▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『繭 』
海原・みなも1252)&(登場しない)


 学校から帰宅して、夜、布団の中であたしは考えた。
(天使病に取り込まれてしまったんじゃない、あたしが天使病を取り込んだの)
 そう言える状態にしたい。
 ピンチはチャンス。天使病に冒されきった身体をどこまで制御出来るか――。
(どうせ今は眠れない夜だもの……)
 寝返りを打ちながら朝が来るのを待つよりは、甘美な野望を抱く方が良い。

 月明かりが零れる部屋で、あたしは本能の赴くまま身を委ねた。
 透き通った肌から羽が一枚一枚、顔を出す。
 ぷつり。ぷつり。羽が芽吹いていく。
(う……)
 あたしは身体を震わせた。薄い肌を突き破られていく感触が、あたしという水面に波紋を立てた。
 羽はますます勢いをつけて。
 仄暗い中でも光を求めるように、柔らかなその身を広げていく。
 そこには天使の羽という無垢なイメージとは程遠い、貪欲さがあった。
(飢えているのね……きっと……)
 無理に制御され続け、あたしという中に羽を押し込められていた“天使”は――確かに、自由に飢えていた。
(いいの……今は……解放して……)
 無数の羽が伸びていくのを、あたしは感じていた。
(…………!)
 まるで自分の身体が伸ばされていくような心持ち。羽の中に神経が張り巡らされているみたいだった。
 じんわりと広がり続ける羽と、羽。
 羽同士が触れ合う度、柔らかくくすぐられているような感覚に襲われて、あたしは小さく声をあげた。悦びとも悲鳴ともつかない、一瞬の吐息を。
 ――甘い香りがする。
 花の香りとは違う、砂糖を入れたホットミルクみたいな匂い。
 甘く、幸福に包まれるような……気持ち。
 ――伸びきった羽が、あたしの身体を包み込み始めていた。

 全身が羽に覆われていた。
 歩こうと思って、足を畳につけただけで……だめ。
「ふふっ……」
 くすぐったい!
 それに羽のせいか力が出なくて。笑いだした拍子に膝が折れて、あたしは畳に倒れ込んだ。
「きゃあっ……ふふふ……く」
 くの字に身体を曲げて。あたしは笑いを抑えられなかった。数え切れない数の羽と畳の目がこすれあって、くすぐったくてたまらなかった。
 今や翼と化した手足では、役に立たなかった。力の入れどころがわからなくて、手で物を掴むことも出来なかった。
 羽となった指先で布団をなぞると、羽の膨らみを通してひんやりとした布団の温度が伝わってきた。撫でているのか撫でられているのかわからなくなる。
 背中を畳の上に投げ出したときが一番気持ち良い。
 ザラザラとしたイグサの感触と匂い、羽の柔らかな感触と甘い匂いが混じり合って、あたしの身体に快楽をもたらした。
 そこには浮遊感があった。
 絵に描いた雲の上に、寝そべっているみたい――。
(そうだ、浮遊……)
 羽があるのだから、宙に浮けば良いのだ。
 あまり羽ばたいては天井に頭をぶつけてしまうから、そっと……そっと。
 ゆっくりと全身の羽を震わせて、あたしは宙に浮いた。
(出来た……出来たっ)
 天使病に初めて感染してから経験を積んでいるだけに、以前より上手く扱えるのだろう。
(すっごい……あたしにもやれたんだあ……)
 羽の動きを調節しながら、あたしは失敗しつつも前に進んだ。
 口で部屋の電気をつけて。
 この姿を一目見ようと、鏡の前に降り立った。

「いや……いやああああああ!」

 唇を割いて溢れてくる悲鳴を、押し込めるのが、どれだけ大変だったか!
 鏡には顔から胸から手足から……羽を伸びきらせた、奇妙な生き物が映っていた。
 天使のイメージからほど遠い、気味の悪い姿――。
 小さく震える羽は、透明な肌を突き破ってぶるぶると蠢いていた。
(こんなの、こんなの……あたしじゃない!)
 い、や、ア、ア、ア。
 ――歯茎に違和感を覚えた。
(何かが――)
 うぞうぞと、歯の間を割って生えてきたそれは、見るまでもなく羽だった。
 口を閉じても、ふっくらした唇の間から、零れ出てくる。柔らかく、しなやかに。
 羽は穏やかにあたしを冒す。あたしの乱れた感情を突いて。

 目を開けても、純白の色しか見えない。
 目の前は羽で覆われてしまった。
 見えないけど、後ろもきっとそうなんだろう。
(……繭、みたい)
 羽で塞がれた口の中で、呟いた。
 この姿を人が見たら、どう思うんだろう。
 あたしって何?
 あたしってどんな存在?
(お父さん……あたし、こんなの嫌……)
 ――ふいに、お父さんの手紙のことを思い出した。

『失敗してもあまり落胆しないように。時間はたっぷりあるのだから、「きっといつか上手くいく」と大きく構えていなさい』

 お父さんの優しい声が頭の中に響いた。
 そうだ、お父さんは前に、そう書いた手紙をくれた。植物化に失敗して、異形の姿になったときに、そう励ましてくれたんだ。
 こんな姿のあたしでも、家族なら、きっと――。
 羽がふわりと動き始めた。風に揺れる木々のように。
 静かに視界が開けていった。
 鏡の前に現れたのは、羽の塊のようなあたしだったけど、もう悲鳴は出てこなかった。
 かわりに。あたしは鏡に向かって、微笑んだ。
 唇から零れていた羽の群れが、中へと戻って行く。

 繭に包まれた蛹だって、いつかは羽化する。


終。

PCシチュエーションノベル(シングル) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2012年06月29日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.