羽郁は藍色の狩衣を身に纏っていて、真影の方は橙色の布地に紅糸で椿の刺繍をした小袿を、腰で結わえて整えていて。

「句倶理は香が特産なんだ」
「屋敷の麓には香木の森があるの。帰りに案内するわね」

 そう言った羽郁と真影の後に続いて、柚李葉はきょろきょろと辺りを見回しながら、賑やかな里の様子を見学して回る。まずは里人の集落を通り抜けて、畑や田んぼを見て周り、その中にある調香工房の見学をして、原料となる香木を見せてもらったり、合わせ終わった香を試しに聞かせてもらったり。
 そのどこに行っても、気さくに声をかけられる双子達を眩しく見つめる。彼らの客人だという事で、柚李葉にも里人は暖かな眼差しを向け、ようこそ、と歓迎してくれた。

(興行で来た事、あったかな‥‥?)

 そんな人々にぺこんと頭を下げて、またあちらこちらを見回しながら、柚李葉はぼんやりと幼い頃を思い返す。旅の一座は本当に、色んな所を巡って興行をおこなったから、もしかしたら句倶理の里にも来た事があったのかもしれない。
 けれどもその頃の柚李葉には、句倶理の里は特別な場所ではない、ただの通り過ぎる興行地だっただろうから。どんなに記憶を探っても、ここに来た事があったかどうかは思い出せない。
 それを残念に思いながら、柚李葉は句倶理の里を案内されるままに、歩いて回る。紹介される一つ、一つを興味深くじっと見つめ、記憶に刻み込み、向けられた笑顔に笑顔を返す。
 お昼は、お屋敷の麓に広がる香木の森の中でお弁当。森の心地よい空気を味わいながら、美味しいお弁当をお腹一杯詰め込んで、どんな香木が取れるのか説明を聞く。
 そうして本邸に戻って庭を案内してもらい、真影に今度は本邸の四つの対屋も案内をしてもらって。

「この西の対屋があたし達の部屋。南は執務関連の部屋があって、東には厨や浴室があるの」
「そうなんだ」
「北の対屋は父様の居室があるの。母様もそちらで暮らしてたんですって」

 対屋同士を繋ぐ廊を歩きながら、指をさして説明する真影にこくりと頷く。そうして、中も案内するわね、と告げた真影とその傍らを歩く羽郁の後ろについて歩き出した、その時だ。
 さっと、柱の影から現れた人影。掬い上げるように柚李葉を横抱きにして、悲鳴を上げる暇もないほどに素早く走り出した、背の高い人物。
 びっくりして声も上げられずに居た柚李葉の耳に、悲鳴とも怒号ともつかない羽郁と真影の声が届いた。けれどもそれに応えなかったのは――声を出そうとした寸前、自分を横抱きにして走る人の顔が、見えたからだ。
 その人は柚李葉にはもう覚えていられないくらい屋敷の中を複雑に走り抜け、双子達を十分に引き離したと見ると、やっと足を止めて下ろしてくれた。そうしてまっすぐに柚李葉を見下ろして。

「――突然、ご無礼を、佐伯殿」
「い、いえ、あの‥‥ちょっと、びっくりしましたけど」

 そうして詫びの言葉を口にした紫雨に、なんと応えたものか柚李葉はもごもごと、口の中で幾つかの言葉を転がした。きょろ、と辺りを見回してもやっぱり、ここがどこか解らない。
 けれども一度も屋敷の外には出ていないし、自分を連れてきたのが紫雨である以上、ここは先ほど真影が説明してくれた北の対屋なのだろうか。そう思っていたら、その通りです、とまるで胸の内を見透かしたように紫雨が微笑んだ。
 それから今度は柚李葉の手を引いて、ゆっくりと歩き出す。それに逆らう気は不思議とせず、大人しくついて歩いた先は隅に茶の湯も嗜めるよう小さな囲炉裏を切った、簡素な部屋だ。
 簡素だけれども、何だか暖かい。調度品にも華美なものはないけれども、不思議とどこか、心惹かれる。

「亡き妻の部屋です。真影も羽郁も、この部屋に入ったことはありません」
「ぇ‥‥? あの、そんな大事なお部屋に私が入っても、良いんですか?」

 そうして告げられた紫雨の言葉に、びっくりして柚李葉は目を丸くした。亡き妻、という事は羽郁と真影の実母の部屋だ。その子供である2人が入った事のない部屋に、まだ家族ではない柚李葉が入ってしまっても、良いのだろうか。
 そう、柚李葉は心配になったのだけれども、問題ないと紫雨は首を振った。それから柚李葉に座るよう促して、部屋の隅に用意された茶の湯の道具をそっと取り、慣れた手つきで茶を点て始める。
 しゅこしゅこしゅこ‥‥
 柔らかな音を、じっと聞く。聞きながら視線を巡らせ、やはり女性の部屋と思うには些か簡素で、けれどもどことなく柔らかな印象のある、部屋の中を失礼にならない程度にじっと見つめる。

