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『夢抱く朝の。〜君抱く夢を 』
来生・十四郎0883

 どうも年末辺りから、兄の様子がおかしいような気はして居た。妙にぼんやりとしていたり、かと思えば急に頭を振ってみたり。
 だが来生・十四郎(きすぎ・としろう)はそれを、さして深刻に受け止めては居なかった。それはけっして、十四郎が兄を蔑ろにしていたというわけではなく、兄の様子がおかしいことは言ってみればあまり珍しいことではなかったからだ。
 考えてみれば当然かもしれない。兄、来生・一義(きすぎ・かずよし)は普段でこそ口うるさく十四郎の生活態度を注意したり、家事全般を担当したり、時にはふらふらと迷子になって十四郎に迷惑をかけたりするけれども、その実はとっくの昔に鬼籍に入った、幽霊であるのだから。
 そう考えてみると、幽霊である兄が当たり前と錯覚しそうなほど当たり前に、同じ部屋で暮らしていること自体がそもそもおかしいのだから、多少その兄の態度が不審だろうと気にする方がおかしいのだろう。だから十四郎は正直なところ、その夜、兄がごくごく深刻な、どこか思い詰めたような顔で声をかけてくるまで、まったくもって気にしていなかったのだ。

「‥‥十四郎、頼みがある」
「ん?」

 新たしき年も始まった、まさに新年最初の夜のことだった。一義が作ったささやかなお節で腹を満たした十四郎は、今はお正月用にちょっと奮発したらしい、いつもよりも幾らか上等なお酒を1人、ちびちびと飲んでいて。
 ずいぶん深刻な声色だと、不審に思って兄の方を振り返る。振り返り、その思い詰めた顔を酔いの滲んだ胡乱な眼差しで見る。

「――新年早々何シケた面してんだよ、酒が不味くなるだろうが」
「あぁ、すまない。‥‥お前に、頼みがあって」
「頼み?」

 我ながら、ほんの少し酔いが滲んでいたようにも思える口調で冷たく言った十四郎に、一義は素直に頭を下げた後、もう一度その言葉を繰り返した。くい、と手の中のお猪口を煽り、卓に置きながら改めて、いったいこの兄が何を言い出したのかと確かめるように見つめる。
 ああ、と兄は頷きながら、空になったお猪口に酒を注いだ。兄自身はあまり、酒を嗜まない。
 そうしながらとつとつと拙い言葉を紡いだところによれば、一義は年末の買い出しの折りに町で初夢のおまじないの話を聞いて、どうしても見てみたくなったのだという。とはいえ兄はすでに死んだ身だからだろうか、眠っても夢を見る事は出来なくて。
 だからどうか、一義の代わりに十四郎が、一義の初夢を見てくれはしないだろうか――要約すると、兄はそういう事を言っているらしい。頼むと、頭を下げた一義に、下げられた十四郎は無意識に鼻に皺を寄せ、眉を潜めた。

「兄貴の代わりに初夢を見ろって? 訳が判んねぇな」

 そうして呟いたのは、そんな言葉。それはある意味で、十四郎の正直な感想だった。
 けれどもその言葉を聞いた兄が、悲しそうに眼差しを揺らして、それでも必死な様子で「そう、だな。だが――」と言い募ろうとするから。ほんの少し焦りを覚え、けれどもそれを表面には出さないように呆れた風を取り繕って、ぶっきらぼうに言葉を紡いだ。

「‥‥ああ判った、判ったから幽霊みたいな面すんな。ただし、見れるかどうかは保証しねぇぞ。あと、初夢のまじないとやらは兄貴がやれよ、んな面倒臭ぇことやってられるか」
「‥‥ああ! お礼にお前の晩酌にも付き合おう」

