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『始まりの、その日。〜込める決意 』
玖堂 真影(ia0490)

 広い本邸の一室で、上座に座る父の傍らに端然と座り、玖堂 真影(ia0490)はじっと待っていた。到着がもうそろそろだと、双子の片割れである玖堂 羽郁(ia0862)も先ほどから庭の、愛龍を待機させている龍留まりでずっと、彼女の訪れを待っている。
 彼女――佐伯 柚李葉(ia0859)。弟の大切な恋人で、真影にとっても大好きな大好きな友人である人。
 彼女が本邸に来てくれる事になったのは、この春先の事だと言う。それから彼女が訪ねてくる日取りを相談して、親戚達とも打ち合わせて、ようやく今日の日を迎えたのだ。
 だから。そわそわする弟の気持ちが、自分の事のように感じられて真影は、全神経を部屋の外へと向けながらじっと、部屋の中に端座していた。そんな娘の姿に、同じく待っていた玖堂 紫雨(ia8510)がくすり、と笑ったのを感じる。けれどもその父とて、真影と一緒に柚李葉の訪れを今か、今かと昼を過ぎた頃からずっと、時折は執務に席を外しながら待っていたのだから、笑われる筋合いはない。
 ふいに、部屋の外が騒がしくなった。走り回る人の動きが気配として感じられ、何より力強く空気を叩く龍の翼の音が聞こえる。
 来たのだ、と思った。思い、またちらりと父を見ると、うっすらと浮かべた笑みが深くなっている――父もまた、ずっと待っていた来客の訪れを知って、喜んでいるようだ。
 それからどのくらいを待っただろうか、一旦は静かになった部屋の外は、やがて再び騒がしくなった。じっと耳を澄ませてみると、先ほどは確かに1つだった龍の翼の音は、今は2つ。考えるまでもなく、愛龍の花謳と共にやってくると言っていた、柚李葉だろう。
 ほっと、無意識に安堵の息を吐いた。それからそんな自分を悟られまいとするかのように、ぴんと背筋を伸ばした真影は、自分自身の姿を確認する。
 開拓者として動いている時とは違い、邸内ではいつも小袿姿でいる真影の、今日の装いは唐紅に金糸で椿の刺繍を施した小袿。より正式な場では後髪の鬘も身につけるけれども、幾ら客人とはいえ友人でもある柚李葉を迎えるのに、そこまで改まった姿は必要ない。
 上座に座る父の姿もまた、当然ながら、開拓者として野に出る時とはまた違った装いだ。薄紫に銀糸で菊花を刺繍した狩衣姿は、つねの黒を貴重とした狩衣と同様に、父にはとても良く似合っている。
 そんな事を思いながら、再びじっと、彼女がこの部屋に案内されてくるのを、待った。まるで永遠とも思えるくらいに長い時間が過ぎて、やがて女房に案内されてやって来た彼女の姿を見た瞬間、ぱっと顔を輝かせる。

「こちらにございます」

 廊から聞こえる、自分とも弟とも馴染みの古参の女房の声。はい、と小さく頷いた声は、真影にもとても聞き覚えのあるもので。
 恐る恐る、何かを確かめるように部屋を覗き込んできた柚李葉の、覚えている頃よりほんの少し大人びて、けれどもいつもと変わらない姿を見て、ぱっと気持ちが明るくなったのを感じた。同時に、柚李葉がほっと安堵の息を吐く。

「真影さん」
「柚李葉ちゃん、いらっしゃい!」

 そうして、声色からしてほっとした様相で自分の名を呼んだ、久し振りに会う友人に今すぐでも駆け寄りたい気持ちを堪えながら、精一杯の親しみを込めて真影は彼女の名を呼んだ。名を呼び、記憶の中の彼女との違いを探すかのように、つま先からてっぺんまでじっと見つめた。
 本当の本当は今すぐ駆け寄って、抱き合って、元気だったのかと再会を喜び合いたい。けれども此処は玖堂の本邸、どこに目があり、耳があるか解らない場所だ。そうして自分の不用意な『次期長に相応しからぬ』行動が、自分自身の足を引っ張るだけならまだ許せるけれども、自分の周りにいる大切な人を、そうして何よりこれからこの家に溶け込んでいかなければならない大切な友人を、苦しめてしまいかねない事も知っていた。
 だから、じっと堪えて、大人しく。そう、自分に言い聞かせて真影は柚李葉に、用意した円座に座るよう奨める。それにこっくり頷いて、彼女がちょこんと円座に座ろうとした瞬間、ようやく羽郁が着替えを終えてやって来た。