「妻は」

 すい、と。茶碗を柚李葉の前に滑らせながら、紫雨が穏やかに呟いた。

「とても男勝りで、腕っ節も強い志士でした。質実剛健、己を飾る事をしないからこそ、その美しさが際立つ――そんな姫で」

 懐かしさに緩む眼差しに、これは紫雨の大切な思い出なのだと、感じる。だから受け取った茶碗で手の平を暖めて、はい、と一つ、頷く。
 そうして見せてくれたのは、紫雨が大切に持っているからと見られなかった、彼と彼の妻の絵姿だ。いまでも十分に若くて素敵な男性だけれども、今よりなお若く、そうしてどこか幼さも垣間見える紫雨と、その傍らに凛と立つ、いつか見せてもらった姫武者の姫。
 初めて出会ったのは、紫雨が13歳の頃だったと言う。修羅と菩薩を合わせたような、凛と気高く美しい姫に一目惚れをして、彼女を振り向かせるために苦心し、そうしてからは彼女との事を認めさせるためにまた苦心して。
 そうして苦心を重ねて娶った妻は、けれども我が子をこの世に産み落とすのと引き換えにこの世を去った。出会って、ともに過ごした日々はだから、あまりにも短くて。
 けれども、その思い出を語る紫雨の眼差しは、表情は終始穏やかで、彼にとってその思い出がひどく大切で、宝物なのだと感じられた。そんな大切な思い出を語ってくれるのが、彼の柚李葉への信頼の証であることも。
 だから、嬉しくなった。こんなにもたくさんの暖かさをくれて、勇気をくれて、歓迎をしてくれる人たち。いつか、この人達の家族になる日が、来るのだ。

「紫雨さん。あの‥‥こんなに良くして貰えるとは、思ってなくて‥‥ごめんなさいと、ありがとうございます。ちょっとお家が怖くなくなりました」

 夕暮の、少し前。そろそろ戻らないと心配するでしょうと、北の対屋の入口まで送ってくれた紫雨を見上げて、思い切ってそう告げたら、彼はちょっと目を見開いた。それからふぅわり微笑んで、ひょいと軽く膝をかがめて、目を合わせ。
 「柚李葉殿、貴女は我が氏族にとって新たな風となるかもしれませんね」と告げられた言葉は、やっぱり暖かい。それに何か応えようと、口を開きかけたら遠くから「あーッ!!」と大きな声が上がった。
 びくん、と驚いて振り返ったら、真っ直ぐこちらを見て、走ってくる双子の姿。くすくすと、楽しそうに笑う紫雨の笑い声。
 あれからずっと、2人は屋敷中歩き回って、柚李葉の事を探し回っていたらしい。それを聞いて、申し訳ない気持ちになった柚李葉を見て、紫雨がまたくすくす笑ったのだった。





 それからしばらくして迎えた夕食は、白身魚料理を中心にした、前日の宴会よりはささやかだけれども、やっぱり豪華なものだった。
 賑やかだった昨夜とうって変わって、部屋の中にいるのは柚李葉と羽郁、真影に紫雨だけだ。それにほっと息を吐き、大好きな白身魚料理を心行くまで堪能する。
 豪華でささやかで暖かな夕食が終わった後、羽郁に誘われて夜の庭へと2人で降りた。涼やかな風の吹く庭は昼間とは違った装いで、また知らない場所に迷い込んでしまったような気がする。
 そんな庭園の中を、2人、手を繋いで歩いた。昨日、今日と思い返して、お料理が美味しかった事とか、工房が珍しかったこととか、その他のたくさんの他愛のない出来事を唇に載せ、顔を見合わせてくすくす笑う。
 月が、綺麗だった。さやかに輝く月を見上げ、目を細めた柚李葉の耳を、不意に真剣な羽郁の声が打つ。
 柚李葉、と。呼ばれて、はい、と応えた。

「俺の真名は‥‥影真(かげざね)。この名に懸けて、改めて俺の心を君に捧げるよ、柚李葉」

 玖堂家の者は普段使う名とは別に、特別な名前を持つのだと言う。その名を告げるという事は、相手への信頼の証であり、命を預ける事でもあるのだと――その、特別で大切な名を、柚李葉に教えてくれたのだ。
 しばし、声もなく柚李葉は羽郁を見上げた。見上げ、真っ白になった頭でじわじわと、告げられた言葉を、真名を、その意味を――柚李葉を見下ろす彼の、真剣な眼差しを、噛み締める。
 そうして。

「あり、がとう‥‥羽郁、ありがとう。ずっと気遣ってくれて。大事な名前を教えてくれて‥‥」
「柚李葉」
「ありがとう、本当にありがとう。羽郁‥‥大好き‥‥」

 応える声は、震えては居なかっただろうか。きちんと、自分は自分の想いを彼に、伝えられているだろうか。
 両手で彼の両手をぎゅぅッと握り締め、頭の端にそんな不安をちらりと過ぎらせながら、それでも柚李葉は精一杯の感謝と気持ちを言葉にした。必死の想いで、どうかこの両手からも気持ちが伝わりますようにと、願いを込めて言葉を紡いだ。
 そんな2人の様子をただ、さやかな月だけが空高く、見守っていたのだった。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /   PC名   / 性別 / 年齢 /  職業 】
 ia0490  /  玖堂 真影  /  女  /  18  / 陰陽師
 ia0859  / 佐伯 柚李葉 /  女  /  16  /  巫女
 ia0862  /  玖堂 羽郁  /  男  /  18  / サムライ
 ia8510  /  玖堂 紫雨  /  男  /  25  /  巫女

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
そして、大変にお待たせしてしまって本当に申し訳ございません(全力土下座

藤の君様のお宅デビュー(違)、如何でしたでしょうか。
精一杯なお嬢様は、いつも見てて微笑ましいです(笑
そしてお養母さん、なぜだかとてもお気に召して頂けていて、蓮華もとても嬉しいです!

お嬢様のイメージ通りの、一歩を踏み出す決意のノベルであれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
水無月・祝福のドリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2011年07月21日

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