 やれやれと、我ながら芝居がかったため息を吐いた十四郎に、気付かなかったようで一義は何度も、何度も頷いた。そんな一義にニヤリと笑って、十四郎は机の上のお猪口を飲み干し、また手酌で酒を注ぐ。
 十四郎の気が変わらぬうちに、とでも思ったのだろう、さっそく『おまじない』の準備を始めた兄を見ながら、十四郎はぐい、とまたお猪口を煽った。どうやらもうとっくに道具は揃えていたらしい。
 窓際に出した小さな文机に、フェルトの下敷きを敷いた上には少し大きな四角い紙。横に置いた筆と墨は、子供向けのお習字セットから出してきたのだろう。
 そっと文鎮を乗せ、ぴんと背筋を伸ばして座った兄の背中に、気付かれないようまた、今度は自分自身に呆れたため息を、吐いた。
 確かに一義が言い出したのは、とてつもなく突拍子のない頼みだ。自分自身は夢を見られないから代わりに見てくれなんて、普通はまず言い出さないだろう。
 けれども十四郎の知る兄は、そう言った突拍子のない我が儘を、滅多に言い出すことなどなかったのだ。おまけに、あんなに悲しそうで、寂しそうな眼差しを向けられたら、困ってしまって――何となく、哀れで。
 つい、引き受けてしまったのは、だからだ。けれども素直にそれと言い出すのも気恥ずかしく、兄に、そして何より自分自身にそれを隠すため、ぶっきらぼうな物言いになってしまった。
 やれやれ、とまた、ため息。そうして再び、見るともなく兄の背中を見た眼差しの先、窓の向こうに横切る白い雪の欠片を見つけ、降ってきたかと肩をすくめる。
 あの程度なら恐らく、積もりはしないだろう。そう思ったが咄嗟に、電車が止まりはしないかと考えてしまうのが、宮仕えの悲しい性である。十四郎のような職業でも思うのだから、いわゆるサラリーマン家業ならなおさらだろう。
 そんな事を思い、ひょい、と首を伸ばして兄の手元を伺い見ると、ちょうど一義は「うん」と満足げに頷いて、筆をカタンと置いた所だった。紙の上には黒々とした文字がある。

『なかきよの
 とおのねふりの
 みなめさめ
 なみのりふねの
 おとのよきかな』

 あれが初夢のおまじないか、と十四郎は読み取れた語句を頭の中で呟き、思った。5・7・5・7・7の韻を踏んだ、日本人には恐らく馴染みのあるリズム。ちなみに、前から読んでも後ろから読んでもまったく同じ語句になる、こういう言葉遊びを『回文』と呼ぶ。
 十四郎の眼差しの先で、兄は丁寧に、丁寧に紙を折って帆掛け船を折った。それから布団を敷くと、枕の下に折った帆掛け船をそっと差し込む。
 そうしてどこかわくわくしたような、期待に満ちた眼差しで兄が振り返るのと、酒盃を重ねてきたせいか、ふわぁ、と大きな欠伸が口を付いて出たのは、同時。大きく伸びをして、十四郎は欠伸涙で滲んだ一義を見る。

「ま、用意が出来たんなら練るとするか」
「ああ。頼んだぞ」
「だから保証はしねぇぞ。――んじゃ、お休み」
「お休み」

 手早く寝間着に着替えながら、そっけない口調で断った十四郎に、解っていると頷いた一義はどこか、そわそわしていた。けれども机の上に放り出してきた徳利とお猪口に気付き、やれやれ、と立ち上がる。
 そうして机の上を片付け、十四郎が脱ぎ散らかした衣類をまとめて洗い場に持っていく、兄の気配を感じながら十四郎は、布団の中へと潜り込んだ。どうか、兄が見たいと願っている夢が見れますように――それが叶わなくともせめて、何かの夢を見れますように。
 そう願いながらまぶたを閉じれば、窓の外で振り続ける雪に、まるで自分が溶けていってしまう様な、そんな不思議な気持ちがした。軽い酔いも手伝って、するり、眠りの中へと滑り落ちる。


 ――明日。一体どんな夢を抱いて、目覚めの朝を迎えるのだろう。





 気付けば十四郎は、デスクでひたすら電卓を叩いていた。肩がバキバキに凝っていて、心なしかじんじんと頭痛までする。
 それにふと違和感を感じて、十四郎は電卓を叩く手を止め、周りをきょろきょろと見回した。一体全体、自分はいつの間にこんな場所に座って、電卓を叩いていたのかが解らなかったのだ。

(‥‥ここどこだ、夢の中か?)

 馴染みのないデスク、馴染みのない壁。周りには幾人かの社員達が居て、誰も彼もが同じ様に切羽詰った様子で電卓を叩いたり、或いはひたすら書類をめくったり、パソコンに向かって「なぜ合わない〜〜〜ッ!?」と悲鳴を上げていたりする。
 入稿前の編集部と、大体似たような雰囲気だが、明らかに異なる光景。けれども十四郎がふと、その光景に見覚えを覚えたのは、決してそれが理由ではなくて。
 ならばなぜ見覚えがあるのか、考える。考えて、考えて、考えて――不意に思いだし、あッ、と声をあげた。

(思い出した、兄貴の会社じゃねぇか)