「遅れてすみません」

 そう、軽く頭を下げながらも眼差しはそこに居る柚李葉に向け、ほっと息を吐いている弟は、薄青の狩衣姿。髪と瞳の色に合わせた、青を基調とした衣装が彼には良く似合うと、真影はいつも思っている。
 羽郁はきちんと形に則って遅れた非礼を詫びた後、ほっとした様子で彼を振り返った柚李葉の顔を覗きこみ、遅れてごめんね、と小声で囁き微笑んだ。うん、とそれに彼女は小さく、信頼の頷きを返す。
 そうして彼女が今度こそちょこんと腰を下ろした、円座の隣に用意したもう一つの円座に羽郁も座り、ぴん、と背筋を伸ばしてこちらを見た。それに並んで、同じくぴんと背筋を伸ばした柚李葉とは、まるで一対の人形のようで。
 彼女は真影と紫雨をまっすぐ見つめ、ぺこり、と頭を下げた。

「このたびはお招き頂きまして、本当にありがとうございました。こちらは養母からです」
「佐伯殿が来られるのを楽しみにお待ちしてました。我が家と思って、ゆっくり寛いでください」

 すい、と柚李葉が差し出した菓子折りの箱を、受け取った紫雨が艶やかな笑みでそう告げる。実際、父ときたら時として、真影や、どうかしたら羽郁以上に柚李葉が来るのを楽しみにしているんじゃないか、と感じられるくらい――もちろん、真影を相手にそこまで己の内面を曝け出す人ではないから、あくまで受けた感じだが――彼女の訪れを楽しみにしていたのだから、嘘じゃない。
 そんな紫雨の言葉に、柚李葉もほっとしたようで、はにかんだ笑顔になった。そうして真影から見ても解るくらいに、ほッ、と肩の力を抜く。
 父の言葉か、もっと他の理由なのか。少なくとも、彼女から僅かなりと緊張が抜けたのは良い事だと、真影もまたほっと胸を撫で下ろす。
 そんな娘と息子のタイミングを見計らったように、実は、と父が口を開いた。

「ゆっくりと佐伯殿とお話をしたいのは山々なのですが――私はこれから、仕事に戻らねばならないのです」
「‥‥ぁ! ごめんなさい、柚李葉ちゃん。あたしも、父上の手伝いがあるの」

 父の言葉にはっと思い出し、真影も慌ててそう言って、ごめんね、と両手を合わせた。父自身が柚李葉を待っている間も執務のために何度か席を外したように、真影もまたその父を手伝って、そうして父の仕事を覚えるために、何度か席を外していたのだ。
 だから。せっかく久しぶりに会えたのにと、名残惜しい気持ちを抱えながらも、これは仕事なのだからと自分に言い聞かせて、すっと席を立った父に続いて真影もまた、その部屋を後にした。そうして娘がついてくるのを待っている父に、軽く会釈してその後について歩く。
 句倶理は、人口約300人程度からなる里だ。特産品である香木の出荷で生計を立て、里で消費するわずかな作物を田畑で育てる、そんな里。
 その長である紫雨の仕事はと言えば、そう言った特産品の出荷による収支の確認や、あるいはこれから夏から秋にかけて目白押しに行われる祭事に関する決裁まで、多岐に渡っていた。もちろん、それらの書類を右から左に流していくだけではなく、きちんと目を通し、不明な点があれば担当の者を呼びつけ、時には再調査なり、再検討なりを命じなければならない。
 そんな父の執務を、真影もここしばらくずっとすぐ側につき従い、手伝いながら学んでいた。次期長となるからには、こう言った執務を覚えるのも彼女の重要な仕事だから。
 だから、それに不満はない。不満はない、けれども調香工房からあげられた決裁書類をめくりながら、ふぅ、とため息が漏れたりはする。
 今頃、柚李葉達は羽郁の部屋で、羽郁が数日前から腕によりをかけて作っていたお菓子を食べながら、同じく数日前からかき集めていた家族の絵姿を見て過ごしていることだろう。その場に居合わせたかったなとも、ほんのちょっぴりだけは思っていたのだった。





