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『雨音。 』
朽木・颯哉8550)&辰川・幸輔(8542)&(登場しない)

 どんよりと重い雲が、町に圧し掛かるように見渡す限りの空を覆い尽くしていた。今が昼間だとは到底信じられない、どうかすれば夕方といっても過言ではないような、そんな天気。
 きっと、ほんの少しでも誰かが突けば、あの重たい雲からぽろぽろと幾つもの雨粒が零れ落ちてくるのではないか、そんな気がした。となれば自然、その空の下を行く人々の顔も暗くなりがちで。
 それはこの、鳥井組の本部でも変わらなかった。いかつい顔をした男達が時々、うんざりした様子で空を見上げたり、或いは心配そうに本部である屋敷に作られた日本庭園の方を見やっていたり、する。
 そんな中を、ふらり、歩く姿に目を留めて、組員の1人が「おい」と声をかけた。

「颯哉。出かけんのか?」
「‥‥ッす」

 その声に、ぼんやりとした眼差しを向けながら朽木・颯哉(くちるぎ・そうや)はそう返す。その声も、良く見れば足取りもどこかふわふわしている様だと、声をかけた組員は眉をひそめた。
 だが、当の颯哉はと言えばすぐに眼差しを逸らし、ふらり、ふらりと入り口へ歩いていく。否、彼はたった今、組員と交わした会話すら覚えては居なかった。
 自分が眼差しを向け、言葉を紡いだという自覚すら、なく。ただふわり、ふわりと歩いていく颯哉は実の所、久し振りに風邪を引き、意識が朦朧としていた。

(あっちぃ‥‥)

 朦朧とした意識の中で、そう思う。何しろただの風邪ではなく、高熱まで出ているのだから本来なら、立って歩くことすら難しいはずだ。寒気が出ていないだけマシ、と思うべきか。
 それでも颯哉がふらふらと、歩いているのは病院に行く為などではなく、ただ日々の日課であるシマの見回りのため。鳥井組の傘下に入ってからもう数年が過ぎようとしている今、颯哉の身体にその習慣はしっかりと染み付いているのだ。
 見回りに、行かなければ。そうしてあの人に、認めてもらわなければ――それは、傘下に入った頃からの強い、強い願い。
 あの人――辰川・幸輔(たつかわ・こうすけ)。今となっては誰よりも敬愛する兄貴分であり、颯哉の事を舎弟と可愛がってくれる幸輔だけれども、当時はものの見事に邪険にされ続ける日々だったから。
 与えられた仕事は何でもこなした。それ以外にも、役に立てることがないか必死に探した。そうして、ちょっとでも幸輔に振り向いて欲しくて、颯哉を見て欲しくて、認めてもらいたくて、良くやったと褒めて欲しくて――必死で。
 熱のせいだろう、最近ではすっかりそんな事もないのに颯哉は、何故だかあの頃と同じような気持ちで、シマへと向かう。そんな颯哉にまた誰かが「おい、颯哉。もしかして体調悪ぃんじゃねぇのか?」と言ったけれど、今度はまったく気付かなかった。
 朦朧とした意識の中でも、身体は通い慣れたシマへの道をしっかりと覚えている。この町に幾つかある繁華街の1つ、そこが今日、颯哉が見回りに向かっている場所だった。
 今にも泣き出しそうな空のせいだろう、繁華街にはあまり、人出はなかった。表通りを飾るのは、カタギ相手に商売をする鳥井組の経営する店。不動産屋からブティック、飲食店まで様々だ。
 いつもならばそれらの店の様子を伺い、時々は顔を出して店主と雑談をしたり、何か問題が起きてないか確かめたりするのが、日頃の颯哉の役割である。まだ若く、そうしてあまり極道らしくない今時の若者風情の颯哉は、営業時間中に堂々と店舗に出入りしても、一般客にも不審がられないのが良い所だ。
 けれども今日の颯哉はと言えば、周りを見回すわけでもなく、ふらふらと繁華街を歩いているだけで。いつもとは違う様子の颯哉に、心配した町の者が何人か、声をかけたのだけれどもやはり、その声も彼の耳には届かない。
 ――その路地にいつ入り込んでしまったのかも、だから、颯哉はまったく覚えていなかった。この辺りの繁華街は、ちょっと筋を逸れれば細い路地が幾つか有って、住民達の通り道になっている場所もあれば、不良達の溜まり場と化している場所もある。
 熱のせいで朦朧として、曲がる筋を間違えてしまったのか。或いは連れ込まれたのか――確かなのは、気づけば颯哉の目の前に明らかにチンピラ崩れの連中が居た、ということで。
 んー‥‥? とぼんやり、颯哉はチンピラ崩れどもを見上げて、そうしてこくり、首をかしげた。