 幾度か、一義に用事があって訪れた事がある、まさに兄の会社の、兄が勤めていたフロアだと、気付く。確か、十四郎は兄の為に初夢を見ようと眠りに就いたのだから、つまり自分にとっての兄のイメージはこの会社と言うことなのだろうか。
 そう考えたが、やはりどこか、違和感が消えない。そもそもなぜ十四郎は、彼らに混じって電卓を叩いていたのだ。そうしてなぜ、誰もそれに疑問を覚えた様子がないのだ。
 或いはそれこそが、ここが夢の中だという証なのか――ぼんやりと考えていた十四郎に、気付いた隣の机の男が、書類をめくる手を止めて「おい」と声をかけてきた。

「手、止まってるぞ! まだ伝票整理が終わってないんだろ」
「ぁ‥‥?」
「年度末の決算報告書、明日の朝に出せなかったらアウトだぞ!」
「はぁ?」

 なにやら真剣な様子で、周りには聞こえないように小声で言ってくることから、周りに聞こえないように気遣ってくれていることは解る。解るが、一体それは何の話だ。
 年度末の決算報告書? 伝票整理が終わってない? そう言えば一義がそんな事を昔、言っていたのかもしれないけれども、今どんなに記憶を漁った所で、果たしてあの兄とこんな会話をしたかどうかが思い出せない。
 反応のない十四郎に、相手は少し苛立ちを覚えたようだった。いよいよ消しようのない違和感と、何とも言えない焦燥感に駆られ、おい、と十四郎はそんな男に声をかけ。

「‥‥ちょっと、鏡貸してくれ」
「は?」

 今度は男の方が、怪訝な顔をする番だった。けれども首を傾げながら、引き出しの中から手鏡を引っ張り出して、ほら、と渡してくれる。
 礼を言って受け取って、覗き込んだ十四郎は今度こそ、鏡の向こうからこちらを見ている相手を見て、絶句した。おい、と上擦った声が漏れたのは、仕方がないだろう。

「こりゃ何の冗談だ?」

 鏡の中に居たのは、毎日毎日見慣れている相手――すなわち、一義だった。いつの間にか十四郎は、一義として会社に出勤し、一義の代わりに一義が担当していたと思しき業務をひたすら、こなしていたらしい。
 冗談だろうと、うんざりした気持ちで、思う。別に兄が嫌いと言っているわけではないが、自分以外の誰かになると言うのは思う以上に、何とも落ち着かない気持ちで。

(夢なら早く醒め‥‥るのはまずいか。これが、兄貴の奴が見たがってた初夢なんだろう、な)

 とは言えそういえば、一体どんな夢を見て欲しいのか、聞いていなかったのだけれども。そう思えば実にあの真面目な一義らしい夢かも知れないと、十四郎は苦笑する。
 ――だが、一義となって目の前の伝票を処理しなければならないのは、ここに居る十四郎なのだ。

「おい、終わったのか?」
「いや、まだだ」
「そっちの束を寄越せ。これの検算頼む」

 阿鼻叫喚。表現するならそんな言葉が相応しいような、そんな電卓との戦いが始まった。ひたすらキーを叩き続け、データを打ち込み、検算する。一義の中で、一義として振舞っている十四郎には、これが正しく会社の業務であるのかは解らない。解らないが、それでも十分に苦行だった。
 延々と同じことの繰り返し。今さらなんでこんな伝票がと頭を抱え、足りない伝票を探して会社の中を駆け回り。
 やっと最後の伝票の計算を終えて、開放感にぐったりと椅子に背を投げ出し、十四郎は大きく伸びをした。

(兄貴‥‥約束は、絶対、果たさせるぞ‥‥ッ)

 どうして自分が夢の中でまで、訳も解らない仕事をひたすら、切羽詰りながらこなさねばならないのだ。幾らそれが兄の望みだったとは言っても、どうにも割が合わない。
 だから、必ず――そう、思いながら疲労に負けてほんの少しだけと、十四郎は机に突っ伏し、目を閉じた――





 白い朝の陽射しを浴びて、十四郎はやっと目を覚ました。やっと――という表現が、これほど相応しい目覚めも他にはないだろう。
 ちら、と時間を確認すれば、折角の正月だと言うのにまったくいつも通りの時間に起きているのだから、身に染み付いた習慣と言うのは恐ろしい。実に長い夢だったと、ぐったりしながら起き上がった十四郎に、気付いた兄が枕元にすっ飛んできて、待ちきれない子供のように口を開いた。