 夕方、事前に父の許可を得て執務から離れた真影は、先に自室に戻って後髪の鬘をつけると、うきうきとした足取りで弟の部屋に向かった。
 今夜は親戚達を集めて、羽郁の未来の花嫁である柚李葉の、実質上のお披露目を行うことになっている。だからその宴のために、柚李葉を腕によりをかけて飾り上げて、集まった親戚連中の度肝を抜いてやろう、と決めていた。
 だからひょこ、と羽郁の部屋に顔を出して、談笑をしていた柚李葉を連れ出す。彼女を着替えさせる事は羽郁も、紫雨も承知していたことだったから、よろしく頼むな、と無言で向けられたまなざしに、当たり前でしょ、と頷いた。
 柚李葉を、今日のために準備しておいた小袿を用意してある部屋へと、つれていく。そうして目を丸くした彼女に、この小袿に着替えてね、と告げた。
 それは彼女に似合うだろうと思い描いた、青緑の布地に銀糸で藤花の刺繍を施した小袿。弟の好きな、そうして彼自身を表す印でもある藤の花が咲き誇る、小袿を女房達にも手伝わせて柚李葉に纏わせると、ほんのりと柔らかな印象の化粧を施していく。
 長い髪は、よく梳って藤の造花の簪を挿した。丹念に丹念に、愛らしく飾り上げられた自分自身の姿を見て、ほぅ、と柚李葉がため息を吐く。
 満足そうな表情に、知らず、真影も達成感を覚え、笑みを浮かべた。

「やっぱり、よく似合ってる。きっと、柚李葉ちゃんに似合うと思ったの」
「ありがとう、真影さん」

 そうして、噛み締めるように告げた言葉に、返ってくるのははにかんだ笑み。その笑顔に、真影は嬉しくなって彼女の手をぎゅっと握った。
 そのまま一緒に手を繋いで、宴会の席へと向かう。この柚李葉の姿を見て、弟が果たしてどんな反応をするだろうかと楽しく想像を巡らせていたから、そこまでの道のりはあっと言う間だった。そうして辿り着いた広間で、すでに座っていた羽郁が柚李葉を見て、眩しそうに目を細めたのに、まるで自分の事のように満足する。
 上座には、涼やかな笑顔を浮かべた父。さすがに年の功、というと怒られそうだけれども、紫雨はこういう席もすっかり慣れているのだろう、なんでもない顔をして座っている。
 集った親戚達の視線が、真影と柚李葉の上に注がれる。その突き刺さるような眼差しから彼女を守るような気持ちで、真影は手を繋いだまま宴席の間をすり抜け、羽郁の隣に用意された彼女の席へと案内した。
 ちょこん、と柚李葉が羽郁の隣に座り、そんな彼女の手を羽郁がぎゅっと握る。それを見届けて、うん、と心の中で頷き、真影もまた父の傍らに用意された自分の席につく。
 そうして、紫雨が柚李葉の事を居並ぶ人々に紹介して、宴会は始まった。賑やかに談笑を始める人々と、その間を立ち動きながら次々と料理を運ぶ女房や使用人達。料理はどうやら柚李葉の口にあったようで、ちら、と眼差しを向けると、黙々と、美味しそうに料理を口に運んでいた。
 ほっと、笑顔を浮かべる。浮かべて、それから時折やってくる挨拶の者に、愛想良く返事をする。
 けれども、時々はそんな親戚達の中に、柚李葉にくだらないちょっかいをかけようとする者もいた。そう言う人間が近付いてくる度、真影も、羽郁もさりげなく、時にはきっぱりと跳ね除ける。
 今も、柚李葉から佐伯の家の事を何くれと聞き出そうとしていた親戚を、やんわりと、けれどもきっぱりとした口調で退けて、ふぅ、と小さな息を吐いた。それからふと思いついて、ねぇ、と何気なく柚李葉を振り返る。

「柚李葉ちゃん。柚李葉ちゃんの笛、聴きたいな」
「え?」
「それは良い。佐伯殿がよければ、笛の音に合わせて一指し、舞ってみようか――お前はどうする?」
「俺は柚李葉と笛を合わせてみようかな」

