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『始まりの、その日。〜ゆらり、ゆれ 』
玖堂 紫雨(ia8510)

 広い本邸の一室で、上座に座って娘と共に、玖堂 紫雨(ia8510)はじっと客人の訪れを待っていた。到着がもうそろそろだと、息子である玖堂 羽郁(ia0862)は先ほどから庭の、愛龍を待機させている龍留まりでずっと、客人の訪れを待っている。
 客人――佐伯 柚李葉(ia0859)。息子の大切な恋人で、明確な返事はもらっていないようなことはちらりと小耳に挟んだけれども、未来の嫁になることは確定している(はず)の少女。
 彼女が句倶理の里にあるこの玖堂家本邸を訪れる事になったのは、この春先の事だったように思う。それから彼女が訪ねてくる日取りを相談して、親戚達とも打ち合わせて、ようやく今日の日を迎えたのだ。
 だから。そわそわと出て行った息子と、同じくそわそわと何度も外の様子を伺いながら大人しく紫雨の傍らに端然と座る娘の玖堂 真影(ia0490)の様子に、知らず、くすり、と笑みがこぼれた。とはいえその紫雨だって、実は朝から柚李葉の訪れを楽しみに待っていて、昼を過ぎた頃からは時折執務に席を外したものの、真影と一緒にこの部屋でずっと待っていたのだから、同じ穴の狢だけれども。
 ふいに、部屋の外が騒がしくなった。走り回る人の動きが気配として感じられ、何より力強く空気を叩く龍の翼の音が聞こえる。
 来たのだ、と思った。一体最後に彼女にあったのはいつの事だったろうかと、うっすらと浮かべていた笑みを深くして、記憶を戯れのように辿っていく。
 それからどれくらいを待っただろうか、一旦は静かになった部屋の外は、やがて再び騒がしくなった。じっと耳を澄ませていると、先ほどは確かに1つだった龍の翼の音は、今は2つ。考えるまでもなく、愛龍の花謳と共にやってくると言っていた、柚李葉だろう。
 ほっと息を吐いた真影が、慌てて取り繕うようにピシリ、と背筋を伸ばした。そうして最後の点検とばかりに、自分自身の姿を見下ろしている。
 開拓者として依頼に赴く時こそ、羽郁と同じ様な動きやすい狩衣を身につけている娘だけれども、本邸に居る間は人の目もあって、小袿を纏っているのが常だった。興味につけているのもまた、唐紅に金糸で椿の刺繍を施した小袿。より正式な場では後髪の鬘もつけるのが礼儀だが、さすがにそこまでは必要ないだろう。
 そんな紫雨とて今日は、開拓者として依頼に赴く時とも、日頃の衣装ともまた異なる、薄紫に銀糸で菊花を刺繍した狩衣。紫雨なりに、客人である柚李葉に敬意を払っての装いだ。
 まだそわそわと自分自身を見下ろしたり、紫雨をちらりと見たりする真影に小さく微笑みながら、それからまたしばし、待つ。どれほどの間を待っただろうか、やがて部屋の外から女房の案内の声が聞こえて、同時に真影がぱっと顔を輝かせた。

「こちらにございます」

 古参の女房の声に、はい、と小さく頷いた声は、紫雨にも聞き覚えのあるもの。そうして恐る恐る、何かを確かめるように部屋を覗き込んできた少女の顔は、紫雨が覚えている頃よりもほんの少し、大人びたようにも見える。
 それともそう見えるのは、彼女が身につけている衣装のせいなのだろうか? そう考える眼差しの先で、柚李葉がほっと安堵の息を吐いた。

