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『2度目のありがとう 』
皇・茉夕良4788)&海棠秋也(NPC5243)

「ふう……」

 身体が辛い。特に足だ。立ちっぱなしな上に、足がヒールだったのだから、ヒールから学校制定のローヒールの靴に履き替えても足が張っているように痛い。
 更衣室の小さい窓を見ると、カーテンの隙間から緩やかな光が差し込む。もう日も暮れてきたらしい。
 音楽科のリハーサルも何とか滞りなく済み、舞台用ドレスから着替えた制服を整える。
 ふと手に触れると、指先がつるつるし過ぎているのに気が付いた。何時間もヴァイオリンと弓を持ちっぱなしだったので飛んでしまったのだ。これだとつるつる滑って楽器が持てないので、入念にハンドクリームを手に塗り込んだ。
 さあ、終わった。じゃあ出よう。
 そう自分に言ってから、リハーサルを行っていた芸術ホールを後にした。
 バレエ科がまたも大騒ぎだったと、噂で聞いた。
 聖祭直前に急病で倒れた守宮桜華が、復帰したらしい。
 病み上がりに踊らせて大丈夫なのかと言う声もあったらしいが、本人の希望と替えが利かないと言う点により、仕切り直しで練習していると言う。
 本当に、あれでよかったのかしら……?
 皇茉夕良は、リハーサルで貸し切られた芸術ホールのバレエ科の貸し切っている方を見やりながら首を傾げた。

「お疲れ様」
「あ……海棠さん。お疲れ様です」

 振り返ると、茉夕良の後ろに海棠秋也が立っていた。彼もリハーサルに参加していたのは知っていたけど、まだ残っていたとは思わなかった。
 茉夕良は思わずペコリと頭を下げると、秋也も小さく頭を下げた。
 リハーサルで聴いた彼のピアノの音は素晴らしかった。何よりも彼の音が前よりも音が澄んで聴こえるのが印象的だった。
 彼の中で迷いが吹っ切れたのが原因かしら、と茉夕良は思う。そう言えば、いつか中庭で聴いたヴィオラを弾く時奏でる音も、陰鬱な色が消えたような気がするし、楽しんで弾けるようになったのだろう。
 彼にしてみれば、これが音楽科で奏でる最後の演奏なのだから。

「守宮さんよかったですね、復帰されたそうで」
「うん、よかった」

 相変わらずの無表情だが、どこか口調は穏やかだった。
 茉夕良は思わず頬を緩める。

「? 何か」
「いえ。ただ、本当によかったなと思っただけです」
「……それ、どれの事?」

 心当たりはあったんだな……。しかも「どれが」って事は、複数も。
 茉夕良は虚を突かれたような顔をする秋也に苦笑しながら、「いいえ」とだけ答えておいた。

「聖祭、楽しみですね」
「ああ……」

 茉夕良は穏やかな気持ちで秋也を見る。
 彼は相変わらずの無表情だったが、前に感じていた憂いを帯びた雰囲気は、彼の奏でる曲と同じく払拭されていた。無口なのは元々の地なのだろう。
 でも全部が全部、上手くいった訳ではないと思う。
 桜華の中にいたはずの、星野のばらはどうなったんだろうか、消えたのかまだいるのか、とか。秋也と織也の兄弟間はどうなったんだろうか、これからどうなるんだろうかとか。
 でも。
 少なくとも秋也は迷いを吹っ切った。織也もまだ迷ってはいるんだろうけれど、前よりは前向きになった。だから兄弟で向き合う事もできるだろう。
 私は2人が困っていたら助ければいい。これ以上は兄弟の話だから。
 茉夕良はそう考えていたら、じっと見られている事に気付いた。
 秋也が何か言いたげに見ていたのだ。
 茉夕良は少しだけ首を傾げながら、秋也を見た。
 相変わらず黒曜石のように真っ黒の目は、感情がよく読めない。

「あのう……どうかしましたか?」
「いや……ただ言わないといけないと思ったから」
「? 何をですか?」
「ありがとう」
「…………」
「織也の事も。ありがとう」

 虚を突かれたのは、今度は茉夕良の方だった。
 彼に礼を言われたのは、今日で2度目の事である。

<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
石田空 クリエイターズルームへ
東京怪談
2011年11月07日

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