 真影の口調に合わせたように、何でもないように父が応え、その父の言葉に弟が応じる。そうして「どうかな?」と弟が向けたまなざしに柚李葉が、うん、とはにかんで頷く。
 半身と愛する弟と、同じくらいに柚李葉のことが好きだった。彼女の笛を愛していた。分からず屋の親戚達だって、彼女の笛を聴けば彼女のことが解るだろうと思ったし、それ以上に大好きな彼女の笛の音を楽しみ、愛し、誇りたかった。
 宴席から見える庭で、今日はちょっぴり豪華なご飯をもらってご機嫌で寄り添っていた花謳と帝星の傍らにそっと立った柚李葉と羽郁が、眼差しだけで頷きあって、それぞれの笛に口を付ける。父が舞うという話を聞いて、親戚達もお喋りをそっと潜め、扇を持つ紫雨に注目し始めた。
 その光景を、嬉しくなって見つめながら、澄みやかな笛の音に耳を傾ける。傾け、父が踏む舞に眼差しを注ぐ。
 ――その日の夜は、柚李葉と一緒に並んで眠った。と言っても随分と夜遅くまで、明かりを消した後もお喋りをしていたのだけれども。

「今日はありがとね、柚李葉ちゃん」

 本邸に来てくれて、宴に最後まで出席してくれて、そうして真影のおねだりに応えて笛を吹いてくれて。たくさんんのありがとうをこめて、はぎゅ、と薄暗がりの中、柚李葉を強く抱きしめる。
 腕の中の、柚李葉の体温。戸惑ったり、恥じらったり、喜んだりしている、彼女の気持ちまでをも抱きしめている、そんな感覚。
 ありがとう、と彼女は真影を抱き締め返し、ささやくようにそう言った。

「真影さんの事、大好き‥‥幸せばかり貰って、ごめんね?」
「あたしも柚李葉ちゃんの事が大好き! 羽郁に負けないくらいね♪」

 彼女の言葉に、ふふ、と笑って真影は腕に力を込める。
 大好きな大好きな、身内同然の親友で、やがては義妹になる柚李葉。その事はすごくすごく嬉しいと思っているけれども、いつか彼女が弟の妻になる日が来ることを、心から望んでいるけれども。
 でもちょっぴり、こんなに大好きな親友を独り占めしている弟が、ずるいとも感じてしまう。だって本当に、真影は柚李葉のことが大好きなのだから。
 だから、きっぱりとした口調でそう宣言して、またぎゅっと柚李葉を抱き締める。隣の部屋で寝ている羽郁にも、もちろん聞かせるつもりで。





 翌日は、朝から句倶理の里の観光に出かけた。携えていくのはもちろん、弟のお弁当。今日は橙色の布地に紅糸で刺繍をした小袿を、外出用に腰で結わえて整えて。

「句倶理は香が特産なんだ」
「屋敷の麓には香木の森があるの。帰りに案内するわね」

 もちろん父にはちゃんと休みを貰って、藍色の狩衣姿の羽郁と2人、張り切って生まれ育った里の案内をする。まずは里人の集落を通り抜けて、畑や田んぼを見せて周り、その中にある調香工房に立ち寄って声をかけながら、原料となる香木を見せて貰う。
 香も聞いて行かれますかと、尋ねられて頷いた。柚李葉や羽郁と一緒に純粋に楽しんでいるつもりではあるけれども、こんな時はひょいと、出来映えを確かめておこうかな、なんて思考も顔をのぞかせる。
 そうしていると里人から声をかけられるのは、昔からだ。「一ノ姫様、ごきげんよう」「二ノ君様、お一ついかが」。そんな真影達と一緒にいる柚李葉も、大切な客人だと紹介すると、まるで自分の家族が増えたように暖かな笑顔で歓迎する里人が、まるで自分の身内のように誇らしい。
 一通りを案内し終わると、そろそろお昼ご飯の頃合いだった。屋敷の麓に広がる香木の森の中で、弟力作のお弁当を広げる。この森のさらに外、里を囲むように広がる森は、一種、外界から里を隔離する防壁のようなものでもあった。
 そんなことを説明し、香木の森でどんな種類が取れるのかを説明する弟の言葉を聞く。聞きながらお腹いっぱいにお弁当を詰め込んで、嬉しそうな柚李葉と顔を見合わせてにっこりする。
 そうして本邸に戻ってからは、まずは羽郁の案内で、屋敷の庭を案内した。使用人達が丹精した草木や、庭の池や、東屋をぐるりと巡ったら、今度は真影が本邸を案内する番だ。