「真影さん」
「柚李葉ちゃん、いらっしゃい!」

 そうして、声色からしてほっとした様子で娘の名を呼んだ、彼女に叶うなら今すぐにでも駆け寄って飛びつきたい衝動がありありとわかる声色で、娘もまた彼女の名を呼んだ。名を呼び、そうして同じく何かを確かめるように、つま先からてっぺんまでゆっくりと視線を動かした。
 それでも、決して衝動のままに駆け寄って、抱きついたりはしない。ここは玖堂の本邸、何処に目があり、耳があるか解らない場所だ。娘の『次期長に相応しからぬ』行動は、長老達の知る所となれば格好の小言の材料――になるならまだ良いが、下手をすれば失脚させようとする動きすら生まれかねない。
 そうなれば、その事は自分の耳にも入るだろう。その頃にはその噂はどのくらいまで尾ひれを張り付かせているか解らず、場合によっては娘に対して望まぬ決断すらせねばならないかも知れず。
 真影も、それを判っている。長になると言う事、それを強く胸の中に刻み込み、自分を始めとする長老陣のいささか行き過ぎたところもある長教育に、じっと耐えている。
 だからほっと、気付かれぬ程度に安堵の息を漏らした。そんな紫雨の眼差しの先で、真影は精一杯の平静を装って、柚李葉に円座を進めている。
 それにこっくり頷いて、彼女がちょこんと円座に座ろうとした瞬間、出迎えを終えて着替えた羽郁がやって来た。

「遅れてすみません」

 そう、軽く頭を下げながらも眼差しはそこに居る柚李葉に向け、ほっと息を吐いている息子は、薄青の狩衣姿。髪と瞳の色に合わせた、青を基調とした衣装を、息子はよく纏っている。
 羽郁はきちんと形に則って遅れた非礼を詫びた後、ほっとした様子で彼を振り返った柚李葉の顔を覗き込み、遅れてごめんね、と小声で囁き微笑んだ。うん、とそれに彼女は小さく、信頼の頷きを返す。
 そうして彼女が今度こそちょこんと腰を下ろした、円座の隣に用意させたもう一つの円座に羽郁も座り、ぴん、と背筋を伸ばしてこちらを見た。それに並んで、同じくぴんと背筋を伸ばした柚李葉とは、まるで一対の人形のようで微笑ましい。
 彼女は紫雨と真影をまっすぐ見つめ、ぺこり、と頭を下げた。

「このたびはお招き頂きまして、本当にありがとうございました。こちらは養母からです」
「佐伯殿が来られるのを楽しみにお待ちしてました。我が家と思って、ゆっくり寛いでください」

 すい、と柚李葉が差し出した菓子折りの箱を、受け取って紫雨は艶やかな笑みでそう告げる。実際、紫雨は彼女の訪れを本当に楽しみにしていたし、家人にも柚李葉が何一つ不自由なく本邸で過ごせるよう、最大限の便宜を図るように申し付けてあった。
 そんな紫雨の言葉に、柚李葉もホッとしたようで、はにかんだ笑顔になる。そうして紫雨から見ても解る位に、ほッ、と肩の力を抜く。
 それを見届けてから、名残惜しい気持ちになりながら、実は、と口を開いた。

「ゆっくりと佐伯殿とお話したいのは山々なのですが――私はこれから仕事に戻らねばならないのです」
「‥‥ぁ! ごめんなさい、柚李葉ちゃん。あたしも、父上の手伝いがあるの」

 紫雨の言葉に真影もはっと目を見開き、慌ててそう言って「ごめんね」と手を合わせる。紫雨自身が柚李葉を待っている間も執務の為に何度化石を外したように、真影もまた紫雨を手伝って、そうして紫雨の仕事を覚えるために、何度か席を外していたのだ。
 だから。軽く頭を下げて、すっと立ち上がった紫雨に引き続いて、真影もまた大人しく席を立ち、彼の後を追いかけてきた。部屋を出て、しばらく行った辺りで娘を待っていた紫雨は、目と目が合うと軽く会釈をして後についてくる。
 句倶理は、人口約300人程度からなる里だ。特産品である香木の出荷で生計を立て、里で消費するわずかな作物を田畑で育てる、そんな里。
 その長である紫雨の仕事はといえば、そう言った特産品の出荷による収支の確認や、或いはこれから夏から秋にかけて目白押しに行われる祭事に関する決裁まで、多岐に渡っていた。もちろん、それらの書類をただ単に右から左に流していくだけではない。きちんと目を通し、不明な点があれば担当の者を呼びつけ、時には再調査なり、再検討なりを命じるのだ。
 そんな執務をここしばらくは、娘もすぐ傍に付き従って、手伝いながら学んでいた。次期長となるからには、こういった執務もやがて、彼女が執り行うべき執務になるのだ。
 だから、紫雨もまた簡単なものは娘に任せ、或いはわざと悩ましい案件を彼女に任せたりもする。難解な案件を渡された時は、真影はとてもとても複雑な表情になるのだけれど、文句を言った事はない。
 今も真剣な顔で書類と向き合っている娘から、紫雨は置いてきた息子の方へと思いを馳せた。今頃はきっと羽郁の部屋で、数日前から腕によりをかけて作っていたお菓子を食べながら、同じく数日前からかき集めていた絵姿を見ているのだろう。
 けれども妻の絵姿だけは、本邸所蔵のものは残らず紫雨が大切に所有しているから、息子の手には入るまい。それをふと思い出し、紫雨は執務室から中庭へ、そしてその向こうに見える北の対屋へと眼差しを巡らせたのだった。