「‥‥。‥‥‥‥。‥‥‥‥‥誰だ?」
「そっちは覚えてなくても、こっちはテメェの面、イヤってほど覚えてんだよ!!」

 颯哉の言葉にいきり立ったチンピラ崩れの1人が、ぐいッ、と胸倉を掴み上げながら吼える。今を去ること数年前、まさにこの町のこの場所で、彼らはまだ高校生だった颯哉に、ものの見事にこてんぱんにやられたのだ。
 だが、彼らとてやられっぱなしだったわけではない。小生意気な台詞でこちらを挑発してきた余所者に、きっちり引導を渡してやらねばと近隣の不良どもを呼び集め、多勢に無勢でボコにしかけた所で、この辺り一体をシメる鳥井組の若頭に見つかり、ほうほうの体で逃げ出したのだった。
 その言葉に、あぁ、と颯哉は笑った。

(辰川さんと会った時のアレか)

 あの頃、当たるを幸いにあちらこちらで喧嘩を売って回っていた颯哉には、そこまで言われてもなお、当たり前だが相手に関する記憶はない。けれどもそのエピソードは、とても特別でかけがえのないものとして、今でも颯哉の中に、ある。
 敬愛する兄貴分、憧れの人。たった一目で、たった一声で颯哉の中に強烈な存在感を残して行った。
 まるであのときの幸輔が目の前に現れたかの様な、そんな気持ちになってしまって、だからつい笑ってしまった颯哉の事を、当然ながら相手はそうは受け取らなかった。馬鹿にしやがってと、憎々しげに吐き出す。
 胸倉を掴み上げる腕に、力が篭った。

「落とし前は、いつかつけねぇといけねぇと思ってたんだ。テメェ、今日は調子悪いみたいじゃねぇか、あん時みたく逃げられると思うなよ」
「――どうだか」

 獲物をいたぶる獣のように、そう言ったチンピラに今度ははっきりと冷笑する。数年も前の因縁を、わざわざ今になって、颯哉の体調が悪いのを見計らって果たそうなどという時点で、こいつらの程度は知れた。
 だが、思えばそれはやはり、颯哉の油断で――そうして恐らくは、高熱ゆえに思考が朦朧としていたからこその、軽挙だったのだ。





 ちん、と電話を切って、幸輔はほんの少し考え込むように腕を組んだ。このご時勢になってなお、屋敷に付いているのが黒電話という時代錯誤について、ではない。
 先ほど、ふらふらと出て行く颯哉を見かけて、体調でも悪いのかと声をかけたものの、聞こえなかった様でさっさと見回りに行ってしまった。ガキじゃあるまいし、歩けてんだからそのうち帰ってくんだろ、と取りあえず放っておいたものの、一向に颯哉が帰ってくる気配はなく。
 極め付けが今の電話だ。颯哉に任せてるシマの繁華街から、颯哉がおかしいようだと心配の電話がかかってきたのである。
 鳥井組の息がかかっているとは言え、すべてが構成員というわけでは勿論、ない。現に電話をかけてきたのは、颯哉が鳥井組の人間だと知っては居るものの、アルバイトの女子高校生だ。
 見回りに行って素人さんに心配されてりゃ世話ねぇ、と思う。同時に、極道本部に心配の電話をかけようと思わせる程度に、颯哉の様子がおかしかったのだろうとも、思い。
 どうするかね、と胸ポケットから携帯を取り出す。ちらりと空を見上げれば、今にも泣き出しそうな空とは言え、まだまだ明るい。
 帰ってくるのが遅いから心配で、なんて今日び、小学生にだって電話をすることは稀だろう。まして夜中まで帰ってこないのならともかく、一応はまだ昼間なのだ。
 しばし、そのまま悩み。ふらふらと出て行く颯哉の背中を、思い出す。