「この西の対屋があたし達の部屋。南は執務関連の部屋があって、東には廚や浴室があるの」
「そうなんだ」
「北の対屋は父様の居室があるの。母様もそちらで暮らしてたんですって」

 庭から廊へと上がり、対屋同士を繋ぐそこを歩きながら指を指して説明すると、柚李葉がこくりと頷いた。頷き、北へと視線を向ける彼女の眼差しを追って、真影もまたそちらへと意識を傾ける。
 母があそこでどんな風に暮らしていたのだか、真影達も知らないことがたくさんある。踏み入ってはいけないとされる母の部屋もあって、だから彼女達にとっても北の対屋は、生まれた時から側にある場所でありながら、どこか見知らぬ場所であった。
 そんな事を考えながら、柚李葉を振り返る。

「中も案内するわね」
「うん」

 彼女の返事を確認して、くる、と真影は背を向けた。まずはどこから案内するべきかと、隣に並んだ羽郁の気配を感じながら、頭の中で思い巡らせる。
 思えばそれが、失敗だったのだ。
 さっと、柱の陰から現れた人影。掬い上げるように柚李葉を横抱きにして、あっという間に走り出した背の高い人物。
 何事かと全身に警戒を巡らせて、振り返ったその人影を見た真影は、愕然と目を見開いた――顔は見えなかったけれども、素早く柱の向こうに消えていったその人影を、まさか見間違えるわけもない。
 常に黒を基調とした狩衣を身に纏う人。

「父上‥‥!?」
「父様‥‥!?」

 ぴったりと、双子の驚きの声が重なった。そうしている間にも走り去っていく足音が聞こえて、慌てて羽郁と顔を見合わせ、後を追って走り出す。
 足音は、複雑に屋敷の中を走り回った。一体、紫雨がどうしてこんな事をしたのかは解らないけれども、幾らなんでも本人にすら断りなく横抱きにさらっていくなんてとんでもない話だ。
 走って、走って、走って。ついに北の対屋に入った辺りで、人影はもちろん足音すら聞こえなくなり、途方に暮れて真影は足を止めた。

「王理。解るか?」
「まったく。北の対屋は父上の場所だもの――影真こそ、見当つかないの?」

 くるり、振り返って尋ねた羽郁に、首を振る。首を振って、下ろしていた小袿の裾を持ち上げながら尋ね返すと、同じく渋面が返ってくる。
 玖堂家の者だけがもつ、大切な相手だけに教える真名。2人きりで居る時は、彼女達はその名で呼び合った。生まれる前から一対だった、互いの半身。この真名も、真影に王理とつけたのは弟で、弟に影真とつけたのは真影だ。その位、彼らは一対だったから。
 触れなくても、姿を目にしていなくても何となく存在を感じられる、思いが解る、そんな相手。お互いが何を思い、何を考え、何をしようとしているのかが言葉にしなくても解る――それは、こんな時にこそ身に迫って実感する。
 見当がつかないなりに、北の対屋を歩き回って、柚李葉を探した。打ち合わせずとも同じ部屋を覗き、同じ場所に向かい、それでいて互いを補うように動き。

「――影真。‥‥彼女に伝えてきなさいよ?」
「うん」

 不意に、いった言葉に守護はない。けれども羽郁は、当たり前に頷いた。それが見ずとも解って、真影もまた、そう、と頷いた。
 真名。大切な人にだけ伝える特別な名前。信頼と、そして命すら委ねる意味を持つ――真影のそれを知るのは、羽郁以外には1人しか居ない。
 それを彼女に伝えることで、弟はまた1つ、彼女に近付く事になる。それは、これからの人生を共にするためになくてはならない儀式で――自分達にとって、相手が何より大切なのだと伝えるもっとも単純でわかりやすい印。
 だから。言外にそう言った真影に、うん、と弟はまた頷いた。頷き、何かを言おうとしたのを感じて、けれどもふと眼差しの先にようやく探していた姿を見つけ、真影は声を上げる。

