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『まぼろし遊園地/空に翳す手 』
櫟 千尋ja8564

●まぼろし遊園地
 月の綺麗な夜には、不思議が起こる。
 遠くから聴こえる誘いの音楽。
 心震わせる、山ほどの不思議。
 藤咲千尋は、其処に何があるのかをもう知っている。
 だから、今日は迷わずに。
 月と音に導かれて、向うのだ。

 夏の夜だけれど、風はきっと冷えるから上着は忘れないで。
 どうしても寂しくなった時の為に、携帯も持って。
 いつか友人たちと出かけたときより、少しだけ細くなった月を見上げて。
 一人きりの、まぼろし遊園地。


●追想
 細い鈴の音、淡い光。
 二度目の門を潜って、千尋は顔を隠す仮面を受け取る。
 もう夜更けなのに、何処からか子供の声が聞こえた気がして胸を押さえた。

――お兄ちゃん、怖いよ。一緒に来てよ。
――お兄ちゃんと一緒だと、楽しいねえ。
――お兄ちゃん、だいすき。ずうっと、一緒だよ。

 景色は、いつしか自分の心と二重写しになる。
 背の高い少年が、遊園地を駆け巡る。その後ろをついて回るのは、小さな少女だ。
 手は、ずっと繋いでいる。
 少年は、目新しい景色に心を奪われながらも、何度も少女を振り返る。
 手を強く握って、安心させるように笑う。
 大丈夫、傍に居るから。
 温かな優しい目は、いつだってそう語っていた。
 小さいころの歳の違いは大きい。
 自分より年上の兄は、なんでも出来ると思っていた。
 何もかもを叶えてくれる、絶対のヒーロー。
 彼女の信頼は、依存だったのかもしれない。
 けれど、記憶の中の兄は優しくいつだって彼女を甘やかしてくれていた。
 ふらりと夢見る足取りで、千尋は遊園地の中を歩く。
 軽快な音を立ててローラーコースターが真横のレールを通り過ぎていく。
 今見れば玩具みたいな小さなコースターも、当時の彼女には大冒険で。
 でも、大丈夫だと手を引いてくれた人がいたから、楽しいばかりの風を頬に感じて、髪を乱して笑うことが出来たのだ。
「……びっくりハウス、怖かったなー」
 本当に、家が回っていると思ったっけ。
 がたがた軋む音も、家具が落ちそうで世界ごとひっくり返りそうで、涙が滲んだ。
 そんなときも、兄は強く手を握っていてくれた。
 仄かな明かりと、ささやかな音楽は千尋の心を郷愁に誘うばかり。
 彼女の手は、幾度も繋いでくれる誰かを探して彷徨う。
「わたし、強くなれたかな」
 その手を、自分で無理やり握り込む。
 武器を握るようになった手、戦場に仲間と共に立つ彼女は撃退士で、どんな苦境でも兄の手の届かないところにいる。

「お兄ちゃん…」

 なのにどうしてか。
 小さく呼ばわると、優しく名前を呼んで包み込んでくれる人が、いる気がするのだ。
 携帯にかければ、繋がるだろうか。
 寂しいんだと、恋しいのだと伝えれば、届くだろうか。
 届くだろう。
 優しく、温かく声は包んでくれるだろう。
 夏なんだから。
 実家に帰ったって、会いにいったっていい。
 びっくりハウスの戸口で、手をつないでかけていく兄妹がいて殊更に胸が軋んだ。
「大丈夫だよって、言ってくれるかなあ…」
 寄り添い、やはり手をつなぎ合うカップルの姿だってこの遊園地にはある。
 友達同士の気の置けない会話も聞こえる。
 思い出すのは、学園のこと。
 大事な友達、大事な人達。
 満たされていない訳でもなくて、幸福は確かにそこにあった。
 ―――でも。
『わたしの一番は、お兄ちゃん』
 恋する人を前に、思ってしまえば。
 それはもう、どうしようもないことなのだ。
 どうしようもない?
「違う……」
 自分の心を、千尋はゆっくりと辿っていく。
 ホームシックを癒す為に、自分の心の追体験をする為だけに此処に来たのじゃない。
 ここでなら、何かが変われるかもしれない。
 思ったから、此処に来たんだ。