 夕方、柚李葉を着替えさせたいからと許可を得て執務室を出た真影を見送って、紫雨もまたしばらく執務を行った後、宴会の席へと向かった。親戚達を招いて、柚李葉のお披露目を兼ねた宴会を開く事になっているのだ。
 すでにちらほらと集まり始めていた親戚達に、適当に会釈をしながら上座へと座る。そうして、「御主殿、この頃はいかがですかな?」「今日はお招き頂きまして」などと挨拶にやってくる親戚達の相手をする。
 そうしていると羽郁もやってきて、同じように親戚達に会釈をしながら宴席を通り抜け、用意された席に座った。そうしてちらりと紫雨のほうを見て、ぺこり、と頭を下げる。
 やがて、入口の女房が娘と、柚李葉の来場を継げた。その声に自然、宴席の眼差しが入口へと向けられ――そこに現れた2人の姫君に、ほぅ、とため息を漏らす。
 後ろ髪をつけた真影の姿は、けれどもこの場に居並ぶ人々にすれば、それほどに珍しいものではない。次期長たる娘の事は、知らない者の方が少ないだろう。
 けれども。親戚達が集まった、今日の目的は二ノ君、つまり羽郁の未来の花嫁である、柚李葉。彼女を見定めようと集まった人々は、現れた柚李葉の、青緑の布地に銀糸で藤花の刺繍を施した小袿を纏い、よく梳った髪を緩やかに流して藤の造花の簪を挿した、美しい姫君姿に圧倒された。
 さすがは佐伯殿、とその姿にまずは深く頷いて、それから良い趣味だ、と真影の審美眼に感心を覚える。宴席がざわりと浮き立つのを小気味良い気分で眺めて、現れた彼女の姿に頬を軽く上気させながら釘付けになっている息子に柔らかな笑みを浮かべる。
 真影に手を引かれてやってきた柚李葉は、たくさんの人に驚いた様子できょろきょろしながら宴席をすり抜け、羽郁の隣にちょこん、と座った。そんな彼女を紫雨が居並ぶ人々に紹介して、そうして宴席が始まる。
 運ばれてくる料理はどうやら、柚李葉の口に合ったようだった。いつしか黙々と、美味しそうに料理を口に運ぶ彼女の姿に、緊張させてはいけないと時折、料理の感想を聞いたり、気候の話をしたり、或いはこの頃の依頼の事を尋ねたりと話しかけていた紫雨も、胸の中で安堵する。
 けれども。集まった親戚達の中には、ほぼ根回しは済んでいると言っても、いまだに一族の外から花嫁を迎える事に反対するものも居る――紫雨自身がかつて、一族の者ではない妻を得るために苦労させられたように。そう言った輩が彼女にちょっかいを出そうとした時には、多くの場合は娘達に任せてはいたけれども、時には紫雨自身が遠まわしに牽制しなければならないほどだった。
 今も、佐伯の家の事を何くれと聞きだそうとしていた親戚を、やんわりと、けれどもきっぱりとした口調で退けた娘が、ねぇ、と何でもないことのように柚李葉を振り返る。

「柚李葉ちゃん。柚李葉ちゃんの笛、聴きたいな」
「え?」
「それは良い。佐伯殿が良ければ、笛の音に合わせて一指し、舞ってみようか――お前はどうする?」
「俺は柚李葉と笛を合わせてみようかな」