「‥‥ったく、相変わらず世話ぁ焼けるヤツだな」

 呆れと、可愛い弟分への親しみのこもった声でそう呟いて、幸輔は胸ポケットに携帯を戻し、屋敷の入り口へと向かった。気付いた組員が、アレ、と声をかけてくる。

「出入りッすか、若頭?」
「阿呆。颯哉がおかしいって電話あったから、ちょっとその辺見てくらぁ」
「あぁ‥‥ちょっと前から様子、おかしかったッすもんね。傘持ってった方が良いッすよ。これから雨だって言ってやした」
「おまえのお気に入りのお天気キャスターがか?」

 そう言ったら、組員がデレッと笑う。幸輔はいまいち名前を覚えられないのだが、何だかいう胸のでかい美人お天気キャスターが、今の組員どものブームらしい。
 やれやれ、と今度は純粋に呆れたため息を吐き、幸輔は助言に従って長傘を手に屋敷を出た。確かに急がないと、すぐにでも振り出しそうな雲行きだ。





 ガ‥‥ッ!!
 骨まで砕けたんじゃないかと思うほど、激しい勢いで殴り飛ばされて、颯哉はあっさり吹っ飛び、背後にあったごみ箱に背中からぶち当たった。ガラガラと崩れるゴミ箱と、零れだした腐臭に顔を顰めながらゆらり、颯哉は立ち上がる。
 ぎょっとチンピラ崩れどもが目を剥いた。だが、変わらず颯哉の動きが鈍い事を悟ると、とたんに優位を確信し、侮蔑の表情を浮かべる。

「どうしたぁ? 威勢が良いのは口だけかよ」
「‥‥ッせぇ」

 その言葉と、思い通りに動かない身体に苛立ち、顔を顰めながら颯哉は、切った口の中から出た血と共に吐き捨てる。言われずとも、己がろくに動けていないことは、颯哉自身がよく解っていた。
 引き込んだ風邪と、高熱のせいだろう。かつては巻け知らずで鳴らした不良高校生であり、今では鳥居組の組員として動く颯哉ではあったが、普段と違って拳を握る力も弱く、速度もひどく遅かった。
 苛立つ。身体全体が重い。立って拳を構える、ただそれだけのことが酷くだるい。
 それでも何とか颯哉が、何度も殴り飛ばされ、転がされながらも立ち上がり、戦えているのは、恐らくは己の特異体質ゆえだった。ナイフで切り裂かれでもしない限り、殆ど痛みを感じない身体は、幾ら殴られた所で痛くも痒くもない。
 だが、それだけだ。高熱による体力の消耗を補えるわけでもなければ、殴られたダメージが残らないわけでもない。

(辰川さん‥‥)

 戦いながら思うのは、幸輔のこと。数年前のあの時は、思いもかけず幸輔が現れて、結果として不良どもを蹴散らし、颯哉を救ってくれた――夢見る小娘のように言えば、まさにピンチの時に救ってくれた王子様のように。
 けれども今日は、幸輔は居ない。この頃はすっかり、この辺りの見回りは颯哉の仕事になっているし、若頭としての仕事はますます増えている。
 だから自分で、何とかするしかなくて――なのになぜか、そう思うだけで酷く心もとなく、寂しく、虚しい。あの時は幸輔が居たのに、今は居ないというただそれだけで、切ない。
 助けて欲しいと願っているわけじゃなかった。こんな連中、調子さえ完璧ならあっという間に片付けられる。そうしたらきっと幸輔は、あんまりやり過ぎるなよと顔を顰めて、それからよくやったと言ってくれるだろう。
 あぁ、でも。今、幸輔は居ないのだ――