●道化師と風船
 ベンチに座って、温かな紅茶を飲みながら賑やかな遊園地の様子を改めて眺める。
 涙を顔に描くピエロが、色とりどりの風船を抱えて配っているのは、何年も前から変わらぬ光景だった。
 また、追想。

――お兄ちゃん、あの風船が欲しい。

 子供心には派手なメイクに物言わぬピエロは、何処か得体のしれない畏怖の対象だった。
 それでも、なのか。
 だからこそか。
 風船ばかりが宝石みたいにいっとう輝いて見えたのだった。
 自分には決してつかめない風船をやすやすと持ってきてくれて、兄は笑った。
 彼にしか呼べない名前の呼び方をして、笑ってくれた。
 望めば月でも、取って来てくれる気がした。


 飲み干したカップを置いて、離れた場所のピエロを暫くの間眺めていると、風船は少しずつなくなっていく。
 家族が、恋人が、次々と貰っては愛しいたった一人に手渡していて。
「ピンクの風船が、欲しいな」
 取ってくれる手を、心のどこかで待っている。
 諦めたように千尋が目を伏せたその時。
 ふわ、と黄の風船が宙を舞った。
 目で追えば、髪を二つに結んだ小さな少女が転んで、泣いている。
 空の向こうに飛んでいく風船を、目にいっぱいの涙をためて見送っていた。
 考えるより先に、身体が動く。
「風船、ください」
 近づいてみれば、ピエロの動作は親しげで、メイクの奥の目は優しい色に溢れている。
 あんなにも怖かったのに。
 ジェスチャーだけで差し出された風船を貰って、少女の元に膝をつく。怪我はしていないのに、ほっと息をついて。
「はい! 落し物だよ!!」
「……有難う!」
 きょとんと瞠られた目は、泣き笑いに変わる。精一杯のお礼を胸から押し出すのが精一杯だったんだろう。
 得難い宝石を貰ったみたいに、風船を押し抱いて駆けていく。
 遠くから、彼女の名らしきものを呼ぶのは母親の声だろうか。
「良かったあ…」
 笑って、立ち上がる。ふと、その肩が叩かれた。
 先程のピエロが千尋を見て、ピンクの風船を差し出している。ご褒美、とでもいうように大きく腕を広げて。
「有難う……」
 受け取ってから、その細い紐を握って、空に続く丸いぴんくいろを見上げて初めて。
 怖くないことに、気づく。
 少しだけ呆然と、千尋はその場に立ち尽くしていた。
 ややあって、くしゃりと解けるように笑う。
「……風船に、届くんだなあー」
 この手は、確かに。兄の手ばかりを追っていた昔より、いろんなところに伸ばされている。
 同時に。
 誰かから伸ばされる手を、受け止められる。
「かも、しれない」
 あくまで、可能性の話だけれど。
 風船を手首に絡めて、千尋は歩き出す。次第に、その足取りは早く、駆ける。
 こんな日は、こんな夜は誰かに会いたい。
 それは実家の兄だけじゃなくて。

 例えば、大事な友達に。
 例えば、心揺らす誰かに。

 道は何処までも続いていて。
 手を伸ばす強さを、知っているから。


登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja8564/藤咲千尋/女/16才/インフィルトレイター】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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真夏の夜のもう一幕。
心の揺れるその瞬間に、御用命有難うございます。
郷愁のまぼろし遊園地が、その先につながる何かの欠片になったら何よりも光栄です。
素敵な夏の夜を。
常夏のドリームノベル -
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エリュシオン
2012年09月12日

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