 娘の提案に、内心では感心を覚えながら、合わせて何でもないことのように応えた。同じく何でもない口調で息子へと話を振ると、息子もまた当たり前の顔で頷いて。
 「どうかな?」と最後に息子が眼差しを向けると、柚李葉がうん、と頷いた。はにかんだようなその笑顔に、この宴席での出来事が彼女の笑顔になんら影響は与えていない事を知る。
 心の底に、しなやかな強さを持った少女。それとも――その強さを与えたのは、彼の息子なのだろうか。
 宴席の見える庭園で並んで餌を食んでいた、それぞれの愛龍に寄り添って笛を取り出す2人を見ながら、微笑ましい気持ちでそう考える。彼の妻は決して、柚李葉のように愛らしい性質の女ではなかったけれど、それでも傍からはこんな風に見えていたのだろうか。
 考えてもせんのないことだ。苦笑して紫雨は扇を取り出し、すい、と構えて笛の音が始まるのを待つ。紫雨の動きに反応して、親戚達もこちらに注目し始めた。少し離れたところに引いた娘が、そんな光景を嬉しそうに見つめているのを、見る。
 やがて聞こえてきた澄んだ音色に、ふ、と意識を乗せて紫雨は緩やかな舞を舞い始めた。まるで寄り添うようにも聞こえる音色が、そのまま2人の未来であれば良いと願いながら。





 翌日、朝から句倶理の里の観光に出かけるという子供達を見送って、紫雨は祭事神殿へと向かった。急ぐ案件はすでに片付けてあり、残っているのはそれほど急がないか、急ぐにしても調査待ちの物ばかりだ。
 句倶理の一族が要する祭事神殿に1人、足を踏み入れる。今日はいつもと変わらない、黒を基調とした狩衣に指貫。特別な事がない限り、彼はいつも黒を纏う。
 そろそろ暑くなってくる陽射しに目を細めて、地下へと降りた。そこには恋焦がれて妻にして、けれども可愛い2人の子供と引き換えにあっという間に自分の元から去ってしまった、妻の墓がある。
 すっかり通い慣れた道のりを行き、携えてきた花を供え、膝を折り。まるで愛する妻がまだそこにいて、今でも紫雨の言葉に微笑みながら頷いてくれるかのように、子供達にも誰にも見せない甘さの入り混じった笑顔で、柚李葉の事を妻に報告する。

「羽郁にはもったいない位の気立ての良い姫君だ。お前も一目見たら絶対に気に入るだろう‥‥ふふ、私が後20年若かったら‥‥いやいや冗談」

 くすくすと、苦笑いを零して自らの言葉を否定した。目の前に妻が居たら、間違いなく即座に張り倒されてもおかしくない発言だった――それで張り倒してくれるものなら、構わない気もするのだけれど。
 それほどに愛しい、愛しい妻だったのだ。
 しばしの妻との『逢引』を終えて、祭事神殿から外に出るともうそろそろ、昼になろうという頃合だった。子供達は午前中一杯を里の観光に費やして、午後からは屋敷の中を散策しながら、のんびり過ごすと言っていたか。
 ふと、昨日も過ぎった妻の絵姿の事が、また脳裏を過ぎった。あの絵姿は、真影と羽郁には立ち入りを許したことのない、妻の部屋に大切に保存してある。
 そんな事を思いながら、屋敷に戻って昼餉を取り、さて執務に戻ろうかと思ったところで――不意に、悪戯心が胸にうずいた。それはきっと、庭の案内をしている双子と、それに無邪気に頷きながらきょろきょろと物珍しそうに庭を眺める、柚李葉の姿を見たからだろう。
 3人の先回りをして、西の対屋の柱の影に身を潜めた。双子が屋敷を案内するのなら、それは自分達の部屋がある西の対屋からだろうと予想したからだ。
 果たして、その予想は当たっていた。3人が階を上がり、真影が四つの対屋の説明をする声が段々近付いてくる。

「中も案内するわね」
「うん」

 そうして真影と羽郁が先頭に立って歩き始め、柚李葉がその後ろからあちらこちらを見回しながら歩き始めた、その瞬間を見逃さず、紫雨は柱の影からさっと飛び出した。掬い上げるように柚李葉を横抱きにして、悲鳴を上げられるよりも早く走り出す。
 ぎくりと、腕の中の柚李葉の身体が強張った。背後からは悲鳴とも怒号ともつかない双子の声と、自分達を追ってくる激しい足音が聞こえる。けれども彼女は、その声に応えなかった。
 そのまま屋敷の中を複雑に走り抜け、双子達を十分に引き離し、北の対屋の奥にまで飛び込んで、ようやく紫雨は足を止めた。そうして腕の中の柚李葉をそっと下ろし、真っ直ぐに見下ろす。