「ぐ‥‥はぁ‥‥ッ!」
「いい加減、しつこい‥‥ッ!!」

 倒れても倒れても立ち上がる、颯哉に業を煮やしたチンピラの1人が、思い切り腹に膝蹴りを叩き込んだ。痛みよりも、その勢いに肺の中の息を全部吐き出し、身体をくの字に折る。
 そうしてぐらり、ついに倒れて動かなくなった颯哉に、やっと満足したチンピラどもは、口々に罵声を浴びせながら上機嫌で、その場を去っていった。残されたのは、転がったゴミ箱と、みっともなく倒れた颯哉。
 はは、と乾いた笑いが、零れた。口の中いっぱいに広がる血の味に、ペッと血色の唾を吐き出してまた、自嘲する。

「‥‥なっさけねェな‥‥俺‥‥」

 よろよろと、軋む身体を必死に両腕で持ち上げ様とした。何度かがくりと崩れ落ちて、アスファルトにまともに顔から突っ込んで、それでも何とか起き上がる。
 だが、そこまでだった。ただでさえ高熱の出ている身体で、しかも幾らかやり返してやったとは言えほぼ良いように殴られたも等しいズタボロの状態では、鳥井組まで帰ることは愚か、ここから動くことも出来そうにない。
 ぎりぎり、近くの壁にもたれかかったのが、精一杯だった。ただそれだけの動作で息の上がる身体に舌打ちしながら、ぐったりと目を閉じる。
 ぽつり、額に水滴が降りかかった。うっすらと目を開ければ、ぽつり、ぽつりと、ついに空から降ってきた雨が無慈悲に、容赦なく颯哉の上に降り注いでくる。

「‥‥なっさけねェ、な‥‥‥はは‥‥ッ」

 どこまで皮肉なんだと、思わず笑いが込み上げた。ちょっと見回してみても、雨宿り出来る場所はなさそうだ。あったとしても、動けない。
 雨は、そんな颯哉を打ちのめすようにますます激しく、容赦なく颯哉に降り注ぎ、怪我と高熱に苦しむ身体から熱を奪った。こんな体調では、シャワー代わりなんて笑っていられない。

(熱‥‥上がった、かな‥‥)

 吐き出す己の吐息が熱い。だがどうにも動けそうになく、颯哉はただ両手足を投げ出す。
 ぼんやりとした、熱に浮かされた思考の中で、幸輔を想った。日頃から、弟分として颯哉を可愛がってくれる幸輔。こんなザマじゃ、彼に褒めてもらえない。
 あの人はオレをどう思っているんだろう。手のかかる弟分? やっかいな舎弟? 今では彼に認めてもらえていると思っているけれども、それでもこんな時、ふとした不安が込み上げてくる。
 疎まれているのではないか。颯哉がしつこく傍に居たから、諦めて相手をしてくれているだけじゃないのか。そんなのは嫌なのに。もっと、幸輔が自分にとって特別なように、幸輔にとっての自分も特別でありたいのに。
 誰よりも頼れる相手。誰よりも傍に居ることが許される存在。けれどもあの人の周りには、颯哉以外にもたくさんの人間が居て、あの人は厳しいクセに優しいから結局、そうした人達の相手をちゃんとしてやって――
 ちくり、胸が痛んだ。それは前から感じていた痛みでも、あった。たとえば颯哉の知らない幸輔の事を、別の誰かから聞いた時のような痛み。知らなかった幸輔の一面を知れたことが嬉しくて、同時にそれを知っていた相手になぜか、苛立ちと共に覚える痛み。
 どうしてだろうと、いつも思っていた。けれどもずっとその理由が解らなくて、胸の辺りにもやもやと雲がかかったようで、それに苛立っていた。

