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『庭名の七代目 』
庭名・紫8544)&高遠・誠一(8545)&(登場しない)


 ある高級マンションに、黒塗りの高級車が止まった。その光沢は、見る者を威圧する。そして中から出てくる男たちもまた、人々に畏敬を求める風体であった。
 彼らは極道「庭名会」の面々である。花街の運営組合を走りとし、同地域の歓楽街の開発や運営組合に多大なる影響を持つ。今現在、花街は存在しないが、庭名会の本部は今もそのまま残っている。
 車の上座から降りたのは、庭名会の幹部であった。彼は端正な顔を眼鏡で隠し、恵まれた体躯をスーツで包む。見せる仕草は非常にスマートで、とても極道だと思えない。そんな彼に近づく部下こそ、動作の端々に古典的なヤクザの匂いを漂わせていた。もちろん上役がそれを咎めるわけもないが。
「高遠さん、ご案内いたしやす」
 高遠と呼ばれた男は「ああ」と短く答えながら、右手の指で眼鏡の位置を直した。
 それを聞いた部下は、周囲に警戒の視線を飛ばしつつ、入口からエントランス、そしてエレベーターへと導く。
 極道には敵が付き物だが、この日も例外ではない。どこかに幹部のタマを狙う鉄砲玉がいるやもしれぬ。高遠もそれとなく警戒はしていた。
 今日の仕事は庭名にとって、大きな意味を持つ。本来であれば、もっと多くの護衛をつけてもおかしくない。しかし高遠は、あえて普段と同じ対応で望む旨を伝えた。彼は「庭名の切れ者」として名高い。異論を差し挟む者はいなかった。

 仕事の舞台となる一室の玄関にはネームプレートがないが、事前に部屋番号は把握している。高遠は三度ノックし、家主の反応を待った。
「はい、どちら様でしょう‥‥」
 その声は驚くほど若く、未成年であることは明白だ。何も聞かされていない部下は目を丸くする。
「秘書の、高遠 誠一です」
 幹部は外向きの役職と自分の名を告げ、少女の入室許可を待つ。それから10秒もしないうちに、玄関の錠が下りた。
「失礼いたします」
 高遠はおもむろにドアを開け、相手の顔が見えればすぐに一礼。部下もそれに倣う。出迎えた少女は当然のごとく、戸惑いの表情で出迎えた。
「立ち話だと長くなりますので、よろしければ中に‥‥お嬢様の体調を損なってはいけませんので」
「わかりました。どうぞ」
 不安混じりの少女を端的に表すならば、可憐に咲く花一輪。もうひとつ表現を付け加えるなら、どこか儚げに見えた。

 彼女の名は、紫。苗字は庭名‥‥そう、庭名 紫。高遠が所属する会の名を持つ少女で、先代の実の娘であるが、本人はそのことを知らない。体が強くなく、貧血体質。さらに幼少の頃は病弱で、入退院を繰り返していたという。
 今の生活は、高遠たちが足を踏み入れた場所で大半を過ごしている。部屋数が多く、広さも尋常ではないが、来客はほとんどない。家具から調度品に至るまで、すべてが高級品。この状況を不思議に思わず住めるのは、彼女が少なからず世間知らずであるからだろう。よく言えば、親の愛情を素直に受け入れる純粋さを、今も持っていることの証明でもあった。
 高遠はまず、親の素性について話さなければならない。ただ、紫とは初対面ではなかった。彼女が幼い頃、自分の身分を「秘書」という言葉で隠し、病室で話し相手になったことが何度かある。高遠にしてみれば祖父の命に従ったまでだが、紫はこのことをよく覚えていた。満足に学校へ通えない彼女にとって、年の離れた高遠を友達のような存在と認識するのは、ある意味で自然の流れである。
 紫はそんな感情を抱く人に、進んでお茶を出す。高遠は「ありがとうございます」と礼を述べて一口飲むと、彼女も頬を緩めた。
「この度は、残念なことになりました」
「ええ。祖父に続いて、父も‥‥」
 紫の祖父は、急性心不全で他界。その息子である父は葬式の当日、何者かによって殺害された。
 一度にふたりの家族を失った紫だが、高遠の前では気丈に振る舞っている。というか、むしろ「彼女の心が悲しみを感じていない」ようにも見受けられた。