「――突然、ご無礼を、佐伯殿」
「い、いえ、あの‥‥ちょっと、びっくりしましたけど」

 そうして詫びの言葉を口にしたら、柚李葉は途方にくれたような顔になってもごもごと口を動かし、きょろ、と辺りを見回した。それからちらりと紫雨を見上げて考え込む仕草に、ここがどこか思い至った事を悟り、その通りです、と微笑む。
 それから説明はしないまま、今度は柚李葉の手を引いて、ゆっくりと歩き出す。柚李葉はそれに逆らうこともなく、大人しく彼についてくる。
 やがて辿り着いたのは、部屋の隅に茶の湯も嗜めるように小さな囲炉裏を切った、簡素な部屋だった。簡素で、調度品も華美なものは一つもない。けれども紫雨にとっては屋敷の中のどこよりも心休まる、部屋。

「亡き妻の部屋です。真影も羽郁も、この部屋に入ったことはありません」
「ぇ‥‥? あの、そんな大事なお部屋に私が入っても、良いんですか?」

 噛み締めるようにそう告げると、柚李葉は目を丸くしてそう聞いた。心配そうな瞳の色に、問題ないと首を振って、柚李葉に座るように促す。
 部屋の隅に用意した茶の湯の道具は、使い慣れたものだった。幾度も、幾度も――妻が生きていた頃も、妻が居なくなってからも、幾度もここで、こうして茶を点てたものだ。
 慣れた手つきで茶を点てる。それをじっと、柚李葉は部屋の様子を見ながら待っている。

「妻は」

 すい、と。そんな彼女の前に茶碗を滑らせながら、胸の奥に今も鮮やかに宿る面影を大切に噛み締め、呟いた。

「とても男勝りで、腕っ節も強い志士でした。質実剛健、己を飾る事をしないからこそ、その美しさが際立つ――そんな姫で」

 茶碗を受け取った柚李葉が、手の平にそっと持ち上げて、はい、と頷く。それにまた微笑んで、紫雨は大切に仕舞いこんでいた妻との絵姿を取り出した。
 その中には若かりし日の、今の羽郁よりももっと若い面立ちの紫雨がいる。その傍らに立つ妻は、記憶の中にあるそのままに凛と気高く美しく、けれども記憶の中の彼女の方がずっと、ずっと鮮やかだ。
 初めてだったのは、紫雨が13歳の頃。修羅と菩薩を合わせたような、凛と気高く美しい姫に一目惚れをして、彼女を何としても振り向かせたくて苦心した。何通も手紙を送り、彼女に一目会うために千里の道を駆ける事も厭わず。
 そうして彼女を振り向かせてからは、彼女を妻にするために、一族と戦った。幸いだったのは彼女もまた、自分の妻になるために一族に向き合ってくれた事だろう。
 苦心に苦心を重ね、そうまでして手に入れた妻はけれども、我が子をこの世に産み落とすのと引き換えにこの世を去った。出会って、ともに過ごした日々は、だからあまりにも短い。
 けれども、その思い出はいつだって紫雨の中に鮮やかに息衝いている。その思い出を、彼女に語ってみようと思ったのは、妻とは正反対とも言える柚李葉に、どこか妻を重ねたからかもしれない。
 夕暮の、少し前。そろそろ戻らないと心配するでしょうと、北の対屋の入口まで見送ると、真っ直ぐに紫雨を見上げた柚李葉がこう言った。

「紫雨さん。あの‥‥こんなに良くして貰えるとは、思ってなくて‥‥ごめんなさいと、ありがとうございます。ちょっとお家が怖くなくなりました」

 その言葉に紫雨は軽く、目を見開く。そうして、ああこの姫は大丈夫なのだと、安心する。
 妻が凛々しき姫であったなら、柚李葉はまさに少女らしいたおやかな姫。娘の真影もさすがにあの妻の娘と言うべきか、女らしさとは少しばかり遠いところにいるものだから、紫雨としては新鮮で、そうしてそんな彼女が義理の娘になる日を心待ちにしていて。
 ふぅわり微笑んで、ひょいと軽く腰を屈めて、目を合わせた。そうして願いを込めて「柚李葉殿、貴女は我が氏族にとって新たな風となるかもしれませんね」と告げた、その瞬間に遠くで「あーッ!!」と大きな声が上がる。
 びくん、と柚李葉が驚いて振り返った。ひょい、と眼差しを上げるとそこには、真っ直ぐこちらを見て、走ってくる双子の姿。どうやらあれからずっと、屋敷の中をさまよっていたらしいと悟ると、堪えきれない笑みが口から溢れ出す。
 くすくす、くすくすと。双子達が柚李葉を探して、あっちでもない、こっちでもない、と屋敷の中をさまよう姿を想像すると、笑いがどうにも止められない。
 それはもちろん意地悪ではなくて、彼の溢れんばかりの双子への愛のなせる業、だった――多分。