「あーッ!!」

 北の対屋の入り口。終えこんと、紫雨に頭を下げた体勢から驚いたように振り返った柚李葉。その前に立ち、驚くほどに優しい表情でふぅわり微笑んでいた父は――双子を見たその瞬間、確かに、してやったりと笑ったのだ。
 ぶちっ、と頭の隅で何かが切れた音がして、弟と共に駆け出す。そんな真影達を見た柚李葉がきょとん、と目を丸くしていて、そうしてその間も走ってくる双子を見ながら、父はくすくす笑っていた。
 そんな父に、まったく父様は、と真影はため息を吐く。少しも反省した様子の見えないその表情は、悔しい位に楽しそうで、どうにも手の平で転がされた感が拭えないのだった。





 それからしばらくして迎えた夕食は、柚李葉の好きな白身魚料理を中心にした、前日の宴会よりはささやかだけれども、気持ちの上では同じくらいに柚李葉への持て成しの気持ちに溢れた食卓だった。
 賑やかだった昨夜とうって変わって、部屋の中に居るのは柚李葉と羽郁、真影に紫雨だけだ。それに安堵した様子の彼女は、昨日以上に寛いだ様子で料理に舌鼓を打っていて、どうやら昼間の事も心配する必要はないようだ、と真影もまた安堵する。
 そんなささやかな夕食が終わった後、羽郁が柚李葉を誘って、夜の庭へと2人で降りていった。きっと、彼女に真名を告げるのだろう――そう思い、心の中で弟にそっと、声援を送り。
 羽郁に負けないようにと、真影もまた居住まいを正して、父を呼んだ。うん? といつもの様子で眼差しを向けてくる紫雨が、何を考えているのかは解らなかったけれども。

「父様。あたしが、句倶理の掟を変えて見せます」

 そんな父の目をまっすぐ見据えて、きっぱりとした口調で、真影はそう宣言した。句倶理の掟――女長は愛妾を持たねばならないという、その制度を自分がこの手で、変えて見せる。
 もちろん、自分自身の身に迫ってきていることだから、というのも事実だ。けれども代々の中で現れた女長だって、一族の決まりだからなんて理由で望んでもない男を愛妾にさせられて、面白かったはずはない。
 ならば自分が、この手で――そう、父に向かって宣言したのは、そうやって少しでも父を越えて見せるのだという気持ちでも、ある。大好きな、尊敬する父。氏族最強で、いつかは越えたい、越えて見せたい目標。
 だから。決意を込めて言い切った真影を、しばし、紫雨は面白そうに見つめていた。見つめて、それからかすかに唇の端を、吊り上げた。

「――やってごらん」

 そこに、込められた思いが何だったのか。やっぱり良く解らなかったけれども、少なくとも無理だと言われた訳ではないと感じられたから、はい、と真影は頷く。
 そうして、翌日。花謳に乗って帰っていく柚李葉を、真影は庭から、羽郁と一緒に見送った。父が「頂き物のお礼に、ご両親に」と渡していたのは恐らく、父自身が調香した薫物だろう。
 父と柚李葉は、果たしてどんな話をしていたのだろうか。それを、いつか父は自分に教えてくれる日が来るのだろうか。
 ふとそんな事を思い、けれどもふる、と首を振った。父が双子達にすら母の思い出をあまり語らないのは、双子達が直接は母を知らないからという以上に、父自身がその思い出を、この上なく大切にしているからだ。
 それを、きっと柚李葉に語ったのだろう。自分達に教えてくれないという事は、きっとそういう事だろう。
 だから。頭を過ぎった想いを吹き飛ばすように、花謳の背から真影達を見つめて笑顔で大きく手を振る柚李葉に、ただ手を振り返す。大切な、大切な親友に。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /   PC名   / 性別 / 年齢 /  職業 】
 ia0490  /  玖堂 真影  /  女  /  18  / 陰陽師
 ia0859  / 佐伯 柚李葉 /  女  /  16  /  巫女
 ia0862  /  玖堂 羽郁  /  男  /  18  / サムライ
 ia8510  /  玖堂 紫雨  /  男  /  25  /  巫女

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
そして、大変にお待たせしてしまって本当に申し訳ございません(全力土下座

大好きなご友人をお迎えしての3日間、如何でしたでしょうか。
お嬢様としてもお父様に決意表明を突きつけたり、変わらぬ関係を再確認したりと、何かが大きく変わられた日であったのかな、と思います。
先のノベルもお気に召して頂けたみたいで、ほっと一安心、でした(笑

お嬢様のイメージ通りの、新しい未来を始める決意のノベルであれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
水無月・祝福のドリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2011年07月21日

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