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『夢の先で待つ 』
エスリン・マッカレル(ea9669)&ネフティス・ネト・アメン(ea2834)

●甘やかな一時
 緩やかな楽の音が甘い旋律を繰り返し奏でていた。
 燭台に灯された無数の蝋燭が幻想的に照らし出すホールでは、着飾った男女が互いに腕を絡め、楽しげに踊る。
 その片隅で、エスリンはぼんやりと周囲を眺めていた。
 何故、自分がここにいるのか、はっきりと思い出せない。
 身に纏うのは、いつもの甲冑ではなく、ふんわりと柔らかな絹のドレスだ。
 こんなドレスを持っていた記憶はない。顔にヒビが入ると脅されながら、仲間達が着飾ってくれた事があったが、その時のドレスよりも数倍露出が‥‥いや、豪華だ。
 戸惑うエスリンを余所に、笑いさざめく男女はくるくると踊り続け、楽団は軽やかな曲を奏で続ける。
 まるで、エスリンなど存在していないかのように。
 突然襲って来た孤独感。
 蝋燭の灯りが作る光の輪から外れた暗がりで、エスリンは身を縮込ませた。
 居場所のない世界は寂しくて虚しい。
「私の居場所は‥‥」
 どこだったのだろう?
 確かにあった。自分の全てをかける場所が。なのに、どうして、今、こんな所にいるのだろう。
「寒い‥‥」
 震えながら、エスリンは視線を走らせた。
 踊りに興じる男女はエスリンに気付く事もない。
 くらりと世界が揺れた。このまま世界が壊れてしまいそうな、そんな感覚に襲われる。けれど、ホールの男女は変わらず踊り続けていた。足元の大理石が、音を立てて崩れ始めているというのに。
 足場を探すと同時に、エスリンは腰に手をやった。このまま埋もれてしまうわけにはいかない。自分には、やらねばならぬ事があるのだから。
「やらねば‥‥ならぬ事‥‥」
 そう呟いた瞬間、周囲の景色が一変した。
 崩れかけていた床は、いつの間にか花で埋め尽くされていた。
 ホールに溢れていた男女の姿も、消えている。
 芳しい花の香りを運ぶ風が吹き上げて、緩く結ったエスリンの髪を乱す。髪を押さえて目を瞑ると、不意に風が止んだ。落ちた影に気づいて、顔を上げれば、そこには光が溢れていた。
「トリスタン‥‥卿‥‥」
 流れる金糸が「この世のものとは思われない」と噂される美貌を縁取る。見間違うはずもない。エスリンがずっと、その背を見続けた人、イギリスの王、アーサーの信頼も篤い円卓の騎士の1人、トリスタン・トリストラムだ。
 差し出された手に手を重ねたのは無意識。
「あ‥‥」
 慌てて引こうとした手を、軽く握り込まれて息を呑む。エスリンを見つめる碧い瞳は、いつも静かな空のように凪いでいる。なのに、今は‥‥。
「トリスタン卿?」
 これまで見た事がない、見惚れるような微笑みを浮かべて、トリスタンは握った手を引いた。
「!!!」
 抱き合う形になって、エスリンは焦る。
 戦いの最中、互いの身が触れ合う事もあった。しかし、それはあくまで戦闘中の、互いを庇ったが為の事で、平時にこんな、こんな‥‥。
「エスリン」
 深い、耳に心地よい響きを持つ彼の声が名を呼ぶ。
 頭の芯に霞が掛ったかのようだ。頬に血が上り、心臓が早鐘を打つ。このまま、心臓が壊れて死んでしまうのではないかと思ったその時に。
「っっ!!」
 片膝をついたトリスタンが、エスリンの手にそっと唇を近付けた。
 貴婦人への礼、だ。
 沸騰した頭で、考える。
 何度も見て来た。貴婦人に対する騎士の礼。それを、トリスタンが誰かに捧げる事は少なくない。騎士として、当然の事だ。その傍らに控えながら、それでも、いつか‥‥と、心の隅で小さな願いが育つのを止める事は出来なかった。
「あ、あの‥‥トリスタン卿‥‥」
 手の甲に柔らかい感触を残し、トリスタンは姿勢を正す。
「エスリン」
 名を呼ぶ彼の声がいつもより甘いのは、エスリンの思い込み、願望故のものだろうか。
「私と踊って貰えないだろうか」
「‥‥は、はい」
 常に毅然とした騎士たらんと、己の心を自制して来たエスリンだが、今はただの娘に戻ってしまったようだ。
 頬を染めて俯き、虫が鳴くように微かな声で了承の意を伝える。それでも、彼にはちゃんと届いたらしい。
 腰を引き寄せられ、腕を取られた所で楽の音が戻って来た。
「そう固くなる必要はない」
 耳元で囁かれる声は笑み混じり。
 ますますエスリンの動きがぎこちなくなる。
「力を抜いて、音を聞くのだ。後は、私に任せるだけでいい」
 そう言われても、足を踏んでしまわないかとか、心臓の音が聞こえてしまわないかとか、余計な事を考えてしまう。
 くすりとトリスタンが笑った気配が伝わって来た。
「それと、何よりもこの一時を楽しむこと。折角の逢瀬の時、そのように緊張してばかりでは勿体ない」
 砕けた物言いに、エスリンの頬にも笑みが浮かぶ。
 そうして、2人は寄り添い合い、花びらの舞い散る中で踊り続けた−−。