 それからしばらくして迎えた夕食は、柚李葉の好きな白身魚料理を中心にした、前日の宴会よりはささやかだけれども、気持ちの上では同じくらいに柚李葉への持て成しの気持ちに溢れた食卓だった。
 賑やかだった昨夜とうって変わって、部屋の中に居るのは柚李葉と羽郁、真影に紫雨だけだ。それに安堵した様子の彼女は、昨日以上に寛いだ様子で料理に舌鼓を打っている。
 そんなささやかな夕食が終わった後、羽郁が柚李葉を誘って、夜の庭へと2人で降りていった。その微笑ましい様子に、若き日の自分を重ねるように目を細めていたら、父様、と声がする。
 うん? と振り返ると、居住まいを正した真影。真剣な面持ちで、決意の瞳で紫雨を見上げている。

「父様。あたしが、句倶理の掟を変えて見せます」

 そうして、紫雨の目をまっすぐ見据えて、きっぱりとした口調で宣言した真影に、紫雨はほんの少し、沈黙した。句倶理の掟――女長は愛妾を持たねばならないという、その制度の事だろう。
 娘が嫌がっていることは知っていた。哀れだとも思っていた。けれどもそれは一族の掟だと――仕方ない事だと、それに倣う事を、命じたのは紫雨自身。
 それを、変えて見せると言う。そう、強い瞳で自分に宣言する真影を、しばし、紫雨は面白そうに見つめていた。見つめて、それからかすかに唇の端を、吊り上げて。

「――やってごらん」

 告げた言葉は、試しているようでもあり、願いでもあった。この自分にまるで挑戦するように、そんな事を言えるようになった娘の、跡取としての成長が嬉しくて――そうして、ほんの僅かな期待も篭っている。
 愛妾制度など、古臭い掟だと紫雨自身は考えている。けれども自分には断ち切れないそれを、他ならぬ娘の手で断ち切って欲しいとも。それを、自ら言い出した彼女の成長ぶりが、ただただ嬉しい。
 はい、と真影は頷く。頷き、どうかすれば打ち倒すべき敵と相対しているかのように、強い眼差しを向けてくるのにまた、苦笑する。
 そうして、翌日。花謳に乗って帰っていく柚李葉を、紫雨は子供達と一緒に見送った。寸前、頂いたお菓子のお礼にと取って置きの香を箱に詰め、「頂き物のお礼に、ご両親に」と手渡す。
 紫雨自らが調香した薫物は、彼の誠意の表れでもあった。いずれ、彼は何としても柚李葉を、羽郁の花嫁として迎える。一族の反対も、彼女の家族の反対すら関係なく、それは紫雨の中でもう決めている。
 その、挨拶とお礼と謝罪を込めた薫物の意味を、今は柚李葉すら知る必要は、ない。
 だから。花謳の背から地上を見つめて笑顔で大きく手を振る柚李葉に、ただ小さく手を振り返す。大切で可愛らしい、未来の義理の娘に向けて。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 /   PC名   / 性別 / 年齢 /  職業 】
 ia0490  /  玖堂 真影  /  女  /  18  / 陰陽師
 ia0859  / 佐伯 柚李葉 /  女  /  16  /  巫女
 ia0862  /  玖堂 羽郁  /  男  /  18  / サムライ
 ia8510  /  玖堂 紫雨  /  男  /  25  /  巫女

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
そして、大変にお待たせしてしまって本当に申し訳ございません(全力土下座

笛吹きの巫女様との秘密のひととき(?)、如何でしたでしょうか。
こう‥‥お父様はいつでも、一段高い所から子供達を手の平の上でころころ転がしておられる印象が(ぇ
ワクワクしているお父様、想像するととても可愛らしいです(笑

お父様のイメージ通りの、ほんの少しの切なさも込めた、過去と未来の狭間のノベルであれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
水無月・祝福のドリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2011年07月21日

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