(‥‥あぁ、そうか‥‥)

 けれども、この雨がまるで颯哉の中の雲を払って行ったかのように、不意にそれを理解する。幸輔の一番傍に居たくて、幸輔と少しでも言葉を交わしたくて、幸輔の事を知りたくて――けれども自分以外の誰かが自分の知らない彼のことを知っているのに苛立った、その理由。
 憧れだと、ずっと思っていた。憧れている人のことだから何でも知りたくて、傍に居たくて、話したいのだと。彼の存在を感じていたいのだと、叶わぬならばせめて姿だけでも見たいのだと。
 それは全部――憧れだったはずだった。けれども、とっくにその境界を踏み越えていたことに今、気付いた。
 小さく、小さく颯哉は嗤う。それは、そんな想いを抱いてしまったからなのか、今の今まで気付かなかった鈍い自分に対してなのか、それとも自覚した今となっては泣きたいほどに彼に会いたいと願ってしまうからなのか、解らなかった。





 漸くのことで颯哉を見つけ出した時には、雨はすっかり本降りで、止みそうな気配はどこにも見えなかった。長傘を差し、小脇に颯哉のための傘をもう1本抱えて、幸輔はほんの少し閑散とした繁華街を歩く。
 まさかこの雨に打たれっぱなしということはあるまいが、出て行った時の颯哉の様子ではないとも言い切れない。どころか、どこかで倒れでもしてるんじゃないかと、時間が経つごとに不安は募るばかりで。
 大通りをあらかた探し終わった頃、あの、と店の軒先まで出てきたブティックの店員が幸輔に声をかけた。恐らく、本部に電話をしてきたアルバイトの女子高校生だろう。

「朽木さん、あっちの方に誰かと一緒に行ってました‥‥けっこう前だからもう居ないかもだけど」
「助かる。探してみるわ、すまんな」

 笑って礼を言うと、どこか怯えた様子だったアルバイトはほっとした様子で、ぺこんと勢いよく頭を下げると店に引っ込んでいった。颯哉とは違って、幸輔は見るからにカタギではない雰囲気と容貌だし、あのブティックで働いているなら鳥井組の若頭であることも知っているのだろう。
 それでも声をかけてくるくらい、颯哉のことが心配だったということか。なんだ隅に置けねぇな、と小さく笑う。
 見つけたらこれは颯哉に教えて、見回り中に女引っ掛けてんじゃねぇよ、とからかってやらねばなるまい。あの弟分がどんな反応をするのか、ちょっと楽しみにしながらアルバイトの教えてくれた方へと足早に向かう。
 言われた方には、近隣の不良や、もはや不良とは呼べない年代まで来てしまった、不良上がりのチンピラがたむろする路地があった。たまに小競り合いも発生していて、幸輔も出張ることがある。
 何かまた、トラブルがあったのか。とはいえ颯哉の事だから上手くやっただろうが――そう思いかけて、今日の颯哉は体調が悪かったのだと思い出す。
 嫌な予感がした。慌てて路地に飛び込んでみると、ぼろぼろになって力なくて足を投げ出し、だらしなく壁にもたれかかる颯哉を見つける。

「颯哉! 何やってんだ。大丈夫か!?」

 慌てて駆け寄り、小脇に抱えた傘を開くのももどかしく、自身の傘を差し出した。けれども当の颯哉と来たら、幸助のことが解っているのかいないのか、答が返らない。
 颯哉、と重ねて呼ぶと、ようやく眼差しが動いた。ゆるゆると幸輔を見上げ、ほっとしたような色を浮かべた後、気まずそうに目を逸らして「‥‥すんませんっした」と口の中で呟くだけだ。
 どうしたんだと、いぶかしむ。颯哉の様子を見れば何かトラブルがあったことは明白で、ここまで見事にぼろぼろで怪我を負っているところを見れば恐らく、颯哉は負けたのだろう。それを恥じているのか。
 ったく、と颯哉のために持ってきた傘を一先ず、その辺に立てかけた。この調子では、渡した所で差して歩けまい。

