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『     対価と代償 』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)&(登場しない)

 その美術館を運営、管理している館長は、館内をゆったりとした足取りで進みながらも真っ直ぐに自分の下へと歩み寄ってくる見知った女性客の姿に気付き、「おや」と口の中でつぶやいた。闇に沈んだ竜の翼を思わせる神秘的な漆黒の髪をゆらし、赤い瞳をかすかに細めて視線を投げてよこしたその彼女に、館長は両腕を広げ歓迎の意を表してみせる。
 「これはどうも、シリューナ・リュクテイア様。お楽しみいただけていますか?」
 館長のそんな言葉に、名を呼ばれたシリューナは意味ありげな微笑を浮かべてこう答えた。
 「美術品を見るのは好きだけれど、どちらかというとお楽しみはこれからね。良い品は入っているかしら?」
 「なるほど、『そちら』のご用事ですか。」
 シリューナの返答に館長も妖しげな笑みを顔に刻んでうなずく。そして、こちらへどうぞとシリューナをうながし先に立って歩き出した。
 この美術館は玄関に掲げられている看板を見た人が期待する施設とはまた別の、もう一つの側面がある。それは館長が一切を取り仕切っている「いわく付きの美術品の取引」の場だ。一般客には無縁であるが、その筋の人々には需要がある。
 「ちょうどいくつかリュクテイア様のお目にかないそうなものが……このあたりなどいかがでしょうか?」
 部屋に通すなりそう言って館長がシリューナに差し出したのは、どれも意匠を凝らした美しい装飾品である。それに顔を寄せ、紅玉のような目をすがめてしばらく黙していたシリューナは、やがて「いいわね」と満足げにうなずいた。
 「魔力を込めても耐えられるものなんでしょうね?」
 「それについては、必ずしも確実であるとの保証はしかねます。」
 「まあ、いいでしょう。ひとまずいただくわ。使えそうなら後ほどきちんと対価も支払うわ。先だっては無料で魔法の物品の鑑定をするけど、何かある?」
 「その言葉をお待ちしていました。」
 猫なで声でそう答えた館長は、
 「なにぶん仕入れはできても魔法の品となると、才能のない私には真価がはかれないものですから。こちらの商売ができるのもリュクテイア様のような方がいるおかげですよ。」
 などとお世辞とも本気ともとれることを言って、あらかじめ用意していたとしか思えない手際の良さで一つの小さな宝石箱を出してみせたのだった。