 実はこのことが原因で、庭名会はある問題に直面している。跡目問題だ。
 庭名会は世襲制なので、紫の祖父はともかく、父の死は致命的なダメージとなった。無論、動揺したのは末端の人間だけ。一握りの幹部は解決策を知ってはいたが、未成年の少女を会長に据えるのは至難の業と頭を抱えていた。この状態を長く続けても得はなく、どこぞの敵に知られれば騒動の元になりかねない。
 そこで会長付として重用され、会の内部業務を任されている高遠に白羽の矢が立った。六代に渡る伝統、そして先代までに積み上げられた義理と面子に賭け、庭名会の会長に紫を迎えよと。無論、高遠に異議はない。だからこそ、ここに足を運んだ。そして、いたいけな少女に真実を伝える。
「お嬢様はご存知ないでしょうが、庭名は‥‥極道の家です」
 この言葉には、さすがの紫も驚きを隠さなかった。
「ごく、どう‥‥」
「ええ。今までも多くの連中が、お父上たち先代を慕い、組織のために働いてきました」
 高遠はなるべく、わかりやすい表現を使うことを心がけた。あまり説明を急いては、こちらの申し出を理解してもらえない可能性もある。
 もっとも紫は聡明で、豪華な部屋を見渡し、「そうですか、そうですよね」と呟きながら頷いた。
「祖父はもちろん、父もいつも忙しそうにしてましたけど‥‥そういうことだったんですね」
 彼女は自分を納得させるかのように何度も言葉を重ねると同時に、何とも言えない寂しさを見せた。
 家業が極道であることを知っても、病院にいる自分に構ってくれない寂しさを紛らわすまでには至らない。思春期に刻まれた心の傷は、簡単には癒えないものだ。
「お父上が真実を明かさなかったのは、ひとえにお嬢様を心配されてのこと。その点はご理解ください」
 高遠は不意に、少女を気遣うような言葉を口にした。紫は「ありがとうございます」と答えるが、その表情は冴えない。
「ここからが本題です。庭名会のトップである会長職は世襲制。つまり次の会長はお嬢様、ということになるのですが‥‥」
 ここで一服せず、高遠は言葉を続けた。
「こんなことでお嬢様の気を煩わすことは、本当に心苦しく思っています。しかし庭名に関わるすべての人間を安堵させるには、お嬢様を頼りにするしかないのです」
 ここまで話すと、高遠はソファーから離れ、床の上で正座した。
「た、高遠さん、ちょっと‥‥」
 これを見て驚いた紫も、思わず地面に膝を突く。
「このような形でしかお願いできませんが、どうぞお聞き届けください。お嬢様には会長に就任、七代目を名乗っていただきたく。これは庭名会の総意です」
 彼は何のためらいもなく、床に額をつけた。これが極道の礼儀‥‥それも最上級の礼儀かと、紫は目を丸くする。
 少女は戸惑いを隠さなかったが、無意識に「誰かに必要とされる実感」を抱いていた。それは幼い頃に得られなかった充足感でもある。自分が会長を引き受ければ、常に誰かと接する機会に恵まれ、他の誰かも同じ気持ちを共有できるはずだ。
 今までの育ちのせいか、紫は妙な使命感と責任感が生まれる。それは彼女が今も純粋な心を持っていることの裏返しであった。
 そしてこれ以上、自分を知る高遠に土下座はさせられないと、紫は手を差し伸べる。そして「顔を上げてください」と声をかけた。その声は凛とした響きを帯びている。
「高遠さん、わかりました。祖父や父、そして高遠さんが私を守ってくれたように、今度は私が皆さんを守ります」
「ありがとう、ございます」
 ひとりの少女が七代目の会長就任を決心した瞬間に立ち会った高遠は、もう一度だけ額を床につけた。そして会長に気を遣わせまいと、すっくと立つ。
「それでは早速、庭名の者に伝えてまいります。何か御用があれば、私にご連絡ください」
 高遠は紫に失礼のないよう、そして遠慮させぬように気遣いながら、この部屋を後にしたのだった。

 ここからの高遠の対応が早い。
 彼女の部屋を出るとすぐに、部下のひとりを手配し、マンションの見張りとして置いた。そして送迎の車に戻ると携帯電話を使って、他の幹部に状況報告を開始。その上で七代目就任のセッティングを始める。これが会長付の実力か‥‥思わず、運転手の男が舌を巻いた。
「さすがは庭名の切れ者っすね‥‥」
「このくらい、大したことじゃない。むしろこれからだ」
 それを聞いた高遠は、感情を込めずに話す。この話し口は、車から降りた時から再び乗り込むまでの間、一貫していた。ただの一度として、口調は変わっていない。そう、紫を説得していた時でさえも‥‥
「鼻の鈍った犬でなければ、この餌に飛びつくだろう。七代目の時代は荒れるかもな」
 彼は必要な連絡を終えると携帯電話の電源を切る。そしてそれを窓からおもむろに捨てた。
 高遠のすぐ近くに、特殊加工が施された車載電話が何も言わずに佇んでいる。庭名 紫の七代目襲名とは、彼にとって何になるのだろうか。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
市川智彦 クリエイターズルームへ
東京怪談
2012年04月06日

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