「おら、颯哉、立てるか?」

 だから幸輔はぐいと颯哉の腕を掴み、引っ張り上げた。ずるずると、頼りない身体を何とか立たせ、半ば強引に肩を貸す。
 ずっしりと重い体は、やはり高熱が出ているのだろう、熱く感じられた。わずかに浅く速い息も、熱を帯びている。
 これは連れて帰るより、医者にでも連れて行ったほうが良いのではないか。颯哉の様子に眉を寄せ、幸輔はそう尋ねようとした。
 と、颯哉が何か、言う。けれども雨の音に紛れて、何を言ったのかが良く聞こえない。

「あ?」
「‥‥‥」
「颯哉、なんて言った‥‥?」

 ――その。残酷なまでに当たり前の、兄貴分として純粋に颯哉を案じる言葉に――不意に、頭の隅で何かが弾けた、気がした。
 ぐっと、一体どこにそんな力が残っていたのかと驚くほど強く、颯哉は幸輔を抱き締める。抱き締め――身体を押し付ける。

「何で辰川さん、そうなんすか‥‥ッ!!」

 そうして叫んだ言葉は、まるで血を吐くようだった。こんなに傍に居て、こんなに想っているのに、どうしてこの人には解ってもらえないんだろう。どうしてこの人は、こんなに残酷なまでに優しく、残酷なまでに何も気付いてくれないんだろう。
 こんなにも――こんなにも。誰よりも傍に居たくて、誰よりも知りたくて。独り占めしたくて。自覚した今となっては、触れられただけでどうにかなりそうで、気が狂いそうで――
 それなのに、どうして。何も気付いてくれない。解ってくれないのだ。自分は本当に――憧れなんかじゃなく心から、この人が好きなのに――

「そう、や‥‥‥」

 颯哉の言葉に、戸惑う気配を感じた。密着した身体から、それが伝わってきた。
 はは、と嗤う。するり、全身の力が抜けて颯哉は、そっと幸輔から身を離した。
 そんな颯哉を見る幸輔の――呆けたような、戸惑うような、どうしたら良いか解らないような――顔。
 当たり前だ、と思った。自分ですらつい先ほど自覚したに過ぎないその想いを、この人が理解してくれないことに苛立ちをぶつけるなんて、ガキにも程がある。
 それでも、苦しかった。――悔しかった。自覚した今となっては、ただの弟分として扱われることがこの上なく、耐え難かった。
 だが――それが自分の、本当に勝手な感情だということも、解っているから。

「‥‥先、帰ってますね。‥‥すんませんっした」
「あ、ぁ‥‥」

 軽く頭を下げて、立ち尽くす幸輔をその場に置き去りにしたまま歩き出した颯哉に、まだ戸惑った様子の気配のまま、見送る幸輔の気配を感じた。けれども、追いかけては来ない。
 降りしきる雨が、酷く冷たく、重かった。





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /  PC名  / 性別 / 年齢 /      職業     】
 8542   / 辰川・幸輔 / 男  / 36  / 極道一家「鳥井組」若頭
 8550   / 朽木・颯哉 / 男  / 25  / 極道一家「鳥井組」構成員

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きましてありがとうございました。

わんこさんと若頭さんの、今までとは何かが変わってしまうかもしれない物語、如何でしたでしょうか。
ふとした瞬間に自分の気持ちに気付いてしまう、というのは稀によくありますよね。
自分にとって特別な相手であれば尚更に、相手にとっても特別な存在でありたいと願うものです。
‥‥が、あの、ぇー‥‥と‥‥これから鳥井組はどうなるんでしょうか‥‥?(滝汗←

わんこさんと若頭さんのイメージ通りの、募り募る思いの丈を曝け出すノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
蓮華・水無月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2012年08月06日

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