 シリューナが自らの営む魔法薬屋に戻ると、「おかえりなさい、お姉さま!」という元気な少女の声が彼女を出迎えた――シリューナが留守の間、店番をつとめていたファルス・ティレイラである。シリューナの弟子であり彼女を姉のように慕っているティレイラは、いつも通りの活力と生命力にあふれた無邪気な笑みを咲かせ、それからふと、師が手にしている宝石箱に気付いて「何ですか、それ?」と小さく首をかしげ尋ねた。
 「鑑定を引き受けた品よ。」
 そう言ってシリューナは店の奥にある作業用の机に宝石箱を置き、それを開いてみせた。
 「わあ、綺麗な腕輪ですね。」
 魔力付与のために手に入れた装飾品を商品棚とは別の保管場所にしまうシリューナのかたわらで、ティレイラは興味深そうにその腕輪を眺めている。
 「お姉さまが鑑定を引き受けたってことは、何か魔力が込められているんですよね。どんなものなんですか?」
 「それをこれから調べるのよ。でも、見たところ大がかりなものではなさそうだからそんなに時間はかからないと思うわ。見てる?」
 「はい!」
 好奇心に目を輝かせながらうなずくティレイラを見返したシリューナは、相変わらずかわいらしいこと、と内心でつぶやく。
 そんな彼女の言葉通り、鑑定は大した時間もかからず終了した。
 「特に危険なモノではないわね。変身作用のある魔力があるだけだわ。」
 「変身、ですか。アニメみたいな魔女っ子とか? まさか狼男に変身、なんてことはないですよね。」
 「どちらもはずれ。」
 にこりと笑ってシリューナはティレイラの手を取り、きょとんとしている少女の腕に腕輪を通した。
 「あ、何するんですか!」
 「試してみるのが手っ取り早いかと思って。危険はないから大丈夫よ。」
 「そういう問題じゃありません!」
 憤然と抗議するティレイラは、言葉の途中で自分の体に異変が起きたことに気付きあわてて視線を足下に落とした。スカートからのびているしなやかな両足にきらきらと光る鱗が浮かび始めている。
 「女の子は魔女っ子や人魚姫にあこがれるものよね。」
 「に、人魚?」
 そうつぶやく端から徐々に足が鱗におおわれ、まさしく魚のように変わっていく様を見てティレイラの顔が青ざめた。その少女らしいふっくらとしたほほを汗が伝う。腕輪を取ろうにも、未だその腕はシリューナにつかまれたままだ。
 「離して下さい、お姉さま!」
 あわてふためいてそう叫ぶティレイラの反応を楽しげに見やるシリューナは、しばらく人魚姿の弟子のオブジェを愛でたいという衝動に駆られ、とうとうおさえきれず少女の腕をつかんだままそっと石化の呪術をかけた。
 シリューナの握っている手首のあたりから、まるで絵の具が溶けて水に流れたように音もなく色が去っていく。ティレイラの体に残されたのは真珠のような光沢を持つ、混じりけのない純粋な白一色だ。
 人魚の姿に変えられたばかりか石化までし始めたことを察したティレイラは、またお姉さまに遊ばれてしまうと嘆いたが、それを口にする前にまばたきさえできない彫像と化してしまった。そこでようやく手を離したシリューナは数歩、かわいい弟子のオブジェから距離をとってその全身を眺めやる。
 今にも肩にかかりそうなところで制止している流れるような髪、緻密な服のしわになめらかな曲線を描いている尾ひれ。そこには一枚一枚鱗が綺麗に並び、人と魚の融合という異様な、しかし、だからこそ惹きつけてやまない妖しげな魅力を浮き彫りにしていた。
 そして何より、ティレイラの困ったようなあわてたような表情が石となった今は憂いを帯びて見え、躍動感や生命力、存在感を持つ体とは対照的に幻想的である。
 シリューナは足音も立てず石像に近付くと、その首筋に手をのばした。指で触れるとひやりとした石の温度が彼女の熱をほんの少し奪ってほどけ消えていく。
 ティレイラの命、活力、かわいらしさや美しさをすべて、最高の瞬間でとどめたそれは文句なしの芸術品だった。白いほほに顔を寄せると息吹を感じる代わりにシリューナ自身の中から熱い感情がこみ上げてくる。それは対象が弟子であるとか妹のようであるとか、そういった血の通った生物的なものから生まれる感情である以前に、純然たる美への感嘆と讃美だった。
 そしてもちろん、ティレイラ自身への愛しさがあってこそである。
 シリューナはうっとりとため息をついて店を早仕舞いすると、思う存分その美しさと愛しさを堪能したのだった。

 「品物を勝手に使用されては困ります、リュクテイア様。」
 「固いこと言わないで。だってこれ、素敵でしょう?」
 後日、シリューナに件の腕輪の鑑定を任せた美術館の館長は、人魚の石像と化したティレイラを目にしてまずやんわりと苦情を述べたが、さらりと一蹴されて「困った人だ」と言うように小さく肩をすくめた。
 それからどこか愉快そうな猫なで声で言う。
 「しかし、確かにこれは素晴らしい。どうです、しばらく我が館に特別展示品ということで飾らせていただけませんか? 先日のお買い上げ品に問題もないようですし、対価はそれで帳消しということでいかがですか。」
 「それはいい取引ね。」
 そう言ってシリューナは満足そうにうなずく。
 そんな師のかたわらで石像と化したままのティレイラが「ちっとも良くありません!」と悲鳴をあげていたがそれは少女の胸の内だけで、言葉として発せられることはなかった。



     了
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2011年11月21日

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