「おはよう、十四郎。どんな夢だった?」
「‥‥ああ、お早う‥‥何だよ兄貴、寝てないのか?」

 呆れるような気持ちでそう言ったのは、兄の様子が眠りに付く前と少しも変わっていなかったからだ。いや、そもそも幽霊だというのに寝たの寝てないの、心配するのもどうなのだろうか。
 十四郎はつい、真面目にそんな事を考えて眉を寄せた。そんな十四郎を見上げて、ああ、ときっぱり頷いた兄に、今度は心底呆れ果てる。
 一義はよほど、楽しみに待って居たのだろう。それは解るが、なんというか、修学旅行前日で楽しみすぎて眠れない子供だろうか。
 割りと失礼な事を真剣に考え、ふぅ、と大きなため息を吐いた。それからごそごそ布団をはい出して、よっこらせ、と立ち上がる。
 そのまま顔を洗いに台所へ向かったのは、いつも通りの習慣だ。けれどもそんな十四郎を、一義が慌てて呼び止めた。

「十四郎!」
「んぁ?」
「それで、どんな夢だったんだ?」
「――‥‥あぁ」

 そう言えば、子供のような兄に呆れるあまり、まだ肝心の事を伝えては居なかったか。気付いて十四郎は足を止めたけれども、夢の中での出来事を思い返すとまた、目一杯に働いたあの疲労が思い起こされて。
 ぼり、と頭を掻いた十四郎は、自然、面倒くさそうに兄を見た。そうして「どんな夢だったかって」と、うんざりとしたため息を、吐き。

「1日中会社で仕事してたよ、兄貴がな」
「‥‥私、が?」
「ああ。‥‥全く、夢でも働かせやがって。約束はきっちり守ってもらうからな。‥‥年度末の決算報告書なんざしらねぇよ」

 心底うんざりしながら、十四郎は夢の中での事を思い出してまた、大きな大きなため息を吐いた。電卓を叩いても叩いても終わらない計算、合わない伝票、迫る締め切りとの戦い、そんなものは夢の中でだってもう2度と味わいたくない。
 そうは言っても十四郎自身は、その現物をまじまじと見た事も、実際に経理業務に携わった事もない。だからその体験が、実際に正しいものであるのかは解らないけれども、恐らくは似たような事を兄はやっていたのだろうと、思う。
 ――だから。うんざりしながらも、満足したかと兄を見やれば、大きく目を見開いたまま固まっていた。固まって、十四郎ではないどこかを見ていた。
 それに、ふとうんざりした気持ちが、霧散した。代わりに湧き上がってきたのは、満足感。きちんと兄の望みを叶えてやれたのだと、兄が見たかった夢を見てやれたのだと言う、安堵。
 けれども。

「おい、聞いてんのか、兄貴」
「あ、ああ‥‥聞いている。晩酌だったな。いつでも付き合おう」
「ッたく、大丈夫かね」

 それを素直に面に出すのはやっぱり気恥ずかしくて、ぶつくさ文句を言いながら十四郎は今度こそ、台所へと向かった。向かいながら通り過ぎざま、ぽん、と兄の肩を叩いていく。
 良かったな、と。言葉にならない代わりに、思いを込めて。
 ありがとうと、頭を下げた兄の気配を背中に感じた。それほどたいしたことはして居ないと、胸の中でだけ呟いて十四郎は蛇口を捻り、冬の痺れるような寒さの水で、顔を洗う。
 冴え冴えとした水が、僅かに残っていた眠気をふっ飛ばしていくのを、感じた。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /   PC名   / 性別 / 年齢  /     職業      】
 0883   /  来生・十四郎 / 男  /  28  / 五流雑誌「週刊民衆」記者
 3179   /  来生・一義  / 男  /  23  / 弟の守護霊・来生家主夫

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。
というかこちらこそ、今年もどうぞ宜しくお願い致します‥‥もう2月も半ばですが(ぁー

ご兄弟の新年早々のほのぼのとした(?)物語、如何でしたでしょうか。
悪態をつきながらも、お兄様の願いを叶えて差し上げる弟さんがとても、お優しいなぁ、とほっこり致しました(笑
本当に仲良しのご兄弟で、いつも楽しく、優しく書かせて頂いております♪
窓が開いてる限りはいつでもオープンな気持ちで待ちしておりますので、期限とかはまったくお気になさらず、です(ぐっ
‥‥ところで、年度末の決算書の作成イメージって、こんな感じで良かったでしょうか(あせあせ←

ご発注者様のイメージ通りの、優しい思いやりに満ちたノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
WF!迎春ドリームノベル -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2012年02月13日

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