●前へ進む力
「エスリン、エスリンってば!」
 誰かに肩を揺さぶられて、エスリンは目を開いた。
 薄暗闇の中、心配そうに覗き込んでいるのはネフティス・ネト・アメン、己の友人だ。
「ネティ‥‥、どうした?」
 掠れた声に自分で驚いてしまう。周囲を見回せば、ところどころ隙間が空いた壁と歩く度にぎしぎしと音のする床‥‥昨夜の寝床と定めた宿の一室であった。
「どうしたもこうしたもないわよ。‥‥大丈夫?」
「?」
 首を傾げれば、ネティの指先がそっと目元を拭う。
「‥‥私は‥‥泣いて、いたのか?」
「うん。‥‥怖い夢でもみた?」
 問えば、エスリンは自分の手のひらに視線を落とした。
「エスリン?」
「怖い‥‥夢ではなかった」
 手の上に落ちた淡雪が溶けてしまうように、消えてしまった夢の欠片。
 ぎゅっと、手を握り締める。
「とても‥‥長くて、幸せな夢。‥‥けれど、悲しい夢」
 呟くエスリンの表情が切なくて、ネティは握り締められた手に手を伸ばした。
「そう‥‥なんだ」
 言いたい事、聞きたい事は色々あったけれど、ネティの口から洩れた言葉はそれだけだった。
 ネティには、エスリンの辛さを思い遣る事は出来ても、本当の意味で理解する事は出来ない。
 心から慕った相手の心臓を目の前で奪われ、その身体は何処かへ隠され、今は細い蜘蛛の糸よりも細くて脆い希望を手繰り寄せる為に東奔西走している。そんな経験は、ネティにはない。だから、いくら言葉を尽くして励ましても、どこか薄ら寒い、実を伴わないものに思えてしまうのだ。
−エスリン‥‥。 
 トリスタンが心臓を奪われてから時間が経つ。
 その間、クロウ・クルワッハは冒険者の手によって退治され、デビルの侵攻も食い止めた。けれど、アスタロトの手に渡ったトリスタンの心臓は戻って来ない。アスタロト自身も、どこかへ姿をくらましたまま。
 僅かな手掛かりを求め、希望を繋いでいる彼女の心は、極限状態まで追い詰められているはずだ。
−私に、何がしてあげられるのかしら‥‥。
 ネティは瞼を伏せた。
 未来を見通す太陽神の力も、エスリンの未来を照らし出してはくれない。
 それは、エスリンの未来が、トリスタン‥‥地獄の大侯爵たるアスタロトの手のうちに囚われた彼の未来に深く関わるからだろう。闇の世界は、いくら太陽神でも視る事は出来ない。それが定めだ。
 だけど、ネティは思うのだ。
 視えないからこそ、希望があるのだ。
 太陽神は、未来を教えてくれる。その結果が幸せなものであれば、このまま進めばいい。不幸せなものであれば、その原因を考えて、未来を変えていける。
 全く視えない未来は、不安も呼ぶけれど、それは先が「定まっていない」からなのだ。
 昔、誰かも言っていた。決まっていないなら、自分達の手で幸せな未来を掴み取ればいいのだと。
「エスリ‥‥」
 明るく声を掛けようとしたネティが動きを止める。
 はらはらと静かに、エスリンは手を見つめて涙を流していた。
「笑っておられたのだ。笑って、私の手を取り、踊っておられた‥‥! 私は!」
 唇を噛むと、ネティは勢いよくエスリンの頬に手を当てた。
 びたん、と派手な音がなるが、音ほどは痛くないはずだ。
 驚いたように瞬きをするエスリンの目に目を合わせると、ネティはにっこりと笑ってみせた。
「まったく。エスリンってば、時々お間抜けさんよね」
「ネティ?」
 わざと怒った風に肩をそびやかして、ネティはエスリンを見下ろす。
「いーい? 今から、私が夢解きをしてあげるから、ちゃんと聞くのよ?」
 頼りない眼差しを向けて来る友人に、心が痛くなりながらもネティは虚勢を張って笑みを作った。ぴんっと指を立て、エスリンの胸元に突き立てる。
「本当は、エスリン自身も分かっているはずよ。ここで」
 そして、自分の胸元にも。
 そう、ネティも知っていた。
 必死に足掻くエスリンの中、ほんの僅かに残る絶望。
 それは、目の前でトリスタンが倒れた時についた彼女の心の傷。
 助けられなかったという後悔と共に、いつも彼女の心の隅で血を流し続けている。
「ここで止まったら、いつまでも同じ場所で踊り続ける事になるってこと。思い出の中の幸せな時間だけを心に描いて。でもね、それは夢でしかないのよ。本当に掴み取りたいものは、どんなに苦しくても辛くても、前に進まなくちゃ手に入らないの」
「ネティ」
 時々、その傷が痛むのは分かる。
 けれど、その痛みに蹲ったままでは前に進めないのだ。
 暗に込めた思いは、ちゃんとエスリンに届いたようだ。
 まだ弱々しいが、エスリンらしい笑みを浮かべてネティを振り仰ぐ。
「そう、だな。ネティの言う通りだ。どんなに甘く‥‥優しい夢であっても夢は所詮夢。私は、必ず、本当のトリスタン卿を取り戻す」
 何かを包むように握られていた手に力が籠る。
 徐々に戻って来た瞳の強さに、ネティはそっと安堵の息を吐いた。
「そうよ。ホラ、分かったら起きて。朝ご飯食べて、出発しましょ。目的地はまだ先なんでしょ?」
 ああと頷いて、エスリンは急かされるままに夜着に手を掛けた。
 いつもの旅装に着替えて宿を出たら、今日は一息に駆けよう。

 今は、そこにいない人だけど、あなたを必ず取り戻す。
 その誓いを、もう一度胸に刻み込む為に。

●留まる心
 水滴の落ちる音が洞窟の中に反響する。
 奥には白い光が満ちていた。
 まぶしくはない。けれど、温かな光だ。
 光の中心で眠る青年の様子は、ここに運ばれて来た日から変わらない。
 血の気の失せた白い顔は、造り物めいた容貌を一層人形のように見せていたし、ぴくりとも動かない四肢もあいまって、まるで命を持たない彫刻のようだ。
「このまま永遠に眠り続けますか、トリスタン。‥‥そうすれば、もう何も苦しまなくてもいい‥‥。苦しまなくてもいいのです」
 流れ落ちる金の髪を梳くと、女は指を走らせ、その頬を愛しそうにそっと撫で続けたのだった。 
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2